第4話 提案①
「⋯⋯暇だな」
帝都にあるオンボロなギルド〈月華の兎〉。
その建物の中で、色褪せた古い木製のテーブルに肘を付きながら、リオティスは欠伸を零した。
時刻は昼過ぎ。
他のギルドメンバーたちは今も尚仕事に勤しんでいることだろう。現在〈月華の兎〉に居るのはリオティスを除けばロメリアのみで、彼女も書類を纏めるために忙しそうに手を動かしていた。
だが、リオティスは違う。
もうやるべきことは何一つとして無いのだ。仕事も終わった。報告も済ませた。つまりは圧倒的退屈。せめてもうひとりぐらい帰ってくれば話は別なのだが、望みは薄いだろう。
(確か他の連中が今日受けた依頼はどれも面倒な物ばかりだったはず。一番早くて猫を見つけていたフィトか? いいや、あの脳筋は間違いなく報告を終えた時点で帝都を走り回るに決まっている。大人しくティアナたちが帰ってくるのを待つか)
リオティスが退屈に身を委ね二度目の欠伸を零した時、出入り口の扉が開かれた。
「おっ、何だもう帰って来てたのか」
扉から入ってきたバルカンは、リオティスの姿を見つけて意外そうに笑った。
「まさか依頼を投げ出してきたか?」
「なわけねェだろ。こっちはお熱い御二人方と違って真面目に働いてるんだよ」
リオティスは同時に戻ってきたバルカンとルリを交互に見つめた。
「部下とのデートは楽しかったか?」
「あのなぁ俺たちは⋯⋯」
と、バルカンが続けようとした時、足元に立ったままでいたルリが袖口を摘まんだ。
「⋯⋯バルカン。あのことリオティスに言うの?」
無表情な顔が見上げる。
感情は読めない。
だが、バルカンにはルリの言いたいことは伝わった。
一時間ほど前。
〈夕星の大蛇〉にてルフスから齎されたオヴィリオンの情報は、余りにも馬鹿げた内容だった。
到底信じられない。
誰もがそう思うであろう。
事実、バルカンも未だ全てを信じられずにいた。
(ルフスは嘘は言わない。分かってるが、アレは飽くまで仮説だ。まだリオティスに教えるのは早計か⋯⋯?)
一瞬。
ほんの一瞬だけ、バルカンは考える。
不確定な情報をリオティスに教えるべきかどうか。
あの〝始まりの記憶者〟と呼ばれるお伽話の存在について話すかどうかーー。
(⋯⋯いや、考える必要なんてないな。誰よりもオヴィリオンの目的が知りたいのは他でもないリオティス自身だ。他の団員には兎も角、コイツには今ここで言うべきか)
意を決してバルカンが口を開く。その時だった。
コンコン。
出入り口の扉を誰かが叩いた。
「ノック⋯⋯? 誰だ?」
訝しみの表情でバルカンが扉へと振り向く。
〈月華の兎〉の団員が依頼を終えて帰ってきたのならば、わざわざ扉を叩くまでも無く入ってくるはずだ。
まさか直接の依頼だろうか?
バルカンは警戒しつつもゆっくりと扉を開けた。
「お前は⋯⋯」
扉の開かれた先。
そこに立っていたのは、小さな狐耳を頭から伸ばす、眼帯を身に着けた美しい女性だった。
「きゅ、急に尋ねて悪いバカルカン。そ、その、話したいことがあってだな」
恥ずかしそうに頬を赤らめるその女性を、バルカンは知っていた。
「別に暇だから問題ねェよ。取り合えず中に入るか? リリィ」
バルカンの言葉に〈日輪の獅子〉のギルドマスターであるリリィは小さく頷くと、俯きながらギルドの中に入った。
◇◇◇◇◇◇
「どうぞリリィさん! お茶とお菓子です!」
テーブルの上にロメリアがお茶と菓子を置く。リリィが座る目の前にだ。それをリリィは一度だけ見下ろすと、お礼を言う。
「あ、あぁ。すまない」
「えへへ、粗茶ですけどね。私は奥で書類を纏めているので、おかわりが欲しかったら遠慮せずに呼んでくださいね! それじゃあごゆっくり」
にこやかに笑うと、ロメリアはそそくさと奥の方に歩いていった。
「それで何か俺に用事か?」
ロメリアが去ってすぐに、バルカンが尋ねた。
小さな長方形のテーブル。
リリィの正面に座るバルカンは、普段と何ら変わりない様子だった。
「い、いやな。それよりもバカルカン。その、何か私を見て気が付くことは無いか?」
「気が付くこと?」
呑気にお茶へと手を伸ばしたバルカンの動きが止まる。
今目の前にいる女性は昔から見知っているリリィ本人だ。間違いはない。一応は、と注意深く観察してみるが特に気になる点は無いように思えた。
「別に何も⋯⋯」
「そういえば今日のリリィさん何か雰囲気違いますね」
バルカンの声を遮ったのは、リオティスだった。
座る二人を傍目から見守るつもりで立っていたリオティスだったが、彼だけはリリィの変化にいち早く気が付いていた。
明らかに着飾っている。
派手すぎない自然なメイクに、優美で上品な服装。リリィが普段よりも身なりに気を遣っているのは間違いなかった。
(リリィさんは多分バルカンのことが好きなんだろう。アイツのどこがいいのかは分からないが、今まで迷惑ばっか掛けてるしな。出来るだけ協力するか)
リオティスはバルカンの座る直ぐ横に移動すると、どこかわざとらしく声を上げた。
「服とか顔とかいつもと違うしな。バルカンもそう思うだろ?」
「あぁー、言われて見れば確かにな」
突然リオティスが会話に入ってきたことに若干の違和感は覚えつつも、バルカンもリリィの変化には気が付いたらしい。今一度リリィの容姿を見つめた後で、バルカンは微笑んだ。
「いつも以上に綺麗だなリリィ。何か良い事でもあったか?」
「綺麗⋯⋯!?」
滅多にバルカンの口から聞くことの出来ない言葉に、リリィは確認するべく聞き返した。
「ほ、本当に綺麗かバカルカン!」
「そりゃあな。そもそもお前が綺麗じゃない時なんてないだろ」
「っぅ⋯⋯!!」
嬉しさの余り頬が緩む。
幸せを全身で感じるリリィは何とか平静を装うべく、懸命に自身の両頬を手で何度も押さえつけた。
「⋯⋯何してんだお前」
「い、いや何でもない! ふっ、ふふ。何でもないからな!」
「ならいいが」
弛んだ様子で笑みを浮かべるリリィを無視することにし、バルカンは再び本題に戻った。
「で、結局何しに来たんだよ」
「そ、それはだな。その⋯⋯」
リリィの言葉が詰まる。
バルカンから容姿を褒められ、もうこれ以上の喜びは無いのだ。リリィにとってはそれだけでこの日〈月華の兎〉を訪れた価値があった。
だが、本当の目的は違う。
団員達に背を押され、化粧や服装にまで力を入れ、こうしてバルカンに会いに来たのには理由があるのだ。
(私は今日、バルカンをデートに誘う! 大丈夫だ。ここで逃げては今までと同じ。勇気を振り絞れ! リリィ=グロリオ!)
ふぅ、と大きく息を吐き出す。
リリィは潤んだ瞳を見開き、それでも真っすぐにバルカンを力強く見つめた。
「バカ⋯⋯いや、バルカン。も、もし。もし貴様さへ良ければなんだがな。一緒に何日か出掛けないか?」
「出掛ける?」
「そ、そうだ! 帝都ばかりも退屈だろう? だから、その、例えば私の実家があるフクシア島に行くのはどうだ? 帝国一のリゾート島だし、海も綺麗だし、良い雰囲気になると思うんだ! いや、ほらな! Bランクの昇格祝いもしてやれてないし、休息も必要だろう!? だ、だから、一緒にどうだ?」
若干の言い訳も含めつつ、リリィはついに言い切った。
以前、訓練室を貸した際にした約束は曖昧だったため、あのような結果に終わってしまった。だからこそ、今回は誠心誠意ハッキリと、リリィは面と向かってデートを提案したのだ。
さらに行先はフクシア島と呼ばれる屈指のデートスポット。島で生まれ育ったリリィにとっても有利であり、何ならこの機会にバルカンと付き合うことも可能なのではないか、という算段を持っていた。
問題は面倒くさがりのバルカンがこれを了承するかどうか。
リリィの心臓は不安と緊張で今にも爆発寸前だった。
「いやもし嫌なら別に⋯⋯」
「いいなそれ」
「え?」
今何と言った?
聞き間違いかと混乱するリリィに、バルカンはお茶を飲みながら言う。
「俺も丁度同じこと考えてたんだよ。場所まで同じなんてな。やっぱ気が合うな俺たち」
「同じこと。場所。気が合う⋯⋯?」
未だ混乱状態のリリィは、ひとつひとつ情報を整理し脳に送っていく。
同じこと=デート。
場所=実家。
気が合う=結婚。
〈六昇星〉のギルドを纏め上げる圧倒的な能力を有するリリィは、一瞬で意味を理解し答えを導き出した。
(まさかバルカンも私と結婚したかったのか!? つまり実家にいる両親に許可を得て、その流れで結婚式を挙げるということだな!? そういうことだな!?)
熱を帯びたリリィの脳は思考を一気にピンク色に染め上げる。
「バルカンいいんだな!? 本当に本当に貴様も覚悟は出来ているということなんだな!?」
「覚悟⋯⋯? まぁ、確かにそうなるか。それにしてもまさかお前から持ち掛けられるとはな。俺から今日相談しに行くつもりだったんだが手間が省けた。じゃあ細かい日程はまた決めるとしてだ。取り合えずよろしくな」
バルカンが右手を差し出す。
これが所謂プロポーズというものか。
リリィは感動の涙を浮かべてバルカンの手を握りしめた。
「そ、その! こんな私だがよろしく頼む!」
「こっちもな。じゃあそっちも頭数合わせてくれ。最低でも五人ぐらいは欲しいところだな」
「あぁ勿論! ⋯⋯待て。今貴様何と言った?」
不穏な空気が流れる。
何か聞き捨てならない事を言った気がする。
「ん? だから頭数合わせろって。俺たち〈月華の兎〉とお前ら〈日輪の獅子〉が一緒に出掛けるんだ。合同訓練になるだろ? だからある程度人数が欲しい」
「合同、訓練⋯⋯?」
そこでリリィは気が付いた。
先ほど自分自身でバルカンをデートに誘った際、確かに『一緒に』としか言っていない。誰と誰が、そして一緒に何をするのかは明確には提言していなかったーー。
「俺も今後のことを考えて団員を鍛えたいと考えていたから丁度良かった。お前の実家ならいろいろやりやすいだろ? 訓練室も多いしな」
「⋯⋯訓練。二人きりじゃなくて。結婚も? ああぁぁぁっ」
リリィは後悔した。
未だに理解してはいなかったのだ。目の前に座る男の鈍感さと、馬鹿さ加減を。
「バカルカン! 貴様という奴は⋯⋯!」
勢いよく立ち上がるリリィ。
そんな彼女に向かって、バルカンは心の底から感謝するように笑った。
「にしても本当に助かった。ありがとうなリリィ」
「うっ⋯⋯」
文句のひとつやふたつ吐いて殴ってやる。
そう考えて立ち上がったリリィだったが、バルカンの笑顔を前にして何も言うことが出来なかった。
そうだ。
この男はいつもそうだった。
だからこそ、こんな男を好きになった自分の負けなのだ。
リリィは大きな溜息を吐き出すと、諦めて力なく再び椅子に腰を下ろした。