第3話 恋する乙女
ーー最近団長の様子が変だ。
ひとりの女性が扉の前で悩んでいた。
手入れされたツインテールの髪。短すぎるミニスカートと開かれた胸元。露出の多い格好を気にする素振りも無いその女性は、派手な色に塗られた爪と爪をカリカリと擦り合わせている。
考え事をする際の彼女の癖だ。
悩みの種は、扉を隔てたほんの数メートル先にあったが、先に進む勇気がどうしても湧かなかった。
「ハァ⋯⋯」
「どうかしたのかデビラ」
大きな溜息を吐いた時、背後から突然声を掛けられた。
「ウィルド⋯⋯アンタいつからそこに居たのよ」
「ついさっきだ。人を覗き魔のように言うな」
ウィルドは眼鏡越しに鋭利な視線を向けた。
皺ひとつない整った身なりに、清潔感のある髪型。前髪は短く切りそろえられ、揉み上げと襟足もサッパリと剃られている。真面目、というのが誰もが彼に抱く第一印象だろう。だが、デビラはその真面目さが嫌いだった。
「何しに来たのよ」
「お前が団長の部屋の前をうろついているからだ。それから、その服装をいい加減にどうにかしろ。足は出しすぎ。胸も下品に見せびらかす。ふざけた髪と、目に悪いその爪もだ。〈日輪の獅子〉の一員だという自覚を持て」
ウィルドが呆れたように注意するが、デビラの心にはまるで響かない。寧ろ、諄く煩い言葉の連続に、怒りが込み上げていた。
「うっさいなぁアンタはいつも! 別にいいでしょこれぐらい。ウチがウチらしく生きるために必要なの!」
「ただの我儘だな。お前の言動ひとつひとつがギルド全体の評価に関わる可能性だってある。もう一度言う。僕たちのギルドは〈日輪の獅子〉だ。〈六昇星〉なんだぞ?」
世界で六つしか存在しないSランクギルド。
それは絶対的な実力と権力を持つ存在であり、たかが個人ひとりの問題で簡単に評価が変わるはずなど無いように思えた。
だが、デビラも知っていた。
〈六昇星〉でありながら、たったひとりの過ちで最底辺にまで転げ落ちた最悪のギルドがあることを。
「⋯⋯〈月華の兎〉の二の舞を演じるなってこと? ハッ、馬鹿馬鹿しい。ウチはあそこまで落ちぶれるつもりは無いっつーの」
「肝に銘じておけ、ということだ」
「あーハイハイ。了解了解。気を付けますよー」
空返事でデビラは適当にあしらうと、再び目の前の扉へと向き直った。
彼女の背中からはもうこの話はしない、という強い意志を感じ、ウィルドは諦めるようにしてクイっ、と一度眼鏡の位置を直した。
「ハァ、全く。それで、団長に何か用でもあるのか?」
「用っていうか。最近あの人おかしくない? ずっと仕事中も上の空って感じだし、部屋に籠る時間も多いし。そのせいでロエちゃんの仕事が増えてもうヤバイよアレ。過労死しちゃうって」
「同期だろうとちゃんと副団長と呼べ。ただ、確かに。あのままではいつ倒れてもおかしくは無いな」
事実、今の〈日輪の獅子〉は慌ただしかった。
団長であるリリィが仕事をまともに熟せていない以上、必然的に他の団員に仕事が多く回ってしまう。そして、その仕事を振り分け、山のような書類に目を通し、ディザイア本部に報告するのは副団長のロエだ。彼女自身の能力は決して高くは無い。結果、夜通し彼女は泣きながら仕事と向き合う羽目になっていた。
「副団長のためにも、ギルドのためにも、団長が何を隠しているのかは知る必要があるわけか。僕も一度直接聞いてみたが、何も無いの一点張りだった」
「ウチもね。だぁーからこうして部屋の中に突撃しようと考えているってわけ。聞き耳立てても完全防音で聞こえないし」
「僕の能力で覗くか?」
ウィルドの提案にデビラは顔を顰めた。
「出た魔法師の特権。だから覗き魔って言われんのよアンタ」
「お前以外に言われた試しがない。第一、僕は覗かない。こういう緊急な場合以外はな」
「言っとくけど、ウチの部屋覗いたら殺すから」
「だから覗かないと⋯⋯いや、もうこの話は終わりにしよう。どちらにせよ早く行動した方がいい。面倒な事態になりかねない」
「面倒な事態⋯⋯?」
一体何を危惧しているのだろう。
デビラが不思議そうに首を傾げた時、廊下に女性の大声が響き渡った。
「何をしてるのニャ、デビラ! そこをどくニャ! ウィルド様を食べるのはこのニャルンちゃんニャァ!!」
「⋯⋯ほらな。面倒な奴が来た」
頭を抱えるウィルド。
彼はすぐ様にこの場から退避しようとしたが、全速力で廊下を駆けたニャルンに抱きしめられ、見事拘束されてしまう。
人間離れした身体能力。頭から突き出た耳。茶色の毛並み。鋭い爪。そんな特徴を持つ猫獣人のニャルンは、頬を赤らめながらウィルドの耳元で囁く。
「ウィルド様。今晩こそニャルンちゃんと一緒に寝るニャ。ひとつのベッドで、愛を確かめ合うのニャ」
「いや、いい。遠慮しとく」
「恥ずかしがらなくても大丈夫ニャ。全部ニャルンちゃんに任せておけばいいのニャ。一から十まで、AからZまで全部体に教え込んであげるニャ」
荒い息遣い。
興奮するように耳に吹きかけられる生暖かい息に、ウィルドの全身に悪寒が走った。
「⋯⋯いいから離れろニャルン」
「どうしてかニャ? ニャルンちゃんはオスを喜ばせるためだけに存在しているのニャ。この体も、胸も、それに手と足だってあるニャ! 口だってあるし脇もあるし体力もあるし肺活量もあるしそれから穴だって⋯⋯」
「そういえば僕は仕事を副団長から頼まれているんだった。と、いうわけで僕は行く。後は頼むデビラ」
無理やりウィルドはニャルンから離れると、足早に立ち去っていった。
逃がした獲物に対し、ニャルンは名残惜しいとばかりに自身の人差し指を舐めた。
「あぁ、ウィルド様行っちゃったニャァ⋯⋯」
「アンタ、マジでウィルドキラーすぎでしょ。アイツを黙らせることができんのニャルンぐらいなんだけど。そもそも、あんな奴のどこがいいのよ」
「ん? 別にオスならニャルンちゃんは誰でもいいニャよ?」
「⋯⋯あっそ」
悪意など微塵も無く言い切るニャルンに、デビラはもう何も考えたくは無くなっていた。
「それでデビラは何をしてたのかニャ?」
「どうせ聞いてた癖に。団長の様子を探ってんの」
「じゃあ話は早いニャ! 必殺、突撃訪問ニャァ!!」
「ちょっ⋯⋯!?」
デビラが止めるがもう遅い。
ニャルンは有無を言わさず扉を勢いよく開けた。
「団長何をしてるのかニャ⋯⋯」
その時、ニャルンの目に飛び込んできたのは部屋の中心で激しく転がり回るリリィの姿。そして、耳に聞こえたのは大きな叫び声だった。
「バルカンが格好良すぎるぅぅぅっ!!」
部屋に木霊する声。
呆気に取られるニャルンとデビラに気が付かないまま、リリィは声を発し続けた。
「〈六昇星〉の会議に乱入したかと思えば部下のために命をかけて! 迷宮も攻略して! オヴィリオンの構成員を捕獲して! 格好良すぎだろ!? 顔も声も好きだ! ダメだ好きすぎる! ああぁバルカン好きだ。好きだ! 結婚したいぃ⋯⋯!」
「えーと、団長?」
他の団員には聞こえないように扉を閉めたデビラが、居た堪れずについにリリィに声を掛けた。
一瞬ビクリ、と体を震わせ静止したリリィは、恐る恐る顔を上げた。
「き、ききき貴様ら⋯⋯!? い、いつの間に!?」
見る見るうちに顔を赤く染め上げていくリリィに、ニャルンが追い打ちを掛ける。
「団長、発情期かニャ?」
「貴様にだけは言われたくない!!」
恥ずかしさから涙まで浮かべてリリィは地面に顔を沈めた。それはもう穴が開いてしまうかと思うぐらいに、強く強く顔を押し付けて。
「もうダメだ! 私はもうお嫁に行けない!! もう死なせてくれェッ!!」
「その、すみません団長。勝手に部屋開けちゃって。でも、別に団長がバルカンさんを好きなことは全員知ってるし⋯⋯」
「そういう問題じゃない! こんなの、こんなことは⋯⋯ぬわあぁぁッ!!」
思い出すだけでリリィは顔から火が出るようだった。
全部聞かれた。
バルカンへの想いを、全て聞かれてしまったのだ。Sランクギルドの団長として、ひとりの乙女として、それはもう公開処刑に他ならなかった。
「もう、ダメだ。もう死ぬんだぁぁ!」
「大丈夫ですって団長! 絶対口外しませんから!」
「ニャルンちゃんもメスの恋バナに興味は無いニャ」
詰まらなさそうにリリィを見下ろすニャルン。
一体誰のせいでこうなったと思っているのか。デビラはいい加減なニャルンに対し怒りすらも沸いていたが、努めて冷静になるように心掛けた。
「団長。お詫びというわけじゃないですけど、ウチらも協力します。バルカンさんを攻略しましょう!」
「えぇ、面倒くさいニャ⋯⋯」
隣で失言しかけたニャルンの横腹をデビラが肘で小突く。
「何するニャ!?」
「静かに。今度イケメン紹介するから話合わせて!」
「本当かニャ!? ふひっ、ニャルンちゃんに任せるニャ!」
気味の悪い笑みを浮かべ、ニャルンは未だ地面に突っ伏しているリリィに向かって勢いよく指を差した。
「団長! ニャルンちゃんに任せておくニャ! 団長の恋のキューピットになってあげるニャ!」
「⋯⋯恋のキューピット?」
顔を上げるリリィ。
どうやら興味を示したようだ。
「いいかニャ団長。まず団長は美人だニャ! どんな男でもイチコロ間違いなしニャ!」
「び、美人だと? ほ、ほほ本当にか?」
段々とリリィの目に光が宿っていく。
これ幸いと畳みかけるようにデビラも続けた。
「そうですよ団長! 団長は格好良いし、強いし、優しいし、最高です! だから自信を持ってください!」
「そ、そうか⋯⋯?」
「そうだニャ! 団長は美しいニャ!」
「美しい⋯⋯!」
「というかドスケベだニャ!!」
「ドスケベ!?」
あわあわと口を動かしながら手で胸を隠すリリィは、先ほどまでとは別の意味で恥ずかしそうにしていたが、自信と元気は取り戻しつつあった。
後もう一押しだ。
デビラは懐からポーチを取り出すと、中から幾つかの道具を選び、手に持った。
「そんな団長にウチが最強のメイクを施します。ニャルン、アンタは獣人用の香水持ってきて!」
「任せるニャ! 飛び切りドスケベな匂いの勝負香水を持ってくるニャ!」
親指を立て部屋から出て行ったニャルンに不安を覚えつつも、デビラには確かな勝算があった。
(マジで団長は素でこれだけ美人だし、ウチのテクが合わされば確実にバルカンさんを落とせる。そうなれば団長はやる気を出して完全復活。ギルドは安泰。ロエちゃんは睡眠を得られる! やるしかないっしょこれは!)
気合を入れなおしたデビラはリリィに化粧道具を向けた。
「つーわけで団長。これから飛び切りの準備を整えてバルカンさんに会いに行きますよ!」
「い、いや待て! 今からってまだ心の準備が⋯⋯」
「問答無用!!」
デビラは最高のキャンパスを手にしたかのように、無我夢中でリリィの顔にメイクを施していく。
何が起きているのかもまるで把握しきれずに、リリィはただされるがままに大人しくする他に無かった。