プロローグ 君を探して
再開します。
俺は一体、何をしているのだろう。
知らない土地。知らない街。
船に乗り、海を渡り、俺は彼女の想いを探してここまで辿り着いた。
もう二年になる。
ずっと、俺は意味の無い約束を守るためだけに、存在するのかも分からない誰かを探していた。
世界は広い。
そもそも、この国に彼女の想いを受け継いだ人が暮らしているのかだって分からない。寧ろ、可能性としては無いに等しいはずだ。
本当に何をやってんだ俺は。
こんなこと、広大な砂漠の中から一粒の砂金を見つけるようなもの。生涯を捨てても足りないぐらいだ。⋯⋯もう、いい加減に諦めるべきなんだ。
俺は探し歩く足を止め、疲れたように空を見上げた。
雲一つない晴天だ。
温かい日差しに、憎いほどに美しい真っ青な空。延々と広がるそれは、俺の心を奮い立たせた。
この空を、もう一度彼女と見たい。
叶わぬ願いだけど、もしも本当にあの想いを受け継いだ人がいるのなら、隣で一緒に見たいんだ。忘れていたっていい。俺ももう一度、あの日の記憶に溺れたいんだ。彼女との日々を、思い出を、そして約束を守りたい。ただ、それだけだ。
俺は熱くなった胸を押さえ、再び歩き出す。
大丈夫。
きっと何処かにいる。
この街の何処かに。この建ち並ぶギルドの何処かに。
見渡せば幾つものギルドが嫌でも目に入る。流石はギルドの国。これだけのギルドがあれば、当然働いている記憶者の数だって多い。諦めるのは全てのギルドを調べ尽くしてからでも遅くは無いさ。
幸い、お金もまだ多く残っている。
あのクソ親父から盗んだ金だ。あれだけ嫌っていたのに、俺にもやはり同じ血が流れている。この汚い金に手を付けて、己の欲を優先している現状が良い証拠だ。
吐き気がする。
自分の醜さに。心の弱さに。
でも、後悔は無い。
俺はどんな手段を使ってでも必ず約束を果たす。そう、誓ったんだ。
懐に仕舞っていたお金の重みと感触を確かめ、俺は前を向いた。その時だった。
「キャア!?」
「うわ!?」
ドン、と体に衝撃が伝わる。
どうやら誰かとぶつかったらしい。俺がそのことに気が付いたのは直ぐ後のことだった。
「アイテテ⋯⋯」
目の前にはひとりの女性が座り込んでいた。
彼女は腰に手を当てて、痛そうに顔を歪めている。
「ご、ごめん! ちょっと考え事をしていて。大丈夫かい?」
咄嗟に俺は手を伸ばした。
「え、えぇ大丈夫です。えへへ、私も少し考え事してたんですよね」
恥ずかしそうに笑う彼女を見て、俺は驚いた。
美しい人だった。
ふんわりとした柔らかい質感の髪に、あどけないような可愛らしい顔。でも、俺が一番に驚いたのはその瞳の色だった。
彼女の瞳は左右で色が違う。
左は琥珀色に透き通り、右は紅玉色に力強く輝いていた。
別に、不思議なことじゃない。
彼女のような瞳を持つ人は何人もいるし、出会ったことだってある。でも、そうじゃない。彼女の瞳は、あの右目には覚えがあった。
「その右目⋯⋯」
「あっ、これですか? 実は二年前に急に片方だけ色が変わっちゃって」
彼女には隠す素振りも無く、どこか自慢げだった。
「どうです? 可愛いでしょう!」
「⋯⋯二年前」
心臓が跳ね上がった。
瞳の色。そして二年前。まさか、そんなことが⋯⋯。
動揺する俺の手を彼女は掴むと、ゆっくりと立ち上がる。
「どうかしましたか?」
「いや、その⋯⋯」
上手く言葉が出ない。
でも、もしも俺の考えが正しいのなら、彼女にはあるはずだ。あの記憶者の証である紋章が。
俺は掴んでいる彼女の手へと視線を落とした。
小さな右手。
その甲には、見間違うわけも無いあの紋章が描かれていた。
間違いない。
ついに見つけたんだ。
彼女の想いを託された人を。
「君、名前は?」
静かに、心を落ち着かせるように、俺は尋ねた。
「私ロメリアって言います。も、もしかて何か気に障ることでもしましたか!? す、すすすみません!」
何を勘違いしたのか、急にロメリアちゃんは頭を下げた。
やっぱりその仕草は彼女とは違う。
当たり前か。ロメリアちゃんは赤の他人。だから、ここから先の行動は全て俺の身勝手な我儘だ。
「ははは! 面白いなロメリアちゃんは。ねぇねぇ、良かったらお茶でもしないかい?」
「お茶、ですか?」
「そう! 君のような美しく可愛い女性と出会えたのはまさに運命。俺はロメリアちゃんのことがもっと知りたいんだ」
使い慣れた笑顔で俺はロメリアちゃんにウィンクをする。
決まった。これで彼女は俺の虜になったに違いない。
「いや、遠慮します」
ロメリアちゃんはただそう言うと、そのまま速足で歩き出した。
あれ、今もしかして断られた?
この格好良い俺が?
余りに突然の出来事に一瞬硬直したが、俺はすぐ様に我に返ってロメリアちゃんを追いかけた。
「ちょっと待ってよロメリアちゃん。少しだけ。少しだけでいいからさ!」
「嫌です! 私は忙しいので」
「そう言わずに⋯⋯いや確かにギルドの仕事を邪魔するのは、イケメンである俺のすることじゃないか。そういえばロメリアちゃんはどのギルドで働いているんだい?」
この街で記憶者として暮らしているんだ。当然、ギルドにも所属しているんだろう。そう考えて、当たり障りのない話題を振ったつもりだったけど、ロメリアちゃんはあからさまに嫌そうな顔をした。
「⋯⋯言いたくありません」
「どうして? 何なら俺も今ギルドに入ろうと思っててさ。よければロメリアちゃんと一緒に働きたいんだけど⋯⋯どうかな?」
「そう言って、私のギルドがどこか聞いたら絶対諦めるに決まっています! 絶対そうに決まってます!」
「それはないよ」
俺はロメリアちゃんの前に出ると跪き、彼女の手を優しく握って真剣な表情を作った。
「俺は本気なんだ。どんなギルドでも、ロメリアちゃんがいるなら諦めたりしない。だから、教えて欲しい」
「じゃあ、信じてもいいんですね?」
「はは、もちろんだとも!」
俺の二度目のウィンクに、ロメリアちゃんは大きく溜息を吐いた。どうやら彼女には俺のとっておきが効かないらしい。
でも、俺が本気だということだけは伝わったみたいだ。
ロメリアちゃんは恐る恐るその可愛らしい口を開いた。
「⋯⋯〈月華の兎〉。それが私の所属するギルドです」
「〈月華の兎〉」
それは元Sランクのギルドであり、今は最低ランクにまで落ちた最悪のギルドの名前だった。
確かに、ロメリアちゃんが頑なに口にしなかったわけだ。
でも甘いね。俺のこの想いは、その程度で止められるものじゃない。君との出会いは、俺にとっては本当に運命的だったんだから。
「よし分かった! それじゃあさ、早速入団の手続きをしに行ってもいいかなロメリアちゃん」
「え⋯⋯」
キョトン、と不思議そうな表情でロメリアちゃんが固まる。
可愛いな。
そう思った瞬間、彼女は満面の笑みを咲かせた。
「本当ですか!? 本当の本当に入団してくれるんですか!!」
「もちろん。俺はレディに嘘は吐かないよ」
「や、やりましたぁ!! 私の手でついに新人をゲットしてみせましたよ団長! そうと決まれば善は急げです。さぁ、私に付いて来てください!」
何やらひとりでガッツポーズをした後で、ロメリアちゃんは嬉しそうに歩き始めた。
俺はそんな彼女の背中を見つめながら立ち上がる。
たった二年。
ようやく、俺は見つけることが出来たんだ。
大切な、何よりも大切な君の想いを。
「待ってよロメリアちゃん! せっかくなら、歩きながらお互いにもう少し自己紹介でもしよう。俺はアルス。君と出会うためにこの世に生まれてきた超絶イケメンで⋯⋯」
ロメリアちゃんに追いついて、俺はくだらない話をする。
興味なさげに聞いている彼女の横顔を見つめながら、それでも俺はこの何気ない会話を楽しむことにした。