エピローグ 朝
いつも通りの朝がやってきた。
目を覚まし、起き上がり、布団をたたみ、服を着替え、顔を洗って身だしなみを整える。
いつもと同じ。
何も変わらない。ただの朝だ。
けれど、以前までとは何もかもが違って見えた。
カーテンを開けば、窓から暖かな日が差し込み眩しく輝いている。心を温かく照らし、太陽とはこんなにも美しかったのかと感動してしまう。
一日の始まり。
王族として過ごしていた時は、孤独と絶望を実感する地獄の始まりのようだったが、今は違う。
私は独りじゃない。
この朝日を浴びると、そう思えた。
日の光を堪能した後で、私は扉を開けて部屋から出た。
未だ完全に覚醒していない脳を起こすため、一度大きく背伸びをする。程よい気持ちよさが体に伝わっていく。
すると、私が出た部屋の正面に位置する扉が開かれた。
現れたのは青色の髪をした、まるで女性のような可愛らしい顔立ちをした男だった。
意図せず向かい合った彼と私の目が合う。
全身が緊張した。
眠っていた脳も起き上がり、ゆったりとした心臓の鼓動が一気に加速する。
だが、嫌な気分ではなかった。
寧ろ、幸福感が胸に押し寄せ、自然と頬が緩む。
私は高鳴る鼓動の勢いのまま、胸に広がった暖かな想いを押し出した。
「お、おはようリオティス!」
声は震えていたと思う。
何故、ただの挨拶にここまで緊張してしまうのかわからなかった。
けれど、リオティスは別に気にしていない様子で、眠たそうに大きな欠伸をした。
「ふぁ。朝から、元気だよな」
「貴方がだらしないだけよ」
「別にだらしなくは、ふぁぁ⋯⋯ねェよ。久しぶりに沢山寝たから、な」
「どうだか。じゃあその髪は?」
私は彼の頭に指を差す。
リオティスは最初何を言っているのかわからないように首を傾げたが、髪を乱暴に何度か触ると、恥ずかしそうに笑った。
「あぁー、これもしかして凄い寝ぐせついてるか?」
「角が生えてるみたいよ」
「マジかー。面倒だしタロットに直してもらうわ」
「わ、私がやってあげてもいいけれど?」
「嫌だ。だってお前、髪触りたいだけだろ」
バレた。
私はむぅっ、と頬を膨らませてわざとらしく不機嫌な表情を作って見せた。
「⋯⋯ケチ」
「普通に嫌だろ誰でも。あっ、てかティアナも凄いことになってるぜ?」
「え、寝ぐせは無いはずだけど」
起きてすぐに身だしなみは整えたはずだ。
一応は、と髪をそれとなく触ってみるが、やはりどこも不自然なところはないように思える。
「あぁー違う違う。髪じゃなくて鼻」
「鼻?」
「あぁ、凄ェ長い鼻毛が出てる」
「えっ、嘘!?」
「嘘だよ」
「っ⋯⋯! そういう嘘は女性に吐いたらダメなのよ!?」
「ははは」
「はははじゃないわよ!!」
笑うリオティスの背中を叩く。
勿論、本気じゃない。
リオティスもそれをわかっているようで、笑いながら歩き始めた。
「悪い悪い。そう怒んなって」
「もぉ、今回だけよ。次あんなこと言ったらパンチするんだから」
「既に叩かれた気もするけどな」
「さっきのは手加減よ。次はフィトに教えてもらった最強パンチをお見舞いするわ」
「⋯⋯あのお漏らし野郎。余計なことを」
リオティスが顔を顰める。
これはどうやら効果があったようだ。
私が少しだけ仕返しが成功したことに満足していると、後ろから突然声を掛けられた。
「おはようッス! リオっち、ティアナっち! 二人で何を話していたんスか?」
振り返ると、そこにはレイクが元気そうに笑っており、その横にはアルス、ルリ、フィト、タロットも立っていた。
「あぁ、別にな。お姫様直伝の踊りを見せてもらってただけだ」
「だから嘘をやめてって言ったわよね!?」
「あはは、朝から楽しそうで何よりッス」
「なぁなぁ、それよりも今日の俺ヤバくね? いつも以上に輝いて見えない?」
「⋯⋯そうだな」
「ちょっとリオティス冷たくね!?」
「わかってないなアルスは、ご主人は朝は基本不機嫌なのだ! あっ、ご主人! 髪が乱れているぞ!」
「そうなんだよ。ちょっと直しといてくれねェか」
「ふふん、任せておけご主人!!」
「いや自分で直してくださいよそのぐらい。だらしないですよ」
「そういうお前はちゃんとお漏らしの後片付け終わったのか?」
「だから漏らしてない!! 今日という日はぶっ殺す!!」
「⋯⋯フィト、落ち着いて。私のお菓子あげるから」
何て、朝早くから皆が騒がしく話し始める。
これもいつもと同じだ。
同じ。そう、〈月華の兎〉では変わらない何気のない日常だ。
そんな当たり前の光景を見ることが出来て、一緒に居ることが出来て、私は最高に幸せだった。
私は前をどんどんと歩いていく皆に追いつくと、その何気の無い会話に混ざっていく。
「そういえばお腹が空いたわね。今日の担当は誰だったかしら」
「ハイ! 今日の担当はボクです!」
「うーわ、マジか。今日ってお漏らし野郎の日なのかよ。⋯⋯なぁ、タロット。アレが出てきたらお前調理し直してくれないか?」
「⋯⋯タロットお願い。私も」
「酷くないですか!? ボクは君たちの事を考えて、バランスの良い食事を提供してるんですよ!」
「いや、バランスだけだろ。お前料理が何か知ってるか?」
「肉体を作るためのトレーニングです。それに、腹に入れば皆一緒です!」
「⋯⋯俺、今日は飯いらねェや」
「そ、そうだな⋯⋯いや! 俺はちゃんと食べるよフィトちゃん! レディーが俺のために作ってくれたんだ。男として、俺は食べる!!」
「そうッスよ! 確かにアレを料理と呼べるかは微妙ッスけど、フィトっちが頑張って考えてくれてるんス。俺も食べるッスよ!」
「凄ェよお前ら。そういうところはマジで尊敬する」
「えぇ、本当に」
リオティスに続いて、私も頷く。
話題を振ったのは私だったが、フィトの作る料理を想像するだけで空腹が引いていくのを感じた。
未だ不機嫌そうに騒ぐフィトを宥めるように、レイクとアルスが食堂のある一階に下りていく。
続いてルリとタロットとリオティスも階段に足を乗せていく。
すると、ふいにリオティスの動きが止まったかと思うと、急にこちらへと振り返った。
「そうだ。なぁ、ティアナ」
「どうかしたの?」
尋ね返した私に、リオティスは言う。
「おはよう。さっき、言いそびれてた」
無邪気に笑うと、リオティスはそのまま一階へと姿を消した。
二階にひとり残った私は、熱くなった顔を押さえて蹲る。
「⋯⋯そういうところが本当にズルいのよ」
どうしようもなく胸が苦しくなる。
リオティスを前にすると、私がいつもの私ではなくなってしまう。
理由はわからない。
この経験したことも無いような痛みや感情の意味は、何度考えてもわからない。
けれど、今はそれでも良かった。
何気のない朝。何気のない会話。何気のない日常。
この何気のない全てが、また明日もやってくることが分かっていれば、それで十分だった。
私は立ち上がると、ゆっくりと階段を下りていく。
今日は皆のどんな顔が見れるのだろうか。どんな一面を知ることが出来るのだろうか。
そんな楽しみを密かに胸に秘めて、私は今日も働く。
私の居場所。
私が私であるための、このギルドの中でーー。
これにて第三章は完結となります。
作者の中ではこの章でひとつの区切りとなるように書かせていただきました。主人公が過去を乗り越えることの出来たこの章を今後も大切にしていきたいと思います。
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