第45話 笑顔
「全員揃ったな。そんじゃ面倒だから簡潔に。〈月華の兎〉のBランク昇格を祝して⋯⋯乾杯!!」
バルカンの掛け声と共に、〈月華の兎〉の団員全員がグラスを大きく掲げた。
「乾杯~!!」
賑やかな合図を皮切りに、モントレイサの酒場にて〈月華の兎〉のBランク昇格を祝う宴が開始された。
会場はリオティスの行きつけの店である〈トルビア亭〉で、今晩は貸し切りとして店の中には〈月華の兎〉の団員の他には、店主のゴールドと店員のメリッサしか居ない。
普段は幾つかのテーブルが並んでいる店内は、リオティスたちのためにと今は全て片付けられ、中心に大きな長方形のテーブルと人数分の椅子が置かれているだけだった。
「さぁさ!! めでてェ祝いの場だ! じゃんじゃか飯作っから食べてくれやぁ!」
奥の調理場からゴールドの大声と、慌ただしい包丁の音が響く。
「まっ、そーいうわけなんで。ウチも今日ばかりは真面目に働くスから。注文いつでもどーぞ」
テーブルに次々に料理を置いていくメリッサ。
普段の気怠げでやる気の無い彼女からは想像も出来ない程、機敏に働いていた。
「うわー! どれもメチャクチャ美味そうッスね!」
「肉です! もっとジューシーな肉を大量にお願いします!!」
「ったく、迷宮で食えなかったストレス溜まりすぎだろ。俺は食うのは専門外だ。酒のお替りくれ」
「そういえばルリたちは結局どんな任務をしていたの?」
「⋯⋯思い出したくない」
「任務⋯⋯うぅ、私何だか頭が⋯⋯」
「な、なぁティアナちゃん、今日はその話やめよう。それが一番だって! ねっ!?」
「何があったのよ貴方たち⋯⋯」
などと、団員達がそれぞれ楽しそうに騒ぐ中、リオティスはひとり飲み物にすら手を付けずに下を向いていた。
「ご主人、どうかしたのか?」
隣に座るタロットが尋ねる。
心配そうな顔。
迷宮から帰って来たリオティスの傷を見た時も同じ顔をしていた。
それだけではない。
ずっとずっと、タロットには心配ばかりを掛けてきた。
(⋯⋯本当に馬鹿だな俺は。もうこんな顔をさせるわけにはいかねェんだよ)
リオティスは意を決すると、立ち上がって勢いよく頭を下げた。
「この前は本当に悪かった。こんなタイミングで言うのは間違ってるかもしれねェけど、謝らせてくれ! 前の時は⋯⋯正直余裕が無かった。どうかしてたんだと思う。でも、お前らを傷つけたのは事実だ。だから、その⋯⋯」
リオティスが先の言葉を考えていると、隣に座るタロットが裾を掴んだ。
見ると、先ほどまでの悲し気な心配をする表情とは打って変わり、優し気な笑顔を浮かばせながら、前を向くように手で仰いでいた。
導かれるようにリオティスが顔をゆっくりと上げていくと、そこにはタロット同様に優しく笑う団員達の顔があった。
「別に謝る必要無いッスよ。あの日のリオっちの様子が変だったのはわかっているッスから」
「その、ボクも配慮が足りてなかったですし⋯⋯それに! 君が屑なのは元からです! だからクヨクヨしないでください。こっちもなんか調子狂うんですよ」
「そうだぜリオティス。そもそもあんなことで怒る程、俺の器が小さいと思うか? イケメンで完璧な俺は心も広いのさ! だから、気にすんなよ」
「⋯⋯私も怒ってない。ただ、わからなかっただけ。どうやって接すればいいのか。⋯⋯だから謝ってくれて嬉しい。⋯⋯リオティスの心、少しわかった気がする」
「お前ら⋯⋯」
真っすぐに向けられる笑顔と優しさ。
思ってもみなかった対応に、リオティスは改めて実感した。
目の前にいるのは、馬鹿で不器用でお節介で優しいだけの、同じギルドに所属する仲間なのだと。
「そういうことよ。私たちはあんなことで貴方を嫌ったりはしないわ。それに、あの時は私も悪かったから⋯⋯。だからね、リオティス! 安心しなさい! ここは誰も貴方を拒絶しない。突き放したりなんかしない! ここは貴方の⋯⋯私たちのギルドなんだから!」
真正面に座っていたティアナが、誇らしげに笑う。
そうだ。
そうだった。
ここはもう自分にとって、心の底から大切だと思える掛け替えのない場所だったのだ。
リオティスは今更になって気が付いた事実に照れ臭そうに頭を掻くと、再び椅子に腰を下ろした。
「悪いな変な空気にしちまって。気にせずにさっきまでのバカ騒ぎ再会してくれ」
「貴方も混ざってもいいのよ?」
「俺もバルカン同様に酒担当だ。飲めないお前らに見せつけながらこっちはこっちで楽しむさ」
意地悪く酒の入ったグラスを揺らすリオティス。
ティアナが、相変らず良い性格しているわ、などと呆れ顔を見せるが、無視してグラスを傾けて酒を口に運ぶ。
強めの炭酸が口を刺激し、柑橘系の甘酸っぱさが先ほどまでの緊張を流し、枯れた喉に潤いを与えた。
アルコール度数の低い食前酒なため、元々酒が強かったリオティスが一口飲んだだけで酔うはずも無かったが、何故だか体の内側が温かく、顔もいつもよりも熱くなっているような気がした。
「⋯⋯俺も大人だって思っていたのにな」
誰にも聞こえない声で呟いたリオティスは、ふと目の前の皿に置かれた串焼きに視線が移動した。
ゴクリ、と唾を飲み込む。
緊張から解放され安心したからか、気が付くとリオティスのお腹は大きく音を鳴らし、口の中には唾液が広がっていた。
リオティスは本能のままに手を伸ばすと、肉の差された竹串を摘まんだ。
小さく切られた鳥の肉が四つ串に刺されて焼かれただけの料理。
別段、好みでもなかったその焼き鳥に、リオティスは勢いよくかぶりついた。
程い弾力。
噛めば噛むほどに肉汁が溢れだし、旨味が舌に溶けだしていく。
肉に纏わりついていた甘辛いタレと、炭の香ばしい匂いが一気に広がり、食欲を掻き立てた。
味わうように噛みしめた肉を飲み込むと、リオティスは目を見開いた。
「ハハ、美味すぎだろ」
あっという間に焼き鳥を食べ終わると、テーブルに並ぶ料理に次々と手を伸ばす。
肉、野菜、魚。
多種多様な食材から作られる料理は、あくまでどれも酒場で提供される域を出なかったが、リオティスには極上の一品に感じられた。
休むことなく料理を口にするリオティスに、フィトが驚くように言う。
「君、メチャクチャ食べるじゃないですか。お酒担当じゃなかったんですか?」
「いや、急に腹が減ってさ。つーかマジでどれも美味いな。今まで酒ばっか飲んでたのを後悔してるよ。おっ、お前のそれも美味そうだな。ひとつ貰うぜ」
フィトの許可が下りるよりも早く、リオティスは彼女の前に山のように積まれた骨付きの肉をヒョイっとひとつ奪った。
「ちょっと、勝手に盗らないでください! それはボクの肉です!!」
「いいだろひとつぐらい。そんだけあんならさ。⋯⋯っ! これも美味いな!」
騒ぐフィトを無視し、リオティスは肉を食べ進めていく。
「でも流石に肉ばっか食いすぎたな⋯⋯美味いんだけど。なぁ、アルス。お前のそれも一口貰っていいか?」
「え⋯⋯あ、あぁ! いいぜリオティス! でも結構辛いと思うぜ?」
「いいよ別に。⋯⋯ゲホっ!? 辛!!」
「だから言ったろ? でも咽てるリオティスも可愛いな」
「ゲホっ、どんなフォローだ変態」
「⋯⋯リオティス大丈夫? 私のスイーツいる?」
「ん? そうだなー。ちょっと貰うか。⋯⋯うぐっ、こっちはメチャクチャに甘いな!?」
「⋯⋯ふふん、これが最強の甘党の甘党による甘党のための超生クリームクレープ」
「何でお前がドヤ顔だ!!」
それぞれ別の意味で手に負えないアルスとルリに、リオティスがうんざりするように対応するが、続いて正面に座っていたティアナが手に持っていたスプーンで料理を掬い、立ち上がって体を前に乗り出した。
「じゃあ次は私の番ね。ほら、リオティス。あ~ん」
「⋯⋯⋯⋯」
「どうしたのリオティス。食べたくないの?」
口元に差し出されたスプーン。
リオティスはそれを不思議そうに見つめるだけだった。
意味が分からず首を傾げるティアナだったが、そんな彼女にレイクが言う。
「何か、距離近くないッスか?」
「え?」
「⋯⋯近い。まるで恋人」
「えぇ!? こ、ここい!? 別にそんなじゃ無いわよ!! これぐらい⋯⋯そう! 普通よねリオティス!!」
「いや、普通ではないだろ。その、俺も流石に恥ずかしいというか⋯⋯つーかティアナがおかしい」
「うぐぅ、お、おかしくないわよ!!」
「そうだぜリオティス。レディーからの誘いを断る方がマナー違反だ。ということでティアナちゃん。俺はいつでも受け止める準備は出来ているよ」
「いや、だからそういうわけじゃ⋯⋯」
「まぁ、でも、ティアナっちはこういう接し方を知らないだけじゃないんスかね? 距離感、というッスか」
「レイクの言う通りです! ティアナはあくまで友人のつもりで接しているだけなのです! だから君は絶対に勘違いしないでくださいよ!」
「別にしねェけど。ようはコイツが頭お姫様な変人だってことだろ?」
「変人は失礼でしょリオティス!? 私は普通よ!」
「そうだよな、悪い悪い。ティアナは普通だよ。ただ迷宮で急に魔獣に話しかけたり、歌ったり、踊ったりするだけだもんな」
「ちょ⋯⋯!?」
顔を真っ赤にしながらティアナが慌ててリオティスの口を塞ごうとする。
だがもう既に遅く、隣で酒を飲んでいたバルカンがたまらずに噴き出した。
「ぐふっ、ゲホゲオ」
「バルカンさん!? 笑いましたよね今!?」
「ゲホっ、悪い。でも、お前ら迷宮で何してんだよ」
「プリンセス様の劇を見てた」
「ちょっと、リオティス!?」
「⋯⋯プリンセス。ティアナ、可愛い」
「いいですよねプリンセス。私も憧れてたなー。あぁまぁ子供の話なんですけど」
「い、いいじゃないッスか! 夢を追いかけるのは素敵なことッス」
「俺もいいと思うぜ! ティアナちゃんの歌と踊りかぁ。絶対に可愛いに決まってる!」
「まぁ、その、ティアナも疲れていたんですよ。⋯⋯お肉食べます?」
「あぁっ、もう!! だから違うのよ!! リオティス! 貴方のせいで皆が変な勘違いしてるじゃない!?」
恥ずかしさと怒りが込み上がり、ティアナはリオティスへと鋭い眼光を向けた。だがーー、
「ふっ⋯⋯アハハハ! マジで、ハハ。腹痛ェ」
視線を向けた先には、今までに見たことも無いような、心の底から笑うリオティスの姿があった。
全員が信じられないような物を見たかのように、驚愕して硬直する。
一方のリオティスは周りの変化に気が付かないまま、一頻り笑い終えると、涙を溜めた目を擦った。
「あーバカみてェ。⋯⋯ん、どうした? なんか俺の顔に付いてるか?」
「今、笑ったッスよね」
「⋯⋯笑った」
「マジか、あのリオティスが」
「笑い、ましたね」
「それも満面の笑みで⋯⋯」
信じられないとばかりに互いに顔を見合わせる仲間達。
中でも、タロットは嬉しさの余りに涙を流し、ついには堪えることの出来なかった衝動のまま、リオティスに向かって勢いよく抱き着いた。
「ごしゅじぃぃん!!」
「どわっ!? 何すんだタロット! 急に抱き着くな!?」
「うわあぁぁん、ご主人!!」
「てか何で泣いてんだよ!?」
状況が掴めず困惑するリオティスだったが、頭を整理する間もなく、他の仲間達も席を立ちあがり傍に近づいてくる。
「⋯⋯リオティス。私も抱き着く」
「ルリお前もかよ!?」
「ズルいッスよ! 俺もギューッと抱きしめるッス!!」
「えへへん! よくわかんないですけど、大人の女性であるこのロメリアさんもハグしちゃうぞ~」
「んじゃ俺も。こんな時じゃないと可愛いリオティスに抱き着けないしな!」
「ボクは遠慮します。⋯⋯ケド、頭ヨシヨシしてあげます。貴重ですよ、ボクのヨシヨシは」
「何がヨシヨシだ! って、待て待て!? 全員マジで抱き着いてくんじゃねェッ!!」
酒場であることも忘れ、押しつぶされるように仲間たちに抱き着かれるリオティスの怒鳴り声が響き渡る。
その様子を見ていたティアナは、恥ずかしさも怒りも完全に消え失せてしまっていた。
「⋯⋯卑怯な人ですよね。あんなの見せられたら何も言えないじゃない」
「だな」
ティアナの言葉にバルカンは頷く。
「お前も行って来いよ。さっきの仕返しでもしてやれ」
「そうですね⋯⋯フィト交代よ! 次は私がリオティスの髪を触るんだから!」
嬉しそうにリオティスの元へと駆け出すティアナ。
そんな彼女の後姿を見つめながら、バルカンは酒を呷る。
「最高の肴だよ。これが見れるなら、団長ってのも悪くねェな」
バルカンはひとり微笑む。
モントレイサの隅に佇む一軒の何て事の無いただの酒場。
だがその日、酒場で奏でられた騒がしい程の楽し気な声は、朝日が昇っても尚、決して止むことは無かった。