第44話 監獄迷宮〝アトランティス〟
迷宮は自然のエネルギーを取り込むことでその体を成す。
枯れた大地は緑に若返り、灼熱の日差しが降り注ぐ砂漠が一瞬にして視界を覆う白銀の雪によって極寒の地へと変貌する。
迷宮がこの世界に齎す損害は計り知れず、度を超えた大自然が人々に猛威を振るってきた。
その驚異的な自然のエネルギーを解放するためにもギルドは命を懸けて迷宮を攻略し、今ではほぼ全ての迷宮を攻略することが出来る程までにディザイアは力を付けている。
だが、ひとつだけ攻略の出来ない迷宮の条件があった。
それは自然の母とも呼べる〝海〟に出現する迷宮だ。
その性質上、迷宮は海中に数多く出現するのだが、攻略の難易度はどれも地上とは比べ物にならない。
海中での移動手段。
さらには迷宮内も海水で満たされ、人が生きるにおいて必要不可欠な酸素が存在しないのだ。
長時間の活動が求められる迷宮攻略において、身体能力の低下、食事や睡眠、生命を維持するための手段等、数多くの問題が発生するのはただの足枷に他ならない。
このような問題をすべて解決させた上で、魔獣を掻い潜り、番人を撃破し、核を破壊する必要があるのだ。
まさに無謀。
そのため、ディザイアは海中に出現した迷宮を攻略することを禁じ、消滅するまでに外へと溢れてしまった魔獣のみを駆除することにしている。
だが、歴史上たったひとつだけ攻略された海中迷宮があった。
初代ディアティールの帝王が有していた海に特化した能力とメモリーによって、単独で攻略したとされる巨大な迷宮。
海中に消えることなく存在するその迷宮は、現在ではディザイアの所有するとある施設として利用されている。
名を監獄迷宮〝アトランティス〟。
深海と魔獣によって脱獄不可能とされる地獄の砦だ。
アトランティスでは大罪を犯した囚人を閉じ込め、魔獣や迷宮の研究を行っている。
中に入るには幾つかの手続きを行った後、ディザイアの本部に設置された転送装置によって送る必要があるため、まず侵入は不可能だ。
脱獄に至っては以ての外であり、人工的に創られた魔獣兵や強力な記憶者を掻い潜り、暗号化された転送装置を起動しなくてはならない。
転送装置を無視して外に無理やりにでも出ようものならば、水圧によって押しつぶされてしまうだろう。
事実、今までにアトランティスを脱獄した者はひとりとしていない。
ディザイアの誇る難攻不落鉄壁の要塞。
そんな監獄に、新しい囚人が送り込まれた。
全身を拘束具によって固定され、指先一つ動かすことも出来ず、締め付けられる痛みによって悶絶するその囚人は抵抗する気力も無く、看守によって無理やり檻の中に投げ入れられた。
囚人の名前はイース=クラーク。
一週間前にリオティスの前に立ちふさがった、オヴィリオンの戦闘員だった。
「ぐっ⋯⋯」
イースは動くことも出来ずに地面に倒れる。
リオティスとの戦闘によって負った傷は癒えず、死なない程度に治療を施されたのみで、全身には常に激痛が走っていた。
何故ディザイアが自分を生かしているのか。
そんなことは考えなくともイースにも理解出来た。
敵対組織であるオヴィリオンに関する情報を得るためだ。
この監獄に幽閉されたのも、情報を聞き出すために都合がよいからだろう。
イースはこの先に待つ拷問を想像するだけで、もはや生きた心地がしなかった。
「ぅ、ぁ」
絶望から逃れるために舌を噛みちぎろうとしたイースだったが、口がまるで言うことを聞かない。
麻酔でも打たれたかのように口の感覚が無く、開いたままとなった口からは汚い涎が止めども無く流れ、地面に零れていく。
(俺を自害させないために⋯⋯クソ、ふざけやがって!)
イースは怒りを積もらせるが、全身の自由が奪われたこの状況では、もはやどうすることも出来なかった。
全てを諦め、絶望と悔しさから涙を浮かべた時、イースの口に違和感が生まれた。
感覚の無い口に突如発生した熱。
続いて口の中からは黒い煙が溢れだし、小さな檻の中に充満していったかと思うと、気が付けば視界が黒色に埋め尽くされていた。
(この煙は⋯⋯!!)
イースが全てを理解するのと、煙が晴れたのは同時の事で、部屋の中央にはいつの間にかひとりの男が立っていた。
「やっほー。久しぶり! 元気にしてたかい? イース君」
「あ、あぅ⋯⋯さ」
ヘラヘラと笑って手を振るうベリアルに対し、イースは感激の涙を零す。
自分は見捨てられてはいなかった。
自分を助けに来てくれた。
イースから絶望は吹き飛び、ベリアルに対して熱い眼差しを向けていた。
だが、ベリアルは別段気にする様子も無く、おもちゃ箱を開けた子供のように目を輝かせて辺りを見渡す。
「へぇ、ここがあのアトランティスか! うーん、迷宮特有の死の匂い⋯⋯最高だね! にしてもディザイアの警備もザルだよね。記憶者の能力は警戒して封印するのに、その人間に施された別の能力は考慮しないんだから。まっ、そもそも防ぐ術ないだろうし無駄だけどもね」
ベリアルは好奇心をそのままに、地面に情けなく倒れるイースの元へとしゃがみ込むと、彼の首に着けられた機械に触れた。
「これが能力封じの記憶装置か。と言っても当たり前だけど僕たちのと同じだね。これで僕の能力も防げてたらね~」
「ぅ、うっ⋯⋯」
「ん、どうしたんだいイース君。口回らないみたいだけど。でも言いたいことはわかるよ。どうやってここに来たのか、でしょ? 酷いなァもう忘れたのかい。ホラ、僕と交わした熱い唇。あの時に印を付けておいたんだ」
ベリアルは当たり前のことだとばかりに説明したが、それを聞いたイースの瞳が揺れたのを見逃しはしなかった。
「⋯⋯勘だけはいいよね君。こう思ったんだろう? 何故あの時点で能力の印を付けたのかって。答えは簡単。君が今思ってる最悪の結末を想像すればいい。僕の目的はね、最初っからここに来ることだったんだ」
刹那、ベリアルの周りに黒い煙が広がったかと思うと、イースの体に無数の小さな穴が開いた。
穴から抜け落ちる血と熱と信頼。
徐々に冷えて何も感じなくなっていく体に恐怖しながらも、イースは最後の力を振り絞ってベリアルを見た。
「どうし、て⋯⋯」
「あのねイース君。僕が好きなのは可愛くって格好いい若い男の子と、強い男の子だ。⋯⋯負けたゴミに興味は無い」
ベリアルはイースの顔面を勢いよく蹴り飛ばす。
吹き飛び壁に激突したイースは、そのままピクリとも動かなくなった。
「さーてと。ゴミは片づけたし、次は仕事だね」
えーと、と何かを探すようにベリアルは上着のポケットに手を入れると、クシャクシャに丸まった一枚の紙を取り出した。
「どれどれ⋯⋯この子とこの子。あとコイツか。うーん、でもそれだけじゃつまらないから、僕のタイプの子も何人か連れてっちゃおうかな」
気分良く鼻歌交じりに檻から出たベリアルだったが、突如、監獄内にアラームが鳴り響き、不気味な赤い光が注がれた。
「流石にバレるよね。優秀なディザイアのことだ。僕を少しは楽しませてくれることを期待するよ」
ベリアルは天井をキョロキョロと見渡すと、映像を記憶する記憶装置を見つけて指を差した。
「これは宣戦布告だ! 今から起きることは、この先に訪れる絶望的な未来のきっかけに過ぎない! 僕らオヴィリオンとディザイアの全面戦争。そうさ、始まるんだよ! 世界を懸けた戦争がッ!! 〝始まりの記憶者〟を巡る戦争がァァッ!!」
ベリアルの叫びが監獄中に響くと、記憶装置の映像と音声はそこで途切れた。