第10話 死神
時はひと月前に遡る。
迷宮から無事に脱出したリオティスは、復讐心に駆られ、ダニアスとライラックの二人に短剣を振りかざした。
吹き出す血と、斬り裂く肉の感触。
間違いなくリオティスは二人を殺したはずだった。
だが、異変はすぐに起こった。
「⋯⋯血が止まってる?」
倒れて動かなくなったライラックの胴体には、今しがたリオティスが短剣で斬った傷があるはずだったが、その傷が段々と塞がっていくのだ。
あっという間に傷は無くなり、飛び散った血すら消えてしまっている。
リオティスが確認するようにライラックの手首を指で押さえると、ドクンドクンと脈を打つ振動が伝わってきた。
「どうしてだ。俺は確かにこの短剣でライラックを殺した」
振り返ってみると、ダニアスも同様に血も傷も元通りになっているようだった。せいぜい残っていることといえば、服が斬り裂かれていることぐらいだ。
何が起こっているのかはわからないが、リオティスはもう一度ライラックを殺すべく短剣を振り上げる。
殺す。
その殺意は衰えることもなく、躊躇いもない。そのはずなのに――、
「どうして手が動かないんだ⋯⋯」
短剣の柄を両手で握りしめているというのに、震えるばかりで一向に振り下ろせない。
すると、そんなリオティスの震える手を後ろで誰かが優しく握った。
小さくて、温かい手。
その手の感触をリオティスは知っていた。
「⋯⋯お前が止めているんだな。リラ」
どれだけ恨まれようと、殺されようとも、それでもまだリラは愛を失っていなかったのだ。リオティスの中に流れる彼女の想いと優しさは、確かに引き留めようとしてくれている。
リオティスは振り上げた短剣をゆっくりと下ろし見つめた。
どこにでもありそうな普通の短剣。
刃は鋭く光り、柄は装飾が施されているわけでもないのに黒く輝いている。
(想いは人間にも武器にも鉱石にも宿る、か)
〝ネスト〟に落とされ死を覚悟したとき、精神世界に現れたあの少女が言った言葉。それがこの世界の理なのだという。
だからこそ、リラの使っていた短剣にも想いは宿り、こうして能力が付与されたのだ。
想いを宿した、能力を持つ武器。
能力を持った人間を記憶者と呼ぶこの世界では、能力を持った武器のことを〝メモリー〟と呼ぶ。
メモリーは人工的に創り出すことができるが、リラの持っていた短剣のように、突然に能力が付与された強力な物も存在する。力が宿された武器は〝遺された記憶〟とも呼ばれ、身体能力のみが向上する人工的なメモリーとは違い、ひとつひとつに特別な能力が付与されている。ライラック達の傷を癒したのも、このメモリアルの能力だった。
「リラ。お前はどこまでいっても優しいな」
リオティスがそう言って短剣を腰に差すと、背後に感じていた気配は消えた。
「命拾いしたなライラック。⋯⋯リラに感謝するんだな」
未だ意識を失っているライラックに、リオティスの言葉は届いていないだろう。それでも、最後にリオティスはリラの愛を伝えたかったのだ。
復讐も終わり、真実を解き明かし、これでリオティスのやるべきことは全て終わった。
(⋯⋯もう、俺にできることはない。そして、したいことも)
生きると決めたリオティスだったが、今まで働いてきた〈花の楽園〉を去っても、どうやって生きていけばよいのかわからなかった。
リラといることが全てだったリオティスにしてみれば、もはや夢もやりたいことも何もないのだ。
無気力に、疲れたようにリオティスが外へと歩き出そうとした時、視界の端で見覚えのある何かが見えた。
それは本棚の下。いくつかの本が散乱してあるすぐ傍に、ひとつの黒い仮面が落ちていた。
「これは⋯⋯あの時の」
思い返すのはリラと初めて写真を撮った時の記憶。
その時の彼女は、記憶装置と一緒に持ち出したこの禍々しい仮面を着けていた。
リオティスは仮面を拾い上げる。
近くで見ると、よりいっそうあの頃の記憶が蘇っていった。
『私は正義のヒーロー〝ピースマン〟! この世界の平和は私が守る!!』
そんなふざけたポーズをするリラの姿が目に浮かぶようだった。
(ヒーロー、か。⋯⋯ん?)
仮面が置かれていた丁度下に、一冊の絵本が転がっていた。それは、昔によくリラともうひとり仲の良かった少女と一緒に読んでいたものだ。
『ねぇねぇリオティス。一緒に絵本読もう! ほらシオンも来て!』
『リラちゃんその本、ホント大好きだよね』
『全くだ。この前読んだばっかだろ』
『えへへ、だって私好きなんだもん。このヒーローの絵本! 私もいつかみんなを助けるヒーローになるんだ』
幼いころのリラは、何度もそうやってこの絵本を読んでいた。
ヒーローになりたい。
悪を倒してみんなを助けるヒーローに。
そんなリラの想いが溢れ出してきて、リオティスの胸が温かくなる。
リオティスは絵本を持つと、自分と自分の中にいるリラに向かって言った。
「お前がヒーローを目指したなら、俺が代わりになってやる。約束だ、リラ」
黒く禍々しい仮面を着けて、リオティスは気持ちを新たにした。
悪を倒し皆を救うヒーロー。
そんな、絵本の中だけの存在になるために――。
仮面を着けたリオティスは、絵本を強く握りしめながら〈花の楽園〉を後にした。
明かりのない深夜の街に飛び出したリオティスの姿は、いつの間にか闇に溶けて消えてしまった。
◇◇◇◇◇◇
とある小屋の中。
広々として騒がしいその部屋で、数人の男たちが酒を飲み交わしていた。
「よっしゃ、いけいけ! あぁッ⋯⋯クソっ! また負けかよ」
「へへへ、悪ぃな!」
「なんの! もう一回だ!」
「おいおい、もうやめとけって⋯⋯ヒック」
「酒だ! もっと持ってこいや!!」
煩く騒ぐ男たちは、賭け事をする者や酒を浴びるように飲む者など様々だ。
その中で、唯一酒も飲まずに椅子に座るひとりの男が、突然テーブルの上にカードを広げてみせた。
「ほら一枚取りな。このタロットカードで占ってやるよ」
「くっだらねェ。当たるわけないだろ」
「いやいや、俺のは当たるんだよ! これでギャンブルにも勝てて女もホイホイよ」
「ぎゃはは! うっそくさ!」
タロットカードを広げる男の言葉に誰も耳を傾けず、ただ笑うだけ。それでも肴にはなるようで、どんどんと酒が進んでいく。
小屋の中が熱気で最高潮の盛り上がりを見せた時、奥の扉が開いたかと思うと、顔に立派な髭を蓄えた大柄な男が入ってきた。その瞬間、騒がしく熱を帯びていた空間が一気に冷めていく。
「俺様が忙しく仕事をしてるってのに、うるせェやつらだなぁ!」
「ぐ、グーラの親分! こりゃとんだ失礼を!!」
「けっ、いいから俺の分の酒を持ってこい。樽でだ」
「へ、へぇ!!」
グーラと呼ばれた男の機嫌を伺うようにして、周りは酒の手を止める。
そして、暫くして運ばれてきたのは酒の入った巨大な樽。その樽をグーラは両手で鷲掴むと、ゴクゴクと喉を鳴らして一気に飲み干した。
「くぅっ! たまんねェな!!」
「そ、それで親分。例のブツはどうなったんで?」
「手に入れたに決まってんだろ! 俺様が悪事の限りを尽くして手に入れた金でやっとこさ買えたんだ。今は奥の倉庫で調教中さ」
「さすがは親分!!」
「当然だ。それにしてもあれは上玉だぜェ。早く俺様の相手をしてもらいたいもんだ! がははははッ!!」
グーラが高らかに笑うと、周りの男たちも安心して笑い出す。
そうして再び騒がしさを取り戻していく小屋の中。
次々に酒が運ばれていくと、先ほどタロットカードを広げていた男が言った。
「なぁ、そろそろ誰か引いてくれよ。なぁなぁ」
「わぁったよ。ほれ、これでいいか?」
うんざりしたようにひとりの男がタロットカードを引いた。そこには黒い服を身にまとった骸骨が、大きな鎌を手に持つ絵が描かれていた。
「こ、これは死神のカード! 不吉なことが起きるぞ!?」
「適当だなぁ。やっぱ当たらねェよ、それ」
「いやいや、お前も知ってるだろ。死神の噂」
「あぁ、あれだろ? 盗賊や悪者の前に現れては、命を刈り取っていく黒い仮面の男。いや、女だったか?」
「そうそう! もしかしたら俺たちの前に現れる前触れかも⋯⋯」
「くっだらねェ。それに来ても俺たちの親分には誰も勝てねェよ」
「それもそうか!」
男たちは呑気に笑い合うと、再び酒へと手を伸ばした。
刹那、パンっと何かが破裂したような音が響くと、突然部屋の明かりが全て消えた。
「あぁ? 停電か?」
グーラが面倒くさそうに酔いでぼやけている目を擦るが、次の瞬間に部屋に響いたのは男たちの叫び声だった。
「ぎゃああああッ!?」
「何だ! く、来るなぁッ!?」
悲鳴と激しい物音。
先ほどまでの楽しい騒がしさが、そんな恐怖の音で塗り替えされていく。
――これは只事じゃない。
グーラの酔いも一気に冷め、瞬時に警戒態勢に入った。
数分後。
物音が途絶えたかと思うと、突如として明かりがついた。
グーラの視界に映ったのは、倒れて動かなくなった自分の部下たちの姿。テーブルはひっくり返り、酒の入ったグラスも割れている。
たった数分の間に何もかもが変わってしまい、部屋の中はもはや戦場と化していた。
そして、もうひとつ。
グーラの目には、黒い仮面を着けたひとりの人間が短剣を握りしめている姿がハッキリと映し出されていた。
「テメェ⋯⋯何者だ」
それに仮面を着けた男は答える。
「死神さ」
男は地面に落ちていた死神の描かれた一枚のカードを、グーラに向かって投げつけた。
何度か名前だけ出たシオンですが、今は特に気にしなくても問題ないです。リオティスにはリラ以外にも仲の良かった仲間が居た⋯⋯ぐらいの感覚で大丈夫です。




