第41話 帰還
歩いて、歩いて、歩き疲れてーー。
蓄積された疲労。肉体に刻まれた傷と痛み。
もはやいつ倒れてもおかしくは無かったが、リオティスの足取りは軽かった。
苦しくは無い。
迷宮に入る前よりも、ずっとずっと心は楽だった。
だから、歩みは止まらない。
一歩一歩を踏みしめて、目の前に輝く光に向かって歩き続ける。
そしてついにリオティスが辿り着いたのは、なんてことの無いただの大地だった。
全身に降り注ぐ温かい日の光。
鳥のさえずりや、草花を揺らす風の音が耳に抜けていく。
どこにでもある普通の森林の中だ。
別段絶景であるわけでも、心が落ち着くような場所でもない。
だが、大地に降り立ったリオティスからは一瞬にして疲れと力が抜け、目には薄っすらと涙すら浮かんでいた。
この何気ない景色を再びこうして全員で見ることが出来るなんて、迷宮に入ったばかりの自分は思いもしなかっただろう。
きっと目の前で誰かが死ぬ。
誰も守ることが出来ない。
そもそも、自分が生きて帰ってこれる保証も無い。
迷宮で何度も大切なものを失ってきたリオティスには、こうして笑ってここに立つ未来の自分の姿を想像することも出来なかった。
リオティスは涙を拭うと、後ろを振り返る。
そこには巨大な迷宮の入り口が広がっていた。
「どうしたリオティス?」
迷宮をジッと見つめるリオティスに対し、バルカンが不思議そうに尋ねた。
「大丈夫か?」
「あぁ、別に問題ない。⋯⋯なぁ、バルカン」
「何だ?」
「⋯⋯本当に皆無事に戻ってこれたんだな」
信じられないような、それでいて嬉しそうにリオティスが言った。
それを聞いたバルカンは微笑むと、リオティスの頭をワシャワシャと乱暴に撫でた。
「なっ、何すんだよ急に!?」
「んー、別に」
「じゃあやめろよ!!」
バルカンの手をリオティスが恥ずかしそうに振り払う。
すると、その様子を見ていたティアナが少しだけ羨ましそうに言った。
「⋯⋯ねぇ、私も撫でてもいい? リオティスの頭」
「いいわけねェだろ! 何でそうなんだよ!!」
「だって気持ちよさそうじゃない。リオティスの髪って女の子みたいにサラサラだし⋯⋯その、いい匂いするし」
「言ってることが変態じゃねェか!?」
「変態じゃないわよ!! ただ髪が好きなだけだから!! いいでしょうリオティス。ちょっとだけ。先っちょだけでいいから!!」
「だからいちいち発言が変態っぽいんだよ!」
興奮気味に近づくティアナから距離を取るように走るリオティスだったが、突然背後から強烈なタックルを食らい倒れてしまう。
「よし、捕まえましたよ!! よくわかんないですけど、今がチャンスですティアナ!!」
「って、お漏らし野郎かよ!? お前まで何やってんだ!! つか離せェッ!!」
苦しそうに藻掻くリオティスだったが、流石に蓄積された疲労に嘘は吐けず、思うように体に力が入らないでいた。
そんな弱り切ったリオティスの顔を、フィトが憎たらしい程の悪い笑みで見つめた。
「ふっふっふ。やはり体力切れのようですね。こうなればこっちのものです。今までの仕返しをさせていただきます! さぁ、やるのですティアナ!!」
「よくやったわフィト!! さぁ、リオティス。観念しなさい⋯⋯」
気味の悪い笑みで両手を動かしながら接近するティアナに、リオティスは本気で身の危険を感じた。
「待て待て待て!? こっちは怪我人だぞ!!」
「大丈夫よリオティス。痛くしないから」
「そういうことじゃねェ!? そうだ⋯⋯! オイ、レイク!!」
助けを呼ぶことが最善だと理解したリオティスは、この場で一番の常識人であるはずのレイクへと咄嗟に呼びかけた。
すると、倒れるリオティスの頭上からレイクが優しく声を返した。
「大変ッスね。リオっち」
「そうなんだ。この馬鹿共どうにかしてくれレイク!」
「俺もそうしたいのは山々なんスけど⋯⋯フィトっちに止められてるんスよ。リオっちを倒す邪魔はするなって」
少しだけ困ったようにレイクは笑ったが、当然リオティスからしてみれば納得出来る話ではなかった。
「別にあんな奴の言うこと聞かなくてもいいだろ!!」
「いやー、でも俺が近づくと今のフィトっちは調子悪くなるみたいなんスよね。でもリオっちと遊んでる分には大丈夫そうッス」
「そうなんです! 今の僕は風邪というヤツなのです!! レイクが近くにいると心臓が時限爆弾で爆発して死ぬかもなのです!! だから君に仕返しすることに集中して、気を紛らわせて爆弾を解除するのです!!」
レイクに続けてフィトが頬を赤らめながら叫ぶ。
それを聞いたリオティスは理解しようと努めたがそれは一瞬のことで、もはや考えることも面倒くさくなり諦めて顔を地面に沈めた。
「⋯⋯こっちの頭が爆発しそうだよ」
「まぁ、俺もよくはわかんないんスけどね。別にいいじゃないッスか、頭を撫でるぐらい。俺もちょっと撫でてもいいッスか?」
「えぇ、いいわ! けど順番よ。まずは私が、ふふ。リオティスの頭を撫でるから。ふふふ」
「勝手に決めるな⋯⋯ってちょっと待て。凄い寒気がする。なぁ、やっぱり撫でるのは禁止で⋯⋯ぐぁぁぁッ!?」
リオティスの絶叫が木霊する中、バルカンはひとり迷宮の入り口に腰掛けながら、彼らのふざけたやり取りを見つめていた。
馬鹿馬鹿しく、幼稚な馴れ合い。
だが、見つめるバルカンの目には涙が滲みだしていた。
「⋯⋯クク。ダメだな。歳を取ると涙もろくなって」
顔を上げて目を押さえるバルカンが、再びリオティス達の方を見ると、昔の光景が自然と思い出されていた。
バカ騒ぎをしていたあの頃の賑やかなギルド。
その中でも特に深い関わりを持っていた四人の男女の姿が、リオティス達と重なった。
『オイ、バカルカン! さっさと起きろ! こうもだらしなくては副団長の威厳は保てんぞ!』
『リリィ! その呼び方は直した方がいいぞ! 爆失礼だ!! それからもうとっくにバルカンさんの副団長としての威厳は地に落ちてしまってるから意味ないぞ。ワッハハハ!!』
『それ、オメェも失礼だぞ。なぁ団長。アンタからも言ってやってくださいよ』
『うふふ、そうね。けれどバルカン君は優秀よ? ⋯⋯普段はこんなだけども。さっ、起きなさいバルカン君。〈月華の兎〉の仕事よ』
優しい声。
温かく、心が躍る声。
最後にバルカンの脳裏に過ったのは、美しく長い黒髪を靡かせて笑うひとりの女性の姿だった。
「⋯⋯俺も少しはあなたに近づけましたかね? アテナ団長」
バルカンは空を見上げて微笑む。
真っ青で雲一つない空から注がれる光は、バルカンの心を温かく包み込んでいた。
ティアナは髪フェチです。ちなみにフィトは匂いフェチです(暴露)