第40話 五堕天②
アウルの足元に倒れているイースの姿に、リオティスの脳は更なる混乱に陥った。
つい先ほどまで目の前で拘束されていた男が、気が付くと鎖から身を解放し、まるで瞬間移動したかのように別の場所に現れたのだ。
リオティスが状況を理解出来ていないのも無理は無かった。
(アイツの能力なのか⋯⋯?)
リオティスは少しでも相手の力量や目的を図ろうとするが、やはり頭が回らない。体が思うように動かせない。
それはティアナやバルカンも同様で、アウルの異様な雰囲気に充てられて動けずにいた。
「そんなに怖がらなくてもいいのに。僕は別に君たちに危害を加えるつもりはないよ。ただイース君に会いに来ただけだから」
アウルはリオティス達に向かって不気味に微笑むと、ゆっくりとしゃがみ込んで、倒れて動けないでいるイースへと顔を近づけた。
「やぁ、こりゃまた派手にやられちゃったねイース君」
「ア、アウル、さん。お、俺⋯⋯」
と、イースが弁明しようとした時、その口を塞ぐようにして、突如アウルが唇を押し付けた。
味わうようにイースの唇を舐め、口内にまで舌を入れて堪能したアウルはバッと勢いよく顔を上げると、恍惚とした表情で立ち上がる。
「アハハハッ!! これだ、これだよ! 死の味だ!! 絶望と恐怖と興奮を含んだ絶妙な味! 生臭い血の匂い! 最高だよォ。やっぱり人は死の間際にこそ輝く! それを味わうことの出来る喜び!! あぁ、僕は何て幸せ者なんだろう。この味を求めるために生きているんだ。この味こそが、僕の生の喜びだァッ!!」
両手で自身の顔を覆い、指に力を込め皮膚にめり込ませ、アウルは興奮のままに叫ぶ。
美食を口に運んだ瞬間のように。美しい絵画を目にした瞬間のように。体が埋もれてしまう程の大金を手にした瞬間のように。
アウルは喜びと感動を押さえることが出来ずに、全身でその幸せを表現していた。
異常だ。
ただでさえ脳の処理が追い付かずにいたリオティスの目には、もはやアウルの存在そのものが怖くて怖くて仕方が無かった。
無意識に一歩後ずさりする足。
続けざまにリオティスを襲ったのは胸の痛みだった。
完治したはずのスネイルに切り裂かれた胸が、何故だか今になって痛むのだ。
震える身体を無理やり抑え込み、リオティスはアウルに向かって尋ねる。
「⋯⋯お前、スネイルを知っているよな」
「スネイル君? もちろん知ってるよ! あー、もしかして僕とスネイル君を重ねちゃったのかな。まぁ、わからなくはないけど。だって同じオヴィリオンの幹部だし」
幹部。
その言葉に先に反応したのは、バルカンの方だった。
「幹部、ってことはいろいろ情報持ってるんだよな?」
「かもね。どうしたの急に目の色変えて。言ったでしょ。僕は君たちと争うつもりはないって。平和主義者なのさ。ただ彼さえ回収出来ればそれでいい」
アウルがイースに向かって手を伸ばす。
だが、彼の体に触れるよりも先に、バルカンが指を鳴らした。
「〈トール・マリン〉」
刹那、イースの体が電撃の檻に閉じ込められた。
「早速保険が役に立ったな。悪いがそいつは置いてってもらうぜ」
悪戯に笑うバルカンを他所に、アウルはイースを閉じ込める黄色い電撃に触れる。
バチッ、という空気を震わせる音と共に、アウルの手が弾かれて黒い煙を上げた。
「なるほど、拘束の魔法か。ちゃんとそういうの仕掛けてるとか抜け目ないなー。壊れなさそうだし、コレどういう仕組み?」
「約十分は相手を閉じ込める魔法だ。その後自動で消滅する代わりに、破壊はほぼ不可能になっている」
「やりたいことは分かるけど。つまり十分間僕と遊んでほしいってことだろう?」
「十分以内にお前をぶっ倒すって意味だよ!」
バルカンが魔法を再び発動させると、全身が黄色い光に包まれた。
髪を逆立て、電撃を纏うその姿は、雷属性の魔法師が得意とする身体能力上昇の魔法だった。
戦闘態勢に入ったバルカンを見たアウルは、少しだけ残念そうに言う。
「⋯⋯僕は戦うつもりないって言ったのになぁ。仕方ない、切り替えようか。それによくよく考えてみれば、スネイル君が殺し損ねた彼もいるしね」
リオティスとアウルの目が合う。
不気味に笑うアウルに、リオティスの背筋が凍った。
「っ⋯⋯どうやら俺は余程人気者みたいだな」
恐怖を隠すように強気に言い返すリオティスだったが、アウルには全てが見透かされていた。
「アハハ! 可愛いな君。顔もそうだけど性格もね。けど、戦闘能力は相当だ。実はずっと見てたんだよね。君とイース君の戦い。いやー、感動したよ。創造と分解。良い能力だし、使い方も面白い。例えば最後の攻防だけど、本当に面白かったよ。イース君の爆発で生まれた煙に乗じて砕けた地面をピースに分解、そして空に浮かべて再構築して礫を創る。礫を降らせるときにイース君に上を向かせたのは、不意打ちじゃ倒せないことが分かったうえで視線を誘導させるため。決め手の分解による下からの攻撃から少しでも気を逸らすためでしょ? 徹底してるよね~。分解の攻撃もワンパターンだったのは、イース君に警戒させないためにわざとだろうし、極めつけは情報を押し付けるタイミングの絶妙さ。相手の思考を完全に読んだうえで次々情報を与える。一手一秒が死に繋がる世界だからこそ、ああいうのは利くよねー」
ペラペラと一方的に話し続けるアウルだったが、リオティスは自身の内側を隅々まで嘗め回されている錯覚に陥り、何も言い返すことが出来なかった。
「と、散々誉めちゃったんだけど、まだまだ能力を扱えているとは言えないね。動きが固いというか、もう少し複雑なことも出来るはずでしょ。逆に言えば、その能力を完璧に扱えたら君は脅威になりえる。だからスネイル君が君を殺さなかった意味がわからないんだ。僕なら今ここで⋯⋯確実に殺すけどね」
アウルの雰囲気が一変する。
どす黒く禍々しい冷徹な殺気。
息が吸い込めず、吐くことも出来ない。
全身から一気に血の気が引き、崩れるように膝を付いてしまう。
「リオティス!?」
ティアナが叫ぶも、彼女もアウルの殺気に充てられて今にも倒れる寸前だった。
「さて、仕方ない。殺すと決めたからには、確実にやるよ」
アウルが一歩前に足を踏み出す。
バルカンは咄嗟にリオティスを守るように前に出ると、攻撃魔法を発動させた。
「〈アク・ローアイト〉!!」
バルカンの右手に魔力が集中し、激しい電撃となって放たれる。
だが、アウルに慌てた様子は無い。
彼は相変らずの笑みを浮かべながら、ただ呟く。
「〈闇の世界〉」
すると、アウルの周りに黒色の煙が充満した。
黒い煙は意志を持つかのようにアウルの前に壁のように広がると、バルカンの電撃を飲み込んだ。
黄色い光を闇が包み込み、次の瞬間には跡形も無く消滅していた。
「記憶者か⋯⋯!」
「当然。さてどうする? さっきまでの威勢はどうしたんだい?」
挑発するようにアウルはお道化るが、バルカンの動きは止まってしまう。
魔法を打ち消したアウルの黒い煙。
その仕組みがわからない以上、闇雲に攻撃を仕掛けることが得策ではないと理解していたからだ。
どうするべきか、とバルカンが次の一手に思考を巡らせた時、アウルの頭上に影が落ちた。
「〈宝石の装い〉!!」
自身に迫る存在に気が付いたアウルが見上げると、そこには鉱石を全身に纏わせたヘデラの拳が迫っていた。
「何だ。女か」
アウルは心底詰まらなさそうに言うと、充満させた黒い煙でヘデラの拳を受け止めた。
軽く吹けば飛ぶような煙。
だが、ヘデラの拳に伝わった感触はまるで沼のように粘度が高く、吸い付くようにして離れない気味の悪いものだった。
「キモ。何ですかコレ。つーか抜けないんですけど⋯⋯!!」
空中で煙に捕まった腕を外そうと藻掻くヘデラだったが、一向に抜ける気配は無く、寧ろどんどんと煙に飲み込まれていく。
ヘデラに軽蔑の視線を注ぎながら、アウルは言った。
「⋯⋯何しに来たんだい。お前」
「決まってんでしょ。迷宮攻略されて、こっちはもう後が無いんですよ。ここでオヴィリオンの幹部のひとりでも倒せば名誉挽回。逃す手はねェっしょ」
「ハァ、浅はかだね。力量の差も分からないのか。お前の能力も見たけど、使い手がこうも間抜けだとね。迷宮を動かす体力も残ってないからこうして直接叩きに来たんだろう? 己の欲しか見えず、知力も無い。だから死ぬんだよ」
「オイ、やめろ!!」
アウルの異変に気が付いたバルカンが咄嗟に叫ぶが遅く、次の瞬間にはヘデラの首から上は切断されていた。
宙を舞うヘデラの頭。
残された体からはピピピピと機械音が鳴り響くが、アウルが煙を動かして全てを飲み込むと、静かな爆発音だけを残し、バルカンの魔法同様跡形も無く彼女の身体は消滅した。
「そうか、隷属の首輪か。頭を飛ばしても無理やり外したってことになるんだね。これはひとつ勉強になったよ」
アウルは爆発の原因を解明出来たことに笑うが、その目はまるで笑ってはいなかった。
「それにしても、本当に女はクソだね。間抜けで話が通じない。せっかく良い気分だったのに台無しだよ」
「女だから殺したのか」
「別に。殺したいと思ったら誰でも殺すよ。ただ女の方が多いだけで」
「噂以上に最悪だな。オヴィリオンってのは」
「いやー、それほどでも。あぁ、でも本当にちょっとムカついたなぁ。気分も落ちてきたし、悪いけどもう殺すね」
アウルは右手を握りしめ目を瞑る。
「〝開花解放〟」
刹那、アウルの右手の紋章が赤く発光したかと思うと、腕へと紋章が広がり、肩へ、そして右頬にまで浮き上がった。
目をゆっくりと開けるアウルは、黒色に変色した結膜を広げリオティスを見つめた。
未だ立ち上がれないリオティスだったが、アウルの変化にもはや生きる気力すらも削がれていた。
間違いなく死ぬ。
未来が決定づけられてしまう程の力。闇。殺意がアウルの全身から止めども無く溢れだしていた。
(何が起きた。本当に人間なのか? この力⋯⋯こんな奴がいるのか?)
今にも刈り取られてしまいそうな意識の中、リオティスは確かに死を覚悟したが、彼の肩に優しく手が置かれた。
「安心しろ、リオティス。ティアナも。お前らは俺が守る」
バルカンはそう言うと、右手に力を込めた。
「〝開花解放〟。轟け〈怠惰の神〉」
アウル同様、右手の紋章が頬まで広がり、目に見える程の強大な力を身に纏ったバルカンは、黒色の雷を辺りに轟かせながら右手をゆっくりと広げた。
「俺の団員に手を出すな。お前の相手は俺だ」
「⋯⋯開花。どういうことだよ。君たちはCランクのギルドだって聞いてたんだけど」
今までの余裕や笑みは消え、アウルの額には汗が滲んでいた。
「情報の間違い⋯⋯違うね。君、名前は?」
「バルカン。〈月華の兎〉の団長だ」
「なるほどね。そういうことか。こりゃ流石に相手が悪いや。元世界一位のギルドの団長なんて僕の手に余るよ」
アウルはひとり頷くと、能力を解除した。
頬にまで広がった紋章も消え、目の色も元通りに戻ると、足元に拘束されたイースへと視線を落とす。
「残念だけど彼は置いてくよ。情報もそんな持ってないしねー。楽しいこともいっぱいあったし、今回は大人しく帰ることにするよ」
「ま、待ちやがれ⋯⋯」
踵を返したアウルに向かって、リオティスは何とか立ち上がると追いかけようとする。
「やめろ。あぁは言ってるが正直戦って勝てるかはわからない。目的は果たしてるんだ。深追いはするな」
「ぐっ⋯⋯」
バルカンに止められたリオティスは、悔しそうに唇を噛むことしか出来なかった。
そんなリオティスを見つめながら、アウルは頬を赤らめる。
「本当に君は可愛いな。殺すべきなんだろうけど、その顔がまたいつか見れるならこの選択も悪くないのかもね」
機嫌を取り戻したアウルは再び能力を発動させた。
黒い煙がアウルの体を包み込み、次第に姿が見えなくなっていく。
「最後にひとつ、僕を楽しませてくれたご褒美をあげるよ。僕はオヴィリオンの最大戦力〈五堕天〉が一角。〝快楽のベリアル〟!! この世界を忘却に誘う者!! いずれまた会おう、リオティス!!」
ベリアルは高らかに笑うと、闇と共にその姿を消した。
静まり返る迷宮の中、リオティスの耳の奥にはベリアルの笑い声が響いていた。