第38話 風邪というヤツ
「ん⋯⋯ここは」
迷宮内で目を覚ましたフィト。
寝起きで回らない頭と滲む視界によって瞬時に状況は理解出来なかったが、この場が迷宮であり、先ほどまで改造された魔獣と死闘を繰り広げていたことは覚えていた。
「あっ、起きたんスね。体の具合はどうスかフィトっち」
頭上から声がした。
聞き覚えのある声。
すぐ様に声の主がレイクであることを理解すると同時に、何故彼の声がすぐ真上で聞えたのかに疑問を持つ。
目を擦り、ゆっくりと開く。
フィトのぼやけた視界が次第に晴れると、目の前にレイクの顔があった。
かなり近い。
もはや目と鼻の先だ。
続いて頭の感触に気づく。
温かく柔らかい居心地のよい感触で、また深い眠りについてしまいそうであったが、それがレイクの膝であることに気が付くと同時に、顔が一気に赤く燃え上がった。
「どぉぅわ!? ななな、何ですかコレ!! 近いですぅぅっ!!」
恥ずかしさから反射的に飛び起きようとするフィトを、レイクが落ち着かせるように宥めた。
「ちょっと、ダメッスよフィトっち。手当したとはいえ怪我人なんスから。今は安静にしてくださいッス」
「だ、だからって膝枕する意味ありますか!? 結構恥ずかしいんですけど!!」
「俺よく妹にこうやって膝枕したら喜んでくれたんスよ。気持ちいいって。だからついしちゃったんスけど⋯⋯嫌ならやめるッスか?」
少しだけ悲し気な表情で笑うレイクに、フィトは考えた末に脱力して彼の膝元に頭を置いた。
「⋯⋯別に嫌ではないですケド。ちょっと驚いただけです。その、確かに気持ちいいです」
「へへ、なら良かったッス。それにほら、もう迷宮も攻略出来たみたいッスよ」
レイクに促され周りを見ると、先ほどまでの鍾乳洞とは違い、迷宮に入ったばかりの頃と同じ洞窟のような景色が広がっていた。
天井も壁も床もゴツゴツとした岩肌で覆われ薄暗く、唯一の光は緑色に輝くメモライトのみ。温度も低く、少し肌寒く感じるが、初めて迷宮に入った時とは違い寧ろ安心することが出来た。
「よかった。迷宮攻略出来たんですね。⋯⋯ティアナとバルカンさん無事だといいですけど」
「それからリオっちもッスね」
「あぁ、いましたねそんなクズ。彼は別に死んでいてもいいんじゃないですか」
「相変らずフィトっちはリオっちに冷たいッスね⋯⋯」
「逆に何でレイクは彼のことをそこまで気にするんです? あんなことがあったのに」
「なんか、親近感が湧くんスよね。どこか似てるっていうか。⋯⋯多分、リオっちも本心であんなこと言ってないと思うんス。きっと生きるのに精一杯で、心に余裕がなくって。だから、ほっとけないんス。あっ、もちろん〈月華の兎〉の皆も大事に思ってるッスよ」
いつも通りに優しく笑うレイクを見て、フィトは心底感心するように言う。
「⋯⋯凄いですねレイクは。少しだけその優しさが羨ましいです」
「何言ってるんスか! フィトっちも優しいじゃないですか。それに強いし、格好いいッス」
「強いし格好いい、ですか」
フィトは少しだけ神妙な面持ちで唇を噛むと、数秒の間を置いて再び口を開いた。
「ボク、兄がいたんですよ。それこそ優しくって、強くて、格好いい自慢の兄が。⋯⋯もう死んでしまったんですけどね。そんな兄のような人間になるのが昔の夢だったんですけど、今はまた別の理由で強くなりたいと思ってるんです。でも、今回の迷宮攻略で気づきました。ボクは弱いんだって。皆と一緒に戦うことも出来ず、レイクを危険な目にも合わせてしまいました。だからボクは君が思うような立派人間じゃないと思いますよ。⋯⋯って、急にすみません。こんな詰まらないこと言っちゃって」
話す内容を考えるよりも先に、口から出た想い。
何故このようなことを言い出したのか、当の本人であるフィトにもわからず、もう話は終わりだとばかりに寝返りを打って目を瞑ろうとする。
その時、ふいにレイクがフィトの頭を優しく撫でた。
「全然詰まらなくないッスよ。俺も気持ちわかるッスから。俺も妹が誇れるような兄になりたくて頑張ってきたんス。妹が大事で、全てだった。だからフィトっちのお兄さんは凄い人だってわかるんス。だってフィトっちがこんなに強く格好よくなれているのは、お兄さんが前に立って導いてくれたおかげなんスから。きっと素晴らしいお兄さんだったんスね」
「レイク⋯⋯」
「だからフィトっちも胸を張って前に進めばいいんス! お兄さんの背中を見て育ったフィトっちなら、絶対大丈夫ッス!」
頭を撫でる手を止めると、レイクはフィトに向かって親指を立てた。
満面の笑みで真っすぐに迷いなく見つめる瞳は、フィトに兄を彷彿とさせた。
「何でボクがこんなことを言ったのかわかった気がします。レイクはボクの兄に雰囲気が似てるんですよ。だから何でも言ってしまいたくなるんです」
「うわー! それめっちゃ嬉しいッス!! まさに光栄ッス!」
目を輝かせて笑うレイクにつられて、ついフィトも笑ってしまう。
「フフ、やっぱ似てますよレイク。そういうとこも。ボクもレイクの妹さんに会ってみたいです」
「是非会ってほしいッスよ。でも妹は心に病を患ってるんで、ちょっと会えるかどうかわからないッスけど」
「そうなんですね⋯⋯よくなるといいですね」
「大丈夫ッス! 良い医者にも見てもらえてるッスから。それに体は元気なんス! 俺の作るお菓子ばっか食べるんで、そこは直して欲しいんスけど」
「あぁ、だからレイクはお菓子作りが上手なんですね。もしかしてその指輪も妹さんからですか?」
フィトが指さしたのは、レイクの左手の薬指に着けられた指輪だった。
「そうなんスよ!! よくわかったッスね!」
「ボクも兄にプレゼントしたことあるんですよね、実は。右手のもですか?」
「あぁ、こっちのはただのオシャレッス。ちなみに部屋に保管してるロケットには妹の写真が入ってるんで、今度見せてあげるッスよ! もうメチャクチャ可愛いんスよ!!」
「激見たいです!! 約束ですよ、レイク!!」
笑いあう二人の中に楽し気な時間が流れる。
暫くお互いに他愛のない会話を続けていると、フィトがレイクを見上げながら言った。
「ありがとうです、レイク。何だかスッキリしました」
「良かったッス。それに俺も楽しかったッスよ」
「⋯⋯でも、やっぱりボクはまだまだです。もっと頑張らないとです」
フンス、と鼻息を荒く両の拳を握りしめるフィトであったが、彼女の頬にレイクがそっと手を伸ばす。
「あんまり無茶はダメッスよ。フィトっちも女の子なんスから。でも修行や練習相手には俺も付き合うッスよ。何だかんだ言って、俺フィトっちのそういう頑張り屋で元気一杯格闘大好き! って感じ好きッスから」
「す⋯⋯へ?」
今までの元気に笑うレイクとは違い、優しく微笑む暖かな表情を見た途端、突如フィトの心臓が跳ね上がった。
体温も一気に上がり、鼓動も激しく加速し、今までに感じたことのない痛みが胸を襲う。
怪我や痛みには強く、ある程度は我慢出来る自信もあったフィトであったが、この胸の奥が苦しく締め付けられるような謎の違和感は彼女にも未知のものであった。
レイクの顔を見ると熱が込みあげ、今まで多少恥ずかしい程度であった膝枕という状況も、どうしようもない程緊張してしまい、心臓が爆発してしまうかのようだった。
(なっ、ななな何ですかこの痛みは!? 胸が苦しい。体中が熱い。特に顔! ま、まさか。これって、これって⋯⋯!)
ひとつの可能性に辿り着いたフィトは勢いよく起き上がると、レイクの両肩を掴んだ。
「レイク大変です!! ボク、風邪というヤツになってしまったかもしれません!?」
「え、風邪というヤツ⋯⋯スか?」
「ハイ! 人間とは極まれに風邪という、謎の症状が出るらしいのです!! この胸の痛み。そして熱! 間違いないです! これは、風邪というヤツです!!」
慌てたように叫ぶフィトに気圧されて戸惑うレイクであったが、何とか彼女の言葉の意味を理解したらしく、冷静になるように努めて接した。
「いや、風邪は普通になるッスよ。そりゃ人間ッスもん」
「レイクはこの風邪というヤツを知っているんですか!?」
「まぁ、その、知ってるッスけど⋯⋯。兎に角風邪なら確かに大変ッスね。ちょっと熱見るんでオデコ失礼するッスね」
レイクがフィトの体温を測るために手を伸ばす。
額に手が触れた途端、熱いとレイクが感じるよりも早く、フィトが飛び退いた。
「ちょっと、どうしたんスか?」
「ダメですレイク! 触っちゃダメです!!」
「移るの心配してくれているんスか? 別に俺は平気ッスよ」
「ダメです!! レイクが触れたら、心臓が激ヤバなんです!! なんか、もうっ、爆発しちゃいます!!」
「爆発って、俺のせいスか!? ど、どうしたらいいッスか! 一大事じゃないスか!? と、とと兎に角安静に⋯⋯」
「了解です! これはもう走るしかないです!! それで万事解決です!!」
「いやいや、それはダメッスよ!?」
顔を真っ赤にさせながら走り出そうとするフィトと、それを止めようと奮闘するレイク。
二人の無意味なやり取りは、迷宮内で暫く行われた。
フィトお前もか⋯⋯