第35話 ティアナ
「ハァ、ハァ、ハァ⋯⋯!!」
宇宙を映し出す異質な空間で、ティアナはひとり座り込む。
体は震え、息は吸っても吸っても酸素が取り込まれているようには感じず、全身に巡るのは絶望だけ。
全ては無駄だったのだ。
目の前で大剣を振り上げ、力を込める番人の姿が何よりもの証拠だった。
決意して、覚悟し、己の弱さを認め、抗っても尚まるで届かない。
そうだ。
これが現実だ。
ティアナは知っていた。
どれだけ努力しようとも、結果は何も変わらない。誰も自分を見てくれない。
今、この場で起こっていることも何ら不思議なことではなく、ただ起こるべくして起きただけだ。
弱いから勝てない。
弱いから守れない。
弱いから誰も認めてはくれない。見てはくれない。
ティアナの内に広がる絶望は余りにも大きく、もはや彼女には立ち上がる気力も無かった。
(私は結局変われないまま。何も出来ない。何も救えない。そうよ。私に出来ることなんて始めから⋯⋯)
すると、ティアナの右手に鋭い痛みが走った。
「イタっ!?」
電流のような痛み。
何が起きたのかわからずティアナが右手を見ると、そこにはリオティスから預かった短剣があった。
痛みは一瞬で、今はもう何も感じない。
何故急にメモリーから拒絶するような痛みが走ったのかはわからない。ただの偶然なのかもしれない。
だが、ティアナにはまるでリオティスが話しかけているようだった。
負けるな。
諦めるな。
信じている、とーー。
聞こえるはずも無い声。
幻聴。弱い心が勝手に思い込もうとしているだけ。
冷静に考えればそうなのだろう。
しかしティアナは違った。確信があった。
この短剣には確かに、リオティスの想いが籠められているのだ。
「⋯⋯そうよね。そうだったわ」
ティアナは短剣をギュっと強く強く握りしめると、ゆっくりと立ち上がる。
「この程度の絶望なんて、もう何度も経験してるのよ。何度も何度も、生まれた時から何度だって! 絶望して、傷ついて、それでも抗ってきた。無意味なことだってわかっていても、剣を振るってきた⋯⋯!」
生まれた時から罪人として生き、蔑まれ、暴力を振るわれてきたティアナは、ただひとつの目的のために生きてきた。
家族に認めてもらいたい。見てもらいたい。信じてもらいたい。
そんな自分が自分であるための理由。生まれてきた意味を見出すためだけに、彼女は剣を抜く為の努力を積み重ねてきた。
何度諦めてしまいたいと思ったか。
何度死んでしまいたいと泣いたことか。
ついには父親に家を追い出され、完全に心が折れてしまう寸前だったティアナの前に現れたのがリオティスだった。
奴隷を連れ歩き、生意気な言葉や人を突き放す行動をとるリオティスに、ティアナは実の兄であるデルラークを重ね、嫌悪した。
だが、短剣から流れる記憶を読み取った時、ティアナは気が付いたのだ。彼も自分と同じなのだと。
大切な人を失い、傷つき、周りからの信頼を得るために必死に生きてきた。抗って、絶望していた。
同じだ。
同じようにこの世界を恨みながらも、自分とは違い前を向いて笑うリオティスが眩しかった。
何故そのように笑えるのだろうか。
最初は分からなかったその答えが、今なら理解出来る。
誰かに信じられている。
家族に向けてほしかった信頼を、リオティスから受け取ったからこそ、ティアナは今こうして立ち上がることが出来た。
胸が熱くなる。
勇気が込み上げてくる。
今までに感じたことのない力が、ティアナの全身を駆け巡っていく。
「そうよ、諦めないことが私の取柄! リオティスが私を信じてくれている。皆が私の帰りを待ってくれている! だからこの程度の絶望に私は負けない!!」
ティアナは右手に握りしめた短剣を懐に大切にしまうと、腰に差された真っ白な長剣の柄にそっと手で触れる。
痺れも痛みも感じない。
無抵抗に、まるで何かを待っているかのような剣を握りしめながら、ティアナは目を瞑った。
今まで一度だって抜くことが出来なかった、ディアティール家に伝わる伝説のメモリー。
この状況を打破するには、このメモリーを振るうしかなかった。
(可能性があるとすれば右手。これしかない)
ティアナはふぅっと小さく息を吐くと、そのまま意識を深く沈める。右手で柄を握りしめる。
普段は左手で剣を振るうティアナであったが、唯一リオティスの短剣だけは右手で扱うことが出来た。
だが、それは本来あり得ないことであった。
リオティスのメモリーは歴代の使い手達の技術をも記憶し、それらを呼び起こすことで扱うことが出来る代物であるため、記憶に従って左手で振るう必要があるのだ。
(私だけがリオティスのメモリーを右手で扱えた。理由はわからない。でも、お母様がそうだったように、きっとこのメモリーにも条件がある)
国宝のメモリーを扱うにおいて、ティアナは母親のアテナについても調べたことがあった。
アテナは特別で、とある能力を持っていたため参考にはならなかったが、ひとつだけ頭に残っている情報がある。
それはメモリーを扱う際には左利きであるにも関わらず、右手で剣を振るっていたという点だ。
(恐らくは右手で扱うことが最低条件。でも、それだけじゃない。そのぐらい私も過去に試した。つまり、後は私にコレを振るうだけの資格と力があるかどうか⋯⋯)
辿り着いた答えが正しいかもわからない。
正しいとしても、結局自分には扱えないのかもしれない。
一抹の不安が過るが、それは一瞬のことで、次にティアナの内に広がったのは絶対的な自信だった。
(大丈夫。今の私なら出来る。もう私は独りじゃない。〈月華の兎〉の皆がいる。リオティスがいる! だからーー)
ティアナは柄を握る右手により一層の力を込めると、目を大きく見開いた。
「私は〈月華の兎〉の団員、ティアナ!! 皆の信頼に応えるために! 居場所を守るために! 私が私であるために!! そのための力を寄こせェッ!!」
刹那、鞘の隙間から眩い程の白い光が迸った。
黒い宇宙を貫く光。
突如発生した力と空間の歪に、不動だった番人が危機を察知し反射的に大剣を振り下ろした。
全てを斬り裂く刃がティアナの命を捉える。
覆し難い絶対的な死は、次の瞬間にはティアナの全身、細胞の余すことなくを襲うはずであったが、彼女が感じたのは生命の高揚だった。
剣から溢れる光が腕に伝わり、心臓へと供給される。
鼓動は早まり、筋肉が脈打ち熱を帯びる。
まるで今この瞬間に生まれ落ちたかのように躍動する生気が爆発したかと思うと、鞘から抜かれた刀身が一気に加速した。
光よりも速く、炎よりも熱く、白よりも皓い光が放たれる。
「聖剣〝エクスカリバー〟ァァァッッ!!!」
純白な光が番人を大剣ごと飲み込んだ。
恐ろしい程の白色に輝く光は大剣を一瞬にして塵と化し、番人の身体をも分解していく。
そうして光は力も殺意も体も全てを飲み込み、跡形も無く消滅させると、番人の遥か後方に浮かぶ巨大なメモライトまでもを白に染めた。