第9話 末路
「ハァ、ハァ! クソがッ」
暗い洞窟の中に三つの影が動く。
二人の男性とひとりの女性。
その三人は何かに追われているようで、ただひたすらに息を切らしながら走っている。
すると、ガタイの良い大柄な男が、隣を走るもうひとりの男へと怒号を上げた。
「どういうことだよライラック! テメェ、何で戦わないんだよ!!」
胸倉を掴まれて体を持ち上げられるライラック。その表情は真っ青で、今にも倒れてしまいそうだった。
「い、言っただろ。今日は調子が悪いんだよ」
「何が調子悪いだ! お前この前もそんなこと言って戦わなかったよな!? もうギルドに残った戦力は俺たちぐらいなんだぞ!」
「ちょっ、やめなさいよ! こんな時に仲間割れなんて!」
険悪な雰囲気を止めるように、女性が割って入る。
すらりとした体形に、薄着の服装。豊満な胸からは谷間を覗かせ、ピタリと服が張り付いているボディラインが艶めかしい。顔も整っており、その容姿や雰囲気からは大人特有の魅力が感じられた。
だが、そんな女性にも余裕はなく、何とか二人を止めたところで、すぐ様に近くの岩に腰を下ろしてしまう。
「ハァ、ちょっと休みましょう。ダニアス、あなたも疲れているから神経質になってるのよ」
「チッ」
ダニアスは舌打ちをすると、仕方なくライラックを離した。
彼もよほど疲れていたのか、地面に体重を預けて大きく呼吸を整え始める。
まさに満身創痍。
いつ誰が倒れてしまってもおかしくない状況だった。
「ったく、だから俺はたった三人で迷宮を探索するなんて嫌だったんだよ! ローズ、お前ももうこんな奴庇う必要なんてねェよ」
ライラックに指を向けて、威嚇するようにダニアスは彼を睨んだ。
視線を向けられているライラックはというと、口を開くだけで何も言い返すことができない。
「確かに、最近のアンタはなんか変よ。ずっと上の空っていうか、まるで何かに取り憑かれてるみたいだわ」
ローズがそう言うと、ライラックはビクッと体を震わせた。
「べ、別にどうもしねェよ! ただ最近は俺のギルドを脱退する奴が多いから、どうにかしようと考えてるだけだ」
「その答えが三人で無謀な迷宮探索か? しかも唯一の記憶者であるお前は戦わねェってふざけてんのか!」
「ぐっ⋯⋯お、お前だって全然じゃねェか! これだからただのメモリー使いはよ」
「んだと、テメェ!!」
「ちょっと、やめなさいって!」
再び険悪な空気が辺りに充満してく。
ローズが何とか止めようとするが、もうダニアスは止まらなかった。
「大体お前がリオティスとリラを殺さなきゃこんな目にはあってねェんだよ!!」
「それはお前も賛成してたじゃねェか!」
「リオティスを殺すのはな! でもまさかリラまで殺すなんて正気じゃねェ!! そのせいで殆どの団員が抜けたんじゃねェか! 終いにはシオンまで勝手に抜けやがって⋯⋯クソがッ!」
ドンっとダニアスは壁を殴った。
洞窟内が反響し、音は段々と小さくなっていく。
その振動を耳で感じながら、ライラックの頭の中では少し前の出来事が思い起こされていた。
ひと月ほど前、ライラックは迷宮探索と偽ってリオティスを殺害しようとした。
方法は死体を残さないように、迷宮で出現と消滅を繰り返す〝ネスト〟の中に落とし、魔獣にでも食い殺させる手筈だった。
だが、リオティスを助けようとしたリラの邪魔もあり、ライラックは二人をまとめて殺してしまう。
本来ならばリラが邪魔をしてくるというのはわかりきっていたことで、リオティスだけを殺したいのならば、彼をひとりにさせて作戦を行うべきだった。
それでもリラを迷宮に同行させたのは、ライラック自身がこのような結末を心の奥底で望んでいたからなのかもしれない。
どちらにせよ、リオティスとリラは死んだ。
これでライラックの邪魔者は消えて、全てがうまくいくはずだった。
(⋯⋯なのにどうしてこうなったんだ)
迷宮内で魔獣から逃げ惑い、残された仲間であるダニアスとローズから疑いの視線を向けられる。もはや、そこに平穏などと呼べるものはなかった。
あるのは恐怖と絶望。
こんなことになるなどと、ひと月前のライラックは思いもしなかった。
リオティスとリラが不運の事故で死んだ。
そのようにしてライラックがギルドのメンバーに告げると、彼らは迷うことも無く次々に脱退を申し込んできた。
『リオティスとリラがいないなら、このギルドは終わりだ』
団員達は口々にそう言った。
どれだけあの二人に〈花の楽園〉が支えられていたのか。このような結末になってようやく、ライラックはそのことに気が付いたのだ。
「俺は⋯⋯」
と、ライラックが言葉を発する前に、三人が走ってきた場所から何かが向かってくる音が聞こえだした。
「クソっ、魔獣が来やがったか」
ダニアスは立ち上がると、腰に差していた手斧を引き抜いて魔獣の方向へと構えた。
〝ネスト〟の中を住処としている魔獣だが、迷宮の中にも当然姿を現す。
とはいえ魔獣が跋扈している〝ネスト〟とは違い、迷宮ではまとまった数で魔獣が現れることは殆ど無かった。
(たかが一匹程度なら、ライラックが何もしなくても俺とローズで撃退できるッ!)
そんな算段を持って身構えるダニアスであったが、何やら此方へ向かってくる足音がおかしいことに気が付いた。
「ねぇ、なんだか足音が多くない?」
ローズも不安の声を漏らす。
三人が違和感に気が付いた時、既に目の前には魔獣の群れが立ち塞がっていた。
黒い毛並みを逆立て、暗闇からは鋭い牙を光らせる。まるで狼を連想させるその魔獣は群れを成しており、数はざっと二十は超えていた。
「ディアヴォルフの群れ!? 〝ネスト〟の中じゃねェのに何であんな数がいるんだ!」
「知らないわよ! どうする、逃げる!?」
「バカッ! あいつらは魔獣の中でも素早い種類だ。この距離じゃ逃げられねェ!」
ダニアスとローズの焦りと恐怖を無視するかのように、ジリジリとディアヴォルフは涎を滴らせながら迫っている。
一匹や二匹ならば対処することもできただろう。
だが、この数を前にしては、ダニアスとローズに打つ手はなかった。
「オイ、ライラック! こうなったらお前も戦うしかないだろ!」
「⋯⋯無理だ」
「あぁ!?」
項垂れて、半ば諦めたようにライラックは膝から崩れ落ちる。
「無理なんだよ! 俺は記憶者じゃない! ずっと騙していたんだ!!」
「嘘だろ⋯⋯」
ダニアスは驚きのあまり大きく目を見開くが、そこに映っていたライラックの様子を見て、それが嘘ではないことを理解した。
絶望が襲い、自分が立っているのかすらもわからずグニャリと視界が歪む。それはローズも同様だ。
だが、魔獣は待ってはくれない。
立ち竦むだけの獲物に向かって、ついに攻撃を開始した。
一斉に三人に向かって襲い掛かるディアヴォルフ。
鋭い牙を、爪を尖らせて、目にも留まらぬ速度で走り回る。
「うおおおおぉぉッ!!」
ダニアスの雄たけびが木霊した。
恐怖と絶望を振り払うように、目の前の魔獣を攻撃する。
だが多勢に無勢。
徐々に押し切られ、右腕を嚙み切られてしまう。
「ぐあああッ!? ぅ、ッ⋯⋯ろ、ローズ! 早く魔法を!!」
「無理よ、迷宮だと魔法を使うのに時間が⋯⋯きゃあああッ!?」
ローズも悲鳴を上げ、ディアヴォルフの牙に蝕まれていく。
そんな地獄のような光景を目の当たりにしながら、ライラックの脳裏には存在しない記憶が浮かび上がっていた。
青い髪と瞳をしたひとりの男。
記憶では、その男が自分とダニアスに向かって短剣を振り下ろしていて――。
「リオティス、この記憶はお前を〝ネスト〟に落とした日の夜の⋯⋯。そうか、これはリラのメモリーの能力⋯⋯」
全てを思い出したライラックの目の前には、ディアヴォルフの群れが既に襲い掛かっていた。
迫る獣の牙。
それを見つめながらライラックは後悔した。
(これが報い、か。リラ⋯⋯)
薄れゆく意識の中、思い出したのは妹の笑う顔。
こうしてこの日〈花の楽園〉は崩壊した。
その悲惨な最後を知る者は誰もいない。




