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妹が時折手紙を書いていた相手、いつも誰に書いているのかは教えてはくれなかった。
誰かへの恋文だったのか、相手が市民だったのか、とりあえずは悪い付き合いでは無いのなら大丈夫だと思い、特に追求もしていない。
けれど……相手が侯爵様だったのなら、何のために秘密にしていたのだろうか。隠す理由が見当たらない。
そんなアーリアからの私へ宛てた手紙を恐る恐る開く。
『お姉様、お元気ですか?侯爵様は優しいですか?慣れない土地で体調を崩してはいませんか?お母様もお父様もとても心配しています』
勝手に肩透かしした私は、妹からの素直な手紙に自然と口元が綻んだが、それも束の間
『お姉様は筋金の箱入りお嬢様ですから、顔が良いだけの侯爵様に絆されてませんか?恋愛脳になっていませんか?世の中にはもっと良い男性が沢山います。侯爵様なんて所詮は傭兵の血、もっと言うなら荒くれ者の血筋なので無骨な方に違いありません』
とんでもないことが書かれている。
傭兵、荒くれ者の血筋。だから貴族のように優雅ではない。
そういえば、ルーゼイン家はそんな事を言われていた気がする。興味がなかったために覚えていなかったが、貴族社会での常習的な悪口なのだろう。
(いや、でも恋愛脳……?恋愛……?)
異性に対して慣れていなくて騒動になってしまった恥ずかしい出来事を言い当てられているかのように感じ、確かに他の方を見てみないといけないのではないかと一瞬考えさせられたが、恋やら愛は分からないが、夫婦になるのだから別に問題は無いのではないだろうかと冷静になる。
(何だか、思わされそうになった……危ない)
というか、アーリアの方が歳下なのにまるで私よりも経験豊富なよう。そんな子じゃない、私が箱入りならアーリアだって同じだ。
………同じはずだよね?
『あと、この度、第二王子との婚約が成立しました』
「え、第二王子と?」
(そんなこと今年にあったかしら?物語に無かった気がする……)
『そのせいで忙しくなってしまって中々会いに行けなくなってしまいました。本当に早くお姉様にお会いしたいです。次に会う時はお姉様は奥様と呼ばれているのかな?いつか屋敷から抜け出してお姉様の元へ行きます。それではお元気で』
(相当うっぷんが溜まっているみたい)
この時期に婚約が決まって煩わしいという気持ちがひしひしと文面から伝わってくる。とりあえず屋敷から抜け出されたら困るので早急に返事を出さなければいけないと私は筆を取った。
(宛名の無い手紙の事は、どうしても気になったら侯爵様に聞いてみよう)
侯爵様もアーリアと同じに、聞いたら答えてくれない可能性があるため、一旦保留する事で納得するのだった。考えても仕方ないことに時を割くのは時間が勿体ない。
夜になりルーゼイン家の屋敷から外へ出る。過去一番かもしれない寒さなのに、不思議と柔らかい冷気で芯まで冷えるような痛さはない。これも特殊な生地のおかげなのだろうか、何より空気が澄んでいた。
(初めて来たとき猛吹雪で本当に寒かったなぁ)
しみじみと思いながら、雪が形を作れないほどサラサラしていて、雪できらきらとあちこちが輝いているのを物珍しく見ていると、侯爵様が声をかけてくる。
「行こうか、令嬢」
「はい、侯爵様……あれ?アルノーは?」
「今日は俺が貴女の護衛騎士だから」
にこりと笑って、侯爵様は私の手を引き歩き出す。体力が尽きる前に、お祭りの会場まで侯爵様が軽々と私を抱き上げて連れていくのだった。
会場に着くと、青い光が辺りを照らし人々が賑わっていた。
「わぁ……」
「綺麗でしょう?あ、ほらあそこで配っている花びらと火種を貰おう」
「はい……ん?」
服を小さい子に摘まれた。何かと思い少女を見るとハンコのようなものを手に押される。
「おねえさんにも祝福がありますように!」
そう笑って少女は周りの人達にも次々に押していく。
「祝福の印、こっちにもあるんですね、王都のお祭りにもありました」
人は生まれた時に、神殿で魔力で作り形取られた印を身体に押す。数刻で印は消えて生まれてきた祝福と共に祈りが身体に溶け込むと考えられていた。
それが元となって祝い事や祭りごとで真似事をする人が出てくる。手に押された印も微量な魔力を帯びていた。
(……鳥かな?)
印の形は難解だったが、心が暖まる。
「いらっしゃい!」
「花びらを20と火種も同じくらい頼む」
「はい、毎度!そんなに買うなら何本か花のまま持っていくといいよ」
そうして籠が渡され、私はその値段に驚愕していた。安すぎないだろうか?
「この時期に咲く花があるんですか?」
「この花は地中の魔力を吸い上げているからこの時期にも唯一咲くんですよ。花そのものは本当に少しの魔力しかないが、他の薬草の組み合わせや、薬品と合わせると様々な薬ができる万能な植物なんだ。色は違うかもしれないが王都にもあるはずだよ」
「あぁ、よく見ると確かに見覚えがあります」
「人が少ない場所に行こうか」
氷雪の送り火祭、その名の通り死者を弔い祈りを捧げる祭りだと侯爵様は説明しながら火種に炎を灯した。青い炎が揺らめいている。
「この時期の雪景色は本当に美しいから、この景色を見せたいと青い炎にこの花べんを燃やして送り火するんです。あ、色は違っても火だから気をつけて」
侯爵様が試しに花びらを炎にくべて見せた。燃えた花びらは不思議と黒くならずに、細かな白い光となって散っていく。幻想的で本当に死者へ祈りが届くのではないかと思わせる。
私も花びらをくべて、手を合わせて祈りを捧げた。
「どうか、神の身元で安らかに。主の導きにより再び転生して縁がありますように」
それが、王国の弔いの言葉だった。
王家は神の子孫で、転生という名の奇跡の御業を使うことが出来るという言い伝えがある。
「魔力は記憶に相当するっていう伝承を習いますよね」
「あぁ、フォルアは特別で、前世の記憶を保持したまま転生する、だから強大な魔力を保有するのだ、っていうお伽噺か」
(……転生)
「……幼い頃に、私の護衛騎士がいたんです」
私はぽつりぽつりと昔の話をし始める。空気に当てられたようだ。
「騎士なのにいつも遊んでくれて、可愛がってくれて幼い私はとても懐いてました。でも、暗殺者に狙われた私を庇って…」
「後で知ったんです。私と同じくらいの子どもがいたって。子どもの事を知ったからではないんですけど、でもどうしてもその時から」
「それが、彼の仕事だよ」
侯爵様は静かに私の手を握ってそう言ってくれる。そのせいなのか、次第に涙がこぼれて、幼い頃から溜め込んでいたような気持ちが溢れ出てきてしまう。
「でも、割り切れませんでした。王国では転生という考え方があります。いつか別れは必ず訪れるものなのも分かっています。それでもその騎士が父親で、子どもは今この身体で二度と会えなくて……転生という救いがあっても永遠の別れということに、変わりはなくて……私が、いなければ、彼は死ぬことは無かったのにって。私のせいでって」
支離滅裂な言葉が乱雑する。
あぁ、でも、あの時は泣くことも出来なかったのに、ようやく泣くことが出来た。
「俺はきっと貴女よりも死が身近で、フォルア王に生まれた時から命を賭して仕える運命だった。だからきっと誰かが死ぬことに対して"そういうものだ"という認識が少し違うんだと思う。だから……君を慰める、悲しみを和らげるような言葉が見つからない」
「……沢山泣いていい。思い切り死を悼んでいい」
そう言って侯爵様は私が泣き止むまでだだ静かに抱きしめてくれていた。