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 私の心配事を他所に、穏やかに日々が流れていた。


「お、お嬢様?」


 侯爵家のみんなも優しくて、細かいことを気にしなければ、物語なんてただの夢の話だったのかもしれない。


「お嬢様!」


 それはそうと。

 ……男の人ってこんなに頻繁に、普通のことみたいに人を抱き上げるものなの?


「あま……っ!?」


 リズが用意してくれた紅茶に口をつけた途端、あまりの甘さに咳き込んだ。


「ラ、ラシェル様!ですから角砂糖を6つも8つも入れるのは、多すぎるのではと申しましたのに!」


 シエラがそういいながら、急いで部屋に置いてあったお水を用意してくれる。


「ケホッあ、ありがとう」


 昨日の出来事がずっと頭の中でぐるぐる回っていた。

 それに伴って、初めて侯爵様に抱きしめられた時のことも連鎖のように思い出し、いまさら動揺が押し寄せてくる。


(思えば、初対面なのに抱きしめられた……)


 物語の侯爵様が、私の事をどう思っていたのか、いま一度思い出す。


『酷く冷たい性格で、何より政略結婚をさせられることとなった、ラシェルの事を毛嫌いしていた』


(どこが!?)


 手がブレて、お水をこぼしてしまった。


 侯爵様は、出会った頃からずっと優しい。大切にしようとしてくれているのが伝わる。

 物語での侯爵様と現実の侯爵様は違うのだと、もう充分に分かった。


 でもどうして?そこまでしてもらえる理由が、思いつかない。


「いま代わりの紅茶をご用意致しますね」


「ううん。今はお砂糖も貴重なものだし、勿体ないから飲むわ」


「なりません。糖分の摂りすぎで倒れられたらどうするのです」


 シエラに怒られてしまった。

 こんな事で紅茶を無駄にしてしまうなんて失態だ。


「ごめんね……」


「本当にどうなさったのです?まさか、熱でもあるのでは……!少々よろしいでしょうか」


 リズが、私の額に手を当てて、熱を確認した。


 抱き上げられてその後、部屋に着いたときに、侯爵様は私をベッドの上まで運んでくれた。

 気の所為かもしれないけれど、何処と無く名残惜しそうに見えた。


 もしかして、あの日看病してくれたのは……。


「やっぱり熱があります!?」


「だ、大丈夫。体調が悪いわけじゃないわ」


「お顔が赤いです!!」


 リズは慌てて部屋を出た。

 どうやら、顔が火照ってしまったようだ。心臓の鼓動も、少し早い。

 私はこんなにも異性に免疫がなかったのだろうか?


 侯爵様の触れる腕は、しっかりと私の体を支えてくれて、細身だと思っていた体格は見かけによらず逞しい。


(……思い出しちゃった……)


 顔の熱を冷ますように、両手でパタパタと風を送る。


「あ、あの、お嬢様……リズを呼び止めなくて大丈夫ですか……?」


「え?」


 少しして勢いよく部屋の扉が開かれ、リズが人を連れて戻ってきた。


「お医者様と、念の為に神父様もお呼び致しました……っ!」


「どうして!?」


 風邪がぶり返したのではないかと、お医者様が呼ばれ、たまたま近くにいたという神父様が、お祓いまで始める事態となった。


 騒動を知った侯爵様は大慌てで戻ってきた。


 そしてリズはアレックに、他所の者を無闇に招かないようにと厳重に注意されてしまうのだった。



 侯爵家の中庭のベンチに座り、暖かい上着を三重に重ねて着込む。

 何でもないというのに、大事にされ、恥ずかしさのあまり手で顔を覆った。


 リズは心配してくれただけだ、落ち着きのなかった私が全て悪い。


「おじょーさま?何してんのこんなとこで」


 そう軽い面持ちで声をかけるのは、ルーンウェル家から護衛騎士として唯一任命された、アルノーだった。


 彼は幼い頃に私の父に拾われて、公爵家の騎士として育てられた。

 だから主従の前に、歳も近い昔馴染みのような存在だ。


「アルノー、あなた侯爵家に着いてから今までどこにいたの?」


「いやぁ、お久しぶりです。ちょっとルーゼインの屋敷は会いたくない人がいるもんで、逃げ回ってました」


 護衛騎士がそんな事でいいの?という気持ちを察したのか、アルノーは「自分は優秀だから、お嬢様に危険が迫ったら必ず駆けつけられます」と胸を張って答える。


「ふふ。そういえば鎧は?随分身軽な格好をしているけれど」


「お嬢様は重ね着しすぎて肉団子みたいになってますね」


 彼の肉団子発言に、そばにいたシエラとリズがアルノーの背中をはたいた。


「いてて。こ、この洋服、防寒も凄いんですけど意外と防御性能もあるんですよ」


 背中をさするアルノーに、ふと試してみたいことを提案する。


「あ、そうだアルノー」


「はい」


「少し抱きしめてみてくれない?」


「何を?」


「私を」


「俺が?お嬢様を?」


「そう」


 雪に音が消えるように、私のお願いに周りが静まり返る。

 三人とも凍りついたかのように固まった。


 侯爵様の接し方に、あんなに動揺してしまう理由を知りたい一心で、自分が今有り得ない要求をしていると自覚がなかった。


 アルノーは取れるんじゃないかというくらい首を横に振って全力で断る。


「なんで!?お嬢様は俺を殺したいんすか!?」


「こ、ころす……!?そんな大袈裟な!」


「ダメっすよまじで!ほんと勘弁してください……!」


 普段ならこんな事は絶対にしない。

 けれど、侯爵様とは違う身近な異性にも、同じように動揺して意識してしまうのか、確かめたい気持ちの方が強く、アルノーが適任に思えてしまった。


「じゃあ、私があなたに抱きつくわ」


「逆ならいいわけないでしょう!!?脳みそ野良犬にでも食われたんですか!」


「どうしても確かめたいことがあるの。お願い、協力して……」


 アルノーは、目線をリズとシエラに向けて、何とかしてくれと訴えているようだった。

 けれど、二人は困ったように顔を見合わせるだけで、助け舟を出してはくれなかった。

 結局、二人が揃って申し訳なさそうに視線を逸らすと、アルノーは深い、深いため息をついた。


「…………お前ら周りに人が来ないかしっかり見張ってろよ」


「ありがとう!アルノー」


「はぁ………見つかったらタダじゃ済まない………」


「心配しないで。お父様には伝わならないわよ」


「はぁ~?ロベール様じゃなくて侯爵サマの事ですよ」


「侯爵様はそんな怖い方じゃないわ?」


 とても優しい方だから大丈夫、と言ってアルノーの上半身に腕を回す。

 侯爵様ほどでは無いが、彼もやはり騎士のためしっかりと筋肉が付いて硬い身体をしていた。


「…………何か分かったっすか?」


「うーん……。何も感じない……」


(後から思い出して同じような事になるのかしら?)


「そりゃ良かった、じゃあそろそろ離れてください。俺はまだこんな所で死にたくないんで」


「死ぬなんてまたそんな」


「お、お嬢様!」


「ラシェルお嬢様!」


 リズとシエラの焦った声に視線を向けると、そこには、顔に傷がある体格の大きな初めて見る男性がいた。

 そして、その後ろに、口元の口角は上がっているが目は全く笑ってない、私でも分かるくらい優しい笑顔ではないものを、アルノーに向けている侯爵様が立っていた。


 今日は吹雪いてないのに、冷気を感じる。


「ほらね……。事の重大さを反省して、ちゃんと俺の命守ってくださいねお嬢様……」


「うん……巻き込んでごめんなさいアルノー……」


 だから、落ち着きのなかった私が全て悪いと言ったのに。

 私は、心の底から反省した。


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