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一仕事を終えて、足早に帰る。
自身の部屋など、雑務以外でほぼ使っていなかった。
寝る場所すらもどうでもいいと思っていたのに、今は彼女が、ラシェルがいる。
――もっと、移動方法を注意するべきだった。
直ぐにでも行動に移さねばならないと、焦ってしまった。
重くなることはなく、快方に向かったのは本当に幸いだった。
元気な姿でいてほしい事に変わりはない。
それでも、彼女が苦しんでいる姿を前にしてなお、ラシェルがいるという事実が、嬉しくて仕方がなかった。
「俺は、最低だな……」
ラシェルがいると思って、静かに自室の扉を開ける。だが、そこに広がるのは彼女がいる前の状態の部屋だった。
整えられた机の傍らで、アレックが静かに控えていた。
「お帰りなさいませ。スヴェン様」
その声に、全てを察する。
アレックならば、自分の意図を汲み取ってくれるかもしれないと淡い期待を抱いたが、優秀な彼は、ラシェルが使う部屋を、なあなあの状態にはしてくれなかったらしい。
「申し訳ございません。まだ正式に夫婦となった訳ではありませんから……式を挙げてから、話し合われてください」
「いいや、謝る必要はないよ。その通りだ。なんだか、由緒正しい貴族の家みたいだな」
「ラシェル様は、由緒正しい貴族様でございますよ」
「あぁ、分かってる」
このまま、曖昧に同じ部屋でも良かったが、アレックが止めてくれて助かった。
無人になったベッドに腰を下ろし、それで、と話を続ける。
「何処まで話した?」
「わたくし自身、何も聞いていないので何処まで話すも何もありませんでしたが、簡単なルーゼイン家の成り立ちと、婚約についてを」
「――どんな様子だった?」
「そうですね、婚約の話を持ちかけたのが、スヴェン様からだと知って、とても驚いていらっしゃいました。本当に何も知らないと」
アレックが警戒したのも無理はない。
ただでさえ腹の内が分からないルーンウェル家に加えて、当主が繋がりを持つ意図を、何も語らないでいるのだから。
「少々、勝手な行動を取りました。見事に、返されてしまいましたが。……こちらの意図を察した上で、そんなものは切り捨てられる位置にいた方、なのでしょうね」
アレックが、珍しく笑ってそういった。
「あぁ、相手を量るようなマネはいいから、用件を教えろとか言われた?」
「えぇ。スヴェン様が女性に言い寄られていた事も、特に気にしておられませんでした」
「…………そういうやり返しは感心しない」
「なんの事やら」
アレックは、警戒心が和らいでいる様子だった。
公爵家による送り込みではなく、俺自身が強引に求めた縁談だったから、彼女の『無知』に嘘がないとアレックも判断したのだろう。
これなら、大丈夫だと考えて良さそうだ。
「あなた様がお決めになられた事に、わたくしは従います」
「助かるよ。それで……ルーゼイン家の話を聞いて、怖がったりはしていなかった?」
アレックは隠すこともなく驚いた顔をした。
「なるほど。それで、丁寧に接してらしたのですか」
「……うるさい」
「申し訳ございません。そのような、貴方様を見てわたくしもようやく人心地がつきました。
親しみやすくなるよう、ラシェル様の前で、お坊ちゃまとでもお呼びいたしましょうか?」
「いらない。気遣いをしなくていい」
アレックがいつになく饒舌で鬱陶しさを覚える。
「しかしながら……もう少し仕事量を減らしてはいかがです?」
「難しいな。指導ができる隊長が負傷したのも相まって人手が足りない」
「それは重々承知しております。ですが、あまりにも狩りすぎだと思います」
「気が付いていたか」
「何か理由があるのでしょうが、そろそろこれ以上、魔物を減らすのはお控えになった方がよろしいかと」
「この程度で絶滅するようなものじゃないよ。正直なことを言うと、近い将来、領地から目を離せる余裕が欲しい」
「わざわざ、数を減らそうとしているのですね。このまま順調に調節出来れば、余裕も出来るかもしれないですが……」
「今のままなら、可能なはずだ」
アレックは、顎に手を当てて、少し考え込むような仕草を取った。
そして、魔物の話については、納得したとこちらに合わせてくれる様子だった。
「それはそうと、ラシェル様の侍女に、侯爵家からもお出しした方が良いと思うのですが、いかがですか?」
「侍女はアレックに任せるよ」
「かしこまりました」
ふと、微かに物音がした。
人並み以上に耳がいいという訳では無いが、こんな深夜だ。気の所為にも出来ない。
「何か物音がした。確認してくる」
「では執務室の方に戻っております」
◇
暗く寒い廊下を、光があまり強くはない灯りを持って足を進める。
廊下の途中で見つけたその人影に、ヒヤリとした。
「令嬢?」
「あ……っ侯爵様、こ、こんばんわ」
「そんな薄着で何してたんだ。……してたんですか」
思っていたよりも怒気を含んだような声になってしまった。
羽織っているものは、彼女の私物だろう。
北部では極寒になる。だから、魔法石を細かく砕いて、繊維に混ぜて作った、特殊な生地を使った上着やコートを着るのが当然になっている。
そんな用意も無いのに、そんな薄着で動き回るなんて。
「喉が渇いてしまって、食堂に行こうと思って……お部屋の中が暖かくて、廊下がこんなにも寒いなんて考えもしなかったんです」
そして、迷子になりました……。と、小声で彼女は視線を逸らして答えた。
自分の羽織っていた上着を着せる。身体が酷く冷たくなっている。
「侯爵様のお体が冷えてしまいます!私は、場所を教えてもらえれば、大丈夫ですので」
彼女が遠慮するのを、頼むからそのまま使ってくれと、半ば強引に、懇願するように制止した。
「水なら召使いにでも、取りに行かせればいいでしょう」
「で、でもこんな夜中に呼び出すのも……」
「また風邪を引きたいんですか?」
「う……」
しまった。怖がらせてしまっただろうか。
心配するあまり厳しい言い方をしてしまったと後悔する。
「お部屋までお送りいたします」
不安な気持ちを抑えて、今度は、なるべく柔らかく低姿勢に手を差し出す。
「あ、ありがとうございます、よろしくお願いします……」
手を取って貰えたことに、安堵する。断れないと悟っただけかもしれないが、遠慮しがちに触れるラシェルが、いじらしくて愛おしい。
ふと彼女を見ると、歩きにくそうにしている。
「どうされました?」
「実をいうと、上着が重くて」
そうだった。魔法石を取り入れた上着は普通の物より重量がある。
だが早く暖かい場所に行かなければ、本当にまた体調を崩してしまう。
とはいえ上着を脱ぐ訳にもいかない。ならばこうするしかないだろうと、一言断りを入れて彼女を抱き抱えた。
「失礼します」
「え?きゃっ!」
「このまま部屋まで運びます」
「ま、またですか!?」
触れる彼女の体は、あの時の死期が近付き、紙のように軽くなったものではなかった。
確かに重みがあるのを感じ、今この場に生きているのだと実感する。
その事実に、ずっと喉元を塞いでいたものが、ふっと軽くなる。
息苦しさが無くなるような心地がした。
幾度もラシェルを失った。もう時間は戻せない。
(これは、最後の奇跡)
バレない程度に、彼女をほんの少し抱き寄せる。
――例え貴女が、二度とあの日々を思い出せなくても。
ただ、もう一度、会いたかったんだ。




