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「……大丈夫?」


 二人きり。手を伸ばせば触れられる距離で、スヴェン様の優しい声色に、自然と言葉が出ていた。


「これでよかったのでしょうか……なんて、まだ悩んでいる自分が嫌になります」


「ルーンウェル家の能力は、本来公にされていないものだ。知られるのは避けた方がいいだろう。

……それに、そもそも相手の心にも無いことは操れないだろう?

”あなたは暗示にかけられてそう思い込んでいる”なんて──それこそ酷い話だ」


「…………」


「ラシェルはもう少し、色んなことを信用した方がいいと思う」


 困ったように、彼は笑った。


 シエラにもハンナにも、リズのことはまだ話せていない。胸の内の隠しごとは少しずつ重さを増している気がする。


「楽観的で何も考えてないように見えるなんて、主として失格ですね」


「いいや、二人の意見をまとめて落ち込むな。そうは言っていなかっただろう。動揺して言葉選びを間違えただけで、決して悪い意味で言ったわけじゃ無い」


「聞こえていたのですね。スヴェン様もそう思っていましたか?」


「…………」


 あ。目が泳いだ。


「嘘つかないでくださいね」


「う………遠からず……少し……部分的に……」


(部分的に?)


 隠しきれずに、言葉を濁した彼の顔。私をうかがう視線が、妙におかしくて。気が抜けてしまう。


「ふふ……でも、確かに何も考えてなかったのかも」


 呪いを肩代わりして役目を終える。特別に語ることなんてない、そんな簡単な物語のはずだった。


「好きでいてくれるのは、私にとって都合のいいように、気持ちを操作しているだけだったりして……」


なんて。ついこぼれる。


「それは絶対に無いと断言出来る。でも、ラシェルに証明するのは難しいかもしれない」


「え……」


 スヴェン様に手を取られた。

とっさに引こうとしたが、離してもらえない。


「……どういう、ことですか?」


「操られていたとしても、そうでなくても、俺があなたを想う気持ちは変わらない」


 触れている彼の手に僅かに力が入る。

 その表情を私は見ることが出来ず、ぱっと逸らした。


『未だにラシェル様がどの様な方なのかよく分かりません』


『私がどんな人か?』


 ハンナとの会話が、私の中にあった何かをじりじりと焦がしはじめる。


 記憶のない今の私は、スヴェン様の目にどう写っているのだろう。


 (それを聞くのが、怖いだなんて)




 昨日は眠れなかったせいもあってか、鏡の中の顔がいつもより冴えない。


 自分の姿を、まじまじと見る。


 胸に咲いた花の印から、細く波打つ線が、鎖骨を越えて、首元に触れそうなところまで模様が広がっていた。まるで根を張るように。


 下に広がる分にはまだ隠せるが、顔にまでかかってしまえば、誤魔化すのは難しい。


 死の原因はひとつ、どうにか回避できた。けれど、それだけ。


 肝心の、この呪いをどうにかする方法は分からない。痕が消えるわけもないのに、擦りながら印をなぞり、ため息をついた。


 そもそも、何度もやり直してきたアーリアでさえ解けなかったのだ。私が見つけ出せるはずがない。


再び花の印に視線を落とす。花びらが三枚、中心から放射状に拡がっていて、呪いだというのに、妙に可愛らしく感じてしまうのは呑気だろうか。


………そういえば、なんの花なのかな?



「さぁ。見たことがあるような無いような」


 いつも通りスヴェン様と朝食をとり、彼を見送った後。

 検診の際に、バート先生にそれとなく聞いたが、心当たりは無いようだった。


 バートお医者さまは、患者の体調にしか関心がないらしい。


「うん、心配でしたが、順調に回復なさってますね。顔色は優れませんが。また寝不足でしょう」


「あ、あはは。ごめんなさい」


「全く……他に何か気になることは?」


「…………」


「ラシェル様?」


「えっあ、なんでしょう」


「前にもありましたね、反応が遅くなることが」


「実は……最近、ふとした瞬間に、夢を見るような感覚になることがあるんです」


「夢?この前のぼんやりなさってた時も?」


「内容は覚えてないのですが、意識がここじゃない場所にあるような感覚があります」


「ふむ。それについて、関係があるかは分かりませんが、ひとつ気になることが」


 気になる事。それは花の印が、肥大化したことだった。先生の推測によれば、この印自体に魔力が含まれているのではないかと。


「魔力の補充に使う薬が、印に作用したのであれば、その印自体が魔力で出来たものだと思うのです」


「魔力で?じゃあどうして今までは変化がなかったのですか?」


「単純にラシェル様自身の魔力量が、印が吸収するほど無かったからでしょう」


「そうですか……」


 私の返答は消え入るようだった。


「昔は、祝福の印の魔力に記憶を使っていたことはご存知ですか?」


「え……」


(バート先生は、この印を祝福の印の類だと思っているのね)


「産まれた子に、健やかであるようにと、祝福を施しますが、実はその時の記憶を魔力にして印すと、不思議と跡が長く残るのです。今はその行為自体なくなりましたが」


 思わず目を見開いた。今、記憶を魔力にすると、確かに聞こえた。


 記憶は、魔力になる。

 私はそれを身をもって知っている。


「記憶は、どのようなものでもいいのですか?」


「ふぅむ。どうでしょうね『術者が、忘れないようにと願わないと、効力は無い』と推測されていますが」


(印が、夢を見せた?)


「夢の役割は、記憶と感情の整理だという説があります。その印の記憶が多すぎて夢に現れてしまっているのかもしれませんね」


「これから、夢を見ることは増えるのでしょうか」


「それは分かりませんが、説が正しいのであれば、多すぎる情報を整理しているだけ、とも考えられます」


 そんなこともあるかもしれないですね、と先生はからっと笑って、世間話みたいに話した。

 反対に、私の心臓はどくんと大きく脈打ちはじめていた。

 考えたくない結論が、見えなかった形を作るように私の胸を締め付ける。


(つまりそれは、余分な記憶を――)


 コンコン、と部屋にノックの音が届く。先生の返事も待たないまま、ガチャりと扉が開き、魔物の退治に向かったはずのスヴェン様が入ってきた。


「バート、簡単な血止の塗り薬はあるか?額を切ってしまって。……………………あ」


 全身が血塗れになった姿で。


「きゃああ!?」


 何事があったのか、額からは血が流れ、服はマントに至るまで赤黒く染まっている。


「だ、大丈夫ですか!?バート先生!スヴェン様が大怪我を!!」


 気が遠のきそうなのを感じながら、悲鳴のような声が出た。


「おち、落ち着いてラシェル。大丈夫だから、大したことない傷だから」


「何事ですか!お嬢さま!?」


 アルノーがすぐさま駆けつけ、アレックもバタバタと部屋の中に入ってくる。

 先程までバート先生とした、印に関する話を危うく忘れてしまうところだった。



 アレックはすぐに状況を理解したようで、全身が血塗れに見えるのは、魔物を退治した時の返り血で、よくある事だと安心させてくれる。


「そ、そうなんだ……ご、ごめんなさい、取り乱したりして」


 ようやく大きく一息をついて、驚いて飛んでいきそうだった意識が戻る。

 よく見ると、真っ青になっているのはスヴェン様の方だった。


「スヴェン様、顔色が悪いです……!貧血ですか?」


「!!近づかないでくれ!」


 そっとスヴェン様に触れようと、伸ばした手を、強く拒否されて、私は固まった。


(怪我人に軽率だった……!)


「あっいや、違う!嫌だった訳じゃない!」


「??」


「魔物の血は触れない方がいいです、ラシェル様。あなたのその薄い皮膚では、火傷のような怪我をしてしまいます」


 やんわりと、アレックが補足してくれた。


「そうですね。二次被害になりそうなので、一度お着替えになられてください」


 今までの一部始終は無かったように、お医者さまの声は冷静そのものだった。


「えぇ、お二人とも、落ち着きましょう」


(二人とも?)


「あぁ……ラシェル驚かせて悪かった。本当に……」


 そういうと、スヴェン様は表情を曇らせたまま、部屋を後にする。


「……………」


(あれっ、血止の薬はいいのかしら!?)


 バート先生、忘れてないよね?



 若干忘れていたっぽいバート先生から、塗り薬を預かり、「ラシェル様が手当をしてあげてください」とアレックに促されて、私はアルノーと一緒にスヴェン様の部屋に向かっていた。


「そういえば、お嬢さまの前ではああいう姿、気を付けてましたもんねぇ当主様」


「珍しくない事なの?」


「返り血を気にしないのは、普通の事でしたね」


「やっぱり過酷なのね……」


 私の前では、いつも綺麗な身なりで、気を使ってくれていたから、危険な仕事をしていると分かっていたのに、本当の意味では自覚していなかった。


「うーん。最近はそんなに過酷でも無いですけどね。魔物の数がだいぶ減りましたから。今日は心ここに在らずって感じでしたし」


 当主様の様子が変だっただけですよ、だから気軽に構えた方がいいと思います。と、私の肩の力を、自然と軽くしてくれる。


「そっか、ありがとう。アルノー」


「というか、お嬢さまの方が大丈夫ですか?かなり驚いてたでしょ。寿命縮んでません?」


「そんなに小さな心臓じゃないわ、私」


「そうですねぇ」


 含みのある返事に、何か言葉を返そうとしたが、スヴェン様の部屋の前に着いたことを理由に、アルノーは、さっさと傍を離れていた。


(逃げた……)


 私はコンコンと、ノックをする。


「アレックか?その辺に薬は置いておいてくれ」


「あ、スヴェン様、私です。分かりました、では扉の――」


 中からドタンと騒がしい音がしたと思ったら、言い終わる前に部屋がすぐに開かれた。


「ラシェル?!」


「えっと、塗り薬を預かってきました」


 あの後、すぐに身体を洗ったのか、髪が濡れ、服も乱れている。

 スヴェン様の左目の上の額部分から、また一筋、血が溢れようとしていた。


「!血が……」


「す、すまない、薬ありがとう」


 どうして謝るのだろう。彼は額を適当に腕で拭いながら、塗り薬だけを受け取ろうとした。


「あの、良ければ私が塗りましょうか」


「えっ」


 彼の声が、上擦った。これは、自惚れでは多分ないと思う。分かりやすく、嬉しそうな弾みだった。



 部屋に入って、椅子に座った彼の額の傷に薬を塗る。


「本当だ。そんなに酷くは無かったのですね」


「あぁ、額は軽くても血が出やすいんだ」


 背の高い彼が、自分よりも頭の位置が低いことに、なんだか不思議な感覚を覚える。

 袖を捲った彼の腕には、細かい傷が見えていた。


「……右腕は、傷になってしまいましたか?」


「右腕?」


「ほら、前にパーティで私の事を庇って、怪我をしてしまったでしょう」


「そうだったか?何も無いよ」


「あの時は……いえ、あの時以外にも、いつも、守ってくれてありがとうございます」


「……あぁ、もしかして今日の怪我のこと、心配させてしまってる?本当に不注意だったんだ、ラシェルに振られ……」


 口が滑った、見事に。そんな様子だった。


「私がなにか?」


「昨日のことが気になって、ただ、職務に身が入らなかったというか……」


「っ!」


(スヴェン様も、以前と違う私に違和感を覚えたんじゃ――)


「あなたに振られたかと思って………」


「ん?」


(振った?私が?)


 私は、そう言われたであろう心当たりを探る。

 『操られていたとしても、そうでなくても、俺があなたを想う気持ちは変わらない』

 その言葉の後、私は確かに返答をしていなかった。

 何なら目も逸らした。


(た、確かにそう捉えられてもおかしくないかも……!!)


「違うんです!ハンナに、私がどんな人か分からないって言われて、確かに、自分はどう見られているんだろうって思って」


「?」


「その、記憶のない私は、スヴェン様にとって、違う人間になってるんじゃないかって……」


 急に指先が冷たくなる感覚がした。答えを聞くのが怖くて、足もとがふらついてくる。


 そんなことを今更気にしてたの?と、昨日のように、彼は私の手をとった。今度は、そっと握り返した。


「ラシェルは、あなたしかいないよ」


 今度は、目を逸らない。私には、それが本心なのが分かるから。

 そうだ。ずっと、ずっと、そう伝えてくれていた。

 記憶があるとか、無いとか、もう彼はとっくの昔に受け入れているんだ。


「そんなことを言ったら、俺の方が、ラシェルにとって、好ましい人でいられてるか心配だ」


「そんなこと、気にしてたんですか?」


「そりゃ、もう。いきなり好意を伝えられたら、嫌だろうと思って、手を出さないようにしていたし、初めはアーリアの言う通り、紳士な風を装ったりもしたし……」


 結果的に、そんな心配をさせてしまったのなら、と、彼は苦労の経過を吐露した。


(なんか、なんだろう)


 自分の体温が、上がっていくのを感じる。胸の当たりが締め付けられる感覚がするけれど、でも不快な訳じゃない。

 今すぐ自分の部屋に戻って、毛布にでも顔を埋めたい気分だった。

 でも、今は、手を離す訳にはいかない。


「………、あ、の。お、お手は出されてたのでは?」


「!?!?!?出してない!!神に誓って!」


(あれ?違ったっけ?)


「初めてお会いした時も……」


 私は抱きしめられたことを思い出して、また熱が上がってくる。


「……………………」


 スヴェン様は、片手を顔に当てて、天井を仰いだ。


「…………手を、出した、という判定ですか……?」


(スヴェン様が敬語になっちゃった)


「え?あれ、違いましたか?結婚する前の女性に触れる意味でしたよね?」


「…………………」


 今度は、そのまま頭を下に垂れてしまった。


「あの……?」


「今、自分の行ないが、正解だったと、心底感じているところです」


 あなたが、厳重な包装の箱の中にいた事を、忘れていました。と、心底苦しそうな、呻くような声だった。

 なんだかよく分からないけれど、先程までの胸を締め付ける感覚と、変わったのを私は感じていた。


 私は彼の前髪にするりと指を当てて、顔を覗き込む。


「な、なに?」


「いいえ、血が止まったなと思って」


「そう……」


 彼の頬の赤みが徐々に濃くなって、ついに視線を逸らした。

 でも、手は優しく握ったまま、離すことなく。


 多分、私は今、このちょっと空回ってしまった彼を、愛おしいと感じている。

ここまでお読み頂き、ありがとうございます。

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