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「この部屋は、現当主スヴェン様の部屋なのでございます」
「……え!?」
(あぁ!びっくりしたけれどだから侯爵様は私の様子を見に来ていたのね!)
忙しそうなのにも関わらず寝込んでいる私の様子を頻繁に見に来ていたのはそもそも自分の部屋だったからなのだと、そしてそのついでに看病してくれたのだと長年の謎が解けたような気分でとても納得した。
「当主様には黙っているようにと仰せつかっていたのですが、どうしてもお聞きしたいことがありましたためお話させていただきます」
「えぇと…どうしてこの部屋を…?」
「急な結婚の事でまだ部屋の用意が整えられずにいました。今は特に寒い時期ですから、魔法石の暖房器具の準備が十分では無かったのです。魔法石が完備されて、屋敷の中で1番暖かい部屋はどこかと考えた末、当主様の部屋が最も最適だという結論に至った、という次第なのでございます。」
魔法石は貴重なものだ。極寒になってしまうこの地域では特に重宝していることだろう。
急な嫁入りのことで部屋が整えられなかったというのにも納得がいく。
(それにしたって自室だとは思わなかったけれど!)
私の動揺を気付かないのかフリをしているのか、他所にしているのが本音だろう。
「この私、当主様がまだ赤子であった頃からずっと傍で仕えているのですがこのような事をされる方ではありませんでした」
アレックの次に言いたい言葉が何となく察しがつく。
「大変、大変失礼なことを申します。一体、うちの坊っちゃまに何をなさったのですか…?!」
昔から幼い侯爵様に使えているという事は、侯爵家でも信頼される人物なのだろう。そんな彼が、取り乱し、執事の範疇を超えて妻になるであろう貴族の女性に向かってとんでもないことを聞いてきている。ある意味では、錯乱状態に近いのかもしれない。
(一体何をしたかというか、彼に何があったのか私の方が知りたい…)
困り果てているとふと疑問が浮かぶ。確かに冷たい態度を取られるはずだった侯爵様が優しいのは驚いたが、あくまでもそれはぼんやりと覚えていた物語の中の侯爵様だ。
政略結婚をさせられて、という事情がある。
けれど使用人に対してそのような冷淡な素振りを取る理由はない。ということは、侯爵様が結婚相手に対して優しく接し、珍しくともここまでアレックが取り乱すのは少々大袈裟なのではないだろうか。
(もしかして侯爵様の私への接し方ではなく聞いているのは別の事?)
「普段から侯爵様は良く気遣ってくださる方なの?」
「いいえ、公女様にお接しになられるほどではございません。元々女性の方と接する事もあまりなさらないですし、言い寄られていても…いえ、何でもございません。失言致しました」
わざとなのかと思うくらいに無礼と言われるであろう事を、さも心配していて、自分では気付いていない装いで話す。
ここまでくると私のことを挑発しているのだろう、どのような人物なのか表面的にも探りを入れているのが良くわかる。
侯爵様への女性関係のことか、貴族特有の高飛車なプライドか、どこに沸点があったのかを知りたいのだろう。
(でもまぁ、細かいことはいいから)
「貴方が何を聞き出したいのか、私には見当がつかないので簡単に教えてくださいませんか?」
「…分かりました。わたくしがお聞きしたかったのは、この結婚の意味するところでございます。まさかあのルーンウェル公爵家に、スヴェン様の方から婚約の話を持ちかけるとは思いもよらなかったのです」
「え、侯爵様から!?」
(お爺様からではなかった…?)
反応を見て、私から引き出せる情報はこれ以上無いと思ったのか、わざとらしい態度は止めて彼にとっていつもの調子であろう様子に変わる。
「色々と申し訳ございませんでした。回りくどい質問であったと反省しております」
話をここで切り上げる、という意図を汲み取って、私もアレックの態度に合わせる。
(婚約についての記憶違いはここで話したところで埒が明かないだろうし)
「いいえ、貴方が侯爵様を大切にしているということは良く分かりました」
そう言ってにこりと微笑むと、アレックは少し驚いた顔をして、もう一度頭を下げる。そして一使用人に対して敬語を使う必要は無いことと、侍女が私の着替えを持って立ち尽くしていると伝え立ち去るのだった。
(うーん)
思えば寝巻き姿で上に何も羽織らずに会話していたという事実に頭痛を感じ、朝食の後に案内された私の部屋でこめかみに手を当てていた。
今日の朝食にも侯爵様は顔を見せることはなく、些か雰囲気の柔らかくなったアレックが侯爵様の簡単な近況報告のようなものをしてくれる。
現侯爵の父親であるギード・フォン・ルーゼインはおよそ2年前に魔物の討伐の際に負傷し侯爵の務めを全うするのが困難となった。街にまで被害は及ばなかったが、多くの兵士が負傷することとなり、その補填と新しい兵士の訓練の為に今は時間を取られている。
(街に被害が出てなかったのも大きいけれどそんな事があったなんて知らなかった)
ルーゼイン家は元々100年前の国王に雇われた兵士だった。幾つもの戦果を挙げ、国王は周りの貴族の反対を押し切りルーゼインという家名と共に爵位を与える。功績によって爵位を与えることは昔からあったが、大きな確執となってしまったのは侯爵という高い地位を渡したこと。
その確執は今でも無くなることはなく、ルーゼインは侯爵家であるにも関わらず貴族の中では爪弾きのような状態で、必然と敵も多い。
だが、他の貴族が爪弾きにする以外に手を出せないでいるのは、魔物を封じる防波堤の様な役割を担う存在が絶対に必要であることと、ルーゼインの強固な武力に匹敵する貴族が他にいないためだ。
(今の侯爵様に色々引き継いでいたからここ最近の社交界で全然姿を見せなかったのね)
『 お姉様はなぜ、ルーゼイン侯爵様と結婚なさるのですか?!』
『 ルーゼイン侯爵様といつ出会ったのですか?』
ふと妹の言っていた言葉を思い出す。アーリアが投げかけた疑問、そして記憶にある物語と違う理由。
(本当にどうしてだろうね、アーリア)
……あなたは何か知っている?
「まさかね」
馬鹿な考えに口元を緩ませて、暖かい紅茶にいつもよりも1つ多く角砂糖を入れて窓から外を眺めるのだった。