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能力の使い方は本当にお父様には聞いていない。でも、今まで表情から何を思っているのかを読み取ろうとするのは、能力を扱うための初歩であり基本的なことだというのは、説明されるまでもなく理解出来ることだった。
けれど私は魔力を対して持っておらず、せいぜい魔法石の日用品を扱う程度のものだ。だから今思えば、どのように扱うのかを聞いたところで扱えないだろうと諦めていたのだと思う。
精神に干渉さえ出来れば、簡単な魔力で容易く暗示はかけられる。
(だから、アーリアには才能が無かったと言ったのですね、お父様……)
無意識に行っていた表情を読むこと。それが最も重要なことだったのだと思い知る。
とはいえ魔力が全く必要が無い訳では無い。洗脳するような効力は到底無理だと理解している。例えば赤いドレスから青いドレスにする方がいいとささやかな悩みの、思考の方向を変える程度なのだろうと脳力を使った感覚で何となく感じ取れた。弱小な、か細い魔力の鎖が、いつまでリズの中の優先すべき事を上塗りするよう縛れるのかは分からない。
けれど、今ここで優先すべきことの思考を変えられたということは、彼女の心の何処かで本当にそう思っていてくれたという事なのだろう。
落ち着いたリズは、状況を理解すると静かに話し始める。何だか懺悔する罪人ように見えて、胸が締め付けられるようだった。
「私は、私は初めてお仕えした時からお嬢様のことを恨んでいたんです。でも、お側にいるうちに気持ちは揺らいでいました。……ですが優先は変わらず、与えられた薬を命じられた通りにお嬢様の飲み物に入れていました」
「薬?毒の間違いだろう」
少し怒気を含んだ声でスヴェン様が言う。薬だと言われて渡されたのは本当だが、毒だということも分かっていたのだろう。
少しづつ目に見えない変化で蝕ませていく。それをリズは知っていた。
「恨んでいたというのは、その……どうして……?」
そこまで彼女が私を恨むような理由があったのだろうか。殺される程のことをした覚えは無い。
「当時他の貴族の屋敷で仕事をしていた私に侍女の仕事を推薦して下さったとき、ジェラルドー様はわざわざ家に赴いていました。そして仰ったのです。あの子はきっと命を張って護った犠牲は覚えてもいないだろうと……」
「それからです。お父さんは、あなたの代わりに死んだのに、この人は忘れてのうのうと生きているんだって……お嬢様がいなければ死ななかったのにって……そんな気持ちが溢れました」
声を震わしながら、俯く彼女の言葉は、私の心を抉るには十分で。
「まさか、まさかそんな……!?」
「……子どもがいたことも覚えていてくださったのですね、お嬢様。私は、あなたの護衛騎士だったアルバンの娘です」
今思えば、本当に仕方のない事で、当時幼かった彼女は、ただただ殉職したという事実を受け止めることに必死だったのだとリズは話を続ける。
「……貴族は怠惰な方々ばかりでした。それが私を絶望に落としたんです。こんな奴らのために父は命を引き換えたのかと」
「でも、ルーンウェル家の主様は違いました。もちろんラシェル様も、貴族らしくない暖かな方でした。……それでも一度芽生えた物は覆ることは無くて……わ、私はお嬢様のお飲み物に、少しづつ渡された毒を入れていました」
その効果があって、身体が弱り、病弱になり始めたことも分かっていたと彼女が話す途中で、一瞬の事だった。アルノーがリズに切り掛かろうとしていた所をスヴェン様が剣で止めたのだ。
(え……っ!?)
私は何が起きたのか理解が出来なかった。スヴェン様は無言で、アルノーを跳ね除ける。アルノーの表情は、ただただ強い怒りが見えていた。
「なんで貴方が、止めるんですか!!」
「………………」
一度スヴェン様に防がれた刃を、再度構え直して、もう一度とリズを見据えて剣を振るうが、同じようにスヴェン様は簡単に彼を止めて剣を払い除けて床に落ちる。
「もう自白はすんだだろ!?お嬢様を殺そうとしたやつを、どうして!寄りにもよって!お前が庇うんだ!!」
「今のお前は、自分の為に殺そうとしているだけだ。その先を、……その結果で誰が悲しむのか考えろ……!」
「……っ」
彼は、私のために激昂した。『俺はあなたを護るために生きている』いつか言われたその言葉の重さを、私は理解しないといけなかった。
「ア、アルノー……」
「………頭、冷やしてきます……」
アルノーは落ちた剣を拾って、部屋を離れる。リズは向けられた殺意に驚きもしていなかった。寧ろ当然のように、殺されてもいいと、思っていたように。
リズが誰であっても、この話の結末で私は彼女の命を奪うことはしなかっただろう。それは本当だ。
アルバンの娘というその事実。彼女を死なせてしまうことは、私には絶対に出来ない。
「揺らいだのは、お嬢様がアルノーに抱きついたりなんかした、何でもない日でした。……オリヴァ様とお話されたとき、お嬢様は、忘れるはずもないと仰ったんです」
「………父の死を、覚えていてくれていたんです」
それから、いつものように紅茶を作るのが躊躇われたが、声が聞こえて、自分の役割は毒を入れることだと、声は収まらなかったという。役割をこなさなくてはならないという気持ちに駆られて、手元が雑になってしまった。それをハンナに見られていたとリズは言う。
「……あの子私の入れた紅茶だけ何度もカップを割っていたんです。入れ直すのはシエラ、だんだんと言われた通りの役割をこなせなくて、私は焦っていました」
そんな時に、突然お爺様は来訪した。あの人はきっと暗示が解けかかっている事も分かって、魔物を強化させて私を殺させようとしたがそれも失敗したとき、最後に致死量の薬を疑われてもいいから使えと暗示をかけ直された。
「魔物に襲われたとき、役割を全うしろという声と、私の拒絶したい意志とで、訳が分からなくなってしまって気絶してしまいました。お嬢様に珈琲を入れたとき私は声に抗えなかった。お嬢様が倒れて、私はなんてことをしてしまったのだろうとようやく気付いたのに、自分の思考が本当に分からなくなってしまって……」
魔物を使う手も失敗し、酷く焦った事も災いし、珈琲に薬を入れた時にはもう、あまり正気ではなかったという。
あの日を境にして、暗示の命令が解かれかかった彼女を、侯爵家に来たお爺様は無理やり洗脳するやり方で脳力を使ったのだろう。
(もしかして一度能力がかからないと無理やり暗示をかける事は難しい……?)
心のどこかで思っている事でなければ暗示をかけることは出来ない。精神を壊すほどの強いものは、直ぐには無理なのかもしれない。
「ハンナに、聞きました。お墓参りに行ってくださったのですね」
「一度、行きたいとずっと思っていたの」
(身体が弱かったから遠出するのは厳しくてずっと行けずじまいだったから……)
「お嬢様は初めてお会いした時から、貴族なのに変わったお方でしたね。貴女のような方が主なら、私達はどれ程誇らしいのでしょうか」
「お父さんが守った人がお嬢様で良かった……今なら心からそう思えるんです。靄が晴れたみたいに。な、なのに……私は自分の手で……なんて事を、してしまったのか……!本当に、本当にごめんなさい……っ!」
リズは泣きながら言葉を紡ぐ。私は、そんな大それた人間なんかじゃない。けれど、例え短くとも、自分が生かされたことを後悔しないような人間になれるよう生きなければ。
当たり前のように誰かに守られるという高い地位、その責務を、幼い頃から教育されていたというのに、暗示のせいとはいえ胡座をかいてしまった。
「リズは、自分が悪いと責めるけれど、お爺様が、焚き付けてしまったのでしょう……?」
「でも心のどこかでそう思っていたのも事実で、実際に実効に移したのは確かに私の意思です」
「……それでも、あなただけが悪い訳じゃないわ」
「お嬢様、どうか……如何様にも罰してください」
「ごめんなさい。それは、叶えられない」
私はスヴェン様に向き合って、頭を下げた。ここで話したところで、結果的にリズの処遇をどうするのかを決定するのは主である彼だ。
「お願いです、リズを、殺さないで……」
「お嬢様!どうして!!」
頭を下げている私には、スヴェン様の表情は見えない。いいや、見ないように、表情を読まないようにしている。私は今、この人が何て答えるのかが怖くて堪らない。
ふと彼が私の近くに寄った気配がしたと共に、とても優しく抱き寄せられた。その手は安心させるように頭を撫でる。
「………殺そうとした人間を今までのようにラシェルの傍に置くことは出来ない。だがこのまま生かして屋敷から出したところで失敗したと始末される可能性がある、魔物討伐の隊に身を隠させようと考えている」
(それは、リズを処さないということ)
「ありがとうございます、スヴェン様……」
安心したのと、体力の限界が来た事と、何より彼の腕の中がとても安らいで、私は眠りに落ちてしまった。




