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 お爺様が結婚するようにと仰った時に、まだ知りもしない結婚相手の名前だけが、頭に浮かんだ。


 スヴェン・フォン・ルーゼイン。


 その人と結婚することを、なぜだか当然のように知っていて、そうしたら、思い出したかのように、物語が頭の中に流れ込んできた。


 一度なぞった時間を、再び過ごしているような感覚。

 私は、それを「物語の世界に転生した」と思うことで、とりあえず納得することにしたのだ。



 顔を見る前に、抱きしめられてしまった。


 何が起こったのか分からないまま固まっていると、ルーゼイン侯爵家の従者が、驚愕の声を上げた。


「こ、侯爵様!どうなされたのですか!?」


 どうやら、普段からこの様なことをするような人物ではないらしい。

 彼はようやく身体を離すと、羽織っていた重厚なマントを私の肩にかけた。が、それがとんでもなく重たい。身動きが取れなくなった。


 そういう嫌がらせじゃないよね?


 とりあえず、彼の顔をみる。


 澄んだ青に、少しだけ緑かがった綺麗な瞳。銀色の髪が、雪景色と相まって、まるで雪の妖精かと思った。


 一度見たら、あまり忘れないような容姿。でも、やっぱり見覚えはない。


 不可思議な行動だったけれど、物語と違うだけだろう。

 彼は少し息を吸った。私を見つめる瞳が、緊張したように揺れた。


「――初めまして。スヴェン・フォン・ルーゼインです」


 私もハッとして彼から一歩引き、ドレスの裾を摘みお辞儀しながら、形式通り自己紹介をしようとした。

 かけられた羽織の重さで、よろけてしまう。それを、候爵様はすぐに抱きとめてくれた。


「あ、ありがとうございます」


 ここは、まだ寒空の中で、先程まで雪の中を歩き、私の身体は冷えきっていた。


「……くしゅんっ」


(あ、しまっ……)


 その瞬間、足が宙に浮く感覚がした。返事をする間もなく、いつの間にか候爵様に抱き抱えられていた。


「えっ?え?」


 何が起こったのか分からず、私はただ侯爵様の顔を見あげていた。彼は、心配した表情をしていた。いや、心配というよりも……。


「今すぐ部屋に運びます」


(運ばれる!?)


 心配というよりも、酷く怯えたように見えたのは、どうしてだろう。

 ただ、彼の苦悶の表情の正体が、マントの重量と、自分の体重では無いことを願うしかない。



「何故、雪の中を歩かせる事になった?転移の魔法は使わなかったのか」


「お、お嬢様のお身体を考えまして、転移魔法は、雪の中を歩かせてしまうよりも、身体に負担がかかると、判断致しました」


 私の専属の侍女の一人であるシエラが、侯爵様と会話している声がぼんやりと聞こえる。

 もう一人の侍女、リズは、ベッドに横たわっている私の額に、冷たい布を当てていた。


「お嬢様、具合はいかがですか?」


 そこまで遠い距離という訳ではなかった。だというのに、道中の疲労と寒さで、あっさり熱を出してしまった。

 呪いのせいなのか、生まれつきなのか、私の体はどうにも脆くて、気がつけば暖かいベッドに寝かされていた。


「……喉乾いた……」


「はい、すぐに飲み物をお持ちしますね」


 その場を離れたリズと入れ替わるように、誰かが近くに来た気配がした。報告を終えたシエラが来てくれたのか、はたまたこの屋敷の使用人だろうか。


 熱で直ぐに温まってしまう額の布を、誰かが丁寧に新しいものへ取り替えてくれる。


 それが誰か分からないまま、再び私は眠りに落ちていた。



 目が覚めると、体が大分楽になっていた。

 随分寝ていたようで、身体を起こして軽く伸びをし、ふと横を見ると、ベッドのすぐ側に椅子が置かれ、そこには侯爵様が手に書類を持ちながら仕事をしていた。


「!?」


 侯爵様が書類から顔を上げ、ばちりと目が合ってしまう。


「体調はどう?」


「え、あ……大分良く……なりました」


 書類を置いて、こちらに歩み寄ったかと思えば、彼は大きな骨ばった手を私の額に当てる。少しひんやりとして気持ちがいい。


「まだ少し熱い、食事は取れそうですか?」


「す、少しなら。食べられると思います……」


「分かりました。用意しましょう」


 チリンと呼び鈴を鳴らすと、少ししてからシエラとリズがやってくる。

 侯爵様は、後のことは頼んだと二人に伝えて、部屋を出た。


(看病してくれていた?)


 さすがにそれは無いと、私は頭を振る。

 こんな違和感を覚えるのは、きっと、身構えてた様子と違うだけだ。


 後に来た朝食は、公爵家で過ごしていた頃よりも豪華で、あまり食べられないと伝えたのに、様々な料理が出てくるのだった。



 体も完全に回復した頃のことだった。あれから幾度か、侯爵様が忙しそうな合間を縫って、私の様子を見に来ていた。


「寒い時期は、比較的魔物が大人しいって聞いていたのですけれど、その、そんなに大変なのですか?」


「ラシェル……様。お気になさらないで大丈夫ですよ」


(あ、またこの目だ)


 侯爵様は時折、本当に優しい瞳で私のことを見てくる。

 けれど聞いたことには、曖昧な返事しかしてくれなくて、彼の言動が優しいのか、突き放しているのか、分からないでいた。


「では行ってきます」


「はい、行ってらっしゃいませ……」


 数日の間に、当然のことのようになりつつあるやり取りを終えて、侯爵様をベッドの上から見送り、起きようとしたとき、ドアをノックする音と共に侯爵家の執事長である、アレックが部屋に入ってきた。


 まだ返事もしてないのに入ってきたということは、軽んじられているのか、突然結婚なんてすることになって、警戒されているのだろうか。


 物語では、侯爵家に仕えている者たちからも、あまり歓迎されていなかった。

 その記憶のせいで、つい悪い方へ考えてしまう。


「ラシェル様、今後お使いいただくお部屋のご用意が出来ました。ご案内いたします」


「部屋?なんの話ですか?」


「この部屋は、現当主スヴェン様の部屋なのでございます」


 私は、間を置いてから、部屋を見渡した。

 部屋を占めているのは、黒檀で作られた装飾の、大きなベッドと、部屋の隅には、使い込まれた書机がある。私物らしいものは特に見当たらない。


「…………え?」


「お話を続けてもよろしいでしょうか?」


 ひとまず話は置いて。


「……き、着替えます!今すぐ身なりを整えさせてください」


 酷く動揺する時は、とりあえず身のまわりから整えるべし。

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