15
お祭りの日以来、私は何度か街に足を運びそれとなく人々の様子を見て回っていた。
やはり王都よりも規模は小さいが、皆穏やかに過ごしている。派手な街並みではないが暖かくなれば賑わい、魔物の驚異に脅かされる辺境の地という悪い噂は一度でも足を運べば嘘だと誰もが思うだろう。とはいえ、こうやって平和であるのも魔物を侵入させない兵士のおかげであり、その兵士が危険であるにもかかわらず怪我人すらもさほど出ないのはスヴェン様率いる上官が優秀であるからだろう。
だが、兵士に対して手厚いが、それに関わらない部分は些か厳しいと見て取れてしまうのは問題だ。兵士として働けなくなった場合の福祉も手厚いが、魔物がいなくなってしまった途端にこの安寧は崩れる。
そしてもうひとつ、薬草の原料になる植物が豊富であるが故に商人からは安く買い入れる穴場として認知されていそうだという点だ。転移の魔法を気軽に扱えるのは貴族のため、街の発展の為に移動の便を良くしたいが、辺境の地であるおかげで気軽には来れない事が利点にもなってしまっている。
(薬草の物価だけを高くするわけにもいかない、魔物ありきという前提のバランスを壊しながら平衡にしていかないと)
ルーゼイン家が守ってきたこの場所を、いつか魔物の脅威も無くなった評判の良い街にしたい。
そんなことを考えながら、チップを付けて買い物を済ませると不意に、リズの身体が揺れた。それと同時にアルノーが私の身体を寄せて、鐘が鳴り響き、砦からの鐘の音は魔物に関する何かがあったという合図だった。街に現れる可能性があるために、街の人々は急いで警備兵の指示の通り避難を開始する。
私はそんな周りの騒ぎが何も聞こえず、ただ大きく響き渡る鐘の音が耳をうつ。
目の前でリズの腹部を噛みちぎった小動物のようなものが、ぐちゃぐちゃと赤く染った口元を動かして何かを飲み込んだ。
小さい動物のようなものが、その原型を変えて己の肉がブチブチと千切れる音と共に巨大化し、生き物の様には見えない怪物に変形する。
これが魔物だとようやく現実を理解した私は、隣で腰を抜かし怯え動けなくなっているシエラに急いで声をかけた。
「シエラ!!早く、立ち上がって!!逃げて!!」
魔物は、こちらを視認している。
ドクンと跳ねる心臓と冷や汗、命の危機が一気に押し寄せる。ハンナが持っていたナイフで魔物の気を逸らそうとしたがまだ動かない。
私はその隙にリズを引きずるように引っ張りあげて何とか動いたシエラに一緒に支えて貰い、逃げようとするが、魔物はようやく認識したように動き出した。アルノーは魔物の身体を切りつけ方向を変えさせる。突然巨大化した身体を上手く動かせないようで、素早く動きながらも周りの物を壊し体制を変えていた。数名の警備兵がようやく間に合うが、魔物の振り上げた腕に彼らは簡単に魔物の爪に切り裂かれる。
「そんな、そんなハズじゃ……」
逃げ遅れた男性が何かをぶつぶつと言って呆然としていた。魔物は男性目掛けて襲いかかろうと体制を取ったのが分かり、アルノーは注意を逸らすように再び切りかかった。ハンナは他に逃げ遅れた人の確認をしながらシエラの手を引いてリズを支える。私も彼女の後に続きその場を離れようとするが、逃げる時間を稼ぐようにアルノーは応戦し軽快に魔物の腕を片方切り落とす。だが魔物の反撃が予想以上の力で体勢を崩したと同時に腹部に思い切り攻撃を食らってしまった。
「がっ………!」
彼が追撃を受けそうになった瞬間、私はシエラ達から離れて、持っていた消毒液の入った小瓶を魔物に投げつけていた。武器でもない、大した力も無い程度の人間が当てた物だ。気が付かなくても不思議ではない。
「ばかやろ……!!」
「お嬢さま!!?」
だが、痒いくらいの感覚は与えられたのか、狙い通りに魔物は私の方を見る。あの時と同じだ、この後どうするというのだろう考えも無しに何も出来ないくせに今度は助けようとした。
当然魔物は狙いを私に定めて、ようやく慣れたらしい身体の動きで誰も反応出来ないほどの速度、一瞬で目の前に迫っていた。
(あ、これは、だめだ)
片方だけになった爪が私の肩の辺りから引き裂くのだろうと掠めた刹那、魔物の腕が切り飛ばされ、直後に胴体が裂かれて、飛び散る魔物の返り血の中スヴェン様が立っていた。
彼は、私の姿を見るなり握っていた剣から手を離し痛いくらいに私を強く強く抱きしめる。
「あ………」
「何を………何をやっているんだ!!ふざけるな……っ!!!」
悲痛な彼の声、抱きしめる身体が少しだけ震えていた。死んでしまうところだったのだと"本当"にようやく自覚する。
「お前に……お前に何かあったら俺は……っ」
「ごめんなさい……ごめんなさいスヴェン様……」
私は、ただ謝ることしか出来ず、彼は身体を少し離して私の怪我の状態を確認した。掠めただけだったがそれでも表面の皮膚までは届いたようで、肩に少し血が滲んでいた。
直ぐに救護班と兵士たちも駆けつけ、魔物の死体処理をし始める。
「………っ救護班、彼女の傷を見てくれ」
「あっ待ってください私よりも先にリズを……!腹部を怪我して意識が無いんです……!!アルノーも……!」
「大丈夫だ、もう既に治療をはじめている。……自分の心配をしろ」
彼の指示により、被害や魔物の遺体の処理、怪我の応急処置など迅速に対応されていった。
何故かは分からないが、私はスヴェン様の表情を見ることが出来なかった。彼の腕は開いた傷口から血が滲んでいる。
怪我の応急処置をしてもらい、しばらくは腫れるかもしれないからと痛み止めを貰う。私はそれを受け取って、療養所へ運ばれたアルノーの様子を直ぐに見に行った。リズはまだ目を覚まさないらしいが、抉られたと思った場所はほぼ仕事着の服の部分で、皮膚の表面を剥がされたらしい。感染症にさえ気を付ければ後は残るだろうが命に別状は無いと知り、胸を撫で下ろす。負傷した警備兵も一命を取り留めて、今回の事で死者は出なかったらしい。
アルノーは既にベットから上半身を起こしていた。私はそばにあった椅子に座り、大怪我ではあるが彼もまた命にもこれからの生活にも支障はないとの見解だった。
「良かったアルノー……」
「……おかげさまで、致命傷は避けられました。お嬢さまのお陰で。別の意味で俺は死ぬとこだったけど」
彼は目を合わせないで怒気を含んだような声で話す。
「別の意味で……?」
「この前のパーティーは本当に危なかった。でもあれは俺が油断してたせいですから、怒ったってそれは危ない目に遭わせた俺に対してです。でも今回は、………アンタが自分で命投げに行ったら無理っすよ」
「でも、助かったわ」
「何も分かってない、あなたが死んで俺が生きてちゃ意味が無い!二度とこんな事しないでください」
「なんてこと言うの……!?意味があるとか無いとかそういう問題じゃない」
「俺はあなたを護るために生きているんだ、こんな事で死なせたら、俺は死んだも同然なんだよ」
ずっと見ないようにしていた身分の違いが、今叩き付けられる。お父様に私の為と与えられた騎士というその意味はずっと重いもので。
アルノーは、お父様に恩がある。
「わからない……分かりたくもないよ」
「貴族らしくいてくださいよお嬢様、頼むから」
それは、あなたの命を犠牲にしても自分を生かせという意味。
20歳で死ぬということを知っている訳では無い、けれどアルノーは運命に抗おうともしなかった私の事を、どう思っていたのだろうか。