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その物語の主人公は、仲の良かった姉が死に、その原因が自分だったという事を知る場面から幕を開ける。
窓辺からささる日の明るさに顔をしかめて、思い出したあらすじを書く手を私は止めた。
ぼんやりと思い出した物語に、どうやら私は転生してしまったらしいという結論を出す。それも主人公ではなく死ぬ予定の姉の方に。
ならば私は物語のとおりに役割をこなして、元の世界に帰るだけだ。
「元の世界のこと思い出せないけどね…」
今の現実が何処と無く夢見心地で、もしくは夢から目が覚めたばかりかのように、地に足がついてないような感覚といえばいいのか、けれど、とにかく自分がここでは無い場所に帰りたいという気持ちがなぜだか溢れるのだった。
由緒ある公爵家の娘、私ことラシェル・ド・フォン・ルーンウェルは物心ついた頃から2歳年下の妹のアーリアの身に起こる筈の呪いを肩代わりする身代わりなのだと教えられてきた。
その呪いとは、端的にいえば20歳になると死ぬというもの。
貴族の家に産まれた子どもの胸の辺りに、呪いの印として花の形をした模様が現れることがあり、その模様を持って産まれる子は強力な魔力を持つとされていたため、代々ルーンウェル家では血の繋がったもう一人に呪いの印を移して、強い魔力を持つ子を守ってきたらしい。
アーリアは呪いの存在のことを知らないでいる。
そして、今年で18歳になった私はどういうわけだったか5日後に嫁に行く事になっていた。それが発端になったのだろう。冒頭の物語を思い出したのは…
「お姉様?どうなさったの?」
物思いにふけていると、妹のアーリアに心配そうに話しかけられる。そうだった、今私はアーリアに勉強を教えているところだったのだ。気が付くと窓辺から見える外は雪がふわりと降り始め、随分と時間が経っていたようだ。
少し肌寒さを覚え、テーブルに置いてあるランプに手を添えて、魔力を込めると火種の変わりに組み込まれた魔法石に光が灯り、暖かな熱を帯びる。
火を使うよりも利便性が高く、暖かさも柔らかい。
「えぇと、200年前のこの国の聖女の歴史、まとめられた?」
「はい!お姉様の聖女の歴史を物語のように覚える考え方、わたくしも上手くなったと思いません?」
どうぞご覧になって!と、私が褒めることを既に確信しているかのようにアーリアは可愛らしい笑顔で歴史をまとめて綴た紙を差し出した。
『200年前、大国の侵略を受けた我がフォルア王国は沢山の犠牲を出した。もう勝てないと悟りながらも、諦めず戦い続け、この国を守りきる事に成功する。その功績は聖女によるもので、彼女の奇跡無くして守りきることは叶わなかっただろう。今尚当時の聖女、プリシテラは今でも崇められ…』
(物語とは言い難いように思えるけど…)
「うん、話の流れは覚えられたみたいだね」
上手に出来ました。と私は少し身を乗り出して、テーブルの向かいに座る彼女の頭をそっと撫でる。
私達がまだ子どもの頃に、貴族を含め民の識字率を高めることを目的に聖女プリシテラの伝承を教養とする制度が始まった。
「そこまで難しいような話の流れではないのに、アーリアは本当にこの聖女の話が苦手だよね」
「も、もしかしてまた間違えてたり忘れていたりしましたか?」
「ううん、ごめんなさいそうじゃなくて、アーリアは他の教養なら直ぐに覚えて出来てしまうのに不思議に思ってしまって」
「誰にでも欠点はあるものです。そう教えて、上手く出来ないことを慰めて下さったのもお姉様ですよ?」
「私が?きっとお母様の受け売りしたんだろうなぁ…」
「…5日後には、お姉様はお嫁に行ってしまうのね…寂しいわ」
「そうね、勉強はもう見れなくなってしまうね?」
「………その事で寂しいわけじゃないです…」
「アーリアは歴史だけはどうしても覚えられなくていつも先生にお小言をいわれてたものね」
「その事は今は関係ないわ!もうっ」
「ふふっ」
つい可愛い妹をからかってしまった。お姉様と離れ離れになるのが本当に寂しいんですよ?と、頭を項垂れて、とても落ち込んでいるという空気を身体全身で表現しているかのように、しょんぼりとしている。申し訳ないと思いつつ、私はアーリアのその姿を可愛らしく思ってしまうのだった。
再びくすりと笑った私の意図を察したのか、顔を上げたアーリアは頬をプクっと膨らませ、あざとく抗議する。ふと彼女の淡い金色の柔らかい髪が揺れて、いかにも不満げに、今まで溜めてた思いを吐き出すように言葉を投げかけてくる。
「私、ずっと疑問に思っていたことがあるのです、というか、とっても根本的な事も教えてもらってません」
「根本的なこと?」
「お姉様はなぜ、ルーゼイン侯爵様と結婚なさるのですか?!」
ピシリと、実際に割れた訳では無いけれど、すぐ側の窓にヒビが入るような空気感で至極真っ当な疑問をぶつけられた。
妹が姉の結婚がどのように決まったのか気になるのは当然のことだが今の私にきちんと答えられるか実のところ不安がある。
私が5日後に嫁入りと称して行くことになるルーゼイン侯爵家は、元々は貴族ではなく100年前に戦の功績で貴族階級を与えられた歴史がまだ若い侯爵家だ。今も北部で強力な魔物から国を護っている。
「お姉様の結婚相手、ルーゼイン侯爵様は北部の領地を護っているお方ですよね?あそこは今の時期、確かに魔物が比較的大人しくなりますけれど、それにしたって…」
(ど、どうしたのかしら急に?)
たじろぐ私の姿をアーリアはチラリと観察すると、いいえ、と。まどろっこしい言葉を切り、向かいに座っていた場所からテーブルに身を乗り出して、少し緊張したようにアーリアが聞きたかったことをやっと言葉にした。
「ルーゼイン侯爵様といつ出会ったのですか?」
「…?いつ…?」
物語では、ルーゼイン侯爵様との結婚は政略結婚だった。
(あれ…?そういえば私はルーゼイン侯爵様と出会って結婚を申し込まれたんだっけ?)
一瞬くらりと視界が揺れた。どうやら今までの生きてきた記憶と、物語としての記憶が混乱しているのかもしれない。
そう、それがきちんと答えられるか分からないという不安の種である。
現時点での周りや私自身をの事を含めて、知らないはずのことを知っているかもしれないし、もしくは記憶が混乱して知っているはずの事を忘れてしまっているかもしれない。
転生した、なんて事を話したところでアーリアを困惑させてしまうだろうし、何より私の頭が心配されることは想像に難しくない。とはいえ、思い出せない記憶を誤魔化そうにも直ぐには言い訳が出てこず、不自然に沈黙してしまった。
「!ごめんなさいお姉様、はしたない事を聞いてしまいましたか…?」
「い、いいえ、いつ出会ったのかはともかく、あまり夢の無い話だけれど侯爵様とは政略結婚でお爺様がお決めになったことなのよ」
「…政略結婚?それは…」
うっかり政略結婚だと私が知っていたかどうか思い出せないまま口に出してしまった。
誤魔化す事が出来なくなってしまう前に話を切ろうとした瞬間、コトン、と片手で包めるくらい小さな小瓶が足元に転がる。それを拾い上げてアーリアに手渡した。
「可愛らしい小瓶だね?」
「ありがとうございますお姉様、さっき身を乗り出した時に落としてしまったみたい」
「はしたないから家族の前以外では気をつけるのよ」
はいとアーリアは可愛らしく返事をして、私はこの話が不自然なくあやふやになったことに安堵するのだった。
(北部へ行く前の5日間の間に、物語と記憶を整理しておこう)
「あ、そういばお姉様、今日も手紙を書きたいのですがまだ便箋が余っていたりしませんか?」
「構わないけれど……ねぇ、いつも誰に手紙を書いているのかそろそろ教えてはくれないの?」
「ふふ、ないしょです」
アーリアは唇に指を当てて可愛らしく仕草をとったが、理由を語ることは無かった。
物語での侯爵様といえば、『酷く冷たい性格で何より政略結婚をさせられることとなったラシェルの事を毛嫌いしていた』らしい。
だから私は身構えていた。きっと出会った瞬間から良くは思われず冷遇されるのだろうと。少なくとも不機嫌そうな態度を取られる覚悟をしていたのだ。していたのだが。
猛吹雪の中、やっとの思いで侯爵家に辿り着いた時のことだ。
ルーゼイン侯爵様と、思われる男性に、寒かったでしょう、と
「?????」
私は抱きしめられていたのだった。