時をこえた想い
これを言うと生年月日が丸わかりなのだけど、古い誕生日新聞を開くと、一面に「ハウステンボス開園! 長崎に蘭国情緒のテーマパーク」の文字が躍っている。
それから、これももう十七年も前だが、中学時代には修学旅行で原爆資料館やグラバー園に行き、班の自由行動では中華街でちゃんぽんを食べたり、文明堂総本店でお土産のカステラを買ったりした思い出がある。
そういう縁があったからというわけでもなかろうが、このたび三十年以上住み暮らし、十年近く勤めた神戸の地を離れ、長崎へ転属することになった。
まぁ、女性とはいえキャリア枠の総合職なので覚悟はしていたし、還暦を過ぎた両親も快く見送ってくれたので、ここは心機一転、新天地で頑張ろう。
幸い、神戸勤務時代に使っていなかった有給休暇が一ヶ月近く残っているので、それを消化しながら新生活の準備を整える余裕がある。
新しい職場の近くに部屋を借りようかと地図を広げていると、母の実家から通勤圏内であることが判明し、そのことを母に話すと、母は自分の妹である叔母に連絡を取り、話をつけてくれた。
そのあと諸々の手続きを済ませ、かさばる荷物も送り終えたわたしの手元に残っているのは、ボストンバッグ一つだけだ。
たった一つの荷物を抱え、地下鉄、新幹線、在来線と乗り継いだのち、長崎駅前から大浦天主堂方面の路面電車に揺られ、終点で降りてから石畳の坂道を歩いて行くと、ようやく目的地である小さな一軒家が見えてくる。
「まぁ、大きくなったわね、舞ちゃん。このあいだまで真っ赤なランドセルを背負ってたのに」
この家には小学生の頃、夏休みに何度か両親に連れられて来たことがあるので、叔母さんとも面識がある。
二歳下の弟と背比べした柱の傷も、換気扇を回すと締まりが渋くなるドアも記憶のままだが、ただ一点、居間に祖母の姿が無いことだけが昔と違う。
「二階のお部屋は好きに使って構わないし、日中は家に居ないから自分のことは自分でしてくれると助かるわ。何かあったら、すぐ学校の方へ連絡してちょうだいね」
翌朝、中学校で英語教師をしている叔母は、朝食を摂っているわたしにそう言って出勤していった。
家に残ったわたしは、食卓から下げた食器を洗ったり、昨夜の洗濯物をベランダに干したりしたあと、二階の部屋で片手でスマホを操り、もう片手でメモを取りながら目ぼしい物件をリストアップしていった。
その中で、水曜日でも開いている工務店に電話をし、どうにか午後に予約を取ることが出来たので、昼食を済ませてから身支度を整えて向かった。
「今回、フジイ様の物件紹介を担当します、ハルダと申します」
受け取った名刺の中央には「原田大樹」と書かれていて、聞き間違いかと思ったが、こちらでは原と書いてハルと読むことが多いのだとか。
お風呂場とお手洗いは別々とか、和室より洋室の方が良いとか、近くにコンビニかスーパーがあると助かるといった条件から、ハルダさんは新しい職場の近くで希望に合いそうな物件を三つまで絞ってくれた。
そのうちの一つは、すぐに内見可能なお部屋だったので、わたしはハルダさんの運転する車でアパートへ向かった。
「この配線は何ですか?」
「えーっと、そちらはケーブルテレビの回線です。コードの先にあるルータでインターネットが使えます」
「このクローゼットの奥行きは、どれくらいですか?」
「ちょっと計ってみますね。うーん、扉の蝶番までで、およそ四十二センチです」
間取りを見た感じでは悪くなかったが、実際に訪れてみると細かなところが気になってしまったので、ひとまず保留にして、他の物件を見てから考えることに。
「ごめんなさいね、せっかく車まで出していただいたのに、ワガママばかり言って」
「気にしないでください。納得いく新居が見つかるまで、とことんお付き合いいたしますので」
帰り道は、雨のせいか道が混んできた。少しずつしか進まない車中で、話題は物件相談から世間話に切り替わっていき、ひょんなキッカケで、お互いに同じ学年であることが判明した。
「ああ、アラキ先生の姪御さんって、フジイ様のことだったのですね」
「叔母さんのこと、ご存じなんですか?」
「知ってますよ。中学時代は、ずっと担任の先生としてお世話になりましたから」
世間は狭いと言おうか、何と言おうか。そのあとも工務店の前でわかれるまで、物件相談そっちのけで思い出話に花が咲いてしまった。
「私物で申し訳ないのですが、よければ、これ使ってください」
「良いんですか?」
「ええ。来週には、あと二件の内見も出来ると思いますから、お返しはその時に」
「わかりました。ありがとうございます」
うっかり傘を持って出るのを忘れたわたしに、ハルダさんはネイビーブルーの折り畳み傘を貸してくれた。
昼過ぎに家を出たが、帰った頃には夕方になっていた。
手荷物を二階へ置いて着替えてから、玄関に広げておいた傘に残っている水滴をドライヤーとタオルで乾かしていると、野菜や卵が入ったエコバッグを両手に抱えた叔母さんが帰って来た。
「おかえりなさい。ずいぶん大荷物ね」
「ジョイフルサンで一の市をやってたものだから。もう一つは、ご近所さんからの頂き物なんだけど。――あら、その傘どうしたの?」
「今日、不動産屋さんに行ってきたんだけど、傘持って行くのを忘れて、紹介担当の人に貸してもらっちゃった。ハルダさんっていうんだけど」
「ああ、大ちゃんね。最近の若い子にしては珍しいくらい、優しくて、親身な子でしょう? あたしも、もう二十年早く出会っていれば、……ねえ、舞ちゃん?」
「ねえって、どういう意味よ?」
「鈍いわね。ボーイフレンドとしてどうかって話よ。今、フリーなんでしょ?」
「今日会ったばかりなのに、そんなこと言われても」
「何言ってるの。こういうのは、直感でわかるものなのよ。それに、あの子と舞ちゃんは結ばれる運命なんだから」
運命って、どういうこと? そう聞こうとしたが、そんなことよりお夕飯の支度を手伝ってちょうだいと叔母さんが急かすので、乾いた傘をサッと畳んで台所に立った。
それから、晩ご飯を終えてお風呂を済ませ、冒険県というタイトルのローカル番組を見るともなしに見ながら居間で寛いでいると、叔母さんが九十九島せんぺいの空き缶を持って現れた。
「運命だって言った理由を教えてあげるわ。ちょっと、これをご覧」
缶の蓋を開けると、中にはセピアに褪せかけている白黒写真が入っていた。
「これは、天主堂の前で撮ったものよ。モンペを穿いてるのが、舞ちゃんのおばあちゃん」
「若いなぁ。じゃあ、隣に写ってる軍服の青年は?」
「イワナガタツキといって、大ちゃんの母方のおじいちゃんよ。相思相愛だったんだけど、戦争のせいで結婚できなかったの」
「結婚前に亡くなったの? いや、それだと孫がいるはずないか」
「結末を言えば、秘めたる胸の内を伝えようとした矢先に出征することになって、ここへ嫁いだ翌日に復員したそうよ。平和な世の中なら、ゴールイン出来たでしょうに」
「平和な世の中でも、結婚しない人はいるけど?」
「悪かったわね、オールドミスで。舞ちゃんだって、もう三十路を過ぎてるんだから、油断できないわよ。結婚願望が少しでもあるなら、お試しでも何でもいいから、大ちゃんに交際を申し込んでみなさい。誠実で仕事熱心だし、気遣いもできるから、彼氏にとって申し分ないでしょう?」
「たしかに、もったいないくらいだけど……。でも、いきなり付き合ってくださいって言ったら、ドン引されない?」
「意外と奥手なのね。じゃあ、二人っきりになれるチャンスを与えるわ。ちょうど、帰りに枇杷を頂いたのよ。たくさんあるから一袋お裾分けしたいって言って、家に呼んであげる」
「あっ、待って! わたし、全然、心の準備が出来てないから!」
このあと、いそいそと立ち上がった叔母さんは言ったとおりに電話をかけ、木曜定休だという好都合も相まって、翌日の午後にハルダさんが家にやって来た。
*
以上が、わたしとタイキさんの馴れ初め。
翌日に家にやって来たタイキさんと何があったのか、理想の新居は見つかったのか等々については、また機会を改めてお話ししよう。