終わりと始まり
辺りは、森に覆われている。時折聞こえて来る獣の声。不意に吹く、冷涼な風で髪がなびく。
これぞ、旅の醍醐味と言っても良いのだが、如何せん闇夜に紛れてしまっている為、風景を楽しむことは難しい。
ガタン、ゴトン、と馬車が揺れる。
揺れる度に、アルトとノエルの身体は跳ね上がり、時折身体をぶつけてしまう。
「ッツ、痛ったい! ちょっと、もう少し穏やかに出来ない訳!」
時刻は夜。
ぶつかってしまった頭や、胸辺りをさすりながら、ノエルは運転手に不満を叫ぶ。
「すいませんねぇ。何分、馬車が古いモノでして」
叫びに対する返答は、申し訳なさげな声だった。誠意を見せる為なのか、運転手である老婆が、此方を覗き込んで謝罪する。
何を言った所で、馬車の質は良くならない。
別に運転手は悪くないし、あんなに謝られると、少し申し訳ない雰囲気にも成ってしまう。
あ、いえ、すいません。ちょっと、こっちも気が立ってしまっていたので。と謝罪の返答をして、ノエルは大人しく座る。
「意外だな。まさか、そんなによそよそしくなるなんて」
「うっさい!」
「……痛ッ! 何も、手を出さなくたって!」
アルトの軽口に、足を踏みつける事で返す。
「結局、昨日の事も分からずじまいだし、何か消化不良気味」
「……何かの病気とか? そうだな、あの時の手際はスマッシュゴリラを想起させたから、突発性ゴリラ症候群とか?」
明らかに、ノエルを馬鹿にした笑みを浮かべる。
ノエルも、それに反応して、屈託の無い笑みを浮かべてくれる。
「喧嘩売ってんだったら、買ってあげようかしら?」
「冗談! 冗談だから、そうやって怒るなよ!」
振り上げたこぶしを辛うじて降ろさせる。
荷物を揃えるついでに、有力な情報は無いか探しては見たモノの、有力な情報を得る事は出来ず、その片鱗を掴む事が出来なかった。
結局は分からずじまい。
確かなのは、ノエルの職業『弓術士』の影響、では無いと言う事だろう。
成人すると、必ず与えられるモノ。それこそが「職業」だ。当然、与えられた職業の中には当たりハズレが存在している。
例えば、どん底の人生だった人が、当たりの職業を引き当てて、人生を逆転したという事もあれば。逆に、順風満帆な人生だったが、ハズレの職業を引き当てて、どん底に突き落とされる、何て話も珍しくない。
どちらにせよ、ノエルは『弓術士』。
良くも悪くも、普通の職業だ。
最も、アルトはそんな普通すらも持ち合わせていない。だからこそ『荷物運び』になった訳なのだが。……これ以上は虚しくなるだけだから、考えるのはよそう。
ガタンゴトンと馬車は揺れる。
最初こそ、慣れなかったものの、慣れてしまえばそれは心地の良い子守唄へと変わる。馬車が進みだしてから、数時間。
何時の間にか眠っていたノエルに、ふとアルトは無意識に、小さな声で問いかけた。
「本当……どうして、お前は俺を助けてくれるんだろうな?」
クランを追放されて、落ち込んでいた時。絶望的な状況に立たされていた時。何もかもがどうでも良くなっていた時。
そんな時に、アルトに手を差し伸べてくれたのがノエルだった。
アルトは只の『荷物運び』。
冒険者が忌み嫌い、腫物として扱う、膿の様な存在。
(もしかして、俺の事が好きだから、とか?)
ふと、自身の頭の中から浮かんだ言葉に赤面し、嫌々ナイナイ。とアルトは全速力で腕を振って、先程の考えを霧散させる。
自意識過剰にも程がある。
まあ、どちらにしても、恩返しをしなくてはいけない。
とても、簡単には返せる量では無いけど、いつか必ず。
「しかし、帝国か。一体どんな……所……なん、だろ……」
帝国に行ったら、冒険者ギルドに行かないといけない。そうしたらまず最初にノエルと一緒に頑張らないといけない。
そうして、そうして、そうして、とこれからやって来る未来を考えていたが、そこで考えがプツリと途切れてしまった。
睡魔に誘われ、アルトも眠りの世界へと招かれる。帝国までの道のりはまだ長く、聞こえて来る音は車輪の音と、微かに聞こえる二人の寝息。
「フフフ、眠ってしまわれましたか」
それを聞いた老婆は,愉快そうに笑う。
※
一体どれ位の時間が経ったのだろうか。
何の前触れも無く、予兆も傾向も無く、それは突如として現れた。
「GYAOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOO‼」
それは、絶叫。それは、雄叫び。それは、自身の興奮を表す度量。言ってしまえば、我々が普段行う呼吸と相違ない。
その筈なのに、身体の内側に、ビリビリと振動が伝わってくる。
崖沿いの山道。馬車が取っている道だ。そこから見える崖の下には、鬱蒼と生い茂る森が、視界を埋め尽くす程に広がっている。
まるで樹々の海。樹海だ。
そして、その中からソレは現れた。
禍々しいフォルムを携え、爛々と光る猛禽類の瞳。明らかに不気味で異質の存在。余りにも大きすぎる巨体と、手には狂爪に臀部辺りには尻尾。
それが一体何なのか一目瞭然だった。
「ッツ……ド、ドラゴン⁉」
轟音で目が覚めたアルトの目に、真っ先に入って来たのは、畏怖と恐怖の象徴。樹々の海の中で、ドラゴンは馬車を見つめている。
「お客様! 気を付けて下さい。飛ばしますので!」
切羽詰まった声で、老婆はそう叫ぶ。余り、余裕が無いのだろう。馬車は、先程とは打って変わって、猛スピードで走り出す。
中は大きく揺れるが、文句も言ってられない。
「ねえ、アルト。大丈夫、よね? 私達」
横では、目が覚めたノエルが、不安そうにアルトにそう声をかける。そんな彼女の期待を裏切れる訳も無く、アルトは、
「当たり前だろ。大丈夫に決まってる」
そう言うしか無かった。
「GYAOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOO‼」
そんな希望を打ち砕く様に、絶叫と共にドラゴンの口から吐き出されるのは、黒色の弾。膨大なエネルギーを内包したそれらは、まるで意志でも持ち合わせた様に、馬車に向かって一直線でやって来る。その速度は、馬車とは雲泥の差だ。
あっという間に距離を詰められる。
紙一重で、何とか切り抜ける。
馬車の代わりに命中したのは、地面。
だが、運が悪かった。途轍もなく大きな爆発音が響き渡り、目も眩む閃光が、視覚と言う五感の一つを停止させる。
馬車は肉片と木片へと変わり、老婆も……恐らくは死んでしまっただろう。
爆風に押されるようにして、アルト達は空中へと身を投げ出され、崖への下へ下へと落ちていく。
その傍には、ノエルも。
一体どうすれば良いのだろう。どうすれば助かる。どうすればこの状況を切り抜けられる。焦る気持ちを抑えて考えた所で、何も思いつきはしない。
そうこうしている間にも、どんどん地面は近づいてくる。例え魔法が使えた所で、どうにもなりはしない。
最も、アルトもノエルも魔法なんて使えはしないのだが。
結局は、二人とも死んでしまうのかもしれない。
「嫌、嫌、死にたくないよ。助けて、助けてよアルト!」
けれど、けれど、例えそうだったとしても、そんなのをアルトは許容出来る訳も無かった。だから、アルトは怯えるノエルをギュッ、と抱きしめる。
せめてもの悪あがきだ。
「……アルト?」
「安心しろ、ノエル。俺が、絶対にお前だけは守る」
最初で、最後の恩返し。
まさか、こんな事になるなんて。アルトは苦笑してしまう。抱きしめたまま、ノエルを上側にして、自分自身を下側にする。
若干の恐怖心が刺激してくるが、無視をしてしまえば問題は無い。
アルトは目を瞑って、その時を静かに待った。
そして、最後に聞こえたのは、何かが潰れる気持ちの悪い音だった。
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