第14章:フォーボーンの屋敷
この森は地元の人間の間では常夜の森と呼ばれているらしい。朝でも昼でも、森の中へ足を一歩踏み込むと、そこからは光の当たらない夜同然のようになるからだという。
常夜の森は山の傾斜地に沿って木々が立ち並んでいて、その頂上にフォーボーンの屋敷があるという。歩いて行くには少々困難な道のりのため、ディバインのトラックに乗せて行ってもらうことになった。
運転席と助手席にはディバインとジェルドが乗り込み、その他の者は全員積荷のところに乗り込んだ。
ピピもそこへ乗ろうとしたが、ディバインはそれを止め、家で留守番しているように、と言った。
ピピは残念そうに肩を下ろし、家の中へ戻った。戻る途中にこちらを振り向き、
「チャコちゃんちに行っていい?」と、言った。
ディバインが「いいよ」と、頷くと、ピピは元気を取り戻したのか、その場で飛び跳ねり、家に駆け足で戻った。
チャコちゃんちとは、ピピの友達に家だとシークは思った。
案の定ピピは、手提げを持って、家から出てきた。一度こちらに大きく手を振り、
「いってらっしゃーい」と、元気に言うと、駆け足で町の中心の方へ行ってしまった。
駆け足で去っていくピピの後ろ姿は徐々に小さくなっていくのをシークは見つめた。そして、トラックが大きく揺れるとともに、ピピの姿はさらに小さくなった。トラックは常夜の森へと動き出したのだ。
確かに名前の通りに夜の状態だった。入る前は茜色の太陽がまだ見えていたが、森の奥へ行くと、その光は闇に打ち消された。唯一の光源はトラックに付いているライトとディバインが見えないと不便だからと渡された懐中電灯の光。上からの光はない。上には木の葉がそれぞれ隙間を埋めあうように重なり合い、空を覆い隠している。
森の中には車が通る道が出来ているものの、道中には出っ張りや窪みなどででこぼこしていて、結構荒れている。そのせいで、トラックは常に不規則な揺れを起こしている。ラビーはその揺れで気分を害したのか、呻き声を上げながら寝込んでしまった。どうやら車酔いには弱いらしい。
通り抜ける風に湿っぽさを感じた。一雨降るかも知れない、とシークは思った。
「感じる・・・・・・」
暗闇の中、小さくティルの声が聞こえた。いつもの声とは違う、どこか強張っている声。
シークはすぐさまティルの方へ懐中電灯の光を当てると、その声と同じく顔も強張っていて、その目はどこか遠くを眺めていた。
「何?」と、シークが聞くと、ティルは我に返ったかのように目線をシークに合わせ、首を横に振った。
「いえ、なんでもありません」
それを聞いたシークは懐中電灯の光を退けた。嫌な予感はその時した。ティルのあんなに強張った表情はなにかある、そう思ったが、聞くことはしなかった。それがルールだからである。任務外のことは聞かないのがルール。
嫌な予感がするのはこの森のせいかもしれない。光のないこの暗闇では気が落ち込むのも仕方ないが、嫌な予感が本物なのはたしかだった。頭の中で揺らめく不穏な影。このまま真っ直ぐ行くとぶつかってしまうという嫌な予兆が頭の中に過ぎる。しかし、回り道などできない。それにぶつかると分かってても道を変更する権限など自分にはないからだ。
その影がもしこちらに害を示すのなら、それからティルたちを守るのが自分の役目、シークは揺らされながら、そう考えた。
空がゴロゴロと鳴り出した。
やはり一雨来るな、と思った。
道なりを進んでいって30分の所で山頂であるフォーボーンの屋敷に着いた。人為的に木々を切り落として作られたスペースの中に塀で囲まれた洋風のお城が見える。あれがフォーボーンの屋敷だろう。
塀の正面には鉄格子の門があり、そこから奥へと延びる道の突き当たりに屋敷の扉がある。両開きで装飾を施された扉。
全体的に屋敷は横長の長方形の形をしている。両端にレンガ造りの円柱が2本地面に刺さっていて、その間にレンガを積み重ねたようなお城。壁の至る所には窓がはめ込まれているが、カーテンが閉められていて、中のようすは見えない。しかし、カーテンの内側からは明かりを感じれなかった。不在なのだろうか?
窓の数からすると、この屋敷は3階建てのようだ。奥行きがあって、中はかなり広いように思える。
門の前にトラックが止まり、シークは改めてティルの顔を覗くと、ティルはひどく強張った表情をしていた。
「おい、大丈夫か?」
そう声を掛けると、我に返ったのか、慌ててシークに目線を合わせた。
「だ、大丈夫です」
そして、ティルは屋敷の方を見た。少し身震いをしているようだった。
「姫」
レオルドは周りに聞こえないようにティルの耳元に口を寄せてささやいた。そこにシャーロンも静かに耳を寄せ、3人で秘密の会合を開いた。内容は聞こえないが、この後なにか言い出すことはたしかだろう。聞き終えると、ティルはレオルドの顔を見つめて小さく頷いた。
ディバインが運転席から出てきて、トラックの荷台の淵に手を置き、もう片方の手で屋敷を示した。
「ここがフォーボーンの屋敷さ」
ようやく車酔いで寝込んでいたラビーがのそっと体を起こし、屋敷の方をちらっと見ると、またすぐに寝込んでしまった。
「明かりがついてないけど、今は不在なんですか?」
ミツルが聞くと、ディバインが両手を上げ、知らない、というポーズをとった。
「さあね、でも明かりがついてないってことはいないってことか、もう寝てしまったってことじゃないかな。そこの彼女のように」と、ディバインはラビーを目線を向けた。
「で、これからどうするんだ?あんたの希望でここに来たんだ。あんたが決めろよ」
シークが聞くと、ティルは頷き、一呼吸おいて答えた。
「私たちはこれからこの屋敷の中へ入ろうと思います」
ディバインは目を見開いた。
「入る!?そんなの不法侵入だぞ!それにここはフォーボーンの屋敷だ。見つかったらなにされるか分かんないぞ」
「でも、確かめなければならないことがあるのです。それに、中に入るのは私たち3人だけで結構です。皆様には迷惑を掛けられませんから。ディバイン殿、ここまで案内してくださってありがとうございます」
ティルは頭を下げた。
「そんなことされたら俺が駄々こねてるみたいじゃないか」
ティルは頭を上げ、今度はシークの方を向いて、頭を下げた。
「シークたちも今までありがとうございました。ここから先は私たちで行きます」
たしかに依頼人からの申し出となれば、これは重要なものだが、任務はアルディリアまでの護衛。途中で止めだすわけにはいかない。
「馬鹿なことを言うな。俺はあんたを護衛するために雇われたんだ。あんたがそこへ行くなら俺も行く」
そう、これはあくまでも任務だからだ、とシークは何度も自分に言い聞かした。
「同感」と、ミツルやジェルドなどにも共感を得た。生憎ラビーは個人の都合のため言葉で発することはなかった。しかし、心の中では共感しているだろう。
「しかし・・・・・・」
「姫」
レオルドはティルの肩に手を置き、続けた。
「ここは仕方ありません。彼らに守ってもらいましょう」
ティルは考え、小さく頷いた。
「分かりました。貴方方にお願いをするとしましょう」
「ラビーはどうする?」と、相変わらず寝込むラビーにミツルが聞くと、う〜んと呻き声を上げてから答えた。
「パス・・・・・・。無理や無理。内臓がいまだに揺れとんねん・・・・・・」
すると、ディバインがあーと声を上げ、自分の髪の毛を掻きむしった。
「仕方ねぇな!俺も行ってやるよ。まったく」
「誰も頼んでないけど」と、ミツルが口にすると、ディバインは頬を赤く染めた。
「ただ中に入ってみたいだけか・・・・・・」
呆れながらシークが言うと、図星なのか、ディバインは頭を撫でた。
「まぁ、そんなとこは気にしなくていいんだって」
どうやらこのやりとりがおかしかったらしく、ティルは吹き出した。
「皆さん、本当にありがとうございます」
笑い声を交えてそう言った。ようやくこの緊迫した空気のなかで和やかな空気が流れ始めた。しかし、その瞬間、屋敷の方から男の悲鳴声が聞こえた。
「な、なんだ!?」
たじろぐディバインを尻目にティルはその声に反応するかのように荷台から降りようとするが、シークは素早くそれを止めた。
「な、なんですか?今悲鳴が」
「分かってる。俺が先に行く」
シークは懐中電灯を持って素早く荷台から降りた。銃と懐中電灯を構えて鉄格子の門を押すと、門には鍵が掛かってはなく、片側の扉がすうっと内側で誘われた。
「鍵が開いている」
すぐさまティルたちが背後までやって来たのが分かった。シークは後ろを向き、
「俺が先に行くからあんたたちはついてきてくれ。むやみに単独行動はするなよ」
ティルは小さく頷いた。
「よし、行くぞ」
そう言って、シークたちは敷地内へと足を踏み入れた。
敷地の外にいるのはディバインとラビーだけ。ラビーは車酔いでダウンだが、ディバインはどうすればいいか悩んでいるようだ。
「あーくそ!言っちまったからには行くしかねぇか!」
意を決したディバインは遅れて門を潜った。
門同様に屋敷の扉に鍵は掛かってなかった。シークが扉を押すと、ぎいっという鈍いを音を鳴らし、内側へ開いた。
中は何も見えない闇に包まれていた。懐中電灯の明かりで正面を照らしてみると、正面の壁から悪趣味な模様が闇の中から姿を現した。赤い四足歩行の生き物に金色の翼が生えている。似ているものといえば、神話に登場するペガサスのようにも見えるが、そうれではなく、ペガサスよりもっと獰猛そうな・・・・・・、そうだ、グリフォンだ。この模様はグリフォンをあしらっているんだ。
周囲を確認してみると、そのグリフォンの模様は至るところで目にすることができた。どうやらこの屋敷の壁紙やカーペットは全部この悪趣味なグリフォンの模様で統一されているらしい。
左に明かりを当ててやると、グリフォンの模様が掻かれた階段が見えた。階段に沿って上へと明かりを動かしてみると、階段は緩やかなカーブを描いて2階に繋がっている。そして右にも同様に階段があることが分かった。
「なんで真っ暗なんだ?」と、シークが呟くと、後ろの方でミツルが答えた。
「さっきから雷がなっているから、そのせいで停電しているかもしれない」
「なるほどな」
足元に注意して屋敷の中へと踏み込む。
2階には上がらず、奥へ進んだ。人の気配がこちらからするからだ。奥へ進むにつれて人の声がだんだんと大きくなってくる。助けて助けて、と命乞いをしてるかのような人にすがる声。そして、嗅ぎ慣れた匂いが鼻の前をゆらつくいてくる。血の匂いだ。悲鳴が聞こえた時点で半ば分かってはいたが、この屋敷の中で人が死んだのはたしからしい。
聞こえてくる声と血の匂いを追っていくと、外に出た。というよりも、広い中庭に出た。屋敷の中心をくりぬいて出来たガーデニングルームなのだろう。段差を上がると、そこには草花や観賞用の小さな木々が植えられていて、中央には噴水がある。そして、その中庭の中には赤い血を体から流れ出しながら倒れている人が何人もいた。
その死体が転がる中庭の中で会話をしている人の影が見えた。
シークたちは気づかれないように懐中電灯の明かりを消し、段差の身を潜め、その影の方に目をやった。明かりがなくてよくは見えないが、会話している声だけは聞き取ることが出来た。
「た、助けてくれよぉ」
先ほどから聞こえていた声がした。
「フォーボーンの声だ」と、ディバインが小さく言った。
「助ける?なんとも間抜けな言葉だね。僕は君を殺しにきたってさっきから言ってるじゃないか」
もう1人の男の声が聞こえた。声からして20代くらいの若い声。どうやら笑っているらしい。
「そ、そんなことを言わずにさぁ。金ならいくらでもやる。いくらほしいんだ?言ってみなさい」
「滑稽。実に滑稽」
男は高らかに笑った。耳に障る甲高い笑い声だ。
「な、なにがおかしい!?」
「いや失礼。この僕に取引を試みるなんておかしくてね。でも気を使わなくていいよ。君は僕に殺される。それでお終いだよ。君を捨てられた。これは社長からの直々の命令だから、僕を恨まないでおくれよ」
フォーボーンは悲鳴を上げて、その場から逃げようと必死に走り出した。それを見た男は高らかに笑った。
「滑稽。実に滑稽。逃げる姿は実に愉快だよ。やってあげてレティ」
その声が聞こえた瞬間、シークはその場に立ち上がった。
レティ・・・・・・たしかにあの男はそう言った。
その瞬間、天から放たれた雷が中庭を眩しすぎるほどに照らした。しかし、シークはその光さえも受け入れて、照らし出された光景をシークの目に焼きつかれた。
逃げまとう赤いスーツに身を纏った小太りの男に、それを嘲笑う銀髪の男。そして、逃げる男に銃を向けるレティ・ティモシーの姿。
そして、再び闇がこの空間を飲み込み、次の瞬間、遅れて聞こえてきた雷の音とともに一発の銃声が響き渡った。レティの銃から放たれた弾丸はフォーボーンの頭を容易に貫き、フォーボーンはその場に倒れ込んだ。
頭の奥底から今まで押さえ込んできたものが解放され、頭の中を駆け巡り、そして、手足へと駆け巡った。
段差を上がり、地面を歩く。この行動にはそのような脳の命令が出されるが、今のシークは違った。何故―――。その言葉が体中を駆け巡った。そして、その答を求めるだけのために闇の中を駆け抜けた。動かしているつもりはない。だが、手足が勝手に動いて、闇の中にある答えを求めるように体が動き出している。走り方さえも忘れたかのように。一生懸命だがぎこちなく走る。
記憶の中からあの日の光景が浮かび上がってきた。どんどんと。底がないかのように刹那ごとに蘇るたくさんの光景。これの一つ一つを忘れたことはなかった。しかし、これを奥底に閉じ込めて、今まで生きてきた。そして、その人物がこの闇の中にいる。
「シーク!」
闇の中へ消えていったシークを追おうと身を乗り出したティルをレオルドは止めた。
「いけません姫」
「しかし・・・・・・」
「ここで見つかるわけにはなりません」
肩を押さえ込み、ティルはそれに抗おう術もなく、その場にへたり込んだ。
何も見えない闇の中を駆け抜けるシークは足になにかを引っ掛け、その場に転んだ。地面に手をついたとき、生暖かいものを感じた。匂いからして分かった。血だ。死体に足を引っ掛けたのだ。
しかし、シークはそんなことも気にしないで、立ち上がった。ようやくなにも見えないことに不便を感じたシークは光を求めた。そして、懐中電灯を持っていることにようやく気づいた。
懐中電灯の明かりをつけ、漆黒の闇を光が切り開いた先には2人の姿がくっきりと露になった。
「レティ!!!」
屋敷内にシークの声が響き渡る。