辺境の一幕(中)
ジャック・ヒルは商人として、そこそこ名の通った男だ。常に各地を転々としていて、近くに寄るたびにこの屋敷に顔を出しにくる。その頻度は不定で、一ヶ月おきに来たかと思えば、半年以上見ないときもザラにある。歳はジェームズより少し若い、三十後半の中年のはずなのだが、青髭一つない端正な童顔とやけに若々しい声音は二十代の青年のそれを思わせた。
「やあ、友よ」
「久しいな、ジャック」
来訪者は主人と抱擁を交わすと此方に顔を向けた。地味な外套をスラリと着こなした立ち姿は紳士というよりは気障な印象を受ける。
「ミラちゃんも、久しぶり」
「お久しぶりです。ヒルさん」
益体もない挨拶を済ませて、玄関にあがると、私に重たいトランクと外套を寄越してジェームズとスタスタとリビングへ向かっていく。その後ろ姿を少し睨んでから、昼食の支度に取り掛かった。
泣いた人狼 辺境の一幕(中)
「君、少し太ったんじゃないか?」
ソファに腰を下ろすなり、いきなり痛いところをついてきた。身嗜みを整えてもこればっかりは誤魔化しようがない。まあな、と気にしてない程を装う。
「一年半ぶりとなると今迄で最長じゃないか、何かあったのか」
尋ねるなり、聞いてくれよとジャックは声を上げた。彼は訪れる前に必ず手紙を寄越してくれるが、決まった場所に住まないので返事のしようがなく、彼も自身のことは文に記さないため、間の出来事は彼の口以外からは知りようがなかった。おそらく土産話にとっておきたかったのだろう。
「それがさ、一昨年に大不況が起きただろ。ちょうどその直前に取引しててね、こっちは一儲けしたんだが、それでお得意様に大損させてしまったんだよ。僕に非は全くないんだけど、あちらさんの怒りの矛先がこっちに向いちゃってさ。仕方なく、しばらく南部に雲隠れしてたってわけさ。酷い話だろう?まあ、お陰で南部にも事業を展開できるようになったんだけどさ」
「どうりで懐かしい匂いがするわけだ。ちなみに本当に非はないのか?お前なら不況になるのを見越して動いていそうなものだが」
さてどうだろうね、と弾んだ声で受け流される。きっとほくそ笑んでいるのだろう、相変わらず計算高い男だ。
昔からそうだった。元々は南部の農園主の息子同士、小さい頃から懇意にしていたので頭の切れるやつと知ってはいたが、内戦後、国から土地を返還された途端に土地を売り払って北部に行こうと提案されたときは流石に驚かされた。
ジャックが俺にだけ声をかけてくれたのは昔のよしみとか同情とかも勿論あったのだろうけど、一番の決め手は彼と同じ奴隷制反対派だったことだろう。尤も、彼のと違って俺のは受け売りに過ぎなかったのだけれど。
他所の農園主達からは北に毒された腰抜けと馬鹿にされたが、その後の農園の没落を思えばどちらが正しい判断をしたかは明らかだった。
彼はその金を資金に新しい事業をはじめ、こちらは眼の所為で職にはつけなかったが余生を過ごすのに充分な金を手に入れ、行きずりにミラを拾って田舎のこの家を買って、紆余曲折を経て、今に至る。
その後も他愛のないお喋りを愉しんだ。結婚はまだなのかとか結局その腹の肉はどうしたんだとか南部はどうだったとか。
「そうそう、南部と言えば良いニュースがあるんだ。」
ジャックが話そうとしたところで扉の開く音がした。食事の準備ができました、とミラの声が聞こえる。相変わらず仕事の早い子だ。
「お邪魔でしたか?」
「いや全然、そう言えばミラちゃんは相変わらずの美人さんだね。白髪金眼なんて獣人でも滅多にお目にかかれないのにそれに加えて、整った顔に白百合のような肌してるもんだから、いっそ神秘的な印象すら受けるよ。スタイルもいいし、胸もでかいし」
「…………そうですか」
好かれてないのをわかっているだろうに、ジャックはミラの前では道化を演じる。こっちがわかるように口に出して説明してくれるのは正直有難い、見ることの叶わぬ、この身では彼女の成長は誰かに聴かされでもしない限り知り得ないからだ。
とはいえ、最後のは完全に余計だろう……
――そういえば、昔から女性から好かれない奴だった。もしかすると演じているのではなく、素でやっているのかもしれない。だとしたら相当不味い、後でそれとなく確認しておかなければ。
◇
二人をテーブルにつかせたところで料理を並べた。メインはジェームズの好物のステーキだ。
「手前からステーキにパン、サラダ、水とナイフ、フォークはいつも通りの位置です。ステーキは切り分けておきました」
「ああ、ありがとう」
「相変わらず凄い特技だね。首都に行ったときに盲人横丁に寄ったけれど、そんな真似できるやつは一人も居なかったよ」
不快な人ではあるが、こればかりはジャックに同意だ。指定された位置に料理を並べるだけで普通に食事が出来てしまうのだから、ジェームズには驚かされる。一度、真似をして目をつぶって食べてみたことがあるが、全く口に運べず、挙げ句の果てには料理をひっくり返してしまった。
「食後に珈琲をお持ちしますね」
「ミラは食べないのか?」
「馬に餌をやらないといけないので」
本当は馬の餌など後でも良かったのだけれどジャックにまたおかしなことを言われるのは目に見えていたので、そそくさと部屋を後にした。
外に出て右手にある小屋に向かうと、二頭の馬が縄に繋がれていた。どちらも黒い毛並みで見た目では識別がし難い。鞍を付けたほうがジャックのリドハルド、ないほうがジェームズのカイネだ。兄弟馬は再会を懐かしんでいるらしく仲睦まじげだ。
餌をやると全くの同時にかぶりつく。まるで鏡合わせのようで可笑しくて、自然と頬は緩んでしまう。南の街で拾われてからこの屋敷まで、旅を共にした二頭だ。当然、愛着は強い。
もう馬としては若くはないが、南北を横断した強靭な脚は未だ衰えていない。本気で走らせれば三十キロ離れた街まで一時間とかからないだろう。
元はといえば農園で農馬として働いていたらしい。その二頭の主であるジェームズとジャックは無論、元農園主だ。
農園主と言えば獣人奴隷をこき使っていた人々。二人も勿論例外ではなく、彼らはそのことを恥じていたけれど、私には隠すことなく話してくれた。
だが、記憶もなく、他の獣人と関わりがあったわけでもない私にはあまり気にならないことで、そうなんですか、と軽く返したときのジェームズの拍子抜けしたような顔は今でもときどき思い出して笑ってしまうほどだった。
しゃがみこんで二頭を眺めていると、不意に先程のことを思い出した。本当に腹の立つ人だ。せっかく久方ぶりに主人のちゃんとした格好を見れたというのに喜ぶ暇も無い。
きっと、女性に気を使うなんてことは生まれてから一度もしたことはないのだろう。しかも無意識でやっているのだからタチが悪い……
いや違う。そんなものは私に都合の良い部分を切り取っただけに過ぎない。
本当は―――ただの嫉妬だ。私の知らない世界をあの二人は共有している。私にはないものを、ジャックは持っている。食事を共にしなかったのは単に彼らの会話に入ってこれないから。
わかっている、ジェームズが私に破格の待遇をしてくれていることは。
家族同然のように扱ってくれていることは、わかっていて。
それでも湧き上がる羨慕の情は抑えることができない。あの人が来るとジェームズを取られたような気がしてしまう。
「なんて、醜い」
自分で自分を罵りたくなる。八年という時を経て私は少女ではなくなった。知識や出来ることはあの頃とは比べ物にならないほど増えて、体も少しは大きくなった。
けれど、こんな子供のような我儘な独占欲に囚われてしまう。
まるで大人子供だ。
自分の心の狭さに、あの頃とは違う種の惨めさを覚え、顔は俯く。
どれだけ取り繕ったところで根っこの部分は変わりはしないというけれど、つまりはこの卑屈さこそが浮浪児の頃から変わらぬ私の本質ということなのだろうか。
胸が締め付けられるように痛い。自らの醜さを自覚するのは、こんなにも苦しいものなのか。
「わっ」
突然、暖かい感触が顔に触れ思わず飛び退く。見れば、カイネの鼻が目の前にあった。此方の顔色を伺っているようだ。私の沈鬱な表情を見て気を配ってくれたらしい。
「お前は賢いね」
有難うと毛並みを撫でると嬉しそうに大きく尻尾を振る。
それが可愛らしくて、お陰で気分はいくらかマシになった。
――こんな気持ち、主人に知られたら恥ずかしくて、死んでしまう。
だから、この感情は胸の奥深くにしまっておく。
もう少しだけ、この子たちに癒されてから仕事に戻るとしよう。
長くなるのでやっぱ分けます。