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辺境の一幕(前)

 初春―――


 肌寒かった空気もだんだんと暖かくなり、南方から春一番を運んでくる。

 幻想的な銀世界を作り上げていた雪は解け出し、下からは青々とした花草が姿を現わす。緑と白が混じり合った雄大な景色は朝焼けの陽射しに、よく映える。

 朝方の空の下。国の北部、平野の広がる小さな田舎は新たな季節を迎えようとしていた。


 それを窓から一瞥してから、私は寝床を出た。寝間着から仕事用の地味な黒のドレスに着替え、朝の支度に取り掛かる。使用人の朝は随分と早い。働き始めの頃は起きるのにかなり苦労したものだが年月を積み重ねるうちに、すっかり慣れてしまい今では朝日が顔を出すと同時に目が覚めるようになった。

 掃き掃除に馬の世話を済ませて、朝食に野菜のスープを作り終えると、敏感な獣の耳がちょうど主人の鼾が止まったのを聞き取った。

 主人の部屋に入るとカーテンは開けたままにされており、すっかり登りきった太陽の陽射しが部屋を明るく照らしている。窓際に取り付けられたベッドには初老の大男が大の字で寝転がっていた。丸々太った、というほどではないが、服の上からでもわかる程度に腹についた肉が目立つ。両眼は閉じたままで、見ただけでは起きているのか寝ているのかよくわからない。


「おはようございます、ジェームズ」

「やあ、ミラ。…うん、台所から良い匂いがするな、今朝はベーコンのスープか?」

「ええ、スープです。肉は入ってませんが」


 聞くなり、露骨に残念そうな顔をすると、ジェームズは緩慢な動きで立ち上がる。杖は使わない。

 彼曰く、家の中くらいなら物を動かされない限り何処に何があるのかはわかる、だそうだ。当然のように言っていたけれど結構凄いのではと思う。


「もう肉抜きにされてから一ヶ月は経つぞ。そろそろ勘弁してくれよ」

「腹の肉が落ちたらやめる、と言ったじゃないですか。栄養配分を考えずに注文通りに作り続けたのは、こちらの落ち度ですが、そのままブクブクと太られたら私はアマンダに顔向けできません」


 彼女の名を出すと、ジェームズは参ったとばかりに頰を掻く。困ったときの彼の癖だ。


「まあ今日の昼食だけは特別に肉料理にしてあげますから、我慢してください」

「やけに気前がいいじゃないか」

「……今日は客が来ますから」

「あーー、そういえばあいつ今日くるんだったか」

 

 私の嫌悪の混じった口調を読み取ったのかジェームズは苦笑いを浮かべる。彼は私にあの人と仲良くしてほしいらしいがそれは無理な話だ。

 とは言え一応お客なのだから、もてなしくらいはしないといけない。

 でもそんなことはどうだっていい。

 あの人の話でせっかくのスープが冷めるのは御免だった。



 路地裏での出逢いから既に八年が経過していた。時は流れ、慌ただしかった南部もだいぶ落ち着きを取り戻し、再建も終わりに差し掛かり始めている。獣人の選挙権を保証する憲法が成立し、表面上は人と平等となり、獣人議員も少しずつ増え始めていた。

 だが、八年程度で獣人への差別主義には変化が起きるわけもなく、寧ろ憲法成立の反動により獣人への暴力的圧迫は増し、人優越主義の秘密結社の暴動に獣人達は怯えながら日々を過ごす。真の平等は未だ遠く、ある者は銃を突きつけられ、ある者は命を奪われる。それでも彼らは諦めずに、世界に真っ向から立ち向かう。




 泣いた人狼 辺境の一幕(前)




 来客に備えて髭を剃る。視力に頼らずに肌の感覚だけで剃るのは結構難しく、ちょっとした手違いでザックリいってしまいそうになる。ミラに手伝ってもらおうかとも思ったが、中年の男がうら若い女に髭を剃ってもらう光景を思い浮かべたところで即座にやめた。

 今更自分の顔なんてどうでもいいと思わなくもないが、無精髭で出迎えれば、あいつに笑い者にされるのは想像に難くなかったから、難解な肌上の芝刈り作業に戻った。


 四苦八苦しながらなんとか剃り終えると、かけておいてもらったスーツに着替えるが腹の辺りがどうにもきつい。自分の腹を見れないので、どれくらい太ったのか把握しづらかったが、なるほど、ミラが食事制限を課すのも納得だ。昼食の肉は食べ過ぎないようにしようと心の中で誓う。


「着替えが済んだなら、おかしなところがないか確認しますね」


 透きとおった声に振り向けば、いつからいたのかミラが待機していた。頼む、と言えば身支度を整えてくれる。


「襟よし、ネクタイよし、髭は……ちゃんと剃れてますね。よろしい、これでばっちりです」


 確認のために頰に触れたミラの手の平はとても冷たく、きっと雪のように白い肌をしているのだろうと、見なくても連想させた。

 それはさておき、なぜか得意気なミラ。よくわからないが珍しく上機嫌なようで、何かあったのかと尋ねよう、、、、、、


 ジリジリジリジリジリジリジリジリ


 と、ドアのベルが鳴った。あいつだ。思ったより早く着いたらしい。

 気づけば、ミラの先程までの機嫌の良さはどこかに失せてしまったようだ。


「はい、ただいま」


 感情のこもってない声でミラは返事をすると、億劫そうな動作で玄関に向かう。

 彼女はあまり嬉しくないようだが、こちらとしては久方ぶりの旧友との再会だ。自然と足取りは軽くなる。


 玄関のドアを開けると懐かしい南部の薫りが鼻腔をくすぐった。


「やあ、友よ」


 昔から変わらぬ少年のような声で

 ジャック・ヒルはそう言った。


次で主要人物の人間関係や八年の間の出来事は大体書き切る予定です

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