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路地裏邂逅

 




 彼は、視えているように思えた。



 内戦後、獣人奴隷を使った広大な土地での農業が盛んであった南部では、奴隷解放令が布かれ、獣人達は自由の身となった。

 自由の身、と言えば聞こえはいいが、実際は奴隷という肩書きが外れたというだけの話。生きていくには小作人として畑仕事に没頭するしか手段はなく、結果として、農園に戻り、奴隷生活の頃と大して変わらぬ毎日を過ごすものが殆ど。

 敗戦し、都市に壊滅的な打撃を受けながらも、なんとか南部が再建に向かうことができるのは獣人の労働力があるから。

 けれど、彼らに感謝するものはいない。奴隷でなくなったからといって獣人への世間からの扱いや差別は変わりはしない。

 人種差別は根深く、迫害を受けながらも、それでも彼らは前を向き、社会的、経済的な平等を求めて声を上げる。

 何も変わらないように見えて、緩やかだが確実に変わり始めていた戦後間もない頃。



 勿論、全ての獣人が小作人となったわけではなく、あるものは首都での真面な仕事と暮らしを手に入れ、あるものは奴隷としての最低限保証されていた生活すらも失い、浮浪者となり彷徨う。






 泣いた人狼 路地裏邂逅




 


 朦朧とした意識のまま、私は目を覚ました。

 周囲に人影はない。薄暗い路地裏に日は射さず、けれど真夏のジメジメとした熱が辺り一帯に満ちていて、それを両脇の建物が壁になって逃がさないものだから、まるで蒸し焼きにされているような暑さだ。

 起き上がろうとするが、熱にやられた身体は言うことを聞かず、首を少しあげる程度しかできない。諦めて頭を地面に戻すと、ペンキをぶちまけたような雲ひとつない青空が嫌でも視界に入ってきた。

 太陽は見えなかったが、その空の明るさに耐えかねて眼を瞑り、そのまま逃げるように考えに耽る。

 真昼の晴天に顔を向けるには、私は少しばかり無様が過ぎた。




 ◇



 

 此処に来る以前のことはうまく思い出せない。

 どこかの農園で奴隷として働かされていたのと、そこから逃げ出したという映像がぼんやりと脳に残っている程度。つい数ヶ月前のことだったのか、それとも何年も昔の話なのかさえわからず、気づけば路地裏で浮浪児として這いつくばっていた。俗に言う記憶障害というやつなのだろう。

 けれど、逃げたという事実と背中に刻まれた無数の青黒い鞭跡で奴隷としてどのような扱いを受けていたかは容易に想像がついたから、かつての記憶に然程興味は湧かなかった。

 ここでは雨風を凌ぐ小屋もなければ、真面な食事もない。昼は死に物狂いで市場から食料を盗み、夜は襲われぬように、常に周囲に気を張りめぐらせ続けなければならない。まるで野良犬のような生活だ。

 自虐しておいて、そんな自分に嫌気がさす。戦争を経て、時代は前に進んでいることを子供ながらに理解していたから、同じところをぐるぐると回っている私が余計に惨めに思えた。




 ◇




 既に二日も何も口にしていない。

 激しい空腹と吐気と、頭痛とが火照った体に一斉に襲いかかる。

 くるしくて、くるしくて。けれど逃れることはできない


 このまま死んでしまうのだろうか。


 ふと浮かんだ言葉に、これ以上ないほど身近に亡失を感覚え、けれど恐怖はない。


 路地裏で目を覚ました、その日から今迄、およそ人間らしい暮らしなどしてこなかった。生きることになんの価値も幸せも見出せなかった私に生への執着などあるはずもない。

 寧ろ、この苦痛から逃れられるのなら死んだほうがマシだった。


「ああ…でも……」


 掠れた声でポツリと呟けば、目を見開き、気力を振り絞って上体を起こす。足は動かないので手で這うようにしてうつ伏せになりながら前を向く。


 どうせ死ぬのなら、最後に私が生きていたという証明をしてやろう――

 路地裏で誰にも知られずに息絶えるより、大広場で馬にでも轢かれて大勢の前で華々しく死んでやろう――

 トラウマとして彼らの心の中に永遠に生き続けてやろう――


 それは理不尽な人生、世界への呪いにも近い意趣返しだった……




 ◇




 暗がりの終わり、人の多い通りへと、両腕で這って前へ進む。途中、腕が身体を支えきれずに、何度も顔が地面と激突する。土の味は苦がく、伸び放題の白髪に汗と土が混じってぐちゃぐちゃになって鬱陶しかったが、消えかけの意識を保つにはちょうど良かった。


 なんとか路地の端まで辿り着くと日の光が通りと路地裏を遮断するように射している。光の下で真っ当に生きる人々と、影の下でしか生きられない浮浪者とを分け隔てるかのように敷かれた光の線は、まるで異界への入り口の様だ。

 境界線に手を伸ばす、、、と途端に道端から来た男に思い切り踏み付けられた。ボキリという奇妙な音と共に激痛が走る。恐る恐る見ると小指がありえない向きに折れ曲がっていた。

 痛い、痛い、痛い、痛い

 堪えきれずに叫び声をあげる。

 思考が痛みで埋め尽くされ、先程まで身体を動かしていた怨念はどこかに消えて行ってしまう。

 


 限界だ、もう指一つ動かせない。結局自分は路地裏で惨めに死に絶えるのだ。


 流れた涙は苦痛からのものか。あるいは悔恨の念か。


「おい、大丈夫か」

 

 呻いていると男が声をかけてきた。踏み付けた脚の主かと思ったが、どうも違うらしい。

 私の悲鳴を聞きつけたのだろう。こんな浮浪児、しかも獣人に構うとはとんだお人好しもいたものだ。


「……問題ありません」


 痛みを堪えてなんとか言葉を捻り出す。


「苦しそうだが」

「はい…苦しいです。でも大丈夫なんです」


 痩せ我慢ではなかぅた。どうせ、もうすぐ死ぬのだ。この苦痛ともおさらばするのだから問題はない。

 せっかくだから、お人好しの面を拝んでやろうと思って目線をあげると、随分な大男が其処にはいた。チラリと、綺麗な金の髪が見えたが、深くかぶった帽子と黒っぽい眼鏡で顔はよくわからない。杖をついているから、脚でも悪いのだろうか。

 男は言葉の意味がよくわからなかったのか、はあと頬を掻く


「何か、できることはないか」


 ほうっておいてくれ。そう応えようとして口を噤んだ。頼みなら一つだけある。


「私、もうすぐ死ぬんです。見てて…もらえませんか」


 先程までの意趣返しとは違う。

 不躾な願いだとわかってはいたが、この人に看取ってほしいと、素直にそう思った。

 こんな私でも優しくしてくれる人がいるのだと、最後に知ってしまったから、一人で死にゆくのは少し寂しかった。


「それは御免だね、せっかくの旅なのに気分が悪くなる」


 最後の願いは当然ながら断られてしまう。わかってはいたが、聞いておいてなんだ、と文句の一つでも言ってやりたくなる。

 心の中で小さく悪態をついていると、男がしゃがみこんだ。よくわからなかった顔が見えるようになる。黒い眼鏡で瞳は見えなかったが、薄く髭を生やしたその顔は男前に見える。けれど大柄な体躯と見下ろされている格好のせいか、なんとなく恐そうな顔だと思った。


「……三食寝床付き、週給2ドル」

「はい?」


 妙なことを言われ、返事に困ってしまう。


「うちで働く使用人の条件だ。ちょうど人手が足りない。やってみないか」

「…え……」


 何を言っているのだ、この男は。

 こんな死にかけの獣人の浮浪児を雇いたいと言うのか。お人好しにもほどがある。裏があるのではと勘繰りたくなるほどだ。


「…もしかして、人攫いの方ですか」


 つい、失礼なことを口走ってしまう。だが男は怒るどころかクックッと笑うと黒い眼鏡を外した。


「盲目の人攫いがいるとでも?」

「……っ」

 

 思わず息を呑む。男は両眼がなかった。切り裂かれたような傷が両瞼にあって、とても痛々しく見えた。

 なるほど、確かにこれでは人攫いは務まるまい。

 けれど。


「……私は浮浪児で、、獣人ですよ」

「それくらい見なくてもわかる」

「どうして…」


 どうして、こんな自分にそこまでしてくれるのか。ここで死ぬのだとばかり思っていたのに、最後の最後で、こんな奇跡が起こっていいものなのか。


「旅は道連れ世は情け、ってね。生きていれば良いことの一つや二つくらいあるものさ」


 そう言って彼は手を伸ばした。差し伸べられた救いの手はゴツゴツしていてとても大きい。何も見えていないというのに見透かされたかの様なその言葉で、きっと彼は視えているのだと思った。

 虫が良すぎやしないかと言う思いは、やはり少なからずあったが、男があまりにも優しそうに微笑むから。気付けば、指一つ動かなかった手は彼の手をとっていた。彼になら騙されてもいいと、そう思えた。


「ジェームズ、ジェームズ・シモンズだ。お嬢さんの名は?」

「ミラ……です」

 

 それが始まり。


 お嬢さんと呼ばれたのは少し気恥ずかしくて、けれど、握った手は暖かく、初めて温もりを知った昼下がりの夏の路地。見上げれば、青い空が一面に広がっている。


 もう少し生きていこうと、そう思えた日だった―――



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