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赤い旗の塔の記憶

作者: 入峰いと

 私の故郷は、瀬戸内の沿岸によくある、山と海が極端に接近した町だ。江戸時代までは漁村の中を街道が通っているだけだったが、明治に旧街道が国道になった。やがて、地元の有力者たちが鉄道会社を立ち上げ、国道沿いの山側に私鉄を走らせた。遅ればせながら国営鉄道を通すことになっても、土地に余裕がないので、私鉄沿いのさらに山側を通すしかなく、三路線がぴったりと接して山と海のあわいを走り抜けるようになってしまった。


 このあたりは戦災にあわなかったので、国道から海側の古い木造住居が立て込んだ漁師町はそのまま残った。戦後、近くの大都市が工業化すると、それまで人の住まなかった山腹を造成して新しい家が建つようになったが、なにせ、山なので、大規模なニュータウンではなく、山腹に張り付くようなマンションや、5棟せいぜい10棟くらいずつデザインを揃えた建売住宅が入り混じる、一種継ぎはぎ細工のような景観になった。


 私の家は漁村側にあって、高校からは私鉄で通学した。自宅から駅に向かうと、自然に山側の建物群が視界に入る。歩きながらなんとなく、マンションの上層階、でこぼこのスカイラインを眺めるのが習慣になっていた。


 あるとき、曇りの日だったが、いつものように町並みを見ながら歩いていたら、雲をバックに、ちらっと赤いものが見えた気がした。私は立ち止まって瞬きした。山沿いの建物は多くが白で、せいぜいグレイか、まれにダイダイ色のタイル張りがあるくらいで、赤はない。洗濯物かな、と思った。そのまま歩き続けてもよかったが、電車の時間に余裕があったので、少し戻って、よく見ながら歩きなおしてみた。


 ほんの数歩の間だけ、山腹の建築群の中に、どこかの建物の屋上から伸びる細長い塔のような部分が見える。そこに赤い布か旗が下がっていて、風にふかれて一瞬広がったのが目に付いたらしい。もう一歩すすむと、私の歩く道沿いの店舗の陰になって、山の景色は全く見えなくなる。その店舗を通り過ぎてしまうと、景色は見えても、別のマンションにさえぎられて、さきほどの塔は見えないのだ。誰も知らない面白いものを見たと思った。


 その日以来、私は朝、通学の途中、塔の見えるポイントに来ると、別に歩みを止めるわけではないが、目をはしらせて様子を確かめるのが習慣になった。もちろんほかの事に気をとられて見ない日もあっただろう。しかし私は高校進学以来、成績が悪化していたこともあり、授業のことなど考えるのもいやで、ただ「旗がみえたらラッキー」という自分なりのジンクスを作ってそれにすがっていたように思う。ずっと、旗が揚がっている様子はなかった。


 いつか、「旗がみえたらラッキー」というルールすら忘れかけたころ、赤い旗が大きく揺れているのを見て、私はうれしくなった。その日は定期試験で、まあ出来は散々だったが、昼までで帰宅する日だった。ところが、その帰りの電車が町の手前で停止してしまった。先行列車が人身事故を起こしたらしい。私の住む町は、もともと漁村しかなかった関係で踏切が少ない。住民は自分勝手に路地裏から線路を横断しようとしがちで、人身事故は珍しくなかった。私も別にあわてることなく、閉じ込められている間に単語帳でも覚えようか、と考えていた。


 多少の勉強をするうちに、運転再開のアナウンスが流れ、私は窓の外をみた。そういえば旗の塔はちょうど向かって右側、ほぼ進行方向に見えるはずだ。いつもは電車の中では大体眠っているので、旗の塔を探したことはない。特徴的なだいだい色のタイル張りの建物の手前になるはずだ、と思ったがそれらしい建物は見当たらなかった。最後に旗の塔を隠す藤色のマンションもみつかったけど、その後ろにあたる位置には山の茂みが見えるばかりだ。どうなっているのだろう、と脳内で配置を考えてみたが、よくわからなかった。


 自分の駅に降りると、塔の見えるポイントに立ち、振り返ってみた。相変わらず赤い旗がゆれていた。ここからは建物自体はわからないが、白い細い塔的な部分、本来は屋上への階段なのか、水道関係の設備なのか、それだけが見えている。私はテスト勉強は棚上げにして、ぶらぶらと山側にむかった。駅前の国道を歩く間はだいだい色のタイル張りはよく見えていた。いったんアンダーパスをくぐって、私鉄と国鉄の線路の下を通り抜けて地上に出る。もう目の前の家の基礎が高くなって山が始まっている。建物が迫りすぎて見通しが利かず、例のタイル張りがどのへんなのかわからない。わりと上のほうに立っているはずだ。


 その頃はスマートフォンなど無いので、街頭の住居案内図を目当てに山すその曲がった道を行きつ戻りつして、上へ上れる道を探した。ここぞと思った道は意外な方向にそれていき、山の向こうのほうへ回ってしまった。振り返るとだいだい色が見えたので、かなりの無駄足だった。アンダーパスを出たところまで戻って、別の道を選んで上った結果、だいだい色のタイル張りのマンションの足元にたどり着くことができた。道を挟んで少し離れた下側に藤色のマンションがある。旗の塔はこの間にあるはずだ。しかし、塔もなければ、塔の下の建物もない。ここから数件は戸建ての住宅になっていて、その奥には山の木が茂っているばかりだ。


 不審に思いながらそのあたりを何往復かしたのだが、不意に私は激しい尿意に襲われた。これ以上は無理だ、そう思って、茂みに背を向け、急に走って溢れ出すことがないように、じりじりと山を下りたのであった。歩くうちに尿意は霧散し、私は無事に帰宅することができた。さすがに勉強しなくてはまずい時刻になってしまったので、その日は旗の塔のことは考えないようにした。それからしばらくは、なぜか頭から旗の塔のことが消えていたようだ。


 大学に入ってから、全然別の場所で電車に乗っていて、「人身事故で停止」のアナウンスを聞いて、あの日、旗の塔が見つからなかったことを思い出した。私が見当違いのところを探していたのだろうか。それとも、赤い旗の揚がる塔自体が、現実に倦んだ私の空想だったのだろうか。考えてみれば、あれは階段塔にしては長すぎる。2階半分ぐらいの長さがあった。ということは2階分くらいの旗だったわけで、ありえない。


 そんなことを考えながら、久しぶりに塔の見えるポイントに立ってみたが、山沿いのどれかの建物に不動産屋の巨大な看板が設置されていて、その場所にもう塔は見えなかった。おりしもバブル末期、だれかに不良物件を押し付けようと不動産業界が狂奔していた頃のことだ。

 



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