表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

三枚のお札。一枚は鬼札。一枚は白札。もう一枚は。

 三枚さんまいのおふだ一枚いちまい鬼札おにふだ。一枚は白札しろふだ。もう一枚は。



 昔。今は深見ふかみと呼ばれる地方に、お寺さんがあったそうな。山のふかいところでな。何かあれば、村人たちはそこの和尚おしょうさんをたよっておったんじゃ。あんまり山奥やまおくじゃったんで、役人もめったには来てくれんかったでな。


 そんな和尚さんも、もういい年じゃ。そろそろ次の住職じゅうしょくかまえな、村の人もこまるじゃろうなあ。そう思いよったぞな。


 すると、ある日、旅人たびびとたずねて来たそうな。細面ほそおもて優男やさおとこ。とても旅の辛苦しんくえられそうな体には見えんかったが、聞けば和尚さんも聞いたことのないほど遠くから来たらしい。


 よくよく聞けば、たしかに聞きおぼえのないなまりじゃった。和尚さんはとくの高いお人でな。昔、天竺てんじく修行しゅぎょうに行ったおぼうさんのお話を聞いた人のお話を聞いておったし、弘法大師こうぼうだいしのお弟子でしさんのお弟子さんの友人ゆうじんの話も聞いたことがあった。


 そんな和尚さんでも、この旅人さんのする話は知らないものが多かった。


 みずうみに住まう大蛇だいじゃ。お姫様ひめさま結婚けっこんしたおに。お茶屋ちゃや昼寝ひるねをすると1年がぎていた話。


 次から次へと途切とぎれぬ話に、和尚さんは、もう少しまって行きなされ、もう少し泊まって行きなされ、と引き止め、旅人も急ぎの旅ではないので、それではお言葉ことばあまえて、とゆっくりしていったそうな。


 旅人が来たのは春のあたたかな季節きせつ


 じゃが、寺の外には、もうゆきもっておってな。


「こんな中で出立しゅったつすることもあるまい。春まで待ちなされ」


「それではお言葉に甘えて」


 とうとう、旅人は、春になっても、寺におったそうな。


 そしておぼうさんになったんじゃと。


 行くあてもない天涯孤独てんがいこどく。和尚さんにさそわれて、そのやさしさにほだされて、寺の坊主ぼうずになったんじゃと。


 坊主になった旅人は、最初さいしょ小僧こぞうから始めるんよ。だれもがそう。はじめは小僧さんからよ。


 和尚さんよりの高い小僧さんは、最初は村の人から色々(いろいろ)と言われちょったと。財産ざいさんねらいじゃないか。いやいや、きつねじゃないか。


 だってこんな山奥にこのんで来る物好ものずきなんて。よっぽどの酔狂すいきょうじゃないと。そううわさされちょったと。


 けんど、小僧さんはようはたらいた。毎日のおつとめをちゃんとこなして、村を見て回って、修繕しゅうぜんりそうなもんは、なんでも直して回ったと。そこは元旅人。器用きようなもんじゃった。


 そんでまた春が来て、秋になって。


 和尚さんのお寺じゃあ、くりはんの良いにおいがしよったと。


「今年は小僧さんのおかげで、畑も大きくなった。食べるもんも、ようけ出来た。みんなあ、あんたのおかげじゃ」


「いえいえ。しかし、タヌキには困ったもんです。大根だいこんいもり返されて」


「山ん中には山姥やまんばがおる。タヌキも人里ひとざとの方がましなんじゃろうなあ」


「山姥がおるがですか」


 これには小僧さんもおどろいたと。和尚さんと一緒いっしょたきぎひろいで何度なんども山に入っておったに。そんな話は一度いちども聞いたことがなかったけのう。


「おる!・・・らしい」


「和尚さんは、見てないんですね」


「見ちょったら、ここにはおらんよ」


 笑いながら、和尚さんは話してくれた。


 山姥は、ずっと昔からここいらにまう妖魔ようま。和尚さんのお師匠ししょうさんのお師匠さんの頃には、もうおったと。


 その時分じぶんは、武者むしゃりも多かった。今とはちがう、戦乱せんらんなかじゃった。じゃけ、山姥もその落ち武者が伝説化でんせつかされたもんじゃろう、と和尚さんのお師匠さんも言いよった。中には女人にょにんもおったろうし。家族連かぞくつれてげた人もおったろう。つら時代じだいじゃったんじゃ。


 でも和尚さんの代になっても、なお山姥を見たちう声はまんかった。


 もしも何代なんだいも何代も落ち武者がおるんやったら、彼らはもっと大きな勢力せいりょくになっちょらんと、おかしい。それこそ、こんな小さな村ぐらいは簡単かんたん占領せんりょう出来できてしまう、そんな豪族ごうぞくになっちょらんと。


 やけえ、和尚さんも思うたがよ。


 ひょっとして、山姥は本当におるんじゃなかろうかと。


「なぁるほど」


「本当のところは分からん。けんどまあ、山は山。それだけであぶないところじゃ」


 確かに。これまでの旅でも山崩やまくずれのあった道を見て来た小僧さんには、よく分かりました。


 これで話はおしまい。


 何事なにごともなかったように秋は深まり。


 小僧さんは、おのれうちに住まうモノに気が付きました。


「和尚さん」


「はいはい」


「私は、山姥に会ってみたいと思います」


「なんと」


 和尚さんはたまげました。小僧さんは、考えなしでは決してありません。


 けれど、そんな小僧さんの口から出た言葉は、和尚さんをたっぷり驚かせました。


「なんでまたそんな」


「会いたいのです」


 小僧さんは、目をキラキラさせて言いました。


 そうです。


 小僧さんは目的もくてきのない旅人ではありませんでした。


 目的に会うために来た旅人でした。


「し、しかし。危ないぞな・・・」


ひゃく承知しょうち。和尚さんには大変たいへん世話せわになりました。せめて、行く前にはお礼を申し上げたかった。よう、ここにおいてくれました。ありがとうございました」


 小僧さんは、ちゃんと頭を下げて和尚さんにお礼を言いました。


「そんなこたあ、どうでもええけんど」


 言いつつ。和尚さんは、小僧さんのひとみかがやきをみとめました。


 小僧さんは、完全かんぜん本気ほんきでした。


「・・・・・はあ」


 和尚さんは、あきらめました。危険きけん危地きち。それでも行くのであれば、仕方しかたないですね。


「持っていきなされ」


「これは?」


 和尚さんがつくえの中から出したのは、三枚のお札。お守りでしょうか。


「いざという時に使いなされ。お守りじゃて」


「ありがとうございます」


 封筒ふうとうに入れられた三枚のお守りを、小僧さんは大事だいじふところにしまいました。


「では」


「山姥に会ったなら、まよわずげなされ」


「はい」


 その返答へんとううそ。小僧さんは和尚さんを安心あんしんさせるために嘘をつき、和尚さんもその嘘を受け止めました。


 旅装束たびしょうぞく着替きがえ、つえを持ち。


 深山しんざんに分け入りました。



 イガグリだ。もし帰れるなら、持ち帰ろう。


 そこは人の入らぬ奥山おくやま。山にはキノコも栗もなんでもありました。


 しかしこれだけあるなら、山姥が里にりる必要ひつようもないような。そんな気もしました。


 なにせ山にはさるも居ます。もうじきじゅくす柿を取ろうか取るまいかなやんでいたような顔をかせ、小僧さんを見送っていました。


 山の動物がえもせず生きている。食べ物が豊富ほうふにある。


 もし、山姥が、実在じつざいしたのだとしても。これだけ食べ物があるのなら、ここに居るだけではらいっぱい食える。


 なのに人が取った様子ようすがない。ここいらに、人が足をれた形跡けいせきがない。


 やはり山姥など、もう、おりはせんのだろうか。



 ケガをせぬようゆっくりと歩き、キジやヤマバトを見ては、なべも良いなあと考えながら。


 いつしか日はとっぷりとれておった。


 さて。山姥に会うは良いが、その前にんでは元も子もない。どこかで野宿のじゅくでもせにゃ。


 小僧さんがそう思って、たきぎになりそうな枝葉えだはを集め始め、ふと顔を上げると、家がありました。


 ここはお寺からはるかはなれた山奥です。こんなところに家が。


 もしや、別の村の人でしょうか。それとも落ち武者の家系かけいでしょうか。


 それとも。


 ・・・なんにせよ、野宿よりは良かろう。


 そう思って、小僧さんはその家を訪ねました。


コンコン


「もし。もし」


 木戸きどを叩き、家人かじんを呼びます。あやしげな者が出て来れば、すぐさま逃げ出すつもりで。


「はいはい」


 女の声。もし自分が家主やぬしなら、確かに女性に戸を開けさせ、男に武器を持たせるでしょう。笑顔を作りながら、まだ警戒心けいかいしんきません。


「あれまあ。こんな夜更よふけに、よう来たのう。ねえの使いじゃゆうて、頑張がんばりすぎちゃあせんか?」


「いえ。お姉さんのお使いではありません。旅の者です」


「あれ、知らん人かい。で、どうしたんじゃ。こんな時間に」


 むかえてくれたのは、まだ年若い女性でした。とても山姥という年ではありません。


 これは本当に、よその里に迷い込んでしまったのでしょう。


「私は旅の者です。今晩こんばん、野宿をしようと決めていたのですが、こちらの明かりが見えたものですから。良ければ、一晩ひとばんおせっかいになろうかと」


「ありゃあ。まあほうっておくわけにもいかん。さあ、火にあたりなされ」


「ありがとうございます」


 どうやら小僧さん、屋根やねの下でられるようです。


 家はあばらと言っても良い風情ふぜいで、あちらこちらにガタが来ていました。昔は障子しょうじっていたであろう縁側えんがわとのさかいの戸も、穴だらけです。


 しかし。小僧さんは草履ぞうりぎながら、ある違和感いわかんを感じていました。


 広い。


 仮にむすめの家族が居たとしても、やたら広い。草履が10は軽く横にならぶほど。


 台所は普通ふつう。お寺さんとも変わらない、2つのかまど。米と汁をくかまどです。ここが豪族の家なら、もう少しかまどが必要な気がします。


 土間にはわらじが1つ。水を飲ませてもらったさいに見た茶碗ちゃわんも1つ。どうも今は、この娘さん1人のようです。


 こうなると、少し申し訳ない旅人さんです。山姥見物にいざ!と気勢きせいを上げたは良いものの、一人暮らしの女性にご厄介やっかいになるとは。せめて明日の朝、キノコや栗でも持って来て、恩返おんがえしとしましょう。


 ぴゅうぴゅう吹きすさぶ寒風かんぷうにあたっていたので、囲炉裏いろりのそばは天国かと思えるほどにぬくかった。足をもみほぐし、一日の疲れをいやしていると、娘さんが晩飯ばんめし支度したくをしてくれたと。


「ごちそうもないけんど、ゆるしてよ」


「めっそうもない。こちらこそ手土産てみやげも用意せんで。こうして火にあたれるだけで、幸せですよ」


「火ぃなんぞいくらでもあたったらええ。ささ、食いなせ」


 そう言って、娘さんが差し出してくれたのは、なんと魚でした。もちろん、ざかな。ですが、干し魚であってもここいらでは貴重きちょうなものなのです。


 小僧さんは今までの旅の途中、浜の村にも立ちったことがあります。しかしこんなに立派りっぱな魚は、見たこともありません。


 もしや。この山をえると海に出るのでしょうか?そんな話は和尚さんからは聞いておりませんが。


 魚のける良い匂いをかぎながら、娘さんのよそってくれた白飯しろめしを食べます。これも美味おいしい。


「あんたはいける口かね?」


 おさけも出て来ました。おちょこはなく、ひょうたんごとわたされましたが。


 小僧さんは、五分五分ごぶごぶと見ました。


 彼女が山姥であるかどうか。


 自分をおそうつもりであっても、酒や白飯まで出すのは、いくらなんでももったいない。そこまでせず、とっとと襲えば良いものを。


 これなら、常識じょうしきのない、人好ひとずきな金持ちの方がよっぽどありそうです。


「ささ。出来できたぞな」


「こりゃどうも」


 良い気持ちで、娘さんがほぐしてくれた魚を食べます。一尾いちび仲良なかよくはんぶんこです。


「美味い!」


「そうかい」


 小僧さんの上げた声に、娘さんもにっこり笑って、美味しそうに魚を食べておりました。



 娘さんのすすめてくれるひょうたんを、2人で2つも開けたころ。小僧さんはったふりをしながら、聞いてみました。


「あんたは、なんでこんなさみしいところに住んでおるのかね。山を降りれば、友達も出来ように」


 そうです。家族も居ない一人暮らしでは、話し相手もおりません。夜は寝るだけです。何が楽しくてこんな場所に。


 相手を山姥と疑っているとは、つゆほども感じさせず、小僧さんはうてみました。


「そうじゃのう。わしゃあ、生まれは海の方よ。やけえ、海で育って、魚や貝を食べて生きておった。けんどいつしか山に追われての。家族ともはなばなれよ。けんど、お姉らが牛やら魚やら持って来てくれる。やけえ、わしは何もせんでも生きていけるがよ。いつか、皆で一緒に暮らしたいとは思うちょるが」


「ほほう。いつかそうなったら良いのう」


「うむ」


 小僧さんは、娘さんがひょうたんを一息ひといきみ干すのを見て、これはただの娘さんではないぞ、と感じました。


 あるいは、家族の誰かが山姥でしょうか。娘さんはそれを知らぬだけ、とか。



 あとはるだけ、となった時、小僧さんは布団ふとんを貸してもらいました。お姉さんの使っているものだそうです。


 手足が全く出ない。大きなお布団。大柄おおがらなお人じゃ。


 これは。本当の本当に。



 小僧さんは背筋せすじをゾクリとさせながら。


 んでおった。



 囲炉裏の火もき、フクロウとオオカミの鳴き声を聞くだけの夜。


 もう2人ほど、声が増えました。


「帰ったぞ。帰ったぞ。牛飼うしかい美味かろ、牛美味かろ。牛飼い美味かろ、牛美味かろ」


「帰ったぞ。帰ったぞ。漁師りょうし美味かろ、魚美味かろ。漁師美味かろ、魚美味かろ」


 ずっと遠くの方から聞こえて来た陽気ようきな歌声が、小僧さんを否応いやおうなく目覚めさせます。


 小僧さんの虫の知らせは最大限さいだいげんひびき、死の危険を最高に感じました。


 あわてず布団を綺麗きれいにたたみ、窓口まどぐちに張り付きます。間合まあいがいのちです。表戸おもてどが開く瞬間しゅんかん見計みはからって、窓をえねばなりません。幸い、窓は大きく、明かりや風が入り込みやすくなっています。小僧さんの男性らしい体格たいかくでも、簡単に出られます。


グシャリ、グシャリ


 家の中からでも、落ち葉がきいきい悲鳴ひめいを上げているのが聞こえます。とてつもなく大きな、とんでもなく重い生き物が歩いているのが、分かります。


ドガンッ!


 無茶むちゃな音を立てて戸口とぐちが開きます。そしてその瞬間。


キイ


 小さな音を立てて窓を開き、小僧さんは外に出ました。



「帰ったぞ!寝ておるんか?」


「寝ておる寝ておる。可愛いややは寝ておる」


 小僧さんは身をかがめ、己をやみませました。囲炉裏をかこむであろうあちらは光の中。こちらは見えにくくなるはずです。


 そして小僧さんは、家のあちこちにあるやぶれ目のうち、居間いまを見やすい場所を陣取じんどりました。外は寒くて、ぬくいお布団からたのでなおさら、はだすように冷たいものでした。


 ですが、この機会きかいのがせません。


 さあ、山姥やまんば


 どんな顔してなさる。



 囲炉裏の灰を手でかき回し、火をおこす。帰る最中に拾ったのか、木の小枝をくべ、そして大きな枝を乗せる。


 そのうでの太いこと。小僧さんの胴回どうまわりよりなお大きく見えます。


「ややは魚ぁ、焼いて食べたな。ちゃんとあぶれたろうか」


「ちゃんとあぶれたとも。ややはかしこい子じゃけえ」


 魚のことを気にしているのが、よく日に焼けた赤銅色しゃくどういろの女性。頭髪とうはつはざんばらに流しておるが、潮風しおかぜで固まっているのか、岩にも見える。小僧さんが昔見かけた、相撲すもう取りを二回ふたまわり大きく強くしたら、こうなるか。


 その日焼け女をなだめている、落ち着いた女は、はだの色が白かった。夜闇よるやみの中では、さぞ目立めだつだろう。まるで雪女ゆきおんなのようだ。が、その腕も顔つきもかたそう。大きさではくらものにならぬはずの日焼け女をぎょしているのも、気にかかる。


「ごちそうは、ややが起きてからじゃな。わしらはいもでも焼いて食おう」


「おう。わしはなわいよるわい」


 1人が芋を焼き、もう1人が縄をみ始めました。



 あぶられる芋の美味そうな匂いよりなにより、小僧さんにとってはその温もりがうらやましかったものです。


 それより、白い方の山姥の縄結いの速度そくどが、小僧さんの目をうばいました。


 速い。指先が見えない。まるでわらをこするようにしてみ込まれる縄はものの数秒すうびょうで1つ、完成かんせいしていく。


 体が寒さが固まっていても、その指の動きだけは、あつく見つめていました。



 大きい方が水をみに台所に向かい、囲炉裏いろりのそばは白い方だけになりました。


 寒いな、と思いつつ、小僧さんは山姥たちの寝るのを待っています。流石さすがに、今動く勇気ゆうきはありません。


「のう」


「なんじゃ」


 台所の方から、つまり玄関げんかんの方から白い方へ声がかかります。


「ややに新しい草履ぞうりをあげたんか?」


「いんや?」


「草履が3つあるんじゃが」



 ・・・・!!



「そりゃあ3つあるじゃろ。わしとお前とやや。ちょうど3つじゃ」


「そうか。確かにの」


 この会話に、しかし小僧さんは全く安堵あんどしていませんでした。


 見付みつかるは、時間じかん問題もんだい


 こっそりと。足音を立てずにその場をります。さいわいな事に月明つきあかりもい夜。こちらはずっと暗闇くらやみの中に居て、多少たしょう夜目よめきます。


 和尚さんに言われた通り、山姥を見たのでとっとと帰りましょう。



「のう」


「なんじゃ」


 小僧さんが去った後も、2人の会話は続いておりました。


「ややの洗った茶碗ちゃわんが、2つあるんじゃが」


「・・・2つ。か」


「栗でもむいたんじゃろか」


「ややは栗の皮を集めたりはせん。囲炉裏に放れば良いんじゃ」


「なら・・・客かのう」


「そうじゃのう・・・。草履を、見ようか」



 裸足はだしける山は、決して冷たいものではありませんでした。


 いたみで、むしろあついくらいです。


 しかし。暗闇くらやみの中ではおよその方向しか分かりません。お寺のある山は見えています。向かいの山です。


 問題は、そこへ行く道がどこにあるのか。山姥の家まで来た道を、そのままたどれれば簡単に帰り付けるのですが。


 イガグリをまぬことだけを祈りつつ、小僧さんは息を切らして走ります。山を転がり落ちるのではないか、といういきおいで足をうごかし、うでります。


「どこじゃあああああ!!!」


 小僧さんは、突如とつじょ山間さんかんくようにしてはっせられた大声にも立ちまらず、ひた走りました。


「・・・向こうじゃ!」


 こちらの冷たい方の声は小僧さんにはとどきませんでした。ですが、発した方の白い女は、とお姿形すがたかたちも見えないはずの小僧さんの位置いち正確せいかく把握はあくしているようです。


 それが証拠しょうこに、2人はぐんぐんと小僧さんの居る方へと走り来るではありませんか。


「待てえええええい!!」


「待てええええええ!!」


 速い!山姥の走る速さは、男性の小僧さんをはるかにえていました。一足いっそくびに林を突き抜けるような、ものすごいいきおいです。


 こりゃあつかまったら、ただではまんのう。小僧さんはこの世のものとは思えぬ現実げんじつに、嬉々(きき)としながら、走り続けます。


 もはや痛みをかんじていない足裏あしうら両腕りょううで感覚かんかくがなくなるまでっています。肺腑はいふわたる空気の冷たさだけが、小僧さんの正気しょうきをつなぎとめているものでした。


 楽しい。山姥とのおにごっこは、ほんまに楽しい。


 生きていた甲斐かいがあった。


 目を笑みに細めながら。


 小僧さんは夜の追いかけっこを楽しんでおりました。



バキイ!


 小僧さんのすぐうしろで、木のたおれる音が聞こえました。それも聞きおぼえのない倒れ方で。


 来た!


「さて!」


 和尚さんからもらった三枚のお札。使うべき時があるのなら、それは今!


 さあ、どれを使う!?


あばれるなよお!よごしたら不味まずうなる!」


 じゃあお言葉ことばあまえよう!


白札しろふださん!お願いします!」


 小僧さんはふところの3枚のお札から、真っ白な、何も書かれてない札を取り出し、山姥に投げ付けました。


「なんじゃあ!?」


 モチか何かと思い、日焼けした山姥は飛び来る一枚の紙片しへんを、その太い指先で器用きようにつまみ取りました。


カ ア


 小僧さんがきびすかえして逃げようとしていたら、その後ろから満月まんげつのような光がして来ました。


 白いお札とは、光のことじゃったか。そう納得なっとくした小僧さんは、とっとと逃げ出しました。



 しかし。山姥はまだ動き出せませんでした。小僧さんを追おうにも、目の前には白いやみが広がるばかり。


姉者あねじゃ。わしらあ、きりの中にまよい込んだがか?」


 大きい山姥はそう言い、周囲しゅういの霧をこうと腕を振り回しますが、周囲はどうやっても見渡みわたせません。


坊主ぼうずの札じゃ。小賢こざかしい」


 白い方の山姥は目をじ、両手を開き、周囲に意識いしき展開てんかいしました。


 札。霧の中、水気みずけの中にあって不動ふどうなる物。どこじゃ。


 木々(きぎ)、岩石がんせき枝葉えだは、周囲全てを知覚ちかくの中におさめた白い山姥は、ついに見付けました。


「めい。お前の左っかわをぶんなぐれ」


「おう」


 日に焼けた山姥、めい子は姉に言われるまま、己の左側へ向けて、思いっきりこぶしたたけました。


バシィ!!


 すると、霧があっという間に消えてしまいました。


「おお・・。すごいもんじゃなあ。坊主のまじないは」


「ああ。作ったのは、さぞかしとくのある坊主にちがいねえ。だから逃しちゃ不味まずい」


「おう!!」


 言うまでもなく、山姥の家に来た者を生かして帰しては、こちらがられる。


 流石に軍勢ぐんぜいにはてぬ。ここで始末しまつするよりほかない。


 山姥たちは、さらに急いで小僧さんを追いかけました。



「はあっ・・はあっ・・」


 小僧さんはついに谷をえ、お寺さんのある山に着きました。ですが、すでに息は上がりきっていて、足ももつれ始めていました。


 もうすぐ。もうすぐでお寺です。山姥の真価しんかはまだ知っておりませんが、あのお札を作った和尚さんの居る場所なら、なんとかなるのではないか。そういう希望きぼうがありました。


「待てえええええい!」


 またしても、山姥の声がすぐ後ろから聞こえます。お札は確かに効力こうりょく発揮はっきしてくれましたが、山姥の健脚けんきゃくの方が上だったようです。


 こうなれば、ふだを使うしかありません。おそらくはこれで止まってくれる。・・・止まらなければ、これで終わる。


 鬼札おにふだ使つかいます。


「鬼札さんお願いします!」


 真後まうしろにせまる、夜より冷たい気配けはいに向けて、2枚目のお札を投げ付けました。


 白い山姥はそれに取り合わず、かわし、小僧さんを捕まえようとしました。先のい霧もそうでしたが、じゅつにかかると時間を食います。


 その前に小僧をとっ捕まえてしまえば、何も問題もんだいないのです。


 そして山姥の指先が、小僧さんの襟首えりくびれようとしたその時。


 山姥やまんばうでつかむ者がありました。


「・・・行かせるわけには、いかんのう」


「・・・ほう」


 白い山姥は、己の腕をとらえた鬼を見、感嘆かんたん吐息といきをもらしました。


鬼子母神きしもじん殿どのか」


「いかにも」


 仏教ぶっきょうにおける神様かみさまの1人、鬼子母神がそこにあらわれていました。


 主に子供を守る、守護神しゅごしんです。


「・・・ほとけ機嫌きげん取りも、いたか?」


「さあ。な」



 気付けば飛び来る、白い山姥の左のみを右腕みぎうで防御ぼうぎょ。鬼子母神は右腕に残るしびれに、若い力を味わいつつ、気を抜けぬ、と意識をあらためました。


「めい子。先に行けえ。わしは、このお人を止めちょく」


「姉者。大丈夫なんか。その方は、武神ぶしんのお一人では」


心配しんぱいないけ。所詮しょせんは、仮初かりそめ依代よりしろじゃ。ほんまもんは神様じゃぞ。わしの腕をにぎっただけでへし折るに違いない。こんな偽物にせものに道をゆずっては、山姥は生きていけんのじゃ。行けい!」


「おう!」


 肌の黒い、日焼けした方の山姥の先行を、しかし鬼子母神は見逃しました。


 これは白い山姥にも意外いがいな展開です。てっきり、一歩いっぽみ出すすきも与えられえないかと思っておりました。


ヒュ


 風切かざきおんが耳に届く前に、山姥の右足先みぎそくせんりが鬼子母神の顔面がんめんけ、ひたいから後頭部こうとうぶまで甚大じんだい衝撃しょうげきを与えました。


「ほ、お。流石は神様。けもせんか」


ずかしながら。避けられんかったわ」


「嘘じゃろ」


「まことじゃ」


 坊主・・・役小角えんのおずの遠縁とおえん親戚しんせき隣近所となりきんじょ子孫しそん・・・の力量りきりょうでは、鬼神きしん召喚しょうかんしたさいの力は元の1わり。呼び出せるだけでも尋常じんじょうな力量ではないのだが。


 目の前の山姥に及ぶ力では、なかった。



 ところで、山姥の方は一切いっさい油断ゆだんせず、右足先蹴りを躱された後の左後ろ回し蹴りを意識いしきしていました。しかし一撃目いちげきめ的中てきちゅうしてしまったため、相手のねらいをしぼりきれず(山姥としては、鬼子母神の交差法こうさほう警戒けいかいしておりました)追撃ついげき断念だんねんてき傷害しょうがいのほどをはかっておりました。


 ですが、分かりません。相手は本体ほんたいではなく、分身わけみ。もしかすると痛みを感じていないのかも知れません。


 分からぬ以上、しようがありません。


 突破とっぱあるのみです。


コ オ


 秋の山。あけはだが、白くうつり、こおります。


ピキイ


 鬼子母神を中心とした一角いっかく完全かんぜん冬支度ふゆじたくませ、雪化粧ゆきげしょうつつんでいます。


 そして。


「ではまた・・・」


「また、いずれ」


 消えんとする鬼子母神の挨拶あいさつに、山姥も答えました。


 山姥の目の前で、鬼子母神の姿すがたせ、元のお札のみがのこりました。そしてその札が地面に落ちると。


ボウッ


 1のイガグリに火がつき、美味しいにおいがただよい始めました。


「なんでじゃ?」


 山姥はとりあえず栗をむいて食べてみました。


 とても甘くて美味しい栗でした。こんなものは、山にいくらでも転がっているのですが。できたてだからでしょうか。



 さて。鬼子母神が時間稼じかんかせぎを終わらせたころ。小僧さんは、ついにお寺に着いておりました。


 最後さいごの札をふところしのばせたまま、和尚さんに再会さいかいしていました。


 和尚さんはまだ寝ておらず、囲炉裏いろりでモチを焼いて食べておりました。


「ど、どうしたんじゃ。そんなになって」


 和尚さんはモチを焼いているのも忘れて、足をボロボロにした小僧さんの姿におどろいていました。そしてすぐにわれを取りもどした和尚さん、急いで薬箱くすりばこを取り出し、小僧さんの治療ちりょうにかかります。


「や・・・」


 口を動かすのもおっくうなほど、つかれきった小僧さんは、それでもなんとか説明せつめいしようとしました。


「山姥を、見ました。山姥に、追いかけられて、おります」


 途切とぎ途切とぎれの言葉でも、和尚さんには伝わりました。


「なんとまあ・・・」


 本当におったんかい。たまげた和尚さんです。


びゅううう


 すると、風が吹きました。強い、強い風です。まるで、山姥が走るような。


「ここかあああ!!」


バタン!!


 縁側えんがわの戸が大きな音を立てて開き、巨大なかげが、囲炉裏の火をかき消しました。真っ暗になった室内で、小僧さんはとりあえず和尚さんの服を引っ張って、外に出ようとします。和尚さんもその動きについて行こうとしました。


 ですが、その必要はありませんでした。


「こんばんわあ」


 優しい声がしました。小僧さんには聞き覚えのある声です。


ズ ウン


 その声に続いて、何かとてつもなく大きなものが倒れる音がしました。


ねえやはそそっかしいんじゃ。ゆるしてくれい」


「い・・・いえ」


 小僧さんは逃げようとしていた足を止めて、山姥の家の女性に答えました。和尚さんの服からも手をはなして。


「ん?まだ火もあたたかいの。つけようか?」


「そうじゃのう」


 今度答えたのは和尚さんです。


 3人は仲良なかよ囲炉裏いろりかこみ、火をおこし、楽しくお話しました。


 外にぶっ倒れている山姥が風邪かぜを引くのではないか?とちらりと思ったのは小僧さんだけだったそうです。


「ささ、モチ食いなせ」


「ありがとうな、和尚さん」


 モチを食べる手つきも、先ほど山姥の家で見たものと同じ。小僧さんには、とても山姥の血縁けつえんとは思えませんでした。


「あなたは、ここに居てもよろしいのですか?私達を食べようとは、思わないのですか」


 素直すなおにまっすぐ聞いてみました。気になった以上、いておくのも健康けんこうわるいですしね。


「もぐもぐ・・・。わしゃあ、人は食わんけの。あんたもわしにじゅうを向けたわけじゃなし。わしのおきゃくさんじゃけえ、姉やにも食わしとうなかったんじゃ」


「そりゃあ、見上みあげた娘さんじゃて」


 和尚さんはご機嫌きげんで、娘さんをめました。


「あの」


「なんじゃ?」


 小僧さんは、ねつっぽい目をして言いました。


 和尚さん、実はこの時点じてんで、次のながれを予感よかんしていました。


 何度なんども何度も見て来た光景こうけいです。


 何度見ても、良い光景です。


「私と、夫婦めおとになってほしい」


「わしで良いんか?」


「あんたほど気立きだての良い娘は、見たことがない!」


 もっと言うと、こんなに心惹こころひかれたこともありません。


 ですので、とりあえず結婚けっこんもうし入れました。


「そうか。じゃあ、よろしく」


「はい!」


「これはめでたい!」


 あっさりと受け入れてくれた娘さん。歓喜かんきの声を上げる小僧さん。大喜おおよろこびしながら、周囲の冷気れいきを意識する和尚さん。


 結婚したらどこでらそうか。そんな話をしている居間はとても暖かで、外の寒さなど気になりませんでした。



「・・・姉者?」


「帰るぞ」


 大きい山姥を背負った白い山姥は、こわすはずだったお寺から離れ、しずかに帰って行きました。


「ややがお前を倒した。・・・いつの間にか、おおきゅうなったな」


「そうかあ。つようなったなあ」


 姉妹2人。山姥たちはそうっと帰って行きました。



 明けて翌年よくとし


 漁師りょうしになった小僧さんは、月に1回、和尚さんへと魚をとどけ、おくさんとも仲良なかよく暮らしていました。


 結局けっきょく、今までどおり、山姥の家に住むことに。なんだかんだ言って、あそこが奥さんが一番暮らしやすい場所でした。


 そして。


婿むこどの。たまにはにくが食いたいと思わんか」


「そうですね。イノシシの肉を氷室ひむろから出して来ましょう」


 メシをもりもり食べる大きな姉に、漁師さんが答えました。


「婿どの。たまにはクジラが食いたいと思わんか」


「そうですね。今度、大きな漁に参加さんかしましょう」


 流石さすがにクジラは、一隻いっせきでは大変たいへんです。漁師さんは白い方の姉にそう答えました。


「あんた。漁に出るんならがき持ってけ。いも持ってけ」


「おう。お前の作ったもんは、美味いからな」


 漁師さんは奥さんにそう答え、笑い合いました。



 それから、とんと山姥の話は伝わらなかったそうな。山姥はどこに消えたんじゃろ。と、みんな不思議がりました。


 山姥は確かに居なくなりました。


 でも、皆さんは知っていますよね。


 山姥は、きっと今もどこかで、美味しくご飯を食べているってことを。



 三枚のお札。一枚は鬼札。一枚は白札。


 もう一枚は、どこかのおうちに、今もかざられているそうですよ。


家内安全かないあんぜん


 そう書かれ、大事にされているそうです。



 めでたしめでたし。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[一言] 「小僧さんは背筋せすじをゾクリとさせながら。笑えんでおった。」という部分でテンションが上がりました! あと「役小角の遠縁の親戚の隣近所の子孫」って、ただの一般人ですよね! ものすごい緊迫感…
[一言] 三枚のお札がまさか和尚さんパクりではなく、ハッピーエンドで終わるとは。 驚きながら読み終わりました。独特の語り口調が昔ばなしのあの世界観をしっかりと引き継いでいるようで、楽しませて頂きました…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ