秘密の特訓(後編)
杏の聞いてきたそれは俺が言い出したことだった。
「忘れてないよ。この4人の中で一番点数が良かった人は最下位の人に願いごとを1つ叶えてもらえる…のことだよな」
「うむ。よろしい。大正解」
すみません忘れてました…。
まさかこいつが優勝するなんて思ってなかった…。
能ある鷹はなんとやら…。楓も頼人も予想してない結末に困惑気味だ。
「何をしてほしいんだ?」
「ふふふふ……それはもちろん女そ――」
「言っとくが、相手が嫌がることや人間関係こわれるような願いごとはNGだからな。そっちこそ忘れるなよ」
「まだ言ってないよ!」
先に釘さしておかないとな。他の二人ならともかく、杏はなぁ…。
日頃から頭のネジが緩いし、腐れ縁の幼馴染みとはいえ無礼は許さん。
「ぶぅー…っ、わかってるよぉ。ちゃんと聞いてよぉ」
「それならよろしい。で、何だ?」
「翔ちゃん、私が用意した可愛い服に着替えて、絵のモデルになってくださいっ☆」
「却下。それは叶わぬ願いだ。さらば」
杏は即座に席を立つ俺の足にしがみついてきた。
「えー!いいじゃー~ん!ケチー」
「よくねーわ。明らかにNG該当項目だろが。重いだろ放せコラ」
「まだどんな衣装にするか言ってないしぃ~~っ!軽いしぃぃ~!」
可愛い衣装って言ってる時点でイヤな予感しかしねーんだよ!やっぱり女装じゃねーか!
「あ…あの、二人とも落ち着いて」
駄々っ子をずるずる引きずったまま部屋を出ようとする俺を見かねて、楓が仲裁に入った。
スカートをパンパンと叩いて、ついた汚れを落とす。
杏が嫌いなわけではないが、文化祭で女装させられた苦い経験もまだ記憶に新しい俺は、そう易々と'可愛い服'になるわけにはいかない。
今日はテストも終わって、後輩の美術部員たちも何人か来ているし、引退した俺たち3年生は本来部活に来ることもないのだから、人目も気にする。
「杏ちゃん、代わりに私がモデルになるのは…ダメかな?」
えっ?
「カエちゃんが?…うーん、まあ何種類か持ってきたし、カエちゃんに似合うのも用意してあるけど」
いっ!?良いのか楓。気持ちは嬉しいし、ぶっちゃけ俺も楓の可愛いコスプレは見たい……いや、そーじゃなくてっ!
恥ずかしくはない…のか…?
すると今度はギリギリ最下位を逃れた頼人が提案してきた。
「米倉さん。ここは僕に務めさせてくれないか。本橋さんたちに大差を付けられたまま一人で安堵して締めるなんて、男がすたる」
か、かっけー…!…じゃなくてっ!
おいおいおい!ど、どうなってんだ!?頼人そんな熱い男気キャラだっけ?
「んー…。ライちゃんには私が考え中の新作クレープの味見をしてもらおうと思ってたんだけど」
「よ…米倉さんのっ…手作りクレープ!?」
声を裏返らせ頬を熱くする頼人。
わかりやすい反応を見て、ようやく俺も察した。
「米倉さん!前.副部長として、僕もそのスケッチ参加するよ。そーだ!キャンバスに下絵を描いて、油絵にしよう!」
お前……惚れたな。
仕方ない。自分の尻拭いを友達にさせるわけにもいかないし…。潔く腹を切るか。
「やっぱ・・・俺がやろうかな」
『『どうぞ どうぞ どうぞっ!』』
「お……お前らァァ~ッ!」
そんな俺たちの一部始終を聞いていたのか、周りにいた後輩たちが駆け寄ってきた。
「今の話、私たちにも手伝わせて下さい!」
はひっ?
***
「私たち、小椋先輩の女装は芸術……いいえ、芸術の域をも超えてると思うんです。文化祭の魔女コスプレを見て、確信しました」
「あ、あれは他のやつらに嵌められただけで、自分の意思では…。それに俺、男だよ?」
「だよねだよねっ♪みんな見る目あるぅ~。翔ちゃんは、この学校で一番可愛い女の子なんだよっ」
「おめーは黙ってろッ!男だっつってんだろ!」
こうなると多勢に無勢。ノリでその気になることはないけれど、自分の劣等感ともいえる男らしくない外見を、肯定的に捉えてくれる意見は蔑ろにし難い。
少なくとも正面きって『お前ら頭おかしいぞ』とは言いづらい。歌舞伎の世界でも女形とか実際あるわけで、引いてるわけではないし…。
何より…、ここで俺が駄々をこねたところで、なんだか元男子だった楓のことも遠回しに否定してるみたいな感じがしてきて、そんな自分自身が嫌いになりそうだった。
「わかったよ。やるよ。しっかし…俺の女装なんかそんなに良いもんでもないと思うんだけどなぁ」
「えっ…だって……」
「翔太は背も小さいし」
ぐっ…
「ま…まだ声変わりしてない…し…」
ぐぁあっ楓ェ…
「まだ髭も脛毛も腋毛も全く生えてないツルツルすべすべのプリティーボディ~&ベイビーフェイスだし♪」
「ま…マジですかッ!?」
わああああっ!杏このやろう…おぼえとけよマジで!
後輩達よ~!今のは忘れてくれぇ~~。
***
「じゃ、衣装はカエちゃんが決めて」
は?
杏はそう言うと、楓をよそ目に『それなら文句ないでしょ?』と言わんばかりのどや顔で俺に目配せしてきた。これではますます断りづらい。
こいつ…考えてやがる。
そのまま杏は戸惑う楓の耳に優しく手をあてて何やら話し始めた。俺に着せる衣装について相談してるらしい。
ゴニョゴニョゴニョ…
「え…ぇぇえっ!だっダメだよ!バニーガールなんて」
「あはははっ♪だよね。下、色々はみ出しちゃう…。……チィッ…」
ちょっ……!
何いきなりモンスターボックス級の無理難題もってきてんの!?こええよ!その舌打ち!
大体どうやって用意したんだよ…バニーガール衣装。
「もう!ちゃんと選ぼうよ」
「ゴメンにゃさい♪反省♪」
楓ありがとう。もはやお前だけが頼りだ。
ゴニョゴニョ…
どきどき…
「れっ…レオタードっ!?それって新体操部の!?だっダメ!アウト!」
「惜しい!あとちょっとだったのにぃ。たぶん隠せるよ!サポーターも用意したし、ミニのフリルスカート付いてるしぃ」
惜しくねーよ!
下半身の布面積さっきとほとんど変わってないし!そんな僅かな布地で何を隠せる気か!せめて股のV字デザインから離れろよォ…。
ダメだ…こいつ全く反省してねー!
そう呆れていた時だった。
今度は楓が杏に何やら耳打ちしてする。
ふむふむ、と、杏は頷いて何やら閃いたようだ。
「それだ!さっすがカエちゃん」
「わ、私は別に何も…。でも多分、大丈夫…だよね」
これ?ってどれ?
「あ、この際、カエちゃんも……ゴニョゴニョ…」
「う、うん…。いいよ」
「やりぃっ」
何だ…?
「行こ。小椋くん」
楓が美術室のドアを空けて俺の手を引く。
「へっ?行くって……あ!帰るのか。そーだな。もーそれで…」
「ちがうよ翔ちゃん。カエちゃんも、これから更衣室で着替えるのっ。ねっ?」
着替えるって…
え…?
「うん…!」
ぇ――――ッ!?
***
つまりは人質と同じような発想である。俺が一人逃げないように、楓にも一緒にモデルを勧めた、というわけだ。
俺は杏が二着貸りてきた服の一着を楓から受け取り、男子更衣室で着替え終えた。
隣の女子更衣室に入った楓も着替え終えたのか、ドアが開いて閉まる音が聞こえる。
(さすがに一緒の場所で着替えるわけにはいかないもんな…)
俺が廊下に出ようとしたら外からドアが開く。楓かな。
ガチャ
「かえ――」
「どわぁあっ!?なっ何で女子がーッ…!」
「あ、いや違…」
「失礼しましたぁああッ」
…
違った……。釈明の暇もなく行ってしまわれた…。
「小椋くん。大丈夫?いま男子が…」
「あんまり大丈夫じゃ…ないな…」
先客にやや遅れて迎えに来てくれた楓はチアガール衣装に身を包んでいた。
うちのチア部のユニフォームは、下は目の覚めるような鮮やかな群青を基調としたミニスカートと、柔らかそうな乙女のおみ脚にぴったりフィットする白のハイソックス。
上は二の腕をすべて晒すノースリーブ。前側の肩~胸部が白の生地。そこに校名のアルファベットが黄色でプリントされ、腹部はスカートと同じ群青色。胸部と腹部の境目にはボーダーのように黄色の線が2本あしらわれている。
…って、何で下から目を通した俺。
「っ…すっごい可愛いな…。なんか、オーラを感じる可愛さというか、うん。眩しい」
「そ、そうかな…」
時期的には肌寒い格好だ。冬用の長袖は今チア部が使用中だから貸りられなかったらしい。
事情があって不安げではあっても、こういう服を着るとやっぱり楓は様になっている。つつましい体つきと柔らかな生地、人と服が一体になり織り成される美がそこにあった。
「小椋くんも、すごく似合ってるね。可愛い!」
「がッ…」
今の不安はむしろ、俺もそれを着てしまってることだな…。楓が可愛いって言うんだから、それなりに似合ってたりするのか…。
そもそも好きな女の子の前でこんな格好をする男子がいるのか。
トランクスパンツじゃスカート下にはみ出すから、一応下着はサポーターに履き替えたが…。半端なく恥ずかしい。特に下、ミニスカってこんなにすーすーするの?
露になった脚の間を通る気流が心もとない感情に拍車をかけた。
「……くん…」
いや、探せば意外といたりするのか…。テレビや漫画で男の娘カフェとか見たような…。でもこの学校では多分…。
「小椋くん!」
「お、おぉをっ!?」
ふと我に返ると楓の顔が目の前、数十センチ先まで近付いていた。
「ほんとに大丈夫?風邪とかひいてない?」
「ひいてないひいてない!でも、すーすーするし…寒い格好だな。手に持ってるポンポンが温かく感じるくらいだし、早いとこ美術部に戻ろう。あそこなら暖房効いてるし」
「う…うん。…あ、ちょっと待って」
楓はそう言うと俺の右手を左手で掴んで、右手で指の付け根と付け根の間、手のひらを、むに…むに…と揉み始めた。
「あのね、ここ、井穴と合谷っていって、ストレスが和らぐツボなんだって。和田先生がよく、こうして落ち着かせてくれたんだ」
「そ、そうなのか…?…あ……、でもたしかに落ち着いてきた……かな…?…ちょっと気持ちいい…かも…」
「小椋くん、手、ちっちゃくて可愛い…」
すみません嘘つきました。落ち着くどころか心臓バクバクです。
「ありがとね。中間テストの勉強、誘ってくれて」
「な、何だよ。改まって……。そりゃむしろ俺の方こそ…、だよ。お母さん、大丈夫か?」
「うん。毎日メールで連絡してたし、ボクが部活入ったって聞いた時も、喜んでた」
楓は俺の手を揉みながら続けた。
「ボク、ずっと忘れてたのかも…、学校って何のために行くのかなって…。でも…、小椋くんたちと一緒にいて、なんとなくだけど、わかってきたんだ」
「わかってきた?」
「うん。もしかしたら、それは、思い出を作るためなんじゃないかなって。長い人生の中では、ほんの僅かな間かもしれないけれど、将来思い出して…心がぽかぽか温かくなるような…そんな思い出を、皆で心を合わせて作るために…」
受験のために、機械的に教科の勉強をするだけなら塾だけで足りる。
スポーツも、各専門のクラブチームの方が高い技術を得られるだろう。
旅行も、個人で行けば行き先から時間まで自由に決められるだろう。
でも、一度しかない学校生活には、きっとそれ以上の何かが在るのだ。男の子にも、女の子にも。
楓の、飾らない心からの言葉は、その何かを確実に掴もうとしていた。
「楓…お前…」
「あっ…あはは…。なんか、ボク、こういう楽しいの慣れてなくて…。楽しい思い出、いっぱい作りたくなっちゃった」
「口調がまたボクに戻ってるぞ」
「は……はわぁあっ!」
途端に手を放し、両手で口を塞ぐ楓。
その動きに丈の短いチア衣装が少し引っ張られて、お腹の肌と小さなおへそがチラッと見えてしまった。
普段は先ず拝めない、楓のおヘソ。普段からアクティヴに動いてパンチラしまくってる杏の有り難みの無いそれとは比較にもなるまい。
ぅ……また……ドキドキしてきた……。
俺も頼人のこと言えないなこりゃ。
「俺もだよ。なんやかんやで皆との思い出が無かったら、今こうして学校来てたかどうかわからないもんな…。これから卒業まであっという間かもしれないけど、どうせあと少しなら何でも全力でやって、思い出いっぱい作りたいよな」
「うん!……へ……へっくちっ」
「と、その前に風邪ひいたら何にもならないな。上下にジャージくらいは着ていくか」
「う……うん……。そだね……」
***
美術部に戻った俺達を待っていたのは意外な光景だった。
てっきり騒がれるかと思っていたが、異常に静かなのである。
そして一番騒ぐはずの杏は――
「寝てるしっ!?」
椅子に座り机に横顔を伏したまま、はにゃ~んと猫のように眠っていた。水飴のようなよだれまで垂らし、爆睡である。
「しぃ――っ。起こしちゃダメです」
「ぅっわぁ……予想以上に似合ってますね」
小声で美術部員たちが寄ってきて、囁くような声量で口々に歓喜した。
俺達に気が付いた頼人も近付いてきて、その手にあるキャンバスを見て俺達は事の詳細を悟った。
下書き用の木炭で頼人が描いたそれは、幸せそのものの寝顔だった。卓越した頼人のセンスもあって、実物の魅力を数段レベルアップして表現していることは言うまでもない。
俺達を待つ間、杏は寝入ってしまい、その寝顔に見惚れた頼人がキャンバスに試し描きしていたら思った以上に熱が入り、これに至った。部員たちもそんな頼人をそっと見守ることにしたらしい。
「で、俺らはどうすればいいんだ?」
俺が小声で訊ねると、頼人はキャンバスに指で2ヶ所、杏の座る椅子の脚あたりにマルを示した。
「ここと、ここに。二人は椅子の脚、後ろと横側に背中を預けるような感じで床に座って。くれぐれも米倉さん起こさないように…」
頼人はこの気ままな女王様をメインにした絵に俺たち二人を加えることにした。
予定からはだいぶ変わったが、この絵はとても綺麗に描けているし、杏も怒らないだろう。
「うん…。わかった」
「そーっとな。そーっと…ポンポンの音で起きないように気を付けて…」
『んにゃ、むにゃ…しょおちゃ……じゅる…っ』
「!?」
…寝言か。
「小椋くん、太ももは閉じて、正座の両足を外側に崩すような感じにして」
「こ……こう……?」
だ、大丈夫かな…。
「うん。肩の力、抜いていいよ」
そんな感じで楓や頼人、後輩たちの的確な手ほどきにより、短時間ながら女座りや仕草を覚えることができた。
その後、後輩たちは鍵を頼人に預けて全員先に帰り、下書きは夕方5時ごろに完成した。
杏の爆睡はこの日までの連日の徹夜勉強が原因らしく、おんぶして保健室まで連れて行っても完全には起きなかった。
和田先生は『どっと疲れが出たのね…ぐっすりと寝かせてあげればまた元気になるわよ』と俺達に伝え、寝ぼけたままの杏は家の迎えの車で帰った。
後日、元気になった杏はチアガールを見れなかったことに案の定ブーたれていたが、完成した頼人の絵を見て大歓喜して、俺達三人を抱きしめた。
そういう勉強会のつもりじゃなかったけど、ほんの少しだけ、自分の意思で女の子体験をしてみて、楓ならではの頼もしさを知ることができた。
女の子同士だったらこんな感じなのかな…みたいな、何だか秘密の気持ちが芽生えたような気がした。