秘密の特訓(前編)
10月下旬。楓が学校に復帰してから2週間――
中間テストの答案用紙が帰ってきた。
当然のごとくみんながざわつく中で、隣の席では楓が珍しく口をブイの字に結んでいる。
あっ…答案で顔を隠した。
さては手応えアリだな?
予感は的中し、楓は国数理でそれぞれ100点という文句なしの結果を収めた。
教科の先生と周囲から直に讃えられ、本人も赤面していたのは言うまでもない。
うちの学校は田舎の公立中学。生徒も教師もそんなに勉学に力を入れているわけでは無い。それでも複数の生徒が良い成績を収めるクラスでは教師達もそんなにキツい嫌味は言わなくなり、結果的にクラス全体の空気も良くなる。
「俺も平均だいぶ上がったよ。これも部活の成果だな」
「お……小椋くん。しぃーっ…」
自分の口元に人差し指を当てて慌てて口止めを要求する楓。
心配しなくてもいいぞ。「部活の成果」だけ聞いてもクラスの殆どは何のことだか解らないはずだからな。つーか…その仕草かわいいな。
転校当初こそ周りから人が寄ってきた楓だが、過去の苦い思い出もあってか自分から人の輪に入ることは避けていた。
休み時間は一人で教科書を読んでいたり、体育の授業も杏と組むことが多く、部活も無所属の帰宅部だった。
それが他のクラスメートとの間に壁を作ってしまうことは自明の理。
髪をばっさり切って再び教室に現れた時も、初日こそ多少騒がれたが、翌日からはぼっち予備軍に戻った。
事情を知っている今、それが寂しそうなんて心配はおこがましい……かな…。
けど、明るい思い出の1つや2つ作っても罰は当たるまい。
というわけで俺は楓を自分の所属する美術部に誘った。課題さえ提出すれば、あとの時間は自由♪という帰宅部に毛の生えた程度の文化部だ。部員も物静かな面々で、干渉されることはあまりない。
同時に学校のテスト対策を練るにはうってつけのアジトになった。
「小椋くん。私、図書室行ってから部活出るから杏ちゃんと頼人くんと先に行ってて。皆でテスト結果の見せっこするんだよね?」
「ああ、今日は図書委員の日か。わかった。伝えとく」
人前では"私"、か。…。
プライベートではボクっ娘モード、公の場では私モードに。男の子時代から使ってるボク喋りが楓の素なのだと慣れてしまった今では、その使い分けに感心させられる。
ふいに間違えないかと、ちょっぴりハラハラするけどな。
***
美術部に行くと大きな机で一組の男女が答え合わせをしていた。 男の方は手を自分の額に当てながら何か呟いている。
「あ、ありえん…!この僕が国語と社会どちらも85点を切るなんて…何でこんな典型的なケアレスミスを」
「ライちゃん大丈夫だよ。みんなで力を合わせれば、テストの点数くらい、きっとなんとかなるよ」
「あ、あのー…さすがに返却後の点数を改変しちゃったらモロアウトだよ米倉さん…」
いつも通り元気なボケをかます杏に、元気無くつっこみを返す男子生徒。
彼は赤嶺頼人。体型はややふくよか、眼鏡をかけている美術部の前.副部長だ。
「あ、ショウちゃん。テストおつかれさまー。カエちゃんは一緒じゃないの?」
「おつかー。楓は図書委員会行ってから来るとさ」
「翔太。お、お前はどうだった!?テスト」
不安6割、期待4割といった顔で頼人が聞いてきた。楓が来るまで点数は明かせないのでやんわり答えておこう。
「おかげさまで、まあまあ良くなったよ。苦手の古文もいつもよりは酷くなかったし、頼人のアレが効いたな」
「私もー。ライちゃんありがとー!はい、飴ちゃんあげるー♪」
「いや、別にお礼を言われる覚えは…。それに4人でやるのは想定してなかったし、翔太達が上手くいったのは多分たまたま だよ…。た、たまたま…もご」
おいこら。喋ってる口に棒つき飴をつっこむな…と言おうとしたが遅かった。
渋い顔をしていた頼人の口にチャパチュプスの甘くまろやかなミルクラテ味が挿入された。
うーん…さすがにこれは頼人も…
「おいしー?この味、私大好きなんだー」
「…ん。美味」
えーーーっ!?
受け入れるんかいっ。おーい わが友よー 頬を染めるなー。
こら杏。そのへんにしとけ。頼人はあんまり女の子に免疫ないんだから…。
***
頼人が考案した、最低3人の参加者を必要とする勉強法。
名前はまだ付いていない。
まず3人のうち1人がその日の採点係になり授業で習った範囲から1枚15点満点の小テストを作り、他2人の挑戦者に配布する。
期間中は5教科(国、数、英、社、理)と4教科(保、美、音、家)の計9教科を随時用意していく。
1日にやる小テストは5教科から2つ。4教科から1つ。
計3教科。
ただし数学の証明問題は1枚あたりの出題は2問までを限度とする。参考書の使用も可。
また、英語は抜粋した文章の和訳。単語、連語の意味を示す問題が主。
さらに、任意挑戦になるが、もしその日の授業範囲の英文を丸暗記して教科書を一切見ないで正確に朗読できたらプラス5点、失敗したらマイナス5点。
コピー機が必要な時は担任に言って職員室で貸りる。
幸い今回は全員自宅にパソコンがあり、小テストの作成に手間はかからなかった。
その日の小テスト3つの合計点が低かった方の挑戦者は30分の自習タイム。その間、絵のモデルとなり、他2人のスケブ(スケッチブック)に自習中の姿を描かれる。自習は机でやる他にも口答で答えるクイズ形態も可。
絵の種類は自画像、人物画、漫画風イラスト等…何でも可。
描いたらちゃんと本人に見せること。
これを3人でローテーションして日毎に小テストの採点者を交代していく。
ある程度、二学期開始からその日までの授業をきちんと理解していないと簡単な問題しか作れない。
挑戦者が2人とも満点の時は採点者が敗者となり30分自習。絵のモデルになる。
「つーことで、よろしくたのむ」
「よ…よろしくお願いします…」
「ここここここちらこそよよよよよよろしくおねがい申し上げたたた奉りまするっ」
落ち着け友よ。考案者が楓以上に緊張してどうすんだ。
やっぱり軽く説明しておくか。
「あー…頼人はちょっとワケ有りでな。生身の女の子が少し苦手なんだ。ただ別に嫌いとかいうんじゃなくて、思春期によくある緊張の一端だと思って労ってくれぃ」
「翔太だって思春期だろ!そっちが慣れすぎなんだよ。僕と同じくインドア派のオタクじゃないかっ」
「はは…。わりぃわりぃ」
別段慣れてるつもりもないんだけどな…。
そんな頼人の気の張りを和らげようとしたのか楓も自分から声を発してくれた。
「あ、あの、私も小椋くんと同じくインドア派で…」
「えっ……本当!?」
そこから少しずつ打ち解けていった。
修学旅行ん時の俺も似たようなもんだったよなー。
どんな人間関係も、相手に心を許さなくちゃ始まらない。踏み出す側、受け入れる側どちらにも勇気がいる。
楓も頼人も、あの時の俺よりずっと強いのかもしれないな。
***
使用するスケブの表紙には【美術部.3A活動記録】の印を捺し、帰る前に美術準備室の保管庫へ正式に預ける。
ここの鍵は先生以外では部長と副部長にしか扱えない決まりになっている。参加者が外に持ち出さない限り、絵を外部の人が知ることはない。
しかもテスト期間は部活休みで俺達しかいなかったしな。
「わ……。これ本当に30分で描いたの?小椋くん……絵、得意なんだね」
自分で上手いかどうかはわからないが楓に褒めてもらえると嬉しい。まあ、美術部で下手だったらシャレにならんし、多少はね?
眼に映った映像をありのままに描くだけならそんなに手間ではない。対象も綺麗だしな。
「せ、正確には15分だね。翔太は1年の頃から課題提出してすぐに帰ってたから知る人少ないけど、美術部では一番デッサン早いよ」
「いや俺のはモデルに頼りがちなんだよ。勢いで描いてるところある。イメージを膨らませて造型に凝れる頼人の方が、正攻法でレベル高いだろ」
「うわぁ…。頼人くんも上手…。どうしよう、私、絵 下手だよ…?」
不安げに楓が呟いた。それも想定はしていた。
参加者の心の抵抗を除去するべく、この勉強法では絵に関してはとことん自由と定められているのだ。
「大丈夫。何回も描いてるとそれなりに上手くなるよ」
「そ、それにこれ…もともと罰ゲームを楽しもう的な所から来てるからねっ…」
「本当?」
「ほんとほんと。簡単なイラスト風なやつでも良いし、2頭身でもゆるキャラでも良いんだ。俺も頼人から教わったし、気楽にやろーぜ」
小テストとはいえ毎日ただやるだけじゃ飽きる。
罰ゲームもただの自習やモデルだけではちょっと嫌。
だけど、これなら自分が納得できる絵を描く機会を得るために、真面目に日々の授業を理解して、真面目に問題を作る。
たとえ負けても絵を通して、仲間と共に過ごした証を残せる……たぶん。
「うん…!わかった。じゃあ…やってみる!」
「き、気楽にね…」
とはいえ、緊張感やモチベが無くなっちゃうのも何か勿体ない気がした。
「よし、賞品つけるか」
「賞品?」
「中間テスト本番の結果で優勝者は最下位の人に願いごとを1つ叶えてもらえる。まあ…願いって言っても危ないこととか大金がかかることとかはダメ。友達を傷つけない、人間関係壊れたりしない範疇で」
「願いごと…かぁ…」
こうして3人の勉強と部活を兼ねた特訓が始まった。……が、
「あー~っ!翔ちゃんたち私に隠れて何かイイコトしてるーっ」
程なくして女子バスケ部のマネージャーを引退した杏に嗅ぎ付けられてしまい、このアホを加えて4人でローテすることになった。
それから中間テスト本番の日まで――
楓が気合入れて作った問題がやたら難しくて低得点の泥仕合になったり、英語の切り札用に本文丸暗記の朗読を仕込んできたら4人とも仕込んできて切り札じゃなくなってしまったり、自習時間を15分に変更し残り15分でモデル役が服やポーズを変えたりもした。
しまいには、
「うっ……薄桃色……ッ」
「あっ杏ちゃんっ!スカートっ」
美術室に置いてあったロッキングチェアに杏が体育座りで絵を描こうとしてパンチラし、それを見た頼人の鉛筆がボギッと音を立ててへし折れたり…。
「頼人。鼻血」
「お鼻、大丈夫?はい、ティッシュ♪」
ときに香ばしく、ときに愉しき記憶とともに勉強とスケッチの日々は続いていった。
***
中間テストを終え、楓と合流した俺たちは結果を見せっこした。
これが各々の、9教科の合計点だ!
翔太…779点
楓…870点
頼人…773点
杏…875点
「なぜこうなったッ!?」
楓が高いのはわかる。100点を3つも取るくらいだから他も当然きっちり取ることは想像に易かった。
でもさぁ…
何で杏まで高いの!?
「杏ちゃんすごい!」
「えへへへ~褒めて褒めて。撫でて撫でて~」
こいつまさか楓の答案カンニングしたんじゃねーだろな…。いや、ムリか…。楓の席は窓際だし、その隣は俺だし…う~ん…。
「どの教科で点数稼いだんだ?」
「えっと、杏ちゃんは保健体育と音楽と家庭科が3つとも満点。英語も98点で自己ベスト更新だって」
「保健体育、だーいすき♪」
聞かなきゃよかった。そこはせめて女の子らしく家庭科さんと音楽さんを立ててやれよ。
「あ…悪夢だ…。僕が…」
頼人、すまん。何か…気の毒どころじゃない事態になってしまったな。
マジごめん。
たかが中間テスト、たかが四人の結果発表。それでも結果は結果であり、気にするもんは気にするよな…。結構楽しげに付き合ってくれてたし…。
平均85点なら気落ちするような点数じゃないよ?元気出してくれ。
俺は頭の中でそう呟きながら、項垂れる頼人の背中をさすった。
「はぁ…本橋さんも米倉さんもすごいな…。あの勉強法でここまでいい点とった人たち初めて見た。文化祭のあと1週間学校休んでたハンデもあるはずなのに…普段から相当しっかり勉強してたんだね」
「そ、そんなことないよ。い、1週間休んでた分は小椋くんがノート取っててくれたおかげだし、全国模試の成績だって杏ちゃんや小椋くんより低かったし、普段からなんてボク全然勉強してないって………あっ」
日ごろ褒められ慣れしてないためか、楓は慌てた拍子に返答台詞の一部を誤ってしまった。
直後に条件反射で口元に手を充てる。
さらには――
「あっ!」
こともあろうに杏まで素で焦って奇声をあげてしまった。
「?」
頼人はきょとんとした顔でまだ何が起きたのか気づいていない。
だが途切れる前の会話を思い起こせば異変に気付いてしまうことはすぐに予測できた。この間およそ2秒弱。
「え……二人とも…どうしたの?えーと、何だっけ?普段から…」
「どーしたもこーしたも無ぇよ。頼人、この勝負、俺の負けだ」
割って入った俺の言葉に、頼人の視線がこちらを向く。
「翔太?負けって…?」
「これ、よーく見てみな。正解のマルが付いてるけど社会の解答に画数足りてない誤字が二つ、音楽も配点の数え間違いがあった。採点ミスによるマイナス8点で本当の9教科合計771点」
白旗のように答案用紙をピラピラと振る俺を見て、その顔色はたちまち明るく変貌していく。
「翔太~~っ!友よー!」
熱い抱擁、そして男泣きである。
「ぐぇっ!苦しっ重っ…ギブギブ」
「ぐわあああああん!ありがとおおおおおおおお!」
ふぅー……あっぶね~…!!
頼人の背中をタップしながら楓に目配せと口パクで『セーフ、セーフ』と伝えると、楓は両手を合わせて口パク、『ゴメンっ』と返してくれた。
人間、向かい風の逆境より追い風の緩みの方が色々やらかしやすいのかも。
かくいう俺も だよな。
気を付けなくては…。
そう肝に命じた直後だった。
「ふっふふっふっふっふふっふ…」
そのドス黒い、悪魔の笑い声が、杏の口から発せられたのは。
「翔ちゃん。最下位になったときの約束、覚えてるよね?」
前回(5話)の後半部に大きな改稿が数ヶ所ありましたので活動報告に記載いたしました。
お手数をおかけしてすみません。