お盆の午後の捜索隊
8月13日の正午過ぎ。天候は雨上がりの曇り
場所は墓地。俺は一人、墓参りに来ていた。
「とりあえずこれで良し、と」
花を新しくして水も替えた。線香受けも綺麗。雑草やゴミもなし。
厳かにお墓の整頓を終え、俺は持参した線香を備えて帰ろうとした時だった。
「あれ……点かない。うわっ……風が……あちちっ」
100円ライターでは火が弱い。風が邪魔をしてうまく点かない。
シュボシュボ手間取っていると、後ろから声がした。
「これを使いなさい。キャンプ用のだから直ぐに点くはずだよ」
「園長……先生!?」
「やっぱり、翔太くん。お久しぶりね。私のこと覚えててくれたのねえ。何年ぶりかしら」
この墓地はお寺の敷地内にある。俺は幼少期、ここに隣接している保育園に通っていた。
この人がそこの園長先生だ。長い髪を後ろに結ってピンクのエプロンをした佇まいは一見、どこにでもいる田舎のおばちゃんである。
物心ついて間もない頃に第2の母親のように慕った丸顔。8年を経ても変わらなかった。でもちょっと小じわは増えたかな。
「助かりました。今度からは僕も用意します。こういうの」
俺は煙が出るようになった線香を自分の家と親戚の墓前にそれぞれ備えて、ライターを返した。
「こんなのいつでも貸し出すのに」
「いえ、檀家だからってご厚意に甘えるわけには」
「えらいわねえ。ご両親も鼻が高いわねえ」
「はぁ。まあ、今は二人揃って墓の中なんですけどね」
去年の夏、うちの両親は二人とも病気で他界した。残っているのは、嫁に行って姓の変わった姉ちゃんと、俺の二人だけだ。
園長先生は優血こそ繋がってない赤の他人だけど、話していると遠い親戚みたいな照れ臭さと安堵感を覚えた。
そんなことよりも、園長先生の手に持ってる紐が気になった。
「そのリード、犬の……ですよね?」
「え、ええ…。一昨日からうちの犬がいなくなっちゃって。家族総出で探したんだけど、見つかってないの」
「犬ってもしかして白くて、こーんな大きな……」
「ええ。翔太くん達も大好きだった北海道犬の、ぽてとよ」
◇◆◇◆
◇◆◇◆
「わぁぁっ やめっ。あ、あの、すみませーんっ!」
それは誰かが来るのを待っていたような、困惑混じりの高い声だった。
本堂の前に行くと女の子が大きな犬に絡まれていた。犬はひたすら女の子の持っていたタオルに噛みついて引っ張り、何度も齧られたのか、タオルはもうボロボロだった。
肩出しの白のシャツに薄ベージュのキュロットスカート。見とれてしまうほど綺麗なおみ脚に傷は無く、体はまだ噛みつかれていないことがわかった。
まさかと頭をよぎったけど、予感は当たってしまった。
「こらっ。ぽてとっ! シッ!!!」
「キャヒィッッ……フゥゥン……」
「よしよしよし、だいじょぶだいじょぶ」
「お、小椋くん?」
「よう。本橋、奇遇だな」
自分でも驚くくらい手早く犬をなだめることができた。やっぱりこれが、あのぽてとなんだと確信した。しゃがむと、手の匂い、膝の匂いを嗅いで俺が誰なのか思い出したらしい。
舌を出して、ペロペロと舐め始めた。息は荒く、ずんぐりした体とワサワサした毛並が膝に触れてくすぐったい。
「この子、小椋くんちの犬なの? 僕、二重の意味でびっくりだよ」
「ははっ。まさか。ここのお寺の犬だよ」
「それにしては……扱い慣れてるみたいだけど……」
うっ。いや、それは当然だ。2、3歳くらいの頃から毎日遊んでた。
月命日に墓参りするようになってからも毎月会ってナデナデしたり、園長先生の旦那さん(つまりここの住職さん)からぽてとの散歩を頼まれたこともあった。
「俺、ここのOBなんだ」
「……このお寺で修業してたの!? い、一休さんだね」
「卒園生な。隣の建物みてくれるか」
「あっ…………! アハハハっ……わかってたよ! も……、もー、真面目だなぁ」
◇◆◇◆
経緯を説明していると、遅れて園長先生もやってきた。
「申し訳ありません。この度はうちの犬が大変ご迷惑をおかけしてしまい、なんてお詫びしたら……」
「大丈夫です。私は噛みつかれませんでしたし」
あ。さすがにここでは「ボク」って言わない、か。前に言ってた社交辞令モードかな。
「でも、あなたのタオルが……」
「あ、これは……。元々こんななんです。気にしないでください」
本橋は持っていたぼろぼろのタオルを恥ずかしそうに肩掛けバッグにしまいこんだ。
俺はぽてとのリードを持ってそんなやりとりを聞きながら、餌をあげていた。
食べてる途中でも何やらソワソワと落ち着かないぽてとを見ているうちに、自然とその一言が出た。
「あの、ちょっとだけ散歩してもいいですか? 気になることあって……。僕、リードは絶対に離しませんから」
「どうかしたの?」
「もしかしたらぽてとは何か大事なことを僕たちに伝えようとしてんじゃないかって……気がするんです」
「小椋くん……?」
「あ、ごめん……。その……も、本橋は、もう行けよ。今日は予定あったんだろ。夕方からの夏祭りとか」
「うん……そうだけど……」
ビンゴかよ。ただいまの決まり手は突き出し。俺のあほーーー! ……まぁ、部外者だし、うん……仕方ないよな……。
「ぽてとは何か言いたいことあるの?」
「ワンワン!ウッウッ!」
園長先生はぽてとの体を撫でながら、その目を見て言った。
「あれは翔太くんが4歳くらいの頃だったかしら。おうちの人のお迎えを待ってる間、みんなお寺でかくれんぼをしてた。木登りした翔太くんが降りられなくなっちゃって、一人泣いてるところをぽてとが見つけてみんなを呼んできてくれたのよね」
「あー……そういえば、そんなこともありましたね。あのときは誰にも見つからなくて安心してたら薄暗くなってきて降りようにもお手上げでした」
「へぇー! そんなことがあったんだぁ。初耳だなー」
「ふぁッ!?」
しまっっとぅああっ! 本橋に恥ずかしい過去ををお。
「ふふっ。リードを伸びる紐に交換したら、私も一緒に行くわ。ぽてとの後ろについていきましょ」
◇◆◇◆
寺の土地は広い。大半は墓地なのだがここ以外にも近隣数ヶ所に点在していて、すべてを合わせたら校庭の面積を超えると思う。
今ぽてとの案内で俺達が歩いているこの霊園は本堂から最も遠くにあって、数百メートルは歩いた気がする。
「へえ~~。おじいちゃん子だったんですねえ」
「そうなのよ。数の数えかた、字の書き方、縄跳びの跳びかた、鉄棒の回りかた、ラブレターの書き方まで、翔太くんはおじいちゃんから色々教わってたのよ」
「えっラブレター? 小椋くん、園児なのに随分ませてますね。相手は誰だったんですか」
「ちょっと先生。僕の過去を易々と口外しないでくださいよ」
「いいじゃないの。ガールフレンドなんだし」
「がッ……!? 違いまs」
「そうですよ。ただの親友です」
「あら~、そぉなの」
悲しいような嬉しいような。傍ら園長先生はしたり顔。
ぽてとは時々立ち止まって木におしっこをしたり、尻尾を振りながらワンワンと吠えてこちらをチラ見した。その仕草は「ちゃんと付いてこい」と言ってるかのようだった。
「本橋は予定大丈夫なの?」
「うん。夏祭りが始まったらいくから、気にしないで」
『ワンワン!ワン!』
「どうした!?」
「ここが目的の場所……?」
小高い丘を登ったそこには古びた石塔が建っていた。
「無縁仏の供養塔よ。うちは先祖代々、ここを守ってきたの」
「小椋くん。あれ!」
「ダンボール?」
石塔の前にダンボール。中には何も入っていない。
「しっ。静かに。なんか聴こえる」
「え?」
「……ちーっ、ちーっ……て……」
ぽてとは石塔の足元にある石組みの隙間に頭を突っ込んでいた。 俺も隙間を覗き込む。そして納得した。ぽてとがタオルを持って行こうとしたこと、空っぽの箱の中がほんのり温かかったことにも合点がいった。
「こいつだったんだ。ぽてとが助けようとしていたのは。そうだよな?」
「ワン!」
再び鉢の中に置かれた、白と灰色のふわふわ縞をみて、本橋と園長先生は目を丸くした。
「まぁ。子猫ちゃん」
「えっ!? 猫なんですか」
「れっきとした猫ちゃんよ。ほら、ぺしゃっとしてるけど尖った耳もあるし、朝の小雨で濡れちゃったのかしら」
「……チャア……チャー……チー……」
両手に収まりそうなサイズ。まるで鼠のようなか細い鳴き声では本橋がそう思うのも無理はなかった。
生後何ヵ月だろう……。ずぶ濡れの体はぶるぶると震えて、小さく丸まっていた。
「とにかく、うちに連れていって温めてあげましょ」
「体も拭かなきゃ。小椋くん、このタオル使ってあげて。ボロボロだけど」
「潔いな。ありがとう。園長先生、家についたら僕は自転車とばして猫ミルクとかトイレとか必要そうなものホームセンターで買ってきます」
この捜索に賛同して、家に連れてくと言い出しっぺだからなのか園長先生は困惑気味だった。
「そこまでしてもらうわけには……」
「僕がそうしたいんです。お願いします。お供え物だと思ってください」
「小椋くんも潔いね」
「べ、べつに感化されたわけじゃあないよ」
そんなやりとりをみて、園長はふっと微笑み、言った。
「ありがと。車に気をつけてね」
けっきょく俺は子猫の無事を見届けたあと本橋と一緒に夏祭りに行く勇気は出なかった。
後日。元気になった子猫にはすぐ新しい里親が見つかって、夏休み明けにその報告だけで本橋はすごく嬉しそうだった。それで十分だと思った。
「ボクも小椋くんと同じ保育園が良かったなぁ」
「へっ? いま何か言った?」
「べつにぃ」
さらに嬉しい一言を聞き逃した気がするけど、残暑のせいということにしておこう。