本当とボク
『はぁ~………だ、だるぃ……』
10月上旬、中学最後の文化祭が終わった翌日の校舎で俺.小椋翔太はため息まじりに物憂げな本音をこぼした。
昨日が日曜日で今日は祝日。催し物の後片付けは生徒みんなで行ったが、祭の終了時間が夕方だったこともあり、残ってしまった作業は今日。文化祭実行委員の役目となった。
「小椋先輩~、これどこに持ってけば良いですか?」
「ちょっと待って。今確認するから」
しかし俺は実行委員ではない。こんな雑務に時間を割いているのは、委員の代行だからである。
本来ここにいるはずの実行委員は祭の最後に意中の女子に前宙を披露しようとして失敗し、腰を強打して今日の仕事に出れなくなった。
簡単な仕事だから……と頼まれて安請け合いしたものの、休日出勤。
担当エリアの備品確認から記録、委員長への報告に至るまでを逐一こなさなければならず、清掃作業と平行して臨む時間のすべては予想以上にかったるかった。まったく、何が簡単だ。家で丸一日勉強してた方がまだマシだぞちきしょうめ。
それでも何とか役目を全うし、受け持った仕事の殆どは予定時刻より少し早く終わった。
最後の戸締まり確認も終えて帰ろうとしていたら、スマホを忍ばせている制服の内ポケットが震え、俺は昇降口で足を止めた。
『会って話したいことがあります。もし時間が空いたら図書室まで来てほしいです』
俺は受信したメールを確認して、『わかった。すぐ行くよ』と返信する。
メールの相手は本橋楓。4月にうちのクラスに来た転校生だ。
席は俺の隣だが、転校生ということで本橋に絡んでくるクラスメートは多く、俺は挨拶くらいで殆ど話す機会はなかった。
インドア派でオタク男子の俺は女子との交流に関心も薄かった。
そうした関係が大きく変わったのは5月、京都への修学旅行だった。
団体行動に飽きていた俺は自由時間に1人抜け出し、自分土産に好きなゲームの関連グッズを求めて、現地のアニメ・ゲーム専門店を訪れた。
お目当てのキャラの限定カードを手に取り、他の商品も見て回ろうとして振り返ると、見知ったショートボブの髪の少女がこっちを見て立っていた。
「……も……と……!?」
頭の中が真っ白になって、出す言葉を失っていた俺に、少女.本橋は言った。
「小椋くんもやってたんだね!ブレクロ!」
うつ向く視線の先、彼女の手には俺が手にしてるのと同じものがあった。
「……?えっ……」
ブレクロとは小中高生から社会人にまで大人気のスマホRPG(ロールプレイングゲーム)の略称で正式名はブレイダーズクロノスという。
俺が買ったカードはまた別のカードゲームとのコラボ記念商品で、後々に入手困難になったり価値が高騰する可能性が高かった。
「あ、ああ……まぁ……な」
そそくさと返答し、会計をすませ店を出た。咄嗟のことに、とりあえず逃げた。
だがその後も本橋は猛ダッシュで俺の直ぐ後を追いながら次々と質問を繰り出してきた。
「どのキャラが好きなの?」
「どの話がお気に入り?」
「神器は集めてる?」
教室では見せない、ゲーム愛全開少女のヒートっぷりは俺の驚きをさらに加速させた。
とはいえ、こちらもやりこみを経ている古参プレーヤー。ゲーム愛全開で質問には全て答えきった。
そうして通りを抜ける頃には警戒心も薄れていた。
場所を涼しい茶屋に移し、質疑応答はやんわりとゲームやグッズの話題を中心とした会話に派生していた。
「そっかー。京都ご当地IDの入力でクエストのBGMまで京風になるのか。公式HPにあったお楽しみ特典ってそれだったんだな」
「ふふふ♪」
数分前までの緊張が嘘のようだ。茶屋を吹き抜ける風とほのかな緑茶の香りが心地良い。
「本橋さんって教室で話してる時と全然キャラ違うんだな。生き生きしてて、なんつーか、別人みたいだよ」
「さん?」
「えっ?」
なんか不味いこと言っただろうか。俺は直前の言葉を確かめたが不審な点は思い当たらない。
「え、と……、女子には基本的にさん付けするもんじゃないの?」
「そう……だね。うん。何でもなかった。気にしないで。あはは」
本橋の淀みの無い笑顔も、声も仕草も、それは教室で見ていたものより明らかに、遥かに、煌めいていた……。
有り体に言えば、率直な感動。こういう女子もいるんだなーと俺は頭の中で呟く。
「うーん、別人とかキャラっていうか…教室では社交辞令?まわりに馴染むのにいっぱいいっぱいなんだよね。ほら、ゲームのグッズとかって、知らない人から見たら『うわっオタクだ!腐女子だ!』とか引かれたりするし……だから班行動中は堂々とお店に行けなくて……」
本橋は軽く苦笑いを浮かべた。
まぁ……それは察する。
リアル人間関係に無頓着な二次元ゲームオタクの俺に、人の噂やグループ内の評価を真っ先に気にするというリア充の世界はよくわからない。
だが、思春期の女の子は男の子よりも繊細で傷つきやすいことは、家でも昔から母さんや姉ちゃんから頻りによく聞かされてきた。
テレビや漫画でも、女同士の関係は些細なネタ1つで陰湿ないじめに発展する話を目にするし、本橋がこれを隠してたことはすんなり納得できた。
「でもグラン兄貴、かっこいいんだけどな。男も認める男キャラ!って感じで」
「だよねだよね!もしかしたらお店にあるかなって期待してたんだ。京都限定、グランのカード、ゲット出来て良かったー♪ほら、ドラマCDも」
「早っ!ドラマCDまで買ってきたのか…」
(今度貸してくんね…?)
グランとはブレクロに登場する人気キャラクター。寡黙でいて熱いハートを秘める狩人の青年である。
「あ、やっぱりそれ買ったのか。だとすると、、、ごめん。俺が買ったジーンのカード、本橋さんもほしかった……よな?」
ジーンとはグランの双子の妹で、明るく義理堅い鍛冶屋の女性である。二人セットで登場することが多い為、どちらかが好きな場合は両方のファンというケースも多い。
店にあった最後の1つを俺が買ってしまったので本橋は……
「うん」
即答だった……。やっぱりね。
「なら譲るよ」
「でも、小椋くんがゲーム好きだってわかったし、お話ができるようになってホントに嬉しいし、そっちの気持ちのほうが大きいんだ」
「そ、そうか……」
「このカードだって、小椋くんは大切にしてくれるんでしょ?」
「うん。まあな」
出した言葉を引っ込める情けない俺にも気づかず、橋本は嬉々として話を続けた。
「ジーンのカード、写メとっていい?」
「ああ。好きなだけ撮りなはれ」
俺はショルダーバッグからカードの入った袋を取り出し手渡す。
「ありがとー!」
その表情が再び煌めく。
「やっぱり教室とは……つーか、こっちが本当の本橋さんなんだな」
「うん」
「クラスでは絶対明かせなかったし、ここで分かってもらえて、ボクも嬉しい!」
「……ん?」
「………?」
「ぼく……?」
聞き間違えかと思ったが、その2文字はハッキリと聞こえた。
「あっ」「えっと、え……?」
反応から察するに本人にも自覚があるようだ。
「ボクって言ったな?」
「が……ぅ……」
たちまち顔を赤らめて言葉に詰まる様子を見て、俺は自信を持って、ズバリ言った。
「それ、もしかして、チェルシーのモノマネかっ!?」
チェルシーとはブレクロに登場するストーリーガイドの魔法使い見習いである。女の子だが一人称がボクで、これはアニメ版でも兼ね好評だった。
「へっ?」
「あっ!わかった!アリシアのほうだな!?グランの師匠の」
アリシアとはブレクロの女性キャラで一人称はボク。ジョブは魔獣使い。
「え……えっと……」
「あれ?違う?」
戸惑っていた橋本の顔が急に明るくなる。
「そ、そうだお~ボクはアリシア。アリーって呼んでほしいお!みんな大好きだお!」
「おおおっ!スゲー!似てる。かわいいなそれ」
今度は俺が興奮してしまった。一人称『ボク』の女キャラはアニメやゲームでも結構多い。
普通に可愛い女の子とは可愛さのベクトルが異なるのがまた良いんだよなぁ。和菓子の餡の、甘さの中にあるひとつまみの塩味、みたいな。記憶に残るアクセントなのだ。
「そ、そうかな……あ、ありがとっ」
モノマネは決してお店の中にまで響くような大声ではなかったが、かなり恥ずかしかったのか本橋は手元にあった茶屋のメニュー表で顔を隠す。
「なぁ、そのボクって言うの友達にも披露したりするのか?」
「えっ!しないよ!?しないしない!恥ずかしいし。家くらいでしか…」
で、ですよねー。
「そっか……。勿体ないなぁ……。めっちゃ可愛いのに……、はぁ~……今のが聞き納めかぁ~……くぅう~」
あ、、やべっ……。
興奮した勢いで可愛いとか口走っちゃったぞ俺。………お、落ち着け。もう遅いけど
流石にひいたかな……。
「……」
「……」
悶え悔しがる俺を見かねてなのか、本橋の口から思いがけない言葉が返ってきた。
「あの……、小椋くんみたいに、アニメとかゲーム好きで、喜んでくれる友達の前でなら……その、たまに使ってもいい……かな?」
!?
「マジで!?ボクっ娘やってくれるの!?」
「う、うん……」
「~~~~~!ぃよしゃっ!」
「あ、あくまでも、たまに、だよ?」
さすがにお店の中で叫ぶわけには行かないので、俺は言葉にならない喜びを短く小さく拳に握りしめる。
そして決めた。
「やっぱりこれ、お前にやるよ」
「えっ……!ど、どうして?」
「話してみてわかった。お前、いいやつだ。ジーンのカードだって少なくとも俺が持っててあちこち持ち歩きするよりは、日頃隠してるお前が持ってたほうがずっと良いだろ」
「でも……小椋くんだってこれが欲しくて来たんでしょ?いいの?それに、お金……」
「気にすんな。そいつは友情の証だ。とっとけ」
俺が迷いなく言い切ると、小さく「…ありがとう」と聴こえた。そしてスマホを操作し始めた。
「小椋くん。メアド教えて。さっき撮った写メ、送りたい。」
「おっ、いいね。これも友情の証だな!」
「ゲームIDも交換まだだったよね。相互フォローしよ♪」
ほんとにいいやつだなぁ。何かもう何年も昔っからの友達みたいだ。
「それと、やっぱりさん付けはしなくていいよ。席も隣で、友達なんだし」
「そ、そうか? わかった。これからもよろしくな。本橋」
嬉しかった。たかだか数百円の、2つのカードが並ぶ、ゲームファンにしかわからないであろうその写真は、現在、橋本からのメールの待ち受けになっている。
見知らぬ地で、互いの本当を知ったその時が、俺たちの歴史の始まりだったと思う。すっかり打ち解けて後輩や家族に飼うお土産なんかも二人で選びっこした。
でも、このとき俺はまだ全然わかってなかった。
彼女が抱えているもう一つの秘密と、〈本当〉って言葉の意味を。