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メルフィというのは、王妹殿下リディアーナが住んでいた第三離宮の名だ。
エリシャ王家の離宮は全部で十あり、そのすべてに古来の賢王の名がつけられている。メルフィというのもそのひとつだ。
リディアーナ王女は母親の身分がそれほど高くなかったせいで、生まれてすぐこのメルフィ離宮にわずかな供と住むことになった。彼女が母親とともに離宮を出ることになったのは、わずか五歳の頃。戦が始まってすぐ、父王の計らいで隣国に預けられることになった。
騎士見習いだったカディールが王女と会っていたのは、彼女が離宮を離れる数ヶ月前のわずかな間だけだった。
離宮は王都から早馬で一日もかからない距離だが、小さな村の点在する山中にあり、戦時中に一部が破壊されたものの、それはさほど重要な位置ではなかったために、王都陥落ののちもしばらくは捨て置かれたという。
だが、そこに住んでいた王家直系の姫が生存しているという噂がどこからか立ち始め、カストゥールの役人が幾度となく訪れるようになり、小さなヨイゼの村は騒然となる。
ライラスという名の村長は当時七十を過ぎた、珍しいほどの高齢だったが、カストゥールの役人などには屈せず、人々をよくまとめていた。そんなとき、旅人を装った中年の男がやってきたのだ。
彼は実際には旅人などではなくカストゥールの役人で、頑固な村人たちから情報を聞き出すために変装していた。ライラスはそれを見破り、結果としてそのために殺された。かばおうとした一人息子のアインズも足に致命的な傷を負った。
そして、美しかったメルフィ離宮は徹底的に破壊され、売れそうなものはすべて奪われ、かつての面影が消えた。
村人たちはそれ以来、すべての旅人を毛嫌いするようになってしまったのだった。それほどまでにライラスは村長として慕われていた。もっともそのころには貧困ゆえに治安は悪化し、旅をするような酔狂な者など激減していたが。
それが、アインズから聞いた話のすべてだった。
神殿にも行かないほうがいい―――そう言われて、ユティアたちは明るいうちに村を出ることにした。といっても大通りを悠長に歩くわけにもいかず、彼らは細い道から村を出ようとしていた。エリシャ王国……彼らの国に戻ってきても、こうして隠れていなければならない。
「お待ちください……っ」
小道からそっと道なき道を進んで山のほうに戻るつもりで馬を引いていたところを、後ろから声を掛けられて振り返る。ティリンという女性が走ってくるところだった。
「先ほどは、姫様には失礼をいたしました」
「―――え? う、ううん……わ、わたし、は……」
彼女が謝ることはなにもない。だがそう伝えることも傲慢な気がして、ユティアはうつむいて言葉を濁した。
「まだなんかあるのか?」
「貴方、王宮騎士様なんでしょう? その言い方はないと思うよ」
もともと勝気な性格なのか、ティリンはカディールの不機嫌な様子にたじろぐこともなく答えた。
「カディールは女性の扱いを知らないんですよ。すみません」
「お前が謝るなっ!」
「なら、君が謝るの?」
シオンの間髪入れない言葉にそれ以上の反論はできず、カディールはそっぽを向いた。
「失礼しました。何か御用があるのでしょう?」
「ええ。貴方、は?」
「カディールの古い友人です。この村には初めて訪れましたから、アインズ殿は知らないと思いますが」
「そう、ですか。……貴方たちはメルフィにこれから行くのでしょう? そのあとはフランジアへ?」
「そのつもりです」
ティリンはシオンと並んで歩き出した。ユティアも彼女を見上げてその話を聞く。
「実は、一月ほど前にも旅人が来たのです。たぶん私しか知らないと思います。村に入る前にここに立ち寄るのはよくないと言って別の村へ行かせましたから……」
「―――その旅人は?」
「さあ? 本当に旅人だったのか、昔のようにカストゥールの役人が変装していたのかは知りませんけれど。ただ、お礼にといって興味深いお話を聞きました。―――新しい役人が来るのだと」
シオンがわずかに眉を動かした。
「以前からいたエリシャの統治者は交代させられたとかで」
「その新しい統治者というのは?」
「さあ? 一月以上も前に聞いた話ですから、もしかしたらもう赴任しているのかもしれませんね。前の統治者のことはこんな田舎にいるとまったくわかりませんが、わざわざ変えるということは何か新しい行動を起こす準備なのかもしれません。王都に行くと聞いて思い出したものですから」
「わざわざ知らせてくれてありがとうございます」
「―――お気をつけて。姫様……」
「あ、ありがとう……」
真摯な彼女の双眸。
ユティアはそれにどれだけ応えられるのだろうか。




