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「一緒には行かないのか」
翌朝、旅支度を済ませたカディールは、野宿に付き合ったリティスに尋ねた。
初対面がひどかったために、恐ろしい女性なのかと思っていたユティアだが、普段の彼女は男勝りな話し方ではあるものの、表情は優しく、柔らかな物腰も好感を与えるものだったから、ユティアも二言三言、言葉を交わすことができた。
「いや、私は行かない」
「リティス?」
きびきびとした物腰でユティアの前に片膝をついて深く頭を垂れる姿を、カディールは同じ王宮騎士という立場ゆえか、複雑な表情で眉根を寄せて見守った。
狼狽したのはユティアだ。王妹と何度も言われても、こうして頭を下げられることには慣れない。どう反応していいのかわからないのだ。自分がそれほど偉い人間だとは思えないし、立場の変化をうぬぼれることもできない。
「お許しください、姫様。本来ならば姫様のために真っ先に馳せ参じる身ではございましたが、私はとうに騎士を目指す自分を捨てた者。御前に罷り越します無礼をお詫びいたしまして、失礼させていただきます」
顔を上げた彼女は迷いのない瞳をユティアに向けたが、ユティアは真逆の視線を無意識のうちに返してしまっていた。
身の上をカディールから聞いていたリティスは、ユティアの態度に疑惑を覚えるでもなく立ち上がり、なんの感慨もないかのようにあっさりと彼らの前から立ち去っていた。どこでどんな暮らしをしているとも、これからどこに行くとも何も言わなかった。
ユティアはただ、彼女の背中が見えなくなるまで、身動ぎすらできずに見守っていた。
(騎士ってどういうものなのかな)
クレイやユティアを、王族だからという理由だけで命を懸けて守る人々。だが、リティスは最初、無知からユティアに刃を向けた。
(わたしは王族だから守られていて、王族だから狙われている)
自分が変わらなくてもとりまく状況は勝手に変わっていくのだと言ったサイロン家のリトルセの言葉を思い出す。
たしかにそうだ。
リティスはユティアに刃を向けて、たぶん殺せるだけの覚悟もあったというのに、リディアーナ姫だとわかったとたん膝をついて恭しい態度を取った。
ただのユティアではだめなのだ。それではここにいられない。それは必要ない、から。
「ユティア、どうした?」
黙ったまま立ち尽くしているユティアの背中に、カディールが声をかける。はっと振り返ったが、慌てて首を横に振った。
(こんなこと、カディには言えない)
ほかの言い訳を懸命に考えた。
「……騎士って、女の人でもなれるの?」
「他国ではいないだろうな。エリシャでも数は少ない」
旅支度を整えながら、カディールは答える。簡単に荷物をまとめて馬に乗せるだけだった。
「エリシャ王国は女性に男性と同じ権利が与えられている、珍しい国なんです。女性でも認められれば騎士にもなれるし、政界で活躍し重鎮になった女性もいるのだとか」
「ほかの国では、違うの?」
ユティアはエヴァン王国の片隅しか知らない。まともな生活をしていなかったユティアは、国の制度について考えたことなど一度もなかった。教えてくれる大人もいない。リトルセとともに学んだのはエヴァン王国の歴史や一般教養などだったが、何も知らなかったユティアにとって、学ぶべきことは山ほどあり、政治の話など聞いている時間はなかった。
欠けた知識や教養を、シオンは丁寧に補ってくれる。
「ええ、たとえばエヴァン王国では騎士も政界の人間も男性と決まっています。重鎮ともなれば大貴族しかなることができない。どんなに優れていても認められることはないんです」
だが、今の世界ではそれが当たり前で、エリシャの制度のほうが異質なのだという。
「でもエリシャで唯一、今まで認められなかったのが女王なんですよ」
シオンは早々に支度を終えて、馬にブラシをかけていた。
「非常時にしばらく王代行として立った女性は何人かいたけれど、正式な女王は一人もいないのです。長い歴史があるのにこれはとても珍しいことなんですよ」
王家だけは、男性が継ぐものと定められている。そんな伝統と斬新が混ざり合う国がエリシャだ。
「唯一の例外かもしれないと言われているのがメルフィ王女なのですよ」
「……メルフィって」
この第三離宮の名だ。
「初代王の第一王女、そして二代目王の姉君といわれていますが、幼い弟殿下の王代行としてのメルフィ王女の統治はあまりに長く、正式に即位したのではという説もあります。慈愛の姫として名高い方ですよ」
「そうなのか? お前よく知ってるな」
「……君が何も知らないだけだよ、カディール」
メルフィ王女がどうあれ、それは千年近く前の話だ。
―――女王はない。
ユティアはなぜか、その言葉にほっとしていた。そんな感情をシオンが正確に見抜いていたことにも気づかずに。
ここから見える湖の光景が気になって、最後にもう一度見ておきたいとユティアは振り返ったが、当然ながらここからは見えなかった。見えなかったことにもほっとした。
その先には、王都しかない。
それはたぶん、ユティアが見たいものではなかった。