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ウンコ転生

「ふうぅ…」


 深い溜息を吐き出し、私は頭を抱えた。扉の内側に備え付けられた鏡には、苦悶の表情を浮かべる私の顔が写っている。ここに閉じこもって、かれこれもう十分以上経っているだろう。


 やはり、今夜もダメだったか…。


 諦めて私は便器から立ち上がった。扉を開けて、浮かない顔で自室のベッドへと転がり込む。



 ここ、バスタブニア王国の専属騎士にはみな、個別の風呂や厠を備え付けられた自室が用意されていた。もちろん私にそれを自慢するような趣味はないが、それでも今回限りはその特別扱いが心底有難かった。これがもし共用の厠で、周りの者に「このこと」を知られてしまったら…次の演習で皆にどんな顔をすればいいのか分からない。

 特に第二兵隊員のヴェルタリアに知られたら、一体どれほど笑われてしまうだろう。あるいは軽蔑されてしまうだろうか。彼女の上司として、そして一人の女性として、なんとしてもそれだけは避けたかった。



 仕方がない。今夜はもう、寝よう。

 そう思った矢先だった。突然私の部屋のドアがノックされた。



「誰だ……?」


 この上級職用宿舎は誰もが簡単に訪れることのできる場所ではなかった。しかもこんな夜中にだ。一体誰が、何の用なのだろうか。


「よう」

 ドアの向こうには、見知らぬ色黒の青年がいた。

 顔に見覚えはない。ソフトクリームのような妙な髪型をしている。妙に鼻につく体臭を漂わせ、よく見れば服装もこの王国のモノではなかった。私は警戒心を増し、鋭く言い放った。


「誰だ貴様は? 返答次第ではこの場で叩き切るぞ」

「落ち着いてくれ。俺は日本という国からやってきた。ある日突然、この国に転生してきたんだ」「フン。転生者か…」


 肩をすくめながら、それでも私は警戒を緩めなかった。



 魔力場の乱れで、この王国に異世界から転生者が流れ着くことは、希にあった。大概は人間にすらなれず、そのへんの石ころやモンスターに生まれ変わり、言葉を発することすらままならない。少なくとも人の姿をして転生してきたこの男は、とても運のいい方だった。だが、コイツ自身がイイ奴とは限らない。



「転生者はまず王国の取り調べを受けるがいい。転生届が受理されるまで自由を剥奪される決まりだ。肌黒き者よ、また日が昇ってから出直すがいい」

「待ってくれ。俺はお前に用があるんだ」

 容赦なく締め出そうとすると、彼が慌ててそれを遮った。私は眉をひそめた。


「私に?」

「俺はお前のその…お前のウンコなんだ」

「なんだって?」

「お前のウンコとして転生したはいいが、お前がずっと便秘だったんで出るに出られず…」

「今何と言った…?」

「ウンコだよ。お前の便秘の精霊として、人の姿を借りてこうして会いに来たって訳だ」

「んな…っ!?」


 彼の言葉に、私は思わずその場で足を滑らしそうになった。だんだんと、顔中に血が上っていくのを感じる。馬鹿な。何で私が夜な夜な悩ませていることを知っているのだこの男は。いやそんなことはどうでもいい。取り乱した私はその場で剣を抜き、男に斬りかかった。


「貴様ああああああ!! なんったる屈辱ッッ!!!!」

「ま…待ってくれ! ホントなんだ!! 俺の話を聞いてくれ!!」


私は構わず彼の首をはねた。地面に茶色い血が飛び散る。顔を真っ赤にして息を切らし、私は崩れ去っていく男の体を睨んだ。


「…やれやれ。いきなり攻撃してくるとは。お前は便秘を甘く見すぎている。いいから俺の話を聞くんだ」

「な…!?」


 地面に転がった茶色い生首がしゃべりだした。私は目を丸くした。どうやら妖精というのは本当らしい。やがて彼の体から新しいソフトクリーム頭が再生した。男は切り落とされた方の頭を抱えて、その頭で私ににやりと笑いかけた。私は小さく悲鳴を上げ思わず後ずさりした。


「このままだとお前は便秘が原因で死ぬ」

「…というか、大声でべ…べべべ便秘って言うの止めてくれッ!」

「いいだろう。とりあえず部屋に上げてくれ」


 大粒の汗を拭いながら、私はしばらく動揺を隠せなかった。自分の排泄物が部屋を訪れてきたら、誰だって動揺するに違いない。







「………それで俺は毎日クラスメイトからも、教師からも家族からもウンコみたいな扱いだったわけよ。どこでもいいから今とは違う世界に旅立ちたいと、便所で飯食いながら常に思ってた」

「だからって…いくらなんでも私の…う…うぅ…」

「いや俺もまさか転生先でウンコになるとは思ってなかったけどな」

「だああああ!!! 言うなぁあああああ!!!!」


 男を椅子に座らせて匂いがつくといけないので、私は彼を便器に座らせて話をしていた。いくら私が騎士だからと言って、この男にはデリカシーというものがなさすぎる。たとえ本当に、彼が私の、例のアレだったとしても!


「まぁ美人のお姉さんのウンコだったのは不幸中の幸いだったな。これが村人のおっさんのウンコとか、オークの糞とかだったら俺の人生は正しく茶色だったね」

「今でも茶色だろうが!」


 これ以上の辱めは許せない。今すぐ帰ってくれ。魂を込めてそう告げると、男はやれやれとでも言いたげに肩をすくんでみせた。


「待ってくれ。お前、自分のウンコのことを舐めているな?」

「巫山戯るな!神に誓って、一度も舐めたことなどない!!」

私の中で何かが爆発した。男は何故か得意げな表情を浮かべた。

「いいや、舐めているね。いいか?ウンコというのは自分の健康のバロメーターでもあるんだ。しっかり自分の排泄物を観察すれば、今の自分の状態が分かる」

「バロ…?」


 聞きなれない言葉に私は首を傾げた。ウンコがにやっと笑った。ウンコは笑うんだ…私はこの時初めてそれを知った。


「たかがウンコと舐めてもらっては困る…分かった分かった、舐めてはいないんだよな…とにかく、ウンコはその色や形、匂いで今の自分を知ることができるんだ」


 たとえば茶色は健康な証拠。灰色だと脂肪分の摂り過ぎ。赤色だと痔や、大腸から出血している可能性があり、コールタール状の黒だと今すぐ病院に行ったほうがいい…など。ウンコは私に様々な薀蓄を語ってくれた。


「…そしてお前だ。今のお前のウンコは見ての通り、コロコロしてうさぎの糞のようになっている。典型的な便秘だ」

「貴様…!」

「よせよ、別に辱めようってわけじゃないんだ。このまま便秘が続くと、お前は大変なことになってしまう」


 巫山戯た男だが…いや巫山戯たウンコだが、先ほど死ぬと言っていたのはどうやらハッタリではないらしい。どちらにせよ眉唾物の話だが。私はまだ彼のことを信用しきれないでいた。


「一番恐れられているのは大腸がんだ。さらに二次被害としての高血圧症や動脈硬化、脳卒中。慢性的な便秘はイレウスに悩まされることになる」

「イレウスだと!?」


 私は驚いて顔を上げた。



 イレウスは、現在我がバスタブニア王国を悩ませている地底竜だ。東側の渓谷に巣を作り、隣国との流通を途絶えさせている。今はまだ国から離れたところにいるが、今後雛に餌をやるために、王国を襲わないとも限らなかった。まさに今私たち騎士団が頭を抱えている問題だ。



「イレウスを知っているのか?食べ物が腸管を通過できなくなるんだ」

「フン…貴様からその名を聞くことになるとはな。確かにイレウスは恐ろしいやつだ。アレのせいで、今我々は食糧難に襲われている。肌黒き者よ、案外この国のことに詳しいじゃないか」


 私は彼を見直した。姿違わずキナ臭い話ばかりかと思っていたが、この国が抱える問題の核心をついてくるとは。


「食糧難なのか? じゃあ野菜や食物繊維を確保するのは難しいか…」

「野菜だと?確かにアレは肉食だが…」

「とにかく、イレウスによる被害を起こさないためにも、お前は運動の回数を増やすんだ。水分補給を忘れるな」

「言われなくても分かっている。稽古を欠かしたことなどない。災害が起きてからでは遅いからな」

「ならいいが…とにかく、忠告はしたぞ。用は済んだ。俺は帰らせてもらおう」


 そう言うと彼はおもむろに立ち上がり、トイレのレバーに手をかけた。

「待ってくれ」座り込み便座の中に流されていこうとする彼を、私は引き止めた。



「その…今日は済まなかった。どうやら私は、貴様のことを勘違いしていたようだ」

「いいさ。ウンコ扱いにはなれているんだ」

 彼は寂しそうに笑った。その表情に私は胸の奥が微かに痛んだ。

「…ともに私と戦わないか?イレウスと。貴様…いや其方は中々骨のある奴だと見受けした」



 おいおい、俺はウンコだぜ。骨があったらマズイだろう。



 そう笑って彼は水流に飲まれて消えていってしまった。

 流れる水の音が収まるまで、しばらく私は誰もいなくなったトイレを見つめていた。歓迎してない出会いだったにも関わらず、私は何だか胸とお腹にぽっかりとした空洞を感じた。ウンコの妖精…不思議なやつだったが、問題に向き合う真摯な姿が私の目に焼きついた。


 また彼と会う日が来るかもしれない。私には予感があった。

 彼はいずれ、この国のどこかの便座で、その茶色い頭角を表すことだろう。

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