閑話 ~ゲオルグ~
一年目 後期をお読みになってからご覧ください。
隊長室から出た俺は、兵舎の1階の食堂に戻ってくると、夕食を取ることもなくテーブルに突っ伏した。
「……はぁ」
周囲の同僚がこちらを気にしている中、深いため息をつく。
バランシス公爵家の茶会から数日経ち、貴族であるルークの顔に傷を負わせたことにたいして側妃様から直接の説教は受けたものの、咎められなかったことに安堵していたが、その思いはつい先ほど打ち砕かれた。
「ゲオルグ、何の呼び出しだったんだ?」
同僚のひとりが向かいに座って質問してくる。
頭上からの言葉に、ゆっくりと口を開く。
「……スレイン、俺は異動することになった」
「異動! よく隊長がそれを認めたな。あの人、お前が功績をあげれば隊の、ひいては自分の評価が上がるからその手の話全部拒否してたのに」
「ああ、だが今回は相手が悪い。なんせ後宮守の女騎士が相手で、しかもその騎士は公爵夫人だ」
「はぁ? 後宮守の女騎士の中に公爵夫人なんているのかよ。俺を騙そうとしてないか」
顔を上げれば、スレインが首を傾げていた。
スレインははちきれんばかりの筋肉が特徴の栗色の髪の男で、年齢こそ俺を同じくらいだが兵士としては先輩にあたり、こいつが知らないということは有名な話というわけでもないのだろう。
ルークたちから話を聞いていた俺だって、実際に鎧姿で目の前に現れるまでは冗談か、さもなければ担ぐだけの象徴的な、実権の無いお飾りだと思っていた。
「疑うのもわかるが事実だよ。サーシャ・バランシス公爵夫人。明日から俺の直属の上司になる」
「ほんとにいるのか! ならゲオルグは明日から後宮に勤めるのか?」
「いや、基本的に近衛騎士団の下にいる兵士たちと同じ扱いで、なんでも後宮守の騎士たちの部下の兵士が集まった隊があるらしく、基本はそこで働くかたちだ」
「あ、その隊なら知ってる。たしか後宮の中じゃなくて周辺を巡回して守る隊だ。その隊って騎士の同行の元で中にも入れると聞いたことがあるが本当か?」
その質問に対する答えは、先ほど隊長室に来ていたサーシャ様から注意と共に教えられていた。
「その通りだが、もしはぐれたりして一人になった場合、不審者として問答無用で斬られるそうだ」
「うわ、おっかねぇ」
俺の言葉に、スレインは身震いする。
だが後宮は王族の自宅といってよい場所だ、それほどの厳重さも理解できる。
しかも問題はサーシャ様は側妃様の側仕えの騎士だということだ。二度と顔を合わせることは無いだろうと思っていた側妃様を、ときには横で護衛しなければいけない。
そうサーシャ様に言われたときは、隊長が嫉妬と怒りを隠しもしていなかった。
「まあ、栄誉ある職なのは確かだよ。俺なんかにはもったいないぐらいだ」
一瞬、問題を起こして降格を狙うべきかと考えたが、失敗ひとつで色々と飛び越えて即刻処刑とされかねない職場だと思いいたる。無理だな。
当然ながら、そんな内心は理解されることはなく、スレインが先の言葉に賛同を返してくる。
「たしかにな、俺たち平民上がりの兵士ならば目指すことすらないくらいの隊だ。さすがは”眼射ち”だ。ゲオルグは知らないみたいだが、その隊は配属先、騎士爵の次男、三男とか騎士として任命されなかった子息が多いらしいぜ」
「……よく、知っているな」
しかも、はっきり言って悪い類の情報だ。明日からの仕事は肩身が狭そうだ。
「昔な、すこしでも給料の良い仕事につきたいと色々と調べたことがあるんだよ」
「なるほど。母親のためか」
スレインには父親がいない。娼婦でも死に別れでもないのに母子家庭というのは、この国では珍しい。
ザッハート王国では育児出産面での医療も発達している。つまりそれは、どうすれば子供が出来ないかの知識もあるということだ。
娼婦がやたらと子供を身ごもっていれば商売にはならないわけで、彼女らの雇い主はそういった面では厳しく管理しているらしいし、そのての欲求不満は簡単に治安を悪化させるから国からの支援も手厚いときく。
だからこそ娼婦がその目を盗んで子供を産む場合、大抵が貴族の子供であり、それはいくつもの問題を発生させる。
過去には婚約者すらいない子息の子供という場合もあったそうだが、これはスレイン親子には関係のない話だ。
「母さんには苦労をさせてばかりだからな。大分金も貯まったから、近々王都に呼んで一緒に生活するつもりだ。城下町で知り合った老人なんだがな、田舎に帰るらしくて家を格安で譲ってくれる話になってる」
「それは良かったじゃないか」
言葉で祝いつつ、その老人とやらが詐欺か何かを狙っていないか調べるよう、同胞たちに頼むことを決めておく。
スレインのような孝行息子は報われるべきだ。
「ゲオルグも、いやな仕事でも続けていればいつか報われるときがくるはずだ。大変だろうがきっとその仕事についていて良かったと思うときがくるはずだよ」
言って、背を何度も叩いてくる。それに苦笑を返す。
「スレインに言われれば信じるしないな。なんせ達成者からの助言だ。なら俺の異動とお前の目標達成を祝って、これから一緒に酒でも飲みに出るか」
俺の言葉に、スレインは笑みを浮かべて頷く。
「賛成だ、もちろんお前のおごりだよな。俺は散財できないが、ゲオルグは給料が上がるんだからな」
「……半額なら負担してやる、全額は無理だ」
「十分だ。おい、みんな、今日はゲオルグが飲み代を半分持ってくれるそうだぜ!」
スレインが声を上げれば、周囲の同僚たちから野太い声が上がる。
どうやら聞き耳を立てていたらしく、口々に祝いと感謝の言葉が降り注いだ。
「まったく、お前らちょっとは手加減してくれよ」
もはや反論する気も起きず、ため息をつく。
その夜の酒盛りは店主にたたき出されるまで続き、翌日多くの同僚が二日酔いの中で仕事に向かった。
俺もまたスレインの言葉を思い出しながら、新たな職場に向かっていく。
そのときの俺は知る由もなかった。
ひと月しないうちにタバン王国との会談の警備に参加することになり、血気盛んな使者殿となぜか一戦交えてる羽目になり、結果、ルークとリーネの師匠として王にまで顔を覚えられることになるとは……。