閑話 ~レニー~
一年目 後期をお読みになってからご覧ください。
屋敷の門の前、ルーク様とリーネ様、ついでにゲオルグが迎えの馬車へと乗り込んでいくのを頭を下げて見送ります。
豪奢な造りの馬車にはバランシス公爵家の家紋がしっかりと刻まれていて、御者も綺麗な服を着ています。
しかし三人はこれから公爵家の主催する側妃様を招いた茶会に出席なさるのですが、あれほど弱気なルーク様を見るのははじめてかもしれません。
昨夜、魔獣狩りに出かけられた三人は、早朝帰ってくるなり、わたしを大いに驚かせてくださいました。
ルーク様は顔に引っかかれたような傷を負い、リーネ様はその顔に笑いを堪えきれていおらず、ゲオルグは全裸といってよい女性を抱きかかえている。
事情を聞く前に怒鳴ることが無かった自分を褒めたい気分です。もちろん聞いた後で怒鳴りましたが。
そのあと迎えが来るまでの間に、傷は化粧で目立たなくしておきました。見破られるかどうかは三人の茶会での行動しだいといったところでしょう。
その意味ではリーネ様も心配です。
面白がって暴露しかねません。
ああ、ゲオルグは青い顔をしていましたが、死にはしないでしょうからどうでもよいです。
御者が一礼の後、馬車を発車させます。
道を曲がって見えなくなるまで視線で追った後、屋敷に戻ります。
中に入れば、待っていた老人が無言で一歩後ろからついてきました。
護衛だとはいえ、どうにも落ち着きませんね。
わたしとしてはただの平民相手にここまで必要はないと思うのですが、彼らの事情もわかっているだけに拒否するわけにもいきません。
実感はいまでも持てませんが、彼らからすればわたしは貴族のような立場にいるのです。
ですから、これ以上は考えないようにして、三人が文字通り抱えてきた問題に対処するとしましょう。
「鍵は閉めませんので廊下で待っていてください。場合によっては声を上げます」
「はい、お気をつけください」
客室のひとつへ向かい、中に入る。
借り受けたときから備え付けられていた家具は一通り揃っていて、そのうちのひとつ、ベッドの脇まで向かいます。
ベッドの中には三人が連れ帰った女性が静かに眠りについています。
綺麗な青い髪、年は20前といったくらいでしょうか。
わたしが体を拭いたときに――今は貸した寝巻きに隠れていますが――その体がやせ細っていないことは確認していますから、孤児や難民ではないのでしょう。
「しかし、間者とも思えません」
竜声に怯えていたとも聞いています。間者ならば恐慌などに陥らないための訓練などしているはずです。
ちらりと側のテーブルに並べられた彼女の持ち物に視線を向ける。
つぎはぎの魔獣の毛皮、ぼろぼろの短剣、朽ちかけた衣類。持ち物というには乏しいですが、これらは彼女の素性を断片的に示しています。
「このあたりにはいない種の魔獣の毛皮に、短剣は城壁国家ソイレントで流通しているものに酷似、最後の衣類は西の海に面した国独特の文様が有り。ですか」
自分に言い聞かせるように口に出して確認する。
先の二つはゲオルグと老人からの情報で、最後の衣類に関してはわたしの幼いころの記憶からの情報です。
全て、彼女が他国の人間だということを示していています。
「……密入国者ですかね」
密入国者。許可無く国境を越えた人間。苛立ちにもならない程度のものではありますが、心がざわつく。
一息ついて、テーブル横の椅子に腰をおろす。
「いろいろと懐かしい。とでもいうべきなのでしょうか」
わたしの両親は旅の商人で、時にはこの国の外に出て商いをしていた。たしかその中で知り合った西の国の商人から買い付けた衣類にあの文様があったはずです。
「その服が欲しくなって、ずいぶんとわがままを言ってしまいました。認めてもらえず、あの時は何日父と話をしませんでしたかね。わたしは」
朽ちかけた衣類が色あせた幼い記憶を呼び起こしますが、あまりに古くてどこか不確かです。
たくさん手伝いをして、なんとか一緒に購入していた加工前の布地の一部を貰ったはずですが、
「あのときの布は、さてどうしましたか。もう思い出せません」
思考をめぐらせば、行き着く先は両親が帝国から侵入した山賊に殺された記憶。
それがわかっているから、考えるのを止めて立ち上がる。
窓を開ければ、さわやかな風が頬を撫で、眼下には小さな庭園が広がってます。
「定期的に手入れはしていますが、お二人は誰も招きませんね」
庭園の一角には茶会をするための場所がしっかりと用意されていますが、王都で生活するようになってから一度も使用してはいません。
友人はそれなりに出来ているようなのですが、”契約”を守るためなのか、どこか周囲に対して距離を置いているようです。
逆に――いくら声は記録に残せないとはいえ――竜声の扱いに関してだけはずいぶんと油断しています。
この国の人間は”リュー”と聞いてもあの方たちと繋げる思考も知識もないのですから当然かもしれませんが、帰ってきたら改めて注意するべきでしょうか。
「う、……あ、う」
外を見ながらそんなことを考えていると、ベッドから小さな声が届く。
振り返ってみれば、女性がすでに上半身を起こしていました。
ぼんやりとした様子で左右を見渡し、その青い瞳がわたしを捉えると、跳ねるようにベッドから出て部屋の角へ逃げる。
「起きられたようですね。はじめまして、わたしはレニーと申します。よろしければお名前をお聞かせ願えますか?」
警戒のまなざしを向けてくる女性に、向き直って一礼する。
しかし、退いていただけて幸いです。もし攻める行動をとられた場合、すぐさま外の老人が取り押さえに入ってきたことでしょう。
そうなれば、対等に話をすることもできなくなります。
「…………」
ですが、こちらの言葉が理解できていないのか、女性はわたしの言葉を無視して部屋の中を見渡すと、テーブルの上で視線がとまります。
こちらに気を配りながら、そろりそろりとテーブルに近づいていき、そこから衣類の切れ端を手に取ると、にげるように角へと戻っていく。
大事そうに握り締めている姿に、まるで幼子のようなチグハグさがあり、先ほど思い出した記憶の所為か、親近感をいだく。
そこで、彼女の警戒を解くためにはどうするべきかと考え、
「そうですね……。では、ちょっと待っていてくださいますか。食事をお持ちします。お話するにも空腹ではお辛いでしょう」
言って、相手の視線を気にもせず部屋から出て行く。
老人がついてこようとするが、ここで待機し逃げるようなら拘束するようにと命じて台所へ向かう。
そこからパンと水を二人分用意して部屋に戻れば、女性は先ほど同じ場所にかわらず居た。
しかしさきほどは取ることの無かった毛皮を被って顔の上半分を隠しているため一度、動いていたのはわかる。
「それでも、武器を取らなかったということは敵意はない。ということですか?」
テーブルに残ったままの短剣を見てから、振り向き質問すれば、魔獣の顔に隠された頭がゆっくりと上下した。
言葉は理解できているのですね。
ならば、野生児というわけでもないのだろうと結論し、テーブル横の椅子に腰をおろす。
「とりあえず一緒に食べましょう。あと、話といっても尋問するつもりはありませんので、話したくないことは黙っていてださって構いません」
短剣を端にどけ、テーブルに食事を置くと、水を一口飲んでから、パンを食べ始める。
わたしもまだ朝食をとっていませんでしたから、調度いいです。
相手の警戒を解くための行動だったのですが、空腹だったためか、すぐに一つ目のパンを平らげしてまう。
そうして二つ目、三つ目を食べ終えて、四つ目に手を出そうとしたところで、向かいから手が伸びてくる。
「では、いっしょに食べましょうか」
いつのまにか近づいてきていた女性は、しゃがみこむような姿勢で椅子に座っていた。
「…ぁ、は……、う、だ」
わたしの言葉に頷きとともに、何かを言葉にしようとして、失敗し、申しわけなさげに頭を下げてくる。
喉を痛めている、それともなにか病気でも抱えているのでしょうか。
ザッハート王国に治療を求めて密入国してくるものもいる。彼女ものその類だろうかと予測が浮かぶ。
しかし、その追及は後回しです。
「はい、お召し上がりくださいませ」
何を言いたかったのかはわからないが、笑顔を返して答えれば、伸ばされた手がパンをつかむ。
そうしてすぐに彼女は一つ目のパンを平らげると、水を飲み、また手を伸ばす。
二つ目、三つ目と平らげていく姿を眺めていると、不意に女性の口から嗚咽が漏れてくる。
「う……、あ、う、……うぅ、い、ぅ」
毛皮の下から覗く頬には涙が流れ、もごもごと動く口が食事のためではなく、喋るために動いているだと理解する。
そこに幼い少女の姿を幻視し、同情か、哀れみか、わかりはしませんが、だた彼女の味方になることを心に決めました。
結局のところ、わたしはルーク様たちが傷のことを隠しきり、結果、彼女の存在も隠し通すことなどできないだろうとすでに予測していたのです。
だから、
「いいことを思いつきました。わたしたちこれから友達になりましょう」
名も知らぬ女性の横に移動して、とても小さく感じられるその体をそっと抱きしめた。