表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
7/13

一年目 後期(下)

3話連続投稿ですので、最初に一年目後期(上)からお読みください。

 ずっと、彼女は逃げ続けていた。

 彼女が生まれたのは西の海に面した小さな村だった。

 商人も年に数えるほどしか訪れることにないその村は主に漁猟で生計を立てていた。

 しかし時折、身なりの良い者が村長を訪ねてくるたびに村の大人たちは遠出をして、沢山のお土産を持って帰ってくる。

 家でひとり待つのは寂しかったが、その分、両親が帰ってきたときは存分に甘えた。

 そして彼女もまた漁猟の手伝いの合間合間に、遠出のためにたくさんのことを教えられるようになった。

 母親に似て美人になると判断された彼女は礼儀作法に始まり、身を守るための武器の取り扱いや、ひとり森の中でも生きていくためのサバイバル技術などを教え込まれていく。

 彼女にとってその訓練の日々は決して楽しいものではなかったが、幼い彼女はただ両親に褒められたい一心で打ち込んでいた。

 彼女は知らなかったが、そこは暗殺を生業とした間者たちの村だった。

 知らず知らずのうちに人を殺す技を仕込まれていくその生活は、突然の終わりを告げる。


「早く逃げるんだ!」


 血まみれの父親が家に飛び込んでくるなり、叫びのような声を上げた。

 騎士たちに村を包囲され襲撃をうけたのだ。

 それは村の存在が同盟を結ぶにあたって邪魔となった領主の軍隊だった。

 一部の村人が抵抗するなか、散り散りになって逃げようとする村人たちのなかに彼女の姿があった。だが包囲を抜けられたのは一部だけで、その一部にも追っ手がかかる。

 そんななか、彼女はひとり森の中へ逃げ込む。

 その姿を見た追っ手たちは、追撃をやめた。

 森は危険な魔獣の領域だ。幼子一人が生きていける場所ではない。そう判断したからだ。

 しかし、暗殺者として様々な技術を仕込まれた彼女はボロボロになりながらも生きて森の反対側に逃げ延びた。

 その先には小さな村があったが、村を襲撃された彼女は人に対して警戒と、なにより恐怖を持つようになっていた。だから、助けを求めるようなことはせず、宵闇の中、服や道具、食料といったものを盗むと、再び森の中に姿を消す。

 空腹を感じれば、木の実を取ったり小さな魔獣を狩って、腹を満たす。

 寒さを感じれば、魔獣の毛皮に包まって、暖を取る。

 野生児のような生活をしながら、故郷から離れるように東へと進んでいく。それは孤独の中で父親の逃げろという言葉に従って、いや縋っていたのかもしれない。

 そんななか、街道近くで野宿をする商隊から道具を盗もうとして近づいた彼女は、彼らの会話を盗み聞く。


 それは”東の楽園”の話。


 魔獣が少なく、空腹で飢えるようなことも無く、病に苦しむ者たちも少なく、奴隷に身を落とす者もいない。東の先、世界の果てにある国。

 信じられないような話だった。

 すでに逃げつづけて何年も経ち、すでに少女とは呼べなくなっていた彼女は、いつしかその楽園を目指して東へ進むようになる。

 そしてさらに数年かけて、彼女はようやくその国に辿りつく。

 森の中にいてもまず魔獣と遭遇することはなく、畑を見れば黄金の穂が世界を覆うほどに広がっている。遠めに人々を観察すれば、みなしっかりとした服を着ていて、奴隷などは一人もいないようだった。

 これまで見てきた国とはまったくといってよいほどに違う国に彼女は驚き、あの話が真実だったと理解する。

 しかし長年人と接することの無かった彼女は、なかなか人里に近づく決心がつかず、森の中で生活していた。

 そしてある日、森が大きくざわめく。


『Guuuuuuu……』


 まるで、地の底から響いてくるような音が森のあちこちから響き渡る。

 ただの風の音とは違うそれに彼女の全身が恐怖に包まれる。まるで覆いつくされるかのような寒気に、彼女は慌てて木の洞から飛び出た。

 魔獣からは感じたことの無い圧倒的な重圧に、彼女は逃げることを選ぶ。

 ある一箇所に追い立てられている。

 彼女がそれを理解したのは、視線の先に二人の子供が見えてきてからだった。

 栗色の髪の身なりのいい少年少女は、武器を構えており、そのまわりには息絶えた魔獣が転がっていた。

 敵、それとも味方?

 久しく表に出ることの無かった人としての感情が、判断を迷わせる。

 そして、二人が近づいている彼女に気づき、視線を向けてきた。

 全身が震えた。

 先ほどとは比べ物にならない、ぞわりとした恐怖が彼女を襲った。長年のうちに培われた野生の勘が二人から捕食者として圧倒的な気配を読み取る。

 わずかに顔を覗かせた人間性は、野生の本能が覆い隠し、彼女は獣のようなおたけびを上げた。



 月明かりのない新月の夜。王都から馬で半日ほどの距離にある森の中に僕とリーネ、そしてゲオルグの三人は来ていた。

 僕とリーネは動きやすさを優先して簡素な服を纏っている。横のゲオルグは黒で統一された服にここに来るまでに僕たち三人が纏っていたローブをひとりで抱えていた。

 視界のほとんどが闇に塞がれているなかで、ゲオルグはため息をつく。


「まったく、こんな危険な夜に狩りなんてな。もし何かあったら、おれが爺に殺されかねんな。――まあ、爺本人は黒竜妃様の護衛が出来ると喜んでいたが」


 頭を押さえて愚痴をもらす姿に、僕とリーネは苦笑を返す。

 本来なら昼間に行うはずだった魔獣狩りがこんな夜になったのには理由がある。 

 サーシャ様から招待状が届いた日の夜、僕たちはゲオルグを屋敷に呼び出した。

 そして一通りの事情を話すと、向かいのソファーに座っていたゲオルグに渋い顔で抗議をされた。


「なんで俺がバランシス公爵の茶会に参加しないといけない。しかも出席するのは側妃様だなんて……。ルーク、なぜそんな提案をした」


「いや、ゲオルグに周囲に気を配ってもらえば、もし茶会を覗こうとする人が会われても大丈夫かなと思って。僕たちはまだ気配を探ることはできないからね。いざというときは警告してもらいたくて」


 もっともこれは第三者が介入してきた場合の保険だ。僕としては学園長やサーシャ様は信じて良いと思っている。

 そんな僕の考えに気づいていないのか、リーネは苦笑いで口を開く。


「ルーク兄さんは心配性だよね。警戒が必要なのはわかるけど、やりすぎて逆に探られるようなことになったらどうするのさ」


「それはわかってるよ。でもこの程度は貴族としては許容範囲内だろう。あまりに無警戒だとそれこそ怪しまれる」


「そうですね、これぐらいならばバランシス公爵家も変に勘ぐることはないと思います」


 僕の言葉にレニーも同意する。だが彼女はしかし、と言葉を続けて、


「もし私たちのことを必要以上に探られるようなことがあれば人死にも起こりかねません。それどころかこの国の危機に発展する可能性すらありますからね。慎重に行動するべきでしょう」


「それ、レニーが言う? はっきり言って私たち以上にレニーは火種なんだよ。なんたって今までいなかった黒竜妃なんだからさ」


 困った様子で笑うリーネに、僕も頷く。

 リーネの言うとおりだ。

 もし何かの拍子に僕やリーネが死んだとしても、あくまで貴族の子息令嬢の死として処理できる。しかしレニーは別だ。もし彼女が死ぬようなことがあれば”あの方”が怒って国内で暴れかねない。

 しかも何が問題かといえば、王国内では僕たちは貴族だが、レニーはただの侍女でしかないということだ。状況しだいでは辺境伯家に対する”軽い警告”で狙われて殺される可能性だってある。


「それについては王都内の同胞もみんな理解しているからな。常に影で護衛させてもらっている。そういう意味ではひとりぐらいこの屋敷に奉公に上がらせるべきかもしれないな」


 僕の浮かべた最悪の事態をゲオルグも想像したのだろう、わずかに顔を青くしながら口を挟む。


「そうだね。それは検討、いや実施しておくべきだろう。思ってた以上に僕たちを取り巻いている貴族家の思惑は複雑そうだから、むしろ遅いぐらいだ」


「では、ゲオルグ、場合によっては私の代わりにルーク様とリーネ様の世話が出来るように教育したいと思いますので、そのあたりを考慮して選んでください」


 レニーの言葉に了解を返したゲオルグは、さて、と一息置いてから、


「じゃあ、さっきの話に戻ろう。いや俺が茶会に招待されるのは抵抗しようも無いから、諦めて参加するが、その場合、狩りはどうする? 延期するのなら今のうちに連絡しておかないと、あいつらはすでに追い立てる魔獣を探しに出ているぞ」


「ちょっと、ルーク兄さん、延期なんてやめてよ。わたし楽しみにしてるんだから」


 リーネが焦った声を上げる。

 ザッハート王国には魔獣はほどんど入り込もうとしない。ゲオルグが注目を受けた魔獣の一件だって滅多にあることではない。

 その理由を知る身としては、その手間を無駄にするのは忍びない。

 だから、少しの思案の後、提案する。


「なら、半日早めることは出来ないかな。僕たちは二、三日なら寝る必要は無いわけだし、茶会の前の晩に狩りをしてしまうというのはどうだろう」


 僕たちはみな人間とは活動できる時間というものが根本から違う。僕やレニーはそれを利用して、王都の住人が寝ている時間も勉強や訓練にまわしている。

 だから、今回はその時間を利用することにする。


「それは、いくら平気とはいえ、そのような無理をするべきではないと思います。どちらも大事なのはわかりますが、だからこそ準備は万端にするべきです」


 この場にいて唯一、僕たちと同じ時間を共有していないレニーが反対意見を出す。


「いや、それなら問題はないな。半日早める程度ならわざわざ連絡する必要はないだろう」


「そうだね、私も賛成、延期なんて私は絶対いやだよ」


 しかし、リーネとゲオルグが賛同したことで、レニーは黙り込み、数秒後にため息をついた。


「わかりました。では私はお二人が帰ってきてすぐにでも出かけられるように準備をしておけばよいのですね」


 レニーが観念したことで、僕たちの行動予定が決まった。

 そうして今、カサンドラ様との茶会を半日後に控えた僕たちは、魔獣を狩るべく森まで来ている。

 

「さて、それじゃあ俺はあいつらと合流してここに魔獣を誘導してくる。二人とも無理はするな。最悪、声を使って相手を追い返せ」


「そうだね、これが終わったらカサンドラ様との茶会だ。怪我には気をつけるよ」


「うん、私もこんなところで傷物になるつもりはないよ」


 冗談めかしたリーネの言葉に軽く笑いながら、ゲオルグは木々の間の闇に消えていく。


「いよいよだね、なんだかわくわくしてきた」


 興奮を隠そうともしないリーネは口角を吊り上げ獰猛な笑みを浮かべる。

 その直後、森の中から竜声が響き始めた。


「……始まった」


 もれた呟きは、僕自身、驚くほどに昂ぶりのこもった声だった。



 それが現れたのは、僕たちがそれぞれに二匹の魔獣を倒した後だった。

 それまでに現れた魔獣は狼と猪の姿をした魔獣が二匹ずつ、僕が魔猪を、リーネが魔狼を撃退していた。

 葉引きをしている槍や、鉄爪を使ったためにそれなりに時間はかかったが、怪我を負うことなかった僕たちは、次を警戒をしていた。


「ルーク兄さん、何か来るよ!」


 お互いに死角を補うように背を寄せ合っていた僕たちから見て右側、僕がいるほうから何かが雄たけびと共に飛び出してきた。


「なんだ、魔狼、いや魔猿か?」


 最初に気づいたのは魔狼の顔。しかし背が高く、二足で駆けてきたことから魔狼の毛皮を被った魔猿だと予測を立てる。

 突き出された右手、背後にリーネのいる僕は避けるわけにはいかず、鉄爪で受け止める。

 出会い頭の一合は、予想外に軽く、その代わりに鉄同士が打ち鳴らされる甲高い音を響かせた。

 驚き、飛びひいたそれにあらためて視線を送り、


「……なあ、リーネ。僕の目がおかしくなったのかな、目の前に半裸の女性がいるんだけど」


 本気で混乱した。


「ねえ、あれ、ルーク兄さんの妄想? あと半裸じゃなくてほぼ全裸だよね。もしかしてああいうのが趣味だとか言わないでよ」


 妹。同じく混乱しているのはわかるけど、その感想は聞き捨てならないぞ。

 リーネの言葉にすこしだけ冷静さを取り戻しつつ、じりじりと距離を詰めようとしてくる女性を見据える。

 頭から魔狼の毛皮をかぶっているため顔は見えないが、前かがみに上半身を倒して、ぼろぼろの短剣を持った女性。

 性別が判るのは、体に巻いている布が明らかに小さく、その、いろいろと隠せていないからだ。

 ……家族以外の裸を見たのは、そういえば初めてだ。

 豊満と表現できるであろうその裸体を前に、取り戻した冷静さが場違いな感想を抱かせる。

 そして僕はわずかに逡巡して、


「……リーネ、代わりに相手してくれないか?」


 ある意味での、逃走を選択した。


「なさけないって言いたいところだけど、ルーク兄さんには刺激が強すぎるか。うん、わかっ……、いや、やっぱり無理」


「こら、やっぱり無理ってどういう意味だよ」


 拒否の言葉にちらりと、リーネの顔を見てみれば、そこには悪巧みの笑みがあった。


「ルーク兄さんも、おいおい女性を学ぶ必要があると思うし。もしかしたら、これもゲオルグの仕掛けなのかもしれないよ。だったらひとりで対処しないとね」


「リーネ、自分でも信じていない言葉を口にするのはやめてくれ」


「ほら、よそ見してると危ないよ」


 言葉とともに背で背を押されて、姿勢を崩してしまう。

 前のめりに倒れそうになり、その生まれた隙に女性が飛び掛ってきた。


「リーネ、後で本気で怒るからな!」


 慌てて構えを取り直して攻撃に対処する。相手のほうが明らかに背が高いが、屈んでいるため、ほぼ正面からの顔を狙った突きだ。

 背後にリーネがいるのは変わらないため、刃先をあわせて横に捌く。

 そのまま顔を狙って蹴りを放てば、すぐに飛びひいて距離をとられた。


「まあ、さっきの音でゲオルグも異常に気づいてくれたかもしれないし、戻ってくるまで相手してあげなよ。私も邪魔が入らないよう周囲を警戒しておくからさ」


 ニヤニヤと笑みを隠そうともしないリーネに、後で絶対に仕返しをすると内心で誓って、女性と正面から相対する覚悟を決める。


「間者、浮浪者、難民、密入国者、野生児、どれが正解なんだか。でも追い払うより拘束するべきだよね」


 言って、女性の素性がわからない以上、逃走させるのは良くないと結論づける。

 もし本当にこの国を探りにきていた間者だった場合、仕留めることも視野に入れなければいけない。


「なんにせよ、倒して押さえこむ必要があるか」


「え、押し倒す? ルーク兄さん大胆だね」


 茶化すようなリーネの言葉は無視して、距離を詰めるために駆ける。

 女性は、一歩引き、ちょうど聞こえてきた森からの竜声にびくりと震え、僕に飛び掛ってきた。

 その反応から、ゲオルグたちの声から逃げてきた結果の遭遇だと理解する。


「へぇ、ゲオルグたちは風の音を真似てるのに、その人、声だって気づいてるみたいだよ」


 背後から驚きの声が届く。

 その言葉に――逃げられた場合は追う必要があると結論を出して――武器ではなく、足に狙いを定める。 

 ……骨折ぐらいは覚悟してもらうべきかな。


「はぁ!」


 頭目掛けて突き出される短剣を上半身の動きだけで避け、そのまま女性の懐まで入ると鉄爪を横薙ぎに振りぬく。

 しかし足を曲げることで鉄爪を避けた女性は、両膝でこちらの頭を狙い、そのまま挟んで押し倒そうとしてくる。


「うわ、大胆!」


 リーネの言葉は努めて無視。体格差がある以上、そのまま地面に倒されてしまえばこちらの負けだ。

 だから、腰を倒し、仰向けになることでそれを避ける。

 もちろん視線の先、僕の上を通り過ぎていく裸体を見逃すつもりはない。

 鉄爪を手放し、両手で相手の足をそれぞれ掴む。


「ーー!」


 言葉になっていない女性の驚きの声。

 背中から倒れこみそうになる体を反転させれば、結果として、女性は仰向けになる。

 飛び掛ったときの勢いが、足を掴まれたことによって、全身に伸びをさせたようになる。

 そのまま地面に叩きつければ、被っていた毛皮が外れ、その顔があらわになった。

 肩口までの青髪は無造作に伸びて顔を隠し、その隙間から髪と同じ青い目が、血走った様子でこちらをにらんできている。

 すぐさま反撃に身を起こそうとした女性の腹にのしかかる。

 相手の両腕を掴み、拘束しようとするが、


「リーネ、手伝ってくれ。体格差はどうしようもない」


 僕一人では抑えきれない。

 両膝が僕の背を叩いてくるし、手の長さが違うため、がむしゃらに動かす腕が僕の顔を引っかいてきた。それに僕の体重では重さで拘束し続けることでもできない。

 

「ルーク兄さん、そのまま押さえてて、すぅぅーー……」


 近づいてきたリーネは大きく息を吸う。胸ではなく喉が大きく膨らみ、一瞬の溜めの後、竜声がその口から放たれた。


『Ggaaaaaaaaaaa!!』


 その大声に思わず顔をしかめる。

 至近距離からの絶対者の咆哮に、女性の全身が震え、ふっと力が失われた。

 意識を失ったのだろう、手を離せば、ぺたりと両手が地面に落ちた。


「リーネ、間近での竜声はやめてくれないか……」


 立ち上がって文句を言うが、リーネは悪びれた様子もなく、


「だって、これで意識を奪うか、戦意を喪失させるかが一番簡単でしょ、ゲオルグだっていざというときは竜声を使えって言ってたわけだし」


 その返答に、ため息をつく。


「ともあれ今の竜声で狩りは終わりだろうね。怯えて魔獣たちも近づいてくることはないだろうし」


「そうだね、それはちょっと残念。でも喉の底から大声出せたからすっきりはしているかな」


 どこか満足そうな様子のリーネに再度ため息をつく。

 ”竜声”

 僕たちは外見こそ人間と変わりないし、人間と子供だって作ることができるが、人間には無いものが僕たちにはある。

 そのひとつが声だ。

 人間では決して発することのできない声であり、普通の生物はこの声に恐怖を覚える。もっとも僕たちはこの竜声を意味のある言葉として理解できる。

 ちなみに、さきほどのリーネの声は、ルーク兄さんの破廉恥、と言っていた。

 ……妹、今の、ゲオルグたちに聞こえてると思うんだけどな。


「ゲオルグが戻ってくる前に彼女になにか着せておくべきだよね。とりあえず、この毛皮を体に巻いておけば良いかな?」


 視線を下げ、大の字になって寝転がっている女性の姿に、三度目のため息をつく。

 そこに意地悪げなリーネの声が届く。


「それにしてもルーク兄さん。その顔でカサンドラ様との茶会に出席するつもりなの」


「……え?」


 その言葉を、数秒、僕は理解できなかった。

 それからゲオルグと合流して屋敷に帰った僕は、鏡の前で途方にくれた。

 頬にはまるで、嫌がる女性が必死に抵抗して引っかいた後が跡がしっかりと残っていた。

 まるでもなにも、その通りではあるのだけれど、



 逃避したい現実があったとしても、時間は無常にも流れていくわけで、


「ちょっと、ルーク兄さん。辺境伯家の跡継ぎともあろうものが妹の後ろに隠れるって情けないと思わないの」


 バランシス公爵家からの迎えの馬車から降りた僕は、公爵家の侍従の庭園に案内されている現状、ずっとリーネの後ろについていた。

 さらに僕の後ろにはゲオルグが、緊張からか無言でついてきている。

 屋敷に帰った僕は体を拭いてから、レニーの用意した礼服に着替えた。リーネも用意されていたドレスに着替えている。

 そして――いくら僕たちが人間と違うとはいえ――顔の傷はすぐに消えるようなものではなく、化粧で隠しているから目立ちはしないが、隠せてもいない。

 ちなみに、傷の原因となったあの女性は放置するわけにもいかず、屋敷に連れ帰り寝かせてある。


「今日の僕は横でお茶を飲んでいるから、カサンドラ様はリーネが相手してくれ」


「いや、無理に決まってるでしょ。ルーク兄さんがいる以上、最初の挨拶はルーク兄さんが主導しなきゃ」


「それは、その通りなんだが」


 呆れの混じった声には、同意するしかない。

 だけど、もしカサンドラ様に顔の傷を言及されたら、誤魔化せる自信も無かった。

 理由を知られ、それでもしカサンドラ様に軽蔑でもされるようなことになったら、


「……死にたい」


 想像するだけで、この場から逃げ出したくなる。

 しかし、僕のこの思いをリーネは理解してはくれなかったようで、侍従を追い越さんばかりの勢いで進んでいく。

 若干、遅れ気味になる僕の背後から、


「ルーク、諦めろ。せめて後ろ暗いことはひとつもないと堂々と胸を張っておけ。それは事実なんだからな。……俺としてはもはや断頭台に進んでいる気分だが」


 僕の歩みが送れたことで、同じく遅れたゲオルグが小さな声で話しかけてくる。

 たしかにゲオルグが提案した魔獣狩りの結果、貴族子息が顔に傷を負った。跡が残るような深いものではないけれど、平民でしかないゲオルグが、死刑囚のごとき心情を持つのも仕方のない話だ。

 しかも、この先に待っているのは王族。法を行使する側の人間だ。


「わかったよ、ゲオルグ。僕も覚悟を決めるよ」


 言って、リーネの背を追いかけて、追い抜く。


「そうそう、やっぱりルーク兄さんは堂々としてなきゃ」


 先頭に回った僕の背にリーネの声援が届く。しかし、くくくっとわずかに堪えている笑い声がその後に届き、面白がっていることを理解する。

 そのことにため息をついて、しかし反論するようなことはせず、それからは無言で学園長とサーシャ様、そしてカサンドラ様が待つであろう庭園まで歩いていく。

 そうして辿りついた庭園では、すでに三人が丸いテーブルに座って談笑していた。


「では、ルーク様、リーネ様、そしてゲオルグ殿、私はここで失礼させていただきます」


 その言葉と共に、案内をしてくれた侍従が来た道を戻っていく。

 本当に僕たちを含めて六人だけの茶会ということなのだろう、視線の先にいる学園長たちの周りにも侍女はひとりもいなかった。


「よし、いくぞ」


 呟き、改めて覚悟をきめて近づいていく。


「おや、どうやら最後の客が到着したようだね」


 最初にこちらに気づいたのは学園長だ。その言葉にカサンドラ様とサーシャ様が顔を向けてくる。

 テーブルから五歩ほど離れた場所で一旦止まれば、リーネが横に移動してくる。


「遅くなり申しわけありませんでした。ミソロジィ辺境伯子息、ルーク・ミソロジィ、妹のリーネ・ミソロジィ到着いたしました。そして後ろにいるのが、わたしたちの師となりますゲオルグです。本日はお招きいただきありがとうございます」


 一礼の後、顔を上げてみれば、そこには怪訝そうに眉根を寄せたカサンドラ様の顔があった。

 顔の傷が原因かと、冷や汗が浮かんだが、カサンドラ様はすぐに向かいに座るサーシャ様に向き直り、


「ねぇ、どういうことなの、今日は私と引き合わせたい人物がいるという話だったわよね。どうしてあの子達が現れるのかしら。それと後ろにいるのは眼射ちよね、彼が二人の師とは本当?」


 矢継ぎ早に問いかける姿に、さすがにこの距離で顔の傷には気づかれていないと心の中で安堵する。


「ええ、ですから、彼ら二人がカサンドラ様と引き合わせたかった人物になります。あと後ろにいるゲオルグは二人にとって本当に師だそうですが今日はただの護衛です。それに二人には以前の茶会と同じように振舞ってほしいとお願いしておりますから、カサンドラ様もあのときのように肩の力を抜いてくださいね」


 カサンドラ様は、イタズラが成功した子供のように笑うサーシャ様の言葉に、驚き、目を伏せ、そしてやわらかい笑みを浮かべた。


「どうやら、心配をかけさせてしまったようね。ええ、なら今日は仕事を忘れて楽しませてもらうわ。ほら二人ともそんなところで立っていないでこちらに座りなさい」


 後半、僕たちに対して向けられた言葉に、しかし、近づいて座れない。

 ……なんで、隣の席を示すのでしょうか、側妃様!

 顔の傷に気づかれると躊躇っている僕に、カサンドラ様はわずかに戸惑いの表情を浮かべ、すぐに何かに気づいたように得心の笑みを浮かべる。


「そうね、ゲオルグと言ったかしら、護衛だというならルーク君のすぐ横に座ってくれていいわ。今日は礼節なんて忘れていいわよ」


「つっ! いえ、それはさすがに不敬がすぎるかと意見具申させていただきたいのと思うのですが」


「ぷっ、く、く」


 驚きのあまりか、奇妙な敬語を話し出すゲオルグに、横のリーネから抑え切れていない笑い声が漏れる。


「ほら、ルーク兄さん。カサンドラ様を待たせるわけにはいかないでしょ。さっさと歩く。ゲオルグも急いで」


 言って、リーネはひとりカサンドラ様の左隣の席に腰をおろす。

 そして、カサンドラ様の言動を認めているのだろう、ゲオルグが同席することに不快な様子もなく学園長とサーシャ様も笑みを浮かべていた。

 その笑顔にありもしない重圧を感じてしまう。


「……本気で、断頭台に見えてきた」


 全てを諦めたような呟きの後、カサンドラ様からひとつ席を外した右隣に向かい、さすがに先に腰をおろすわけにはいかにと思ったのか、僕を見てくる。

 その視線から逃れるように目と閉じて、ため息をついたあと、三度覚悟を決めて、


「では失礼いたします」


 カサンドラ様の隣の席に腰をおろす。

 そしてゲオルグも席に座ったのを確認してから、カサンドラ様は改めて僕の顔を見て、


「……ルーク君。その顔の傷、なにかあったのかしら」


 すぐに傷に気づいてしまわれました、はい。

 見れば、学園長とサーシャ様も驚きの表情を浮かべている。


「あの、これは、ですね、実は、その、」


 上手い言い訳を考えていなかった自分自身を、罵倒したい気分になりつつ、なんとか誤魔化そうとしたが、リーネが無慈悲な言葉を放つ。


「ルーク兄さんは半日ほど前に全裸の女性を押し倒して、そのときに反撃にされて顔に傷を負ったんだよね」


 時間が止まった。いや止まればいいと思う。止まってほしい。

 六人全員が沈黙する中、最初に口を開いたのは以外にも僕本人だった。


「リーネ、そろそろ兄としておまえの行いの数々に後悔を刻み込んでやるときが来たようだ。……覚悟しろ」


「お、やる気、いいよ。でも私は嘘は言ってないよ。嘘はね」


 お互い、音も無く立ち上がり、間に座る人物から両腕をつかまれた。


「なにやら、事情があるみたいね。ええ、詳しく聞かせていただこうかしら、ええ、詳しくね」


 怒気ではない、しかし凄みのある笑顔を浮かべているカサンドラ様に逆らえるわけも無く、再び腰を下ろせば、半日ほど前にあった出来事を白状させられることになった。

 それでも竜声で魔獣と追い立てたことなどは秘密にしなければいけないため、話としては、ゲオルグが僕たち二人を夜に連れ出して昼間に捕まえておいた魔獣と戦わせ、その場に飛び込んできた魔獣の毛皮をかぶった全裸の女性を捕まえたという内容に変更せざるを得なかった。


「いろいろと聞きたいことはあるのだけれど、まずは、そうね、ゲオルグ殿。いくらあなたがルーク君とリーネ嬢の師匠だとしてもこれは危険すぎる行いではない? 私のこの考え、間違っているかしら」


「……いえ、その通りかと思われます」


 どこか煤けた様子で頷くゲオルグに、満足そうな笑みを浮かべたカサンドラ様は、次にリーネを見て、


「同意が得られて何よりだわ。次にリーネ嬢。貴女にはまだまだ令嬢として学ぶべきことが多いわね。後継者であるルーク君に妙な噂や疑いが生まれれば貴女も不幸になるわよ。そのあたり自覚なさい」


「は~い、今後は気をつけます。カサンドラ様」


 軽い調子の返答に、わずかに困った表情で、しかし続けて何か言うことは無く、最後に僕に向き直る。

 緊張に体が強張るが、カサンドラ様が浮かべていたのは優しげな笑みで、僕の顔を覗き込むようにして視線の高さを合わせてくる。


「そしてルーク君、正体不明の相手を逃がすようなことはせず、拘束することを選んだのは貴族として正しい判断といって良いわ。だけど忘れないで、貴方が傷つければアイリスが悲しむわ。だから無茶なことは自重なさい」


「……あの、カサンドラ様も悲しまれますか?」


 意識せず口にしてしまった問いかけに驚く。それはカサンドラ様も同じだったようで、わずかに目を開き、しかしすぐに先ほどと同じ笑みを浮かべる。


「ええ、大切な友人の子が怪我を負えば心配するのは当たり前だわ」


 その言葉に、なぜか、残念な気持ちになる。

 もやもやとした気持ちは晴れないままに、そこで、これまで聞き役に徹していた学園長が口を開く。


「なかなか破天荒な子達だとは思っていたけれど、これは想像以上だね。とりあえず後日、その女性と会うための時間を用意するとして、今日はこのまま茶会を続けたいと考えているのだが、良いかな」


「賛成です。今日はカサンドラ様の慰労のための茶会です。件の女性のことは明日以降に回して、今はこの場を楽しむべきです」


 最初に賛同したのは、同じく聞き役にってしていたサーシャ様。彼女の言葉にカサンドラ様も頷く。


「そうね。驚いてしまったけれど、今日のうちは良い土産話を用意してもらったとでも考えておきましょうか」


 そう笑顔で言って、しかし、


「それにしても、リーネ嬢の言葉を聞いたときは、娼婦にでも手を出したのかを思ったわよ」


 続けられた言葉に、慌てる。


「そんな、そのようなことはありません! 絶対、ないですから!」


「そうかしら、年に数件は貴族と娼婦のトラブルというのは出てくるものなのよ」


 疑いの眼差しを向けられ、弁解の言葉を必死に考えるが何も浮かばず、途方にくれる。

 しかし、すぐにカサンドラ様はくすくすと笑う。


「ふ、ふふ、ごめんなさい。必死そうなルーク君が可愛らしくて、つい、からかってしまったわ」


「いや、カサンドラ様。ルーク兄さんは女に対する経験が致命的に足りてないですから、カサンドラ様も鍛えてやってください」


 リーネの言葉に反論すら思いつかないほど、僕は冷静さを失っていた。


「なら、今日はそういう趣向で話をするということにしようかしら、ルクレティウスにサーシャも色々とルーク君たちを教育してあげましょう」


「え、私もですか?」


 驚きの声を上げたリーネにも、カサンドラ様は笑顔で頷く。


「ええ、二人ともに教育が必要だわ。それはゲオルグ殿にも言えることね。貴族の師として知っておいてほしいことが沢山あるわ」


「はい、ご拝聴させていただきます」


 もはや、開き直ったとばかりにゲオルグは笑みを浮かべる。


「じゃあ、ルーク君、今日はたっぷりと私から女性を学んでもらおうかしらね」


 イタズラっぽく浮かべたカサンドラ様の笑顔に眩しさを覚えて、僕はただ目を細めて小さく頷きを返す。

 でなければ、見惚れてしまいそうなほどに魅力的な笑みだった。



活動報告にてあとがきを投稿しております。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ