一年目 前期(上)
4話連続投稿になります。初めての方はプロローグからご覧ください。
東の大国ザッハート王国。
西方諸国に比べて極端に魔獣が少なく、田畑をあらされることがないため農耕で栄える国だ。
かつてはその肥沃な土地を狙う国がいくつもあったが、いまでは滅びたり、停戦協定を結んだりして隣国とは友好関係を築いている。
決して広くとはいえない国土ではあったが、周辺国に食料を輸出できるだけの生産量を誇るこの国には、独自の教育機関が存在した。
王立ルガール学園。
初代ザッハート王の名を関するこの学園は、決まった年齢の貴族の子息令嬢を集めて教育を行うということを目的としている。
これは集団生活によって貴族の友好関係や共通意識を培うためだ。それ以外にもいくつかの目的があるこの学園は今、新たな生徒を迎え入れていた。
学園中央棟、その中でもっとも大きな部屋である多目的ホールは、煌びやかに飾り付けられていた。
中央には四十人ほどの新入生が緊張した様子で並んでおり、その左右には子息と令嬢に分かれて在学生たちが並んでいる。
彼らが一様に視線を向けるのは、舞台の上に立つバランシス公爵家当主、ルクレティウス・バランシス公爵。この学園の学園長を任されている男性だ。
すでに二十半ばでありながら金髪碧眼、整った顔立ちの好青年といった雰囲気を持った男は、注目に臆した様子もなく堂々とした態度で祝辞を述べていた。
「――これからの学園生活で君たちには多くの困難が待っているだろう、しかし失敗を恐れることなく進んでほしい。なぜなら――」
多くの者がその言葉に聞き入っている中で、舞台の袖から新入生たちを眺める視線が有った。
(……あの子達が、彼女の双子の子供たち)
カーテンに身を隠し、さらに扇で顔を半ば覆った女性の目は、最前列に立つ一組の男女へ向いていた。
少し癖のある髪の少年と長い髪をリボンで後ろに纏めている少女。どちらも栗色の髪の色をしていて、それは女性の記憶にある彼女と同じ色だった。
まだまだ幼い顔立ちではあったが、その理知的な目はどこか二人の父親を連想させた。
「辺境伯との子供、……か」
小さな声が無意識のうちに女性の口からこぼれる。
そこに込められた感情は女性自身、理解できないようなもので、ただ式典が終わるまでの間ずっとその二人を眺めていた。
◇
入学の式典を終えて指定されていた北棟の教室に向かうと、入室した僕に対して先に到着していたクラスメイトの視線が集まる。
じろじろと不躾に見るものもいれば、それとなく視線を向けるものや、うまく隠して見るものもいる。
もっともその視線全てに好奇の色が宿っていれば見破るのは容易かった。
注目される理由が判っている僕としては、その視線は当然だとすら感じていたため、軽く挨拶をしてから割り当てられていた席に向かう。
そのまま座ると担任教師がくるまでのあいだ視線を窓の外に向ける。
王城を中心として大小様々な建物が並ぶ町並みは、初めて見たときなどは圧倒され言葉を失ってしまった。
王都ルガール。
ザッハート王国の地理的にも社会的にも中心にある都市。
故郷の何倍を賑わう城下町は行き交う人も多い。混雑をさけるために広くとられた道は舗装されていて、商店や露店に並ぶ品は多種多様だ。
残念ながら僕には見分けは付かなかったけれど、故郷では手に入りにくかった他国の品も並んでいるのでないか思わせた。レニーは帝国料理を作れるらしいからお願いするのもいいかもしれない。
かつて一度だけ食卓に上がった赤い料理の数々を思い浮かべる。
辛かったけど、美味しかったな。
あの時は妹たちが残り少ない料理を取り合ってた。また、機会があれば食べたいな。
などと取り留めのない思考にふけっていると、声がかかる。
「みなさん、揃っているようですね」
声のした方へ視線を向ければ、入り口に一人の男性が立っていた。
眼鏡をかけ、後ろで纏められた金髪を赤い紐で結んでいる。着ているのはこのルガール学園の教師を表している金糸の刺繍のある白服だ。
微笑を浮かべながら、洗練された動きで教卓に向かう男性。
その重心の運び方に訓練された動きを感じ、そこからこの人の武器は両手剣かなと予測を立ててみる。
もっとも、その疑問を解消するわけにもいかないので、頭の隅においやっておく。
「貴方がたの担任教師になります、アールス・リブラと申します。よろしくお願いしますね」
リブラという家名に母上から教えていただいた知識を思い出す。
王都からみて西北西、ズール帝国との国境に接する領地を治める公爵家で現王の母に当たる人を輩出した家でもある。
この学園に通うのは貴族の子息令嬢であるため、その教育を任されるのも同じく貴族でなければならない。そのなかでも選ばれるのは学園卒業生の中でも好成績者に限られている。
卒業後、数年間は補助教師という補佐役を勤めるのだが、一人前と認められなければずっと補助教師のままらしいからそれだけこのアールス先生は優秀だということだろう。
リブラ家は文武両道を家訓としていて幼い頃から教育に力を入れている家だと聞くし、その優秀さも当然かもしれない。
「では最初に皆さんのお名前を聞かせてもらおうと思います。では、まず……」
アールス先生はそこまでで言葉を止めて教室内を見渡すと、僕に視線を合わせて止めた。
交錯する視線。先生がその笑みを深めたことで何が言いたいかを理解する。
故郷ではあまり感じることのなかった貴族としての面倒さに内心嘆息しつつ席を立つ。
「では、僕から挨拶させていただきます」
アールス先生の横にまで歩いていき向き直ると、クラスメイトたちから先ほどと同じ好奇の視線が向けられる。
「辺境伯領よりきました。ミソロジィ辺境伯子息、ルーク・ミソロジィと申します。僕は一年遅れての入学ですので皆さんよりひとつ年上になります」
辺境伯という単語にわずかにざわめきが起こる。
「皆さんもご存知の通り、父上の領地はザッハート王国の東、”世界の果て”と呼ばれる絶壁に沿うように南北に長い領地です。その先の雲海を望む地が僕の故郷であり、その地を継ぐために僕はこの学園に入学しました。これから卒業までよろしくお願いいたします」
少々わざとらしかったかなとも思ったが、クラスメイトたちの反応は劇的だった。
不快そうに視線を向ける者、興味に目を輝かせるものや逆に失ったものもいる。両親の事情から考えれば当然とも入れる変化に、教室内での立ち位置をある程度定められたと確信する。
学ぶための時間は有限だ。こうしておけば少しは面倒ごとは避けることもできるだろう。
「ありがとうございます。ルーク殿、席に戻ってください。それでは次に――」
クラス内でもっとも実家の爵位が高い僕が率先して挨拶したことで、それ以降の自己紹介はつつがなく進められていった。
クラス全員の自己紹介が終わると次は学園施設の案内に移る。
まず始めに僕たちの教室もある北棟。貴族の子息が集められたこの建物には各学年の教室の他に室内訓練場などの騎士を目指す者たちの用の施設が多くあった。
「こことは逆にご令嬢方の通う東棟は各学年の教室のほかに貸し衣裳部屋などありますね。もちろんこの北棟にもありますが規模が違います」
「先生、後宮守の騎士を目指すご令嬢はどこで訓練するのですか?」
アールス先生の後を付いて一列で行動していた僕たちのなかから、質問の声が上がる。
「もちろん東棟にも訓練場はありますよ。ですが先ほど案内した北棟の訓練場とは規模が違いますね。これは騎士を目指す者の人数の差がそのまま現れていると言ってよいでしょうね」
後宮守の騎士というのは、言葉通りの意味で王城に立てられた王族のプライベート空間である後宮を守る騎士のことである。
王妃や側妃の寝室を守る騎士でもあるため、女性が好まれて採用される役職でもある。
「さて、これから外に出て中央棟へ向かいます。そこは生徒自治会の者に案内をしてもらいますので、さっそく向かいましょう」
アールス先生の後を追って北棟を出る。
そのまま中央棟の前まで来ると、そこには令嬢の集団がいた。その中の一人、他の令嬢から距離を取られていた令嬢がこちらに気づくなり声を上げる。
「あ、ルーク兄さん!」
僕の双子の妹であるリーネが元気に手を振ってくる。
貴族令嬢としてはしたないとされる行動に周囲に驚き固まってしまった。
ちょっと失礼しますとアールス先生に断りを入れてから妹に近づく。
「リーネ、他に失敗はしていないか?」
「……会うなりその言葉はひどいよね、ルーク兄さん」
うなだれるリーネ。
だが、その心配は当然だと返したい。
双子の妹のリーネは、母上からしっかりと礼儀作法を仕込まれているにもかかわらず、堅苦しいのが苦手なため、公の場でしか貴族としての有様を見せない。
やれば出来る子なのに、やらない。
故郷、長閑な辺境領ならばともかく学園に通うにあたってこれはまずい。
「わたしだってお母様に色々教えてもらってるんだから、失敗なんてするはずがないでしょう」
言って、制服のスカートの端をつまんで、丁寧にお辞儀をするリーネ。
「いや、リーネ。今現在進行形で失敗しているって理解してないのか……」
「え?」
指差すようなことはせず、手のひらを上に向けて促すように妹の左横を示す。
リーネはその流れにそって視線を動かし、背後で眉根をひくつかせる担任教師と対面する。
「リーネ・ミソロジィ嬢、さきほどのお辞儀大変綺麗な仕草でしたわ。ですがリーネ嬢に足りないのは常識のようですね。今後しっかりと指導させていただきますわ」
「お手柔らかにお願いします」
頭を下げると、齢四十といったところの女教師はとても綺麗な笑みを返してくれた。
僕は子息たちの集団に戻るが、周囲からはこれまでとは違った視線が集まる。中には嘲るようなものもあったが主に同情の眼差しだった。
「え、ええと、とりあえず、生徒自治会の方が来るまでに野外訓練場について説明させていただきますね」
咳払いの後、気を取り直したアールス先生は南を指差す。
そこには柵に囲まれて地面をむき出しにした広場があった。小さな村ぐらいはありそうな広さをもったその場所では、二人の騎士が馬を走らせていた。
王国規定の全身鎧を身にまとった二人は馬をたくみに操り、途中にある障害物を時に避け、乗り越えて進んでいく。
「野外訓練場はあのように室内では狭い訓練をするのに利用されます。ですが使用には生徒自治会への申請が必要ですので気をつけてくださいね」
アールス先生の言葉に耳を傾けながら、内心は憂鬱だ。
僕やリーネは基本的に馬に乗れない。正確に言えば慣れさせていない馬に近づくと馬が怯えるのだ。これはもう体質なので仕方がないと考えるしかないが、必修科目でなければいいなと願っておく。
しばらく騎馬を眺めていると、背後から声がかかる。
「先生方、お待たせいたしました。生徒自治会揃いました」
振り返れば、中央棟の入り口の前に四人の男女が並んでいた。
「おや、時間のようですね。皆さん列を正してください」
その言葉にクラスメイトたちが向き直ったところで、四人の中の一人が前に出る。
「こんにちは皆さん、わたしは生徒自治会会長を勤めていいるギルベルト・ヴァルゴです。よろしくお願いしますね」
中心にいた藍色の髪の青年が、柔らかな笑みで挨拶してくる。
ヴァルゴという家名を聞きちらりとリーネがこちらを見てくるが、とりあえずは無視しておく。
「おなじく生徒自治会に所属しているグランベル・カプリコだ、よろしく」
次に挨拶してきたのはギルベルトさんから見て右側に立った、金髪を短く切りそろえた大柄の青年だ。
「おなじく生徒自治会に所属しているガルベルダ・カプリコ、よろしく」
そして、その反対側に立っている青年が挨拶してくる。顔立ちも似ているしグランベルさんの兄弟だろうか。
「おなじく生徒自治会所属のセリーヌ・タウラスよ。よろしくねみんな」
最後、右端にいた赤毛の女性が明るい笑顔で挨拶してくる。
ヴァルゴ公爵家、カプリコ伯爵家、タウラス子爵家、そのなかのひとつヴァルゴ公爵家は母上の生家だ。
つまりギルベルトさんは僕たち双子にとって叔父にあたるわけだ。
もっとも母上が辺境に嫁いだ頃はまだ母親のお腹の中にいたらしく、顔を見たことはないそうだけど。
「ではさっそくこの中央棟を案内しよう、ついてきてください」
ギルベルトさんを先頭に自治会メンバーが中に入り、その後に続いて中央棟に入る。
まず向かったのは多目的ホールだ。
入学の式典の飾りつけはすでに片づけられた後でどこか閑散とした雰囲気を感じたものの、改めてみるとその広さに驚く。
「この学園ではもっとも大きい部屋になるここは、入学や卒業といった式典のほかにも学生舞踏会などもここを使用する。それ以外にもなにかの発表会ではこの部屋を使用ことが多い」
「あと年に四回、ここを使って親睦会という会をするんだが、まあ社交界の縮小版とでも思ってくれればいい」
ギルベルトさんの説明にグランベルさんが補足を入れる。
社交界の縮小版で親睦ということは、本当に将来の相手を見つけるのにも利用されている会ということのだのだろう。
この学園に通う子息令嬢のほとんどは婚約者がいない。
他の国では珍しいそうだが、この国では学園生活で相手を見つけるのが主流だ。もっとも王族や一部の高位貴族は先に婚約者を定めることで余計な横槍を防いだりもするそうだが。
まわりのクラスメイトたちも、補足内容を正確に理解して落ち着きをなくしているものがいた。
「うへぇぁ、やっぱりダンスとかあるのかな。面倒……」
例外はため息をついているリーネぐらいなものだ。
リーネの場合はこの学園生活で相手を見つける気がまったくない。むしろ妙な男と結婚させられるぐらいなら、”世界の果て”から飛び降りてやると言っていた。
僕もあまり妻を見つけようと躍起になるつもりはないのだから同じか。
その後は茶会用のカフェテラスや共同食堂、生徒自治会室などをひと通り案内される。
後は解散して教室に戻るだけというところでギルベルトさんに呼び止められた。
自治会のメンバーも彼以外を残してそれぞれの教室に帰っていき、中央棟の入り口には三人だけになる。
「すまないね。引き止めてしまって」
「いえ、機会があれば話してみたいとは思っていましたから」
「そうだね。だってわたしたちの叔父にあたる人なんだし」
リーネの言葉にぴくりとギルベルトさんの眉根が動く。
あまり年の離れていない僕らに叔父と呼ばれるのは気分が悪いのかな。
謝ろうとするが、ギルベルトさんは手を振ってそれを遮ぎると躊躇いがちに口を開く。
「ふたりは姉上、アイリス様の子供なんだよね」
確認しているようで、自分に言い聞かせてるようにも感じられる言葉に思わずリーネと顔を見合わせる。
まあ、父上と母上の事情を考えれば身内でも確認したくなるのは判る。
母であるアイリス・ヴァルゴ公爵令嬢が側室として嫁いだときの父、ルーカス・ミソロジィ辺境伯の年齢はすでに六十を超えていた。
それだけ歳の差のある二人の子供だ、あらぬ疑いを持つのも分かる。とくにギルベルトさんは他人事ではないわけだし。
「いや、すまない。疑っているわけじゃないんだ。呼び止めたのは父上のことで謝りたくてね。王都にに到着してから屋敷へ挨拶にきてくれたのは聞いている。門前払いをされたこともね。すまなかった」
「いえ、僕らは気にしてませんから」
「まあ、会えなかったのはちょっと残念だったけどね」
軽い調子で喋るリーネとは対照的にギルベルトさんの表情は暗い。
「二人は借家暮らしだと聞いている。父上も自分の孫なんだからいっしょに住まわせてあげても良いだろうに」
「それは無理ですよ。僕たち二人はヴァルゴ公爵の孫ではなく、ミソロジィ辺境伯の息子と娘なんですから」
貴族にとって結婚とは家同士の繋がりを作るための行為ではあるが、だからこそ家という括りは重い。もし僕たちがこれから卒業までの間ヴァルゴ家の屋敷で暮らせば、父上は公爵に大きな借りを作ることになる。
「ああ、わかっている。これは単なる愚痴だな。すまない、こんなことを聞かせるつもりなかったんだ。あまり長く引き止めておくわけにもいかない。今日はここまでにしよう」
「わかりました。それでは失礼します。またいつでも声をかけてください」
「またね、ギルベルト叔父様」
リーネの言葉に苦笑いを浮かべながら、ギルベルトさんは一足先に北棟に向かう。
「……リーネ、僕たちと歳はほとんど離れていないんだから叔父さん呼ばわりはやめてあげようよ」
「わたしたちとの関係ははっきりさせておいたほうがいいと思うけど。でも不思議だよね、真面目そうだし会長に任命されてるなら成績だって上位なんでしょ。それなのになんで後継者として指名されてないのかな?」
リーネの疑問はもっともだ。
聞けば祖父ヴァルゴ公爵はいまだ後継者の指名していない。
公爵の子供は二人だけ。ひとりは亡き正妻の子で僕たちの母であるアイリス・ヴァルゴ。そしてもうひとりは側室との子供であるギルベルト・ヴァルゴ。
てっきり後継者としての資質に疑いがもたれているからかとも考えていたけれど、実際に会って話してみるとそんなふうには見えなかった。
「それは僕にはわからないよ。ヴァルゴ公爵の胸の内なんてものはね」
ただ厄介ごとの種だとは容易に想像できて、僕たちは二人してため息をついた。
◇
入学初日は講義がないため、新入生は帰宅することになった。
けれど妹は到着していないらしく、僕は正門で待つことになった。
学園は周囲と取り囲む塀があるため西側にある正門以外からは基本的に出入りは出来ない。
他の三方にも勝手口はあるのだが、人一人が通れるだけの小さなものだ。
これは学園が王都の東側にあるためた。
王都は王城を中心としてその周囲を貴族の屋敷が囲み、さらに外に城下町が広がっている。
その城下町、東側のほぼ全域を占めているのが学園だ。
だから貴族の子息令嬢が通うために屋敷が近い西に門を大きくして、それ以外の道を小さくするのは当然といえた。
「ごめん、ルーク兄さん遅くなった」
ぼんやりと馬車の流れを見ていると、横から声をかけられた。
「リーネ、何があったんだ?」
「クラスメイトたちはもっと早くに帰ったのに、わたしだけ居残りで説教させられた。ルーク兄さんにも責任あるよね。」
膨れ面で答えるリーネ。
なるほど、さっそく担任から躾られたのか。でも僕に責任を問うのは間違ってると思う。
「それはリーネが悪い。せめて学園内ではそれなりの礼節を持った行動をするべきだ。でないとまた説教だと思うよ。せめて目立たない行動を心がけるべきだね」
「うへぁ、疲れそう。とりあえず帰ろっか」
容易に想像ついたのだろう、げんなりした表情のリーネに、苦笑しながら連れ立って歩き出す。
正門を出るとすぐに道が二つに分かれる。
ひとつは城下町へ続く道、もうひとつが貴族の屋敷が並ぶ王城周辺に繋がる石橋だ。
この橋は王都を流れる川と、貴族と平民の交通トラブルを防ぐために設置された隋道の両方を跨ぐ大きなものだ。
多くの生徒はこの橋を渡って学園と自宅を往復する。
そしてその橋を越えてすぐに並ぶ屋敷は、王都に屋敷と用意できない貴族用の借家になる。
僕たち兄妹もその一軒を、学園卒業まで借り受けている。
一階建ての小さな屋敷で、これくらいの大きさのものを借りる貴族は準男爵くらいなものだが、僕たちを含めて三人しか住んでいたいためこれでも広い。
「帰りました、レニー」
「レニー、ただいま」
「お帰りなさいませ、ルーク様、リーネ様。初めての学園はどうでしたか?」
中に入ると侍女のレニーが出迎えてくれる。
彼女はかつて母上について辺境に来た元ヴァルゴ公爵家の侍女で、王都での生活を心配した母上が世話役としてつけてくれた人だ。
黒髪を結い上げたレニーはつり目を柔らかに緩めて笑みを浮かべていた。
「そうだね。期待半分、不安半分といったところかな。領地を運営するために多くのことを学べそうだけれど、貴族の慣習とか色々と面倒かとも思う」
「わたしも同じかな。学園生活はわくわくしてるけど、礼節とかうるさいから肩がこるよ。それにヴァルゴ公爵家関係では無関係ではいられないだろうしね。とくにわたしの場合は妙な縁談が持ち上がりかねないし」
リーネの懸念に頷きを返す。
今日一日、学園で生活してみてわかったことだが王都の貴族たちは僕たち双子を『ミソロジィ辺境伯の子息令嬢』ではなく『ヴァルゴ公爵家の孫』として見ている。
基本的に父上は辺境に篭ってばかりであまり王都に出てくることはないからしかたがないのだが、もはや社交界では辺境伯はいない者として扱われているかもしれない。
「そうですね。昔の伝手をつかって情報を集めてみましたが、今の公爵家の状況を考えますとリーネ様を娶ってヴァルゴ公爵家の跡継ぎを狙おうと考える親戚から出てきそうです」
「うへぁ、ほんとに?」
レニーの言葉に露骨に顔を歪ませるリーネ。
でも僕は気になるところがありそこを訪ねる。
「レニー、昔の伝手ってなに?」
「わたしの後輩がまだ公爵家の侍女として仕えていたので旧交を温める意味も込めて会ってきました。お互いの近況報告のつもりだったのですが結果として色々と愚痴を聞かされてしまいました」
困り顔のレニーは、そうとう鬱憤がたまっていたんでしょうねと続けた。
「それで、ヴァルゴ公爵家の状況って」
リーネも気になったのだろう催促する。
「ヴァルゴ公爵と側室のヘンリエッタ様の仲がかなり悪くなっているそうで、最近では共に食卓を囲むこともないそうです。しかもお二人の子であるギルベルト様は二人の仲を修復しようとした結果、孤立してしまったとか」
「仲が悪いってやっぱりギルベルト叔父様を後継者に指名していないから、ヘンリエッタ様が怒ったとか?」
リーネの憶測は、僕も考えていたものだ。
「さすがにそこまではわかりません。ですがヘンリエッタ様がリーネ様をギルベルト様に嫁がせてでもという呟きを聞いたと彼女は言っていました」
「叔父様の妻に、わたしが?」
どんどん顔が歪んで、むしろ面白い顔になるリーネ。
まあ貴族の婚姻だから前例がないとは言わないけれど、普通に顔をしかめる話ではある。
「ああぁぁぁもう、今日はこんなめんどくさい話は終わりしよう。ルーク兄さん、体動かしたいから訓練の相手して。わたし着替えてくるから」
学園で説教されたり面倒話を聞かされたりと、今日一日でかなりの鬱憤がたまっていだのだろうリーネは苛立ちを隠さないまま部屋に向かった。
その後姿に、レニーと二人思わず噴出してしまう。
「ふふ、では、わたしは夕食の準備でも始めましょうか。ルーク様、続きは夕食のときにでもお話しいたします」
「わかった、なら僕も着替えてくるよ。さすがに入学初日から制服を破りたくないしね」
おそらく夕食の後も続けることになるであろう訓練に、苦笑いを浮かべて僕も自室に向かった。