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ずっといっしょに  作者: 茶
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第二章 ぼんやりしてたことへのペナルティ諸々(その一)

 遠くから聞こえる目覚ましの音。

《朝だよ、岬さん!》

(聞こえてるってば)

 頭の中で喚きたてる鷹野くんがうるさい。まだ眠くて重たい身体を動かし、どうにかアラームを止める。

 ベッドを抜け出しトイレへ。この身体で用を足すのにも、だいぶ抵抗を感じなくなってしまった今日この頃。

 すでに『母さん』は出社していて、マンションにいるのはわたしたちだけ。のんびりと朝食をとる。

《今日は金曜日。古文・英語に政経・生物、午後は体育とホームルームだね。ジャージを忘れないようにしないと》

(はいはい)

 歌うように科目をそらんじる鷹野くんの声に従って鞄に教科書とノートを詰めていく。もちろんジャージも忘れずに。

 今日はすでに四月三十日。

 わたしが鷹野くんの身体に入り込み主導権を奪っている、この尋常でない同居生活は、ついに一ヶ月を迎えようとしていた。


 幸い――と言えるのか、実際はまだ疑問だけど――二日目以降に受付にいた看護師さんたちの話によれば、『岬亜由奈』の身体は検査をしても大した外傷はなかったそうで、ママたちの要望で、病院は一週間ほどで退院することになった。

 けれど家に戻れても、事情を知ってるわたしたちにしてみれば当然のことながら、意識を取り戻したわけではなく、ひたすらに眠り続けているような状態。

 もちろんわたしだって何もしようとしなかったわけではない。ママやパパをいつまでも苦労させたり悲しませたりしていたいわけじゃない。

 でも入院中は、ママかパパがずっと『わたし』に付き添っているような状態。結局わたしは受付で何度か話を聞くだけで、病室にまでは行かなかった。

 今度こそと意気込んで退院後に岬家へ足を運んだが、そこでは、田舎から出て来た二組のおじいちゃんとおばあちゃん、さらに時には隣の県に住んでる叔父さん夫婦や東京在住の従姉妹まで加わっての、厳重なサポート体制が構築されていた。

 部外者にとっては厳戒態勢みたいなものだ。わたしが近寄れる雰囲気じゃなかった。


 虎山駅に向かう電車の中。わたしは毎朝両手とも吊り革とか壁のパイプとかを握るようにしている。まさか、岬家からならすぐ近くの一高へ電車通学することになって、しかも痴漢に遭う心配じゃなくて痴漢に間違われる心配をする羽目になるなんて思わなかった。

 駅に降りてあちこちへ向かうバスがひっきりなしに出入りするロータリーに入り、目的のバスに乗り込む。

《今日の放課後は、岬さん家どうかな?》

(おばあちゃんたち、この週末もいるんじゃないかな)

 ピンチの時に張り切る人はいるもので、今回の場合、孫の看病疲れで参っている娘を支えるべく長野から出て来たおばあちゃんは特に、お正月に顔を合わせた時以上に生気に満ち溢れていた。

 学校が始まってからは、下校途中に何度か遠巻きに様子を窺っていたわたしは、一週間ほど前、いつも優しかったそのおばあちゃんに不審者を見る目で警戒されてからは、もう岬家に近づく勇気さえも出せずにいる。

 そもそも、近づいたから元に戻れるという確証もあるわけじゃないから、最近ではあれこれためらって先延ばしにしてしまっているようなところもある。目が覚めたら自然に元に戻っていてくれないかなとぼんやり願いながら眠りに就くこともしばしばだ(そして翌朝失望する)。

 ある事情により、春休みの時よりも近づく口実ははるかに作りやすくなったわけだけど……それはまだ活用したことがない。


 そんな風にしてわたしが『亜由奈』に戻れないまま足踏みしている間に、『鷹野夏樹』の生活もどんどん進展していく。『亜由奈』が退院したその翌日、わたしは一高の入学式に『鷹野夏樹』として出席し、『鷹野夏樹』としてクラスメートたちと言葉を交わすことになった。

 鷹野くんのクラスはA組。ちなみにわたし『岬亜由奈』も同じクラスで、入学式の朝、担任の先生からは軽い説明があった。

 なお、うちの中学から一高に来た人間は十人くらいいるけれど、このA組の中に知った顔は一人だけ。

 ショートボブの子。入学式前のこの慌ただしい時間からさっそく隣の子に声をかけ、すごく楽しそうにしゃべっている

《誰?》

 しばらく見つめ続けていたから、わたしが話しかけるより早く鷹野くんが訊ねてきた。

(筒井加奈。二年の時に同じクラスだった子。……あの頃はすごく無口な子だったから、あんまり話したことはないけど)

《へえ。ずいぶん印象違うね》


 バスを「一高前」で降りれば、道を渡ってすぐ校門だ。

 少し前方を筒井さんが歩いていた。今朝も明るくおしゃべりしている。相手はうちのクラスの子じゃないけれど、演劇部の友達だろうか。

 眺めていると、鷹野くんが言った。

《ちょっと思ったんだけど、筒井さんにも誰かが入ってるとか、ないかな?》

 漫画とかならそれもありそうな展開。でも。

(わたしも前に一瞬だけ考えたけどね。ないでしょ。だったらそれまで通り無口で行くのが筋だもん)

《それもそうか》

 少し気にはなる子だけど、元より接点はなかったし、今は初対面の男子と女子。むしろ東京からやって来た鷹野くんが変に知識を持ってたら不審を招く。今後もあまり彼女には近づかない方がよさそうだ。


 ありきたりな入学式が終わり、教室で先生の話も終われば、高校生活最初の放課後。わたしにも、さっそく近隣の席から気さくな性格の男子が声をかけてきた。やがて、ウマが合ったり好みが近かったりする人間同士が仲良くなっていくつかのグループに分離していくクラスの、一番最初の混沌状態。

 あの事故が起きずに『岬亜由奈』としてこの場にいたら。わたしはどんな風に周りの女子と接して、誰と友達になったんだろう。

 でも今のわたしは『鷹野夏樹』。まさかいきなり女子と話すわけにもいかないし、男子を無視したりしていたら、元に戻った後に鷹野くんにものすごい迷惑をかけてしまう。

 結果的に、わたしは毛嫌いしていたはずの男子連中と、中学三年間分に匹敵しそうな量の会話をこの初日の放課後だけで繰り広げた。


 靴を履き替えて昇降口を抜ける。四階が一年生の教室だ。

《あ、五十嵐くんに漫画持って来るの忘れてたね》

(しまった。ま、今週中にって話だし、明日でいいでしょ)

《あと、吉川くんに貸してた五百円返してもらうこと》

(はいはい)


 最初の一週間は、ほとんどの授業が説明だけで過ぎていく。登下校の道順をしっかり覚えるのとクラスメートと会話するのが主な仕事みたいなものだ。

 そうこうするうちに、『鷹野夏樹』としてのわたしにも友達めいた男子がわずかながらできてきた。最初の席順は男女別で、黒板に向かって左側から五十音順だけど、わたしの左斜め前にいる五十嵐くんと右横にいる吉川くんの二人がそう。

 小太り眼鏡で気のよさそうな顔をした五十嵐くんは人懐っこくて、なぜかわたしによく声をかけてくるうちに、DVDや本の貸し借りまでするようになった。

 ひょろりとした長身で味のある顔立ちの吉川くんは、やや皮肉げな口調が特徴的。五十嵐くんが「趣味が違うけど友達」なのに対し、吉川くんは「趣味が合うから友達」という感じだった(もちろん、もうそれだけでもないけど)。本や映画の好みが少しずれてて少しかぶってるのが、喧嘩にならない絶妙な棲み分けを可能にしている。

 ちなみに鷹野くんも、二人には好印象を持っている模様。三人でしゃべっている時は、わたしにしか聞こえないけれど相槌や突っ込みを楽しげに入れてくれている。


 …………。

《どうしたの? 岬さん?》

 朝の自習や短いホームルームを終え、一時間目のチャイムが鳴る。そのわずかな空白期間に考えたことが、軽く唇を噛む仕草に現れてしまっていた。

 それをサインととったのか、鷹野くんが気遣うように声をかけてくる。

 自分の身体を自由に動かせない鷹野くん。いきなり割り込んできたわたしに身体も立場も生活も奪われた格好の鷹野くん。

(鷹野くん、ごめんね)

 それなのに、今の立場に甘んじていて、それを楽しいとすら感じ始めてしまっているわたし。

《気に病むことないよ。岬さんのせいじゃないんだから、僕も気にしてない》

 わたしの言いたいことをすべて察したように先回りして、しかもわたしが欲しがっている答えを返してくれる鷹野くん。

(それは、そうだけど……)

《早く元に戻れるように、がんばろうね》

 あの日階段を転げ落ちてから、大変なことは色々とあるけれど、一つだけいえる確かなこと。

 入り込んだのが、鷹野くんの身体でよかった。

(うん!)

《だから今は授業に集中。どうなるにせよ、岬さんは中間テスト受けることになりそうだしね》

(鷹野くんもちゃんと授業受けてよね。元に戻ったとたん劣等生なんて、わたしの努力が空しくなっちゃうから)

《それは任せて》

 教室に先生が入って来た。

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