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ずっといっしょに  作者: 茶
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第一章 一つの身体に二人の心(その四)

 振り出しに戻る。ただ、行きとは違い、「帰り」の足取りは重くなった。

 最初の予定通りには行かなかったけど、足がかりがなくなったわけじゃない。英華病院へ行って、『亜由奈』に会えば、事態は改善できるんじゃないかと思ってる。

 わたしの気を重くするのは、ほんの数秒見ただけのパパの姿。今まで見たこともないような、憔悴しきった表情。

 きっと、ママも同じような顔をしてる。

 階段を転げ落ちて頭を打ったあの時、自分としてはそんなひどい怪我をしてるつもりはなかった。だから鷹野くんの身体に入り込んでることに驚く余裕もあったんだろう。

 でもその場にいたママは。連絡を受けたパパは。

 別に、うちは仲良し家族ってわけじゃない。今朝のわたしとママみたいに、わたしとパパ、ママとパパだって口喧嘩はしょっちゅうしてる。

 だけど一度だって、さっきのパパみたいな顔を見たいと思ったことは、ない。

 バスに乗って、電車に乗って、そのまま病院へ直行することに。降りた私鉄駅から歩いて行けるはず。

 さすがに大きな病院だけあって、道路を歩けばところどころに案内がある。十分もしないうちに到着した。

 時計を見ると、四時三十分。お見舞いはできるはず。

(ええと、受付で訊ねれば教えてくれるのかな?)

 お見舞いって、初めての経験だ。

《だと思うよ。みんながみんな、病院に来る前に相手の病室がどこかまで知らされてるわけじゃないだろうし》

 自分一人でも落ち着いて考えればわかることだけど、鷹野くんがこうしていっしょにいてくれるのはとてもありがたい。

 ただ、受付で教えられた情報は望ましいものではなかった。

「岬さんは意識不明で、精密検査を済ませたばかりなの。まだ面会謝絶よ」

 丁寧にてきぱきと答える看護師さん。そして内なる鷹野くんの声が問う。

《選択肢は二つだね。食い下がって病室の前まででも行って、あわよくば部屋の中に入り込むか。今日のところはおとなしく引き下がるか》

(…………)

 わたしは病院を出ることにした。

(ごめんなさい。まだ鷹野くんの中から出られそうにない)

《いや、しかたないよ。『鷹野夏樹』としては、気を遣ってもらったおかげで面倒なことにならずに済んだから、助かった気もするし》

(そうだね。ママやパパと鉢合わせしても、どんな作り話したらいいかわかんないし)

《本当のことは……言えないか》

(鷹野くん、自分がこんなことになったらお母さんに本当のこと言える?)

《言えそうにないね。狐憑きとか真面目に言ってたらしい昔ならまだしも、そういうのは全部オカルトやファンタジーの専売特許になってる現代日本じゃ、信じてもらうのが望み薄だし》

(説得しようにもね、わたしとママやパパの間でしか知らないことはもちろんあるけど、それを言葉で説明したって、『亜由奈』が『鷹野夏樹』に事前に教えていたと疑われたらおしまいだから)

《それはちょっと疑り深すぎると思うけど……いきなり現れた知らない男子が妙なことを言い出したら、そんな風に考えてもおかしくはないか》

(それにね。そこを信じてもらえたとしても、もしわたしがこのままいつまで経っても元に戻れなかったら……それって、心は『亜由奈』なのに身体は赤の他人の男の子ってことになっちゃうでしょ。それって、ママやパパにはかなりつらい状態になっちゃうんじゃないかなと思うし)

《僕と僕の家族にもつらいね。もちろん君自身にも、だけど》

(迷惑かけて、ごめん)

《いや、まあ、今のところ深刻な害があるわけでないし。他人に身体を動かしてもらうってのも、ある意味楽と言えば楽だよ》

 おどけた口調でそんなことを言ってから、鷹野くんはさりげなく言い足した。

《岬さんこそ、身体が無事だといいね》

(……ありがとう)

 ママやパパは、病院のベッドに横たわっている『わたし』に声をかけてくれているかもしれない。お医者さんや看護師さんも、『岬亜由奈の身体』がよくなるように世話をしてくれているはず。

 でも、今ここにいる『わたしの心』に声をかけてくれるのは、鷹野くんだけ。

 元に戻ろうと動き回ってた間は張りつめていた気持ちが弛み、涙腺が緩みそうになる。

 それを感じ取っているだろうに、鷹野くんが何も言わずわたしを見守ってくれているのも、ありがたかった。


 鷹野くんのマンションへの道には少し迷った。

 またあそこに戻るつもりなんてなかったから、道を覚えてない。鷹野くんの指示で、彼が道順を覚えている私鉄駅まで引き返す。

《そこのコンビニの先を左だね》

(ありがと)

 鷹野くんが教えてくれなかったら、すっかり迷子になっていたかもしれない。

《もう五時過ぎかな?》

(そうだね)

 空はすっかり赤くなっている。

 まさか見ず知らずの男の子として一晩過ごすことになるなんて。言葉にしてみると現実感も何もあったもんじゃない。ただ、少しずつ冷え込み出してる空気も、アスファルトの道路を踏みしめる足の感触も、これが紛れもない現実だと教えている。

 マンションに入って八階まで上り、玄関の鍵を開けてドアをくぐる。

 その時、二つの言葉を呟いた。

(おじゃまします)

「ただいま」

 今のわたしは、心は岬亜由奈だけど身体は『鷹野夏樹』。元に戻れるまではそのことをいつでも自覚しておかないと。

《いらっしゃい。……ただいま》

 鷹野くんが応じてくれたところで、リビングの電話が鳴った。

(だ、誰?)

《落ち着いて。たぶん母さん。帰りが遅くなるから先に食べといてとか、そんな感じじゃないかな。他にここの番号知ってる人はあまりいないし》

(わ、わかった)

 受話器を取ろうとして、それでも一瞬躊躇する。さっきの看護師さんを相手にした時とはまた違う、『鷹野夏樹』を知ってる他人と会話する最初の経験。うまく鷹野くんのふりをできるだろうか。

《最初は「もしもし」。こっちから「鷹野です」とは言わない》

(う、うん)

 心の中で答える声まで上ずりっぱなし。

《なるべく僕もフォローするから、気楽にして。普段の家族の会話だって、気が抜けて変なことを言ったりしちゃうもんでしょ?》

 励ましに心が軽くなる。呼吸を静め、一気に受話器を取った。

「もしもし」

「夏樹、お母さん」

 予備知識のせいだろうか。『お母さん』の声は、専業主婦のママよりもきびきびしたものに聞こえる。

「うん」

「今日は帰り遅くなるから、先に食べちゃって。お母さんの分はいらないから」

「わかった」

「暖かくなってきたけど寝冷えとかには気をつけなさいよ」

「う、うん」

「じゃあね」

 そして通話はあっさり終わった。

《僕が口出すまでもなかったね。いつも通りで、怪しまれることもなかったと思うよ》

(ならいいけど……すごくドキドキした。心臓発作でも起こすんじゃないかってくらい)

《感じてた》

(そのうち、慣れるのかな)

《いや、君が僕の演技に慣れるのは困るでしょ》

(それもそうね)


 一人きりの夕食を終える。と言っても、鷹野くんとあれこれしゃべりながらなので、別に寂しくもなかったけど。

(ご飯の後は?)

《もちろんお風呂だけど、今日はなしだよね》

(……ありがと)

 外を歩き回って微妙に全身が汚れているような感覚と、全裸になって色々なものを見ることによる精神的外傷。まだ前者の方が我慢できる。

《あー、ただ、勉強につきあってくれない? テキスト開くのもノートに書き込むのも全部やってもらうことになるけど、考えるのはこっちでやるから》

(春休みなのに宿題出るんだ)

 鷹野くんの通う高校も進学校っぽい。

(県立? 私立?)

《県立だね。虎山第一高校》

「え?」

 思わず声に出してしまった。

《どうしたの?》

(いや、別におかしな話ってわけでもないんだけど……)

 不思議な縁と呼ぶべきだろうか。

(そこ、わたしが通う予定の高校なの……)

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