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ずっといっしょに  作者: 茶
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第六章 ずっといっしょ(その三)

 夜も更けた頃、『わたし』の携帯にメールした。明日の早朝、開いたばかりの学校に行くつもりだと。

 向こうも会いたいなら来るだろうし、来なかったら誰もいない教室で自習でもしてれば済む。

 早起きして支度をしていると、まだ出かけていない『母さん』も支度の真っ最中。

「あら早いね」

 鏡に向かってメイクしながら、いつものように手短に声をかけてくる。

「う、うん、ちょっと用があって」

「告白でもするの?」

 飲みかけていた牛乳を吹きそうになってむせる。

「べ、別にそんなんじゃないよ。ちょっと喧嘩してたのの仲直り。それだけ」

「あらそう」

 端的に答えると、また自分の顔に専念し出す。あまり顔を合わせないせいもあるけど、この人のことはいまだによくわからない。

「まあ、がんばりな。ここしばらくひどい顔してたのが、今日は一丁前の男っぽい顔つきになってるからね」

 褒め言葉なのはわかるけど、ちょっとうれしくない。

「言いたいこときちんと言えば、それでうまくいくと思うよ」

「う……うん」

 生活的にすれ違うことがほとんどで、実はまだきちんと話らしい話もしたことがないんだけど、こういう風に言ってもらえると、『親』なんだなあと思う。

 そしてそれは、ママやパパも同じはず。思い通りにならなかったからって、すべてを投げ出して諦めるには早すぎる。

「いってきます」

 少し大きな声で言うと、玄関を出た。

 空はどんよりと曇っていて、今にも降り出しそうだった。


 電車もバスもがらんと空いていて、学校までの道のりは実に快適。これは明日以降も早起きすべきかもしれない。

 いつもの時間帯は人でごった返す校門から昇降口にかけても、ぽつりぽつりとしか人はいない。むしろ、こんな時間に登校してる生徒が他にいることが驚きだ。

 そして教室に入ると、『彼女』――『亜由奈』に、『わたし』になった、夏樹くん――が一人、ぽつんと席に座っていた。

 一週間ぶり、いや、今日でもう十日ぶりに、夏樹くんに話しかける。

「屋上へ昇る階段に行こう。教室じゃ誰か来るかもしれない」

 振り向いてすぐさま立ち上がった夏樹くんが口を開くより早く言うと、相手はこくんと肯き返した。

「それと、用心のために口調は今のままで。小声で話していれば詳しい内容までは聞こえなくても、しゃべりと声の性別不一致は、遠くの人にも違和感を与える気がするから」

「わかったわ」

 もう一度肯く。長く艶やかな髪が今日もさらりと揺れた。


 屋上に出る扉は閉まっているけれど、それゆえに階段の終着点に人が来ることもない。立ち話も何なので、扉に通じる一段高くなった場所に二人で腰を下ろす。

「「あの」」

 まったく同時に声が出た。

 沈黙と身振り手振りの譲り合いになんとなく敗れて、わたしから切り出すことに。

「ごめんなさい」

 深々と頭を下げた。

「無視したり避けたりなんてことはすべきじゃなかった。今の君が慣れない身体と環境で苦労してることを一番わかってるのはボクだったのに、何もしようとしなかった。そのことは本当にごめんなさい」

 頭をひたすら下げたままでいると、おろおろしたような声が降ってくる。

「あの、そんなこと、しないで。僕、じゃない、わたしこそ、ごめんなさい。あの時、すごくすごくひどいこと言っちゃって、あなたのこと傷つけて……」

 そしてバサリと音がしそうなほど勢いよく、あちらも頭を下げてしまった。

 ……このままだと、頭を下げ合ったまま一時間目になってしまいそう。

 そう思って顔を上げると、まったく同時に顔を上げた夏樹くんと目が合った。

 あまりのタイミングの良さに、思わず笑ってしまう。

 きょとんとしていた夏樹くんも、すぐに顔をほころばせた。

 と、その笑顔のまま、瞳から涙がぽろぽろとこぼれ出す。

「ど、どうしたの?」

「ご、ごめんなさい。……こうなってから、岬さん、初めてわたしに笑ってくれたから……ほっとして……」

 謝りながら夏樹くんはハンカチで目頭を押さえた。

 でも、収まらない。

「ご、ごめんね、岬さんの顔、変な風にしちゃって、ごめん……」

 涙は後から後から溢れるようで、いつしか嗚咽も混じり出す。

「気にしないで」

 隣で見ているわたしは何もしてあげられなくて、ただ、泣き止むまで夏樹くんの肩を抱くことしかできなかった。


 二人でこの身体にいっしょにいた時は、たいていの場合冷静にわたしをサポートしてくれていた夏樹くん。

 なのに今、目の前で夏樹くんは感情をあらわにして泣きじゃくっている。

 わたしの全然知らない夏樹くんの姿だった。

「あの、だ、だいじょぶだから、もう、放していいよ」

 まだしゃくり上げているけれど、確かに落ち着いてはきたみたい。

「だ、だめだよね、わたしって。あの時からずっと、岬さんに迷惑かけてばっかりで」

「その話はもういいよ。あのね、……」

 霞さんに送ってもらった漫画の話をした。

「だからね、夏樹くんの気持ち、あの時よりはわかるようになったと思う。実際にボクはあの時おかしくなりかけてたわけだし、心配してくれて、ありがとう」

「……今は、どうなの?」

「好きな飲み物は牛乳に戻ったよ。夏樹くんが距離を取ってくれたおかげだと思う」

 すると夏樹くんってば、「よかった」なんて甘い小声で呟いて、はにかんだ可愛らしい笑みを浮かべるのだ。

 その笑顔を見た瞬間。

 わたしは夏樹くんに対する自分の気持ちをはっきりと自覚した。

 でも同時に、それを表に出すのがどうにも恥ずかしくて、変なことを言ってしまう。

「まったく、嫉妬しちゃうよ」

「え? 何が?」

 そんな風に小首を傾げる姿までも。

「本当はボクが亜由奈なのにさ。夏樹くんの方がよっぽど可愛い女の子しちゃってるじゃないか」

「そ、そそそそんなことないよぅ!」

 声を上ずらせて否定されても。

「そりゃ、あの、わたし、岬さんが元に戻った時に『男みたいにがさつな女子』なんて言われたら嫌だろうなって思ったから、なるべく女の子っぽくしてるけど。でも可愛い子ぶりっ子なんかしてないってば」

「いや、そうやってわたわたと手を振る仕草がまた可愛かったりするわけで」

「うー……」

「意図せずにやってるんだとしたら、夏樹くんって生まれながらの可愛い女の子だったってことじゃない? ナチュラル・ボーン・萌え」

「そんなのやだぁ……」

 わたしの言葉一つ一つに取り乱して、表情をくるくる変える夏樹くん。これも、二人がいっしょだった時には知らなかったこと。

「…………」

「な、なんなのよ、じっと観察して。今度はどんな意地悪言うつもり?」

「ううん。ただ、ボク、夏樹くんのことなんにも知らなかったなあって思って」

「それはわたしも同じだもん。岬さんがこんないじめっ子だったなんて知らなかった」

 夏樹くんてばむくれてる。

「そういうのとはちょっと違って……ほら、ボクたち二ヶ月ずっといっしょにいたよね。だからボクなんか、夏樹くんのことなんでもわかってるつもりになってたけど……」

 実際にはなんにもわかってなかった。

「だって……わたし、隠してたもの」

 夏樹くん、今度はもじもじ。

「最初に気取った感じで話し始めちゃったから、なんだか、その感じでずっと通さなくっちゃいけないような気がして……」

「そんなの気にしなかったのに。ボクだって、最初はあれこれ気を張ってたのが、次第にリラックスしてたでしょ」

 いつの間にか「母」が「ママ」になっちゃったりね。

「それにね……わたし、本当はすごい甘えん坊なんだよ?」

「それだって、別に気にしないけど」

 霞さんの呼び方とか、いかにもそんな印象だったし。

「そう? こんな風にされても?」

 夏樹くんはわたしにぴったりとくっつくと、腕を絡めてきた。半袖だから、腕と腕が直接触れ合う。

「い、いきなりどうしたの? わざわざ実例示さなくてもいいから」

「岬さん、照れてるの?」

「あ、当たり前じゃない。中学生や高校生にもなってそんなベタベタ……」

「『ママ』の言ってた通りなのね。頭を打つ前の亜由奈ちゃん、ツンツンしちゃってなかなか小さい頃のように甘やかせてあげられないってこぼしてた」

 久しぶりに聞く、ママが言いそうな台詞。それが夏樹くんの口から出る意味。わたしは今、『ママ』の子供じゃないんだ。

「元気にしてる?」

「うん。目が覚めてからわたしが学校に通い始めるまでが、一番元気だったみたい」

「今の『亜由奈ちゃん』はちゃんと甘えてくれるし?」

「そうそう。うちのお母さんだとしっかりしすぎてて、そういうところが物足りなかったんだけど……わたし、今のママとはウマが合うのかも」

「そのうち疲れちゃうと思うけどなあ」

 そもそも額面通りに受け取れる言葉でもない。もし元に戻れなくても大丈夫。そんなことを遠回しに言いたくて、わざわざしゃべっている可能性はかなり高いと見る。

「だいたい、いい年して理由もなく親に甘えるなんてできないよ」

「素直になればいいのに」

「心が同居してる状態で素直になってくれなかった子に言われたくないね」

「うー」

 今度は口を尖らせる。萌えリアクションのデパートみたいな品揃え。

「それにしても……そろそろ離れない?」

 まだ腕を絡めたままの夏樹くんに言う。

「やだ」

 あっさり拒否されました。

「男の子の身体って、やっぱり女の子と違うのね。『夏樹』って、貧弱な体格だと思ってたけど、腕とかこんなにたくましく感じる」

 そう言いつつ、わたしの二の腕を指先でなでる夏樹くん。それは、今の当人の、白くて華奢な腕とはずいぶん違うことだろう。

「ま、まあね。手足の大きさとか」

「うん。この身体で初めて靴を履こうとした時、びっくりしちゃった。わたしが六年生かそこらの頃に履いてたのとサイズが同じなんだもん」

「う、うん」

 話の行く先が見えなくて、ぼんやりした相槌を打つ。

「だから、本当はこんなの似合わないんだけど……」

「えっ?」

 夏樹くんは、『夏樹』より十センチ背の低い『亜由奈』の身体で、わたしの背中に両腕を回して抱きしめた。

 男の子が女の子を抱きしめるように。

 実際には女の子が男の子に抱きつくように。腰を下ろした状態からやろうとしたから、結局下半身はわたしの上に乗っかっちゃってしまう。

「ちょ、ちょっと、夏樹くん」

 戸惑って離そうとしたけれど、夏樹くんはぎゅっとわたしのことを抱き続けようとしている。

 胸と胸が触れ合い、シャツとワイシャツとブラウスとブラジャーを越えて、『亜由奈』の柔らかい膨らみの感触が伝わる。さらにその奥に、鼓動が激しく打っているのまでも感じ取れる。

 鼓動が激しいのはわたしも同じ。

 霞さんに抱っこされた時よりも、筒井さんに抱きつかれた時よりも、ずっとずっと、比べ物にならないくらい、ドキドキしている。

 そして首筋には、熱いくらいの吐息。

「あのね」

 耳元で囁かれた。柔らかな声。

「こうやって、直接抱きしめてあげたかった」

「……ボクのことを?」

「岬さんのことを。前からずっと」

「前からって?」

「四月の初めの頃から。あんなことになっちゃって、誰にも頼れなくて、でもずっと一人でがんばってた岬さんのこと、支えたいって思ってた」

 ゆっくりと、でも淀みなく、言葉を紡ぐ夏樹くん。

「でもあの時のわたしは、なんにもできなくて、ただ心の中で岬さんに言葉をかけることしかできなくて……だから、すごく悔しかった」

 乱れそうになる声に、言葉を返す。

「何もできないなんてこと、なかったよ。夏樹くんがああやって、ずっといっしょにいてくれたから、わたしはがんばっていられたんだよ」

 わたしも、夏樹くんの背中に両腕を回す。なるべく痛くならないように、でも強く、抱きしめる。

「……今、寂しいよ。夏樹くんといっしょじゃなくなって、同じものを見たり聞いたりできなくなって、いつでも好きな時にしゃべることができなくなって……毎日、とっても寂しいよ」

 言葉にして初めて意識できることはある。

 わたし、怒ってただけじゃなくって、それ以上に、寂しかったんだ。

「このまま夏樹くんと一つになっちゃえればいいのに」

 そして新たに理解する。あの時、夏樹くんに拒まれた時の、あの苦しさ。それは単に罵られたことに傷ついたわけじゃなくって、夏樹くんがいっしょにいてくれないことに対する苦しさ。

 あの『ひみつのストラップ』の兄妹のことを考える。あのお兄さんは消えてしまったけれど、妹と一つになることができたのは幸せだったんじゃないだろうか?

「このまま溶け合って一つに――」

「それは、違うよ」

 きっぱりと。

 力強く。

 夏樹くんはわたしの言葉を否定した。

「僕は、一つになんかなりたくない。二人が一人になったら、その瞬間はひょっとしたら幸せかもしれないけど、きっとすぐに一人でいるのが寂しくなる。そしてもう、その寂しさは埋められない」

 声は『わたし』のものだけど、しゃべっているのは紛れもなく鷹野夏樹だった。身体はわたしに乗っかっていて、わたしの腕に包まれているけれど、夏樹くんの言葉が、不安定に揺らいでいるわたしを抱きしめて、包み込んでいた。

「僕は君と、二人でずっといっしょにいたい」

 その言葉は、すとんとわたしの胸に届いた。

「同じ時に同じところにいて同じものを感じるのに、言葉だけしかかけられないなんて、我慢できなかったよ。こうやって、触り合って、抱き合って、君をもっともっと感じたいって、君の中にいる時ずっと願ってたから……叶っちゃったのかな」

 まくし立てるように言うと、ほうっと、幸せそうなため息をついた。

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