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ずっといっしょに  作者: 茶
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第五章 一つの身体に一人の心(その一)

 身体に感じた普通でない異変。さっき気づいた嗜好の変化よりももっと急激な変化。

 乱暴にはならないよう、だけどできるだけ精一杯力を込めて、わたしはまず筒井さんの顔と身体を自分から引き離した。

 わたしは自分の身体を見下ろしたり、首や腕を動かしたりする。特に異常は感じない。

 でも、さっきのキスの瞬間、間違いなくわたしに何か起きた。

(夏樹くん、今の感じってなんだろう?)

 心の中でパートナーに訊ねる。

 なのに返事がない。

(夏樹くん?)

 もう一度呼ぶ。たとえ考え事をしていても、とりあえずの返事はしてくれるはず。

 ……はず、なのに。

(夏樹くん? 夏樹くん!)

 返事はない。

 まるでわたしの中に、わたししかいないかのように。

 それは当たり前と言えば当たり前の話。だけどわたしが見舞われたこの異常事態においては、この二ヶ月間一度もなかったこと。

 ずっといっしょにいてくれていた人がいない。大切な人が、いない。

 これほど不安になることはない。

 辺りをきょろきょろと見回す。そうすればすぐそばに夏樹くんが現れるんじゃないかと思って。理屈にかなった考え方じゃないけれど、冷静さなんて吹き飛んでいる。

 と。

「あの……岬、さん?」

 筒井さんが声をかけてきた。

 いけない、目の前の相手を蔑ろにするなんて不審に思われてもしかたがない。今はひとまずきちんと応対してさっさと家を出て改めて夏樹くんとコンタクトを取る手段を考えないと――

 そこまであれこれ考えてから、耳が捉えた言葉の違和感にようやく気づいた。

「岬さん」

 また呼ばれる。もちろんわたしは岬亜由奈であり、本来ならそう呼ばれることになんの不思議もない。

 でも今のわたしは『鷹野夏樹』の身体に入っていて、そのことを知っているのは霞さんと夏樹くんの二人だけで、目の前にいるのは霞さんのわけはなくて、でも夏樹くんだって突然いなくなっちゃったのにどうして筒井さんがいきなりそのことを知って――

「あの……こうして面と向かって会うのは、はじめまして、だね」

 目の前の『筒井さん』は、男の子のような口調でしゃべり、ぺこりと頭を下げた。

「その、僕は、鷹野夏樹。今は筒井さんの身体に入っちゃってるみたいで、頭の中じゃ筒井さんがすっかりパニックになっちゃってるんだけど……」


* * *


「筒井さんは、落ち着いた?」

「うん、どうにか」

 二十分ほど、わたしには特にすることがなかった。

 まずは夏樹くんが心の中で筒井さんへ事態の説明をするしかない。それをわたしも時折外からフォローする。

 夏樹くんは久しぶりに身体を動かすのが不安なのか、時折『筒井さん』の身体で貧乏揺すりする以外はソファに座ったままじっとしているので、こちらとしては喉が渇いていそうなところに紅茶を渡す以外には何もできなかった。

「『夏樹』の正体にはショックを受けたみたいだね」

(あ、そりゃそうよね)

 反射的に心の中で呟いてから、今の夏樹くんにはそれでは通じないと思い直す。

「そりゃそうよね。……えーと、筒井さん、だましてて、それと、こんなことに巻き込んじゃって、ごめんなさい」

 わたしは『筒井さん』の中の筒井さんに頭を下げた。

 こっちだって悪意はなかったけれど、筒井さんにしてみれば今日は厄日もいいところだろう。勇気を出して告白してキスしてみたら、身体の主導権を他人に奪われた挙げ句、告白した相手が精神的には女子だと判明するなんて、今日一日の喜びも満足感も全部台無しだ。

「……謝る必要はないって。ほんとのこと言われても絶対信じられるわけがなかったし、しかたないよね、だって」

 夏樹くんが筒井さんの言葉を伝達した。

 傍で見てるとわかるけど、これはずいぶん面倒だ。長時間会話をしてくれた霞さんもさぞ大変だったろう。

「それにしても、妙な気分」

「何が? まあ、妙と言えば何から何まで妙だけど」

「そうだね。岬さんが僕になっちゃって、僕が筒井さんになっちゃった。本当は岬さんが女子で僕が男子なのに、逆になっちゃってる」

 手のひらを閉じたり開いたりしながら言う。夏樹くんは別人の身体になったのは今日が初めてだし、女の子の華奢な身体が不思議なんだろうな……って、それもそうだろうけれど。

「いや、それ以外にも色々あるでしょ。筒井さんまで巻き込んじゃったこととか」

「うん。中からも叱られた」

 夏樹くんがくすりと笑う。筒井さんとは明らかに別人で、しかも、心の中で毎日会話しながらわたしが思い描いていた通りの、どこか茶目っ気のある笑顔だった。

「でも、筒井さんには悪いけど、これって一歩前進だよね。今まで『僕の身体』の中で膠着していた事態が大きく変化したんだから、これを手がかりにあれこれ考えられる。……筒井さんも同じ意見だよ」

 そうだ。これまで二ヶ月間の、『鷹野夏樹』一人の身体に二人の心という変則的な状態が、今日初めて崩れたのだ(代わりに、『筒井加奈』の身体に二人の心となってしまっているけれど)。

 考察の口火を切ったのは夏樹くん。

「キスが原因、なんだろうね。あれをきっかけに、『鷹野夏樹』の中に同居していた心の片方が、出口を見つけて飛び出していった……って感じで」

「……うん」

 それ以外には考えようがない。あの瞬間、わたしたちの身には他に何も起きてなかったのだから。

「ということは、『岬さんの身体』にキスすれば元に戻れるっていう可能性が、大いに現実味を帯びてきたと言えるんじゃないかな? 岬さんや姉さんの推測は正しかったみたいだね」

「そうか、そうだよね!」

 元に戻れる。岬亜由奈に戻れる。

 ほんのさっきまで夏樹くんになりきってしまうことを恐れていたばかりなのに、急に願いが実現する道が拓けて見えた。

「もっとも、手順を間違えたら大変なことになりそうだね。現時点だとたぶん僕がキスすることで心の移動が起きそうだと考えられるけど、それで筒井さんの心が岬さんの身体に入っちゃったりしたら、もうチェックメイトになりそうだ」

「……それは、最悪だよね」

 わたしが夏樹くんで、夏樹くんが筒井さんで、筒井さんがわたし。一人の身体に一人の心で落ち着いては、再移動なんて起こりそうにない。一生そのままで元に戻れないなんてことになったら、絶対嫌だ。

「じゃあ、ここでキスすると……」

「今度は筒井さんが『夏樹』の身体の主導権を握って、岬さんが『夏樹』の中で『余り』になるんじゃないかな?」

 ふむ。さっきまで『余り』だった夏樹くんが、新たに筒井さんの身体に割って入って動かしているのだから、そのパターンが一番ありそうだ。

「でもそこでわたしが元に戻ったら、夏樹くんと筒井さんが入れ替わったままよね」

「だから、今度は岬さんにこっちへ来てもらって……」

「ほんとに大丈夫なのかな? ちょっと紙に書こう」

 図にすると、現時点から四回のキスを経て、夏樹くんは元に戻り筒井さんの身体にわたしが『余り』状態になる……という予測が立った。

「ここから筒井さんが岬さんの身体にキスすれば、本来の状態に戻れるはずだね」

「……四回も必要なんだ」

 全部わたしがキスするわけでなく、傍観者の立場になることもあるけれど、それはそれで夏樹くんと筒井さんがキスするのにつきあわされるわけで……あんまり面白くない。

「うーん、筒井さんも嫌がってるね」

 無理もない。

「けど、いつまでもこんな状態でいたいわけじゃないでしょ?」

 夏樹くんは勢いよく立ち上がってわたしを見下ろした。

「それに、個人的には早くキスしたい」

「え……」

 真顔で言われて、ドキドキしてしまう。さっき同じ『筒井さん』に迫られた時にはただ困惑するばかりだったのに。

「この筒井さんの身体、そろそろトイレに行きたくなってきてて、さ。岬さんならわかると思うけど、他人の上に異性の身体でトイレに行くのは、身体を使う側にも使われる側にもなかなか苦痛なもので……」

「はい、キスするわよ!」

 わたしも一気に立ち上がると、さっさと『筒井さん』の顔に近づいた。

「岬さん乱暴だなあ。もう少しムードがあったってよさそうなのに」

「今さら何言ってんの!」

 反論して、唇を押しつける。

 その直後、これが夏樹くんとのファーストキスであることにやっと気がついた。


 わたしの身体の中に、今度は外から入って来るものがある。しばし、感覚の混乱。

「……あれ?」

《おや?》

「え?」

 三者三様の疑問符が浮かんだ。

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