第四章 学園祭、その後に(その三)
「乾杯っ!」
神代さんの音頭にみんながグラスを合わせる。
(乾杯)
《うん、乾杯》
五人――わたしたち二人にとっては六人――だけの、学校近くのカラオケボックスでの二次会。
学園祭終了後すぐ、教室で開いたクラス一同での打ち上げも楽しかったけど、わたしにとってはこのメンバーでの気の置けない集まりこそが、真の打ち上げという感じがした。
「みなさんの力を信じてないわけではありませんでしたが、まさか優勝までできるとは、夢にも思ってませんでした」
オレンジジュースを一息に飲み干して、神代さんがしみじみと言う。
「そりゃ聞き捨てならないな。俺らめちゃくちゃがんばったじゃん」
コーラをくいっと傾けつつ、吉川くんが笑いながら言った。
「よそのクラスがどれほどのものかは知らなかったけどさ、うちなら優勝してもおかしくないなって俺は思ってたよ。鷹野の素材だけじゃなくて、筒井さんのアイデアも委員長の技量も大したものだったし」
ウーロン茶を傾けながら主張する五十嵐くんに、わたしも半分同意する。
「そうだよ、ボクはただ立ってただけだけど、委員長と筒井さんはものすごくがんばってたから……」
すると筒井さんと神代さんは首を振る。
「いやいや、あたしたちは脇役だってば」
「そうですよ! 私はあくまでサポートであって、夏樹きゅんの華やかな容姿と演技こそがすべての要でした!」
「この期に及んでもボクの呼び方は『きゅん』なんだね……」
この件に関するわたしの突っ込みはとことん無視される方針のようだ。
「けれども、加奈さんの発想もやっぱり大きかったと思いますね。私には女装させた美少女をさらに男装させるなんて、とても考えつきませんでしたし」
褒められた筒井さんは照れくさそうに頭をかく。
「いやー、なんか、ね」
わたしにちらりと視線を向けると、それっきり口をつぐんでしまった。
「ん?」
「なんだなんだ? 鷹野、おまえまさか筒井さんと……」
「いや、そんなことないってば」
《それはどうかな?》
(もう、夏樹くんまでこんな時に変なこと言わないでよ)
「筒井さん、思わせぶりなこと言いかけてやめたりしないでよ。なんか、どうしたの?」
「うーん、その時の率直な印象ってだけで、悪く取らないでほしいんだけど」
少し気まずそうな顔をして、また言葉が止まる。
「別にいいよ。あれだけ人前でやっちゃったんだし、今さらちょっとくらい変なこと言われても気にしない」
これだけ促して、ようやく重い口を開くことができた。
「……なんか、ね。夏樹くん、女装よりも男装の方が、こう、異性の姿になってる、みたいな感じになるんじゃないかなって、ふと思って」
(!)
《!》
内心の変化は、顔に表さずに済んだだろうか? 焦るわたしにはお構いなしに、筒井さんはみんなに説明を続ける。
「ほら、女装とか男装って、表面的な似合う似合わない以外にもポイントがあるんじゃないかなってあたしは考えるわけよ。戸惑いとか、ぎこちなさとか、恥じらいとかが醸し出す魅力、みたいなものがさ」
「ああ……加奈さん、それは卓見です! 確かに、女装したとたん精神的にも女性になりきってしまうような展開は反則ですものね!」
神代さんが力強く賛同する。五十嵐くんと吉川くんが納得したように肯いているのも、その問題に限っての話なんだろうか。そうであってほしいけど。
《一般化しよう》
(うん)
紅茶を飲んで口を湿らせてから、わたしはそれと気づかれぬよう誘導を図る。
「そ、そうだね。他のクラスを見ていても、女装が堂に入っている場合は、思ったより点数が伸びてなかったような気がするし」
「なのよね。三年C組のあれなんてさ、当人は美形だし台本もよくできてたし衣装や小道具にも凝ってたのに……」
言い出した筒井さん本人が話をそっちへ広げてくれたこともあり、それ以上はわたし個人の話へと向かわなかった。
* * *
「お疲れさま。また明後日」
「また明後日ー」
食べて飲んで歌ってしゃべって。総じて楽しかった二次会も終わり、わたしたちは店の前で解散した。明日月曜は今日の分の振り替え休日で、明後日の一・二時間目で校内の後片付け、三時間目からは通常営業となる。
明日は一日、のんびりできそう。今『母さん』は北海道の親戚の法事に行ってて、明日は朝から晩まで家にはわたしたちだけなのだ。
「あ、夏樹くん、今からうち寄ってかない? こないだ言ってた父さんの持ってる『十二騎士の黙示録』、今日持って来るつもりだったんだけど忘れちゃって」
筒井さんがわたしを呼び止めると、夏樹くんがやや不機嫌そうに言った。
《けっこう疲れた気がするんだけど》
時間は午後の七時半。いくら日が長い今の時季とは言え、とっくに陽は沈んでる。今日は色々あったし、そろそろ帰りたい気持ちはよくわかる。
(でも……今日受け取れれば明日読めるし……)
今筒井さんが言った『十二騎士の黙示録』とは二十年以上前に出た推理小説だ。絶版になってしまっているこの本が筒井さんの家にあると聞いて以来読みたくてたまらなかったので、わたしは夏樹くんを説得にかかった。
(夏樹くんも、ちょっと興味あるって言ってたでしょ?)
この身体で本を読む以上、必然的に夏樹くんにもその本を読ませることになる。だからあんまり彼が好きでなかったり苦手だったりするタイプの小説は読まないように気をつける必要があり、昔よりも本を選ぶのはちょっと悩ましくなった。
ちなみに夏樹くんは、傾向としては泣ける云々が売り文句の安っぽい悲劇はほとんどが苦手(これはわたしとまったく同じ)。他にはどういうわけか、ゾンビや吸血鬼の出る話や記憶喪失話、加えて時間改変物語も嫌いだったりする(まあ、わたしも特別好きってわけじゃないんだけど)。
けどそれだけに、彼も気に入ってくれた作家の作品なんかは以後安心して読める場合が多いのはありがたい。二人とも好きになった本を読み終えた直後なんて、読んだばかりの本についてあれこれしゃべっていると、すごく幸せな気分になれる。
(作者初期の傑作と言われる里程標的作品だよ。論理性重視なのはいつものことだけど、閉鎖状況のサスペンスに加えて、謎解きの後は追いつめられて中世の両刃剣振り回す犯人に美少女名探偵が木刀で立ち向かうアクションシーンまで盛り込まれてるって評判が、読む前からわくわくさせるよね)
最近目を通したミステリガイドブックに書かれてた褒め言葉を受け売りする。
《……わかったよ》
根負けしたような声で、夏樹くんは呟いた。筒井さんに提案されてからここまで、約五秒。
「うん、じゃあちょっとお邪魔するね」
わたしが肯くと、筒井さんはにっこりと笑った。わたしの目から見ても、可愛いなあと思う。
《でも気をつけてね》
(? なんのこと?)
わたしが問い返すと、夏樹くんは実にわざとらしいため息。意味はよくわからないけれど、なんだか失敬だ。