女騎士と良いオークが旅をする話 その2
次で一区切りと思います。
翌日の午前、本来であればとうに出立していたであろう頃合に、アデーレとビビの二人は村で最も大きな酒場へと赴いていた。ビビの姿が現れると場内の人間はみな一時慄然としたが、とうとうしびれを切らしたアデーレが契約書を伴って大演説をあげ、説得した。といっても、その内容をちゃんと理解していたのはこの酒場の店主くらいであり、皆彼女の勢いに押されただけであろうが。
やがてそこで人々から話を聞くにつれ、この村を虐げているというオーク集団の姿がじょじょに浮かび上がってきた。
まず、かれらは野盗らしからぬ慣れた手際で攻略をなしてくるということ。また、命中すれば必ず死に至るほどの強力な毒矢を使うこと。そして、この村の教会の『聖遺物』も恐らくかれらに奪われてしまったが、それを知る先代の牧師は殺害されていて今や所在が分からないということ。
「教会の聖遺物まで奪われているようでは、ますます見過ごせんな」
二人は酒場の隅の丸テーブルを挟み、聞き集めた情報をまとめていた。アデーレはこの地のにごり麦酒を少しだけあおりながら、眉をひそめる。
「ええ。しかしかれらは……」
ビビは、村人たちが話すオーク集団の特徴に心当たりがあった。
「かれらは、数年前に討伐を受けたという獣人王国の残党ではないでしょうか」
獣人王国。この村よりも更に北東、大きな森林地帯を越えた先にはかつて『北方王国』と呼ばれる獣人たちが政治を執る国があったのである。しかし、数年前に程なくして人間たちによる討伐を受けて滅んだという知らせがアデーレたちの耳にも入っていた。
「話に聞く手際の良さや『聖遺物』の価値を知っていることから考えて、どうやらかれらはかなりの経験と知識を持っているようです。かれらが現れた時期も考慮に入れれば、崩壊した王国から流れてきた軍の関係者と見て間違いないでしょう」
ビビはそう言って、その大きな身体をぶるりと縮こまらせた。
「もしも元正規軍だったとしたら、わたしたちとて敵うかどうか……」
しかし、アデーレは不敵な笑みを浮かべて彼の肩をぽんぽん叩く。
「むろん、何も正面から挑む必要はあるまい。お前のことだからすでに何か策があるのだろう?」
「いや無いですよそんなもの」
「遠慮せずに言え。もちろん私は何も思い浮かばんがな」
「もう少し協力的になってください」
「そうしたいのはやまやまだが、私は剣を振るうことにしか頭が働かんのだ。知っているだろう」
どうしてか誇らしげに胸を張るアデーレなのであった。
「もちろん知ってますけど、嫌というほど知ってますけど、でもどうしてアデーレさんがそんななのかわたしには未だに分かりません」
ビビは、彼女の生い立ちのことを思い出す。腕が立つという理由だけで『騎士団』に入れられたわけではないだろう。彼女自身、かなり高名な騎士の家の出なのだという。だとすればもう少し素養があっても良いものであるが、アデーレがその片鱗を見せることはめったにない。
もちろんこうなってしまってはビビがなんとか一人で戦略を立てなければならなかった。彼はまったくの策士という訳ではなかったが、ひと通りの地政学や兵法は学んでいた。そして今回は何よりの武器として、
「しょうがありません。恐ろしいことですが、わたしがまずは潜入してみましょう」
オークであるビビは、やはり獣人の言葉を話すことができるのである。獣人とて人間と同じように言語にはかなりのばらつきがあり、こと北方王国には独自の方言体系が出来上がっていた。しかし、彼はそれをも習得している。学士としての才覚が、彼には確かに宿っていたのである。
「最適なのは奴隷商のふりをすることでしょうね」
「ああ、そう言えばここより北方ではオーク商人が多いんだったな、ええと、確かベベだったかボボだったか」
「豪商ルジャンドル・ブブです。北方では彼の一派が支配的だったはずです。それに、王国では奴隷軍人を雇い入れていたと聞いています。もし敵が元軍隊だったとしたら奴隷商との繋がりはあったでしょうし、警戒も薄れるかと」
それを聞いたアデーレは一回大きく頷くと、ここまでちびちび飲んでいたエールを一気に飲み干した。彼女は酒を好むがそれほど強くはない。すなわちそれは、取りも直さず、次の意味である。
「よし、行って来い」
可憐な顔をいたずらに紅潮させて言い放たれる『後は任せた』の乱暴な意思を受けたビビは、ただ小さく嘆息してすぐに潜入の支度をし、そのまま出発していった。
いっぽうのアデーレはと言えば、その後も酒場にとどまって仕事のないろくでなしの男どもにちやほやされながら酒を飲み続けた。とりわけ酒場の店主とは特に打ち解けて、カウンターにて共に飲み交わしていた。
「まあ私たちに任せておけ。必ずオーク共を討ち取ってやろう」
「騎士様はオークを連れてらっしゃるのにオークを討伐なさるのですなあ」
たくわえた口ひげにエールの泡をたっぷりつけて、店主は声を上げながら笑う。それは沈痛な空気の漂うこの村にあって軽快な笑みであった。酒場とは人々の心の傷をいっときでも忘れさせ、そして癒やすための場所なのであろう。その長として彼はまっとうに仕事をしていると言える。
「オークも人間も、良い奴は良い奴だし、悪い奴は悪い奴だ。それはいつだって変わらないさ。それに善悪なんてものは……」
と、彼女はその先を言いかけてやめてしまう。
酒が回りすぎているという自覚はあったが、最低限の抑制は出来ているらしかった。
アデーレはジョッキを握ったまま卓へと突っ伏して、言いかけた言葉の続きを少しだけ考える。
善とは、あるいは悪とはなにか。
彼女の言うそれらは結局のところ、その者の運命の行き着く先が『どちらであるか』にかかっていた。
すなわち、名誉のうちに死ぬか、恥辱のもとに死ぬか。
アデーレは特別信心深いという訳ではなかったが、それでも『騎士団』の一員としては神の名の下に活動しているというのが大義名分である。彼女も究極的には、真に正しい者は神の意志によって救われるのだと信じていた。己の力を振るうことも、自らが善であるから、敵が悪であるから振るうのでは無いだろう。むしろ、自らが善であるのか悪であるのか、それを確かめるために力を行使しているのだとさえ言えた。
アデーレには力の行使が許されるだけのひと通りの判断力と、そして生まれ持った権力があった。それをことさらに誇示しないだけの落ち着いた自尊心があった。なにより最後には理性的な判断を下してくれる相棒があった。この世の幸運が全て噛み合って、今の立場がある。もともと彼女の人格そのものは非常に危ういものであったが、それでも真っ当に生きていられるのは巡り合わせの良さゆえである。
そんなことは全て分かっていたから、アデーレは口をつぐんだ。代わりにビールを流し込んで喉に詰まった言葉を焼いた。そうすれば、肺から湧きだすのは力のない笑いだけだ。
すっかり酒場の空気にほだされて、じょじょに日も傾きかけてきた頃、偵察へ行っていたビビが戻ってきた。やはりその姿は酒場の人々を威圧するが、最初の頃よりはすぐに収拾する。
「アデーレさん。敵の様子はほぼ分かりました。元正規軍の将校が大将のようですが、本当に恐れるべき実働部隊はごくごく少数です。わたしの簡単な作戦でも討伐することは容易でしょう」
そう言ってのけるビビの姿はすっかり露悪的な奴隷商人のものだった。どこから持ってきたのか成金趣味の指輪がその太い指にはまっていたし、財布は派手な光沢を示す皮革製、着ている服もいつもよりはしゃんとしている。アデーレはそれを見て少し吹き出しながら、
「さすがは賢将、ご苦労様だった。功労をたたえて一杯やろうじゃないか」
しかし、一方の彼の方はと言えば、
「お断りしておきます。わたしはお酒が苦手なことを知っているでしょう」
「からかっただけだよ。お前は頭がカタすぎるんだよなぁ」
と言って、またぐいっと一杯。
「それでえ、私は何をすればいいんだ?」
少々ろれつのまわりが悪くなっている『へべれけ』な彼女の姿にいっとき顔をしかめていたビビであったが、ちょっとした意趣返しを思いついたので、もともと頑強な顔面に本当に凶悪そうな笑みを浮かべて言った。
「アデーレさん、ちょっと奴隷になってください」
「……ん?」
続