女騎士と良いオークが旅をする話 その1
ガリア北東部を吹きすさぶ風はたとえ夏といえども確かな冷気をたたえている。この地の住民にとって大気の精霊が祝福たりえるのはこの短い夏季のみであり、厳寒の頃合いには生命をも脅かす獰猛なうねりとなって民や旅人たちに容赦なく襲いかかるのである。
そんな束の間の涼やかな心地を感じながら、流浪の女旅人・アデーレは馬車を引いていた。馬車と言ってもそう上等なものではなく、簡単な荷物を載せられる二輪車を馬に引っ掛けただけの粗雑な車である。だがそれでも、女が一人で旅をするには少々大掛かりである。彼女は巡礼者なのか、はたまた流れの民なのか、白い外套をまとう姿からでは見当もつかない。女商人などという存在は、未だ希少であった。
「そろそろ見えてきたが、あの村か」
と、彼女は尋ねる。
そう、この旅は二人旅なのであった。相棒の片方は車の荷台で横になっていた。こちらは、薄い麻布をかぶっている。
「そうですね、地図通りでしたら合っていると思います」
荷台の方からは野太い声が返ってきた。そして彼は、むくり、とその上体を起こして、自らも平原の地平線のあたりに霞む小さな村の姿を確かめた。
はらりと掛け布がはだける。そうしてあらわになった彼の肌は人のものとするにはあまりに青く、まるで萌黄のような色をしていた。そしてそもそも、図体の大きさが常人のそれとは桁違いである。成人した男が見上げてもなお背の余るほどの巨体。
彼は獣人族……オークと呼ばれる種族なのである。
「ビビ、あまり揺らすな。お前はデカいんだから、馬が怖がる」
アデーレは言う。彼が動くたびにやわな荷台がきしんでいるのが分かったからである。一方、ビビと呼ばれたそのオークは、凶悪そうな容貌からは意外なほどに落ち着き払った丁寧な声色で、
「わたしはアデーレさんの方が怖いと思います」
「何を言うか。この神聖なる慈愛深き騎士に、いったい誰が恐れを?」
「わたしにもその慈愛の一欠片でいいからください」
と、アデーレは手元から麻袋を取り出して後ろ手に投げてくる。
「これは?」
「慈愛だ」
ビビが袋を覗くと、中にはくるみが数粒入っていた。
「後で食べるから割っておいてくれ。ひと粒だけお前にやる」
「……ありがたきご慈悲です」
と彼は悲壮な表情をしながら、くるみをひと粒ずつ慎重に割っていった。オークは力はあるが手が大きいために細かい作業は苦手である。くるみとて、その手には何個も包み込むことが出来るくらいであったから、気をつけないと中身ごと潰してしまう。
そうやって彼がちょうど全ての粒を割り終えた頃、馬車は村へと差し掛かっていた。アデーレが目を凝らすと、その入り口として簡単な門がつけられていて、番が一人守っているのが見えた。馬を近くで止めて、アデーレは彼の方へと歩み寄る。
「やあ、旅の者なんだが、一晩泊めてはもらえないかな」
彼女を見た門番の若い男は少し眼を丸くした。旅する女性は珍しい。しかも、見れば思わず目を引く美貌を持っていた。この小さな里を訪れる者としては異色のたぐいであろう。
「良いが、一応荷物は見せてくれよ」
「ああ大丈夫だ、私は丸腰だ」
と言って、彼女は首から下を隠していた白い外套をばさりと脱ぐ。すると、そのあらわとなった姿を見た番の男は唇を歪め、
「お前、売女か」
確かに、アデーレの姿は男の言うような職業の女に近かった。隠すべきところのみを防ぐ布の服はごく最低限であり、身をひさぐ者だと言っても通りはするだろう。しかし、
「ああ、そうか、いや、違うんだ、こいつはな……」
とアデーレはいつものようなやりとりを交わす。
「魔法のためだ」
バチン、と言う火花が彼女の青い瞳からはじけ飛ぶ。その刺々しい熱波は視線を伝ってすぐに男の頬を撫ぜ、緩んだ心に一喝を入れた。
「普通の金属は魔力の伝導を悪くする。見た目が淑女と程遠くなるのは残念だが、この格好がいちばん『強い』んでな。あまり見てくれるな」
「あ、ああ。すまなかった」
気迫に押されてしまって、番人の彼は思わず頭を下げる。
「だが、荷物の方はちゃんと見せてもらうぞ。規則だからな」
「もちろん構わない。でも……驚くなよ」
アデーレの言葉に首を傾げながらも、彼は荷台の方へ歩んでいく。そこにかけられていた布をめくらんとする時、馬車の影に居たビビの姿を目に入れてしまう。
「おま、お前はっ!」
「あ、すみません。オークです」
むろん、ビビとしてはなるべく刺激しないような表現を選んだつもりではあったが、それでも驚愕のあまりに地面へ腰を抜かしてしまう番人なのだった。そこで、
「大丈夫、そいつは悪さをしない」
とアデーレが助け舟として声をかけるが、やはり耳には届かなかったらしい。彼はまるで死にゆく羽虫のように慌ただしく手足を動かして立ち上がると、一目散に村の中へと走っていった。
「これは、めんどくさそうだな」
「ですねえ」
やがて冷や汗を流しながらやってきたのはこの里の領主から政治を任されている差配人であった。アデーレたちは自らがただの旅人であるということを重々に説明し、宿を欲していること、屋根付きの場所ならばどこでも良いということを主張して、ようやく村で最も簡素な宿の馬小屋に馬とともに泊めてもらうことができたのであった。
「まあ、こういうこともあるだろうさ。夏でよかった」
とアデーレは頭の上で腕を組み、どさりと寝床代わりの藁の上へ身体を投げ出す。馬小屋と言っても二頭をしまうことが出来る程度のもので、雨は防げるが風は防げない。人が泊まるために作られたわけではないから、ただ藁を積んだ山に布を敷いて寝る他ない。暗闇を照らす明かりも無かったので、すでに西へと沈みつつある太陽と共に眠らねばならない。
「すみません、わたしのせいで」
「まだまだ偏見もあるな。難しい世だ」
彼女はごそごそと荷物を弄って、書簡をひとつ取り出した。それは、この大陸の南方に勢力を持つ国王と、そして聖教会の教皇との共同サインが書かれているこの地で最も権威のあるだろう強力な契約書であった。
「それを見せれば良かったのでは?」
「あまりおおっぴらにするものでもない」
アデーレとビビの旅には目的があった。
彼女らは、聖教会と南方王国の命によって各地の『聖遺物』を記録する旅をしていたのである。
そもそもオークがこのように忌み嫌われているのも、かつてこの地方全土を統括し、栄華を誇っていた巨大な帝国を滅ぼした民族のひとつであるためである。そして、その帝国崩壊によって散逸した強大な遺物、『聖遺物』がいったい今どこにあるのかを記録するのは教会の悲願であった。そこで、教皇と結び付きを強めたい南方の国王が、近年金融業によって力を伸ばしつつあった『メディテレニアンの騎士団』に(その抑制の意味も込めて)命を下したのであった。
アデーレは他ならぬ『騎士団』の実働部隊の一人であり、教皇からの勅命を賜ったということである。
彼女はその使命の重みを知ってか知らずか、大きく伸びてあくびをした。
「とにかく明日の早朝、馬が回復したらすぐに立とう」
「それがいいですね。何日も馬小屋はいやです」
と、二人が眠りにつこうとした時、小屋の戸がこんと叩かれる。
「すみません」
か細い獣油の灯火を持って立っていたのは、この宿の娘であった。
「どうした」
声をかけると、びくりと肩を震わせる少女。なにか恐れるような目線はビビの方へと注がれている。
「大丈夫、このオークは顔は凶悪だが子鹿ほどの肝っ玉もない。入って来い」
「はい、ありがとうございます騎士様」
と言って小屋へと入ってくる彼女の口ぶりをアデーレは聞き逃さなかった。
「騎士様? 私は自分が騎士だとは言っていないつもりだったが、どうして知っている」
「申し訳ありません。貴女の腰に下げている剣には見覚えがあったので」
「ほう?」
ここでようやく藁の寝床から起き上がってくる彼女。そのわきには確かに複雑な紋章の刻み込まれた細身の剣が置いてあった。
「同じ紋章を持ったひとが、かつてこの村にも居たのです」
「それは気になる話だ。少し聞かせてほしいな」
少女を怖がらせないように横でじっと黙っていたビビも、視線で興味を示す。
なぜか憔悴があらわに見える彼女の口元がさざめき、もう余命もない西日のほんの僅かな赤みと、手元のかすかな灯りとに照らされながら、この村にまつわる薄暗い事情を紡ぎ始める。
彼女の語るところによれば、この村は四年ほど前からオークたちの略奪にあっているのだという。食料も財も、そして人間さえもが断続的に奪われ続け、人々は疲弊しきっていた。
「領主には討伐を依頼しなかったのか? この村には差配人が居たはずだ。彼に頼めば……」
「いえ、ずっと頼んでは居るのですが、領主様もさいきん北方に現れたオークの討伐にお忙しいそうです」
「ふむう」
そして、彼女は語りを続ける。この村もずっと手をこまねいていたわけではないのだと。半年ほど前、アデーレたちのようにして偶然やってきた『騎士団』の男に同じように事情を話し、討伐団を組んだのだという。
「しかし、彼は……彼らは帰ってきませんでした。恐らく、敗れてしまったのでしょう」
そう言った彼女は悲しそうにして目をうるませる。複雑な紋章の形を覚えるまでに見つめた剣の持ち主には、もしかすると特別な情を抱いていたのかもしれないな、とアデーレは邪推する。
そして、少女から聞いた騎士の名は確かにアデーレの記憶にもあった。彼はどちらかと言えば書類と戦う方の人間で、剣の腕はそれほど立たなかったという覚えがあったのである。しかし騎士道精神にはいたく忠実な男で、おそらく何かのついでに訪れたこの村の状況を看過することはできなかったのであろう。
「私は彼を止められませんでした。あまりに意気揚々となさるので、きっと凱旋なさるのだろうと思ってしまっていたのです。あのとき引き止めておけばこんなことには」
「騎士というのはそういうものだ、特に彼のようなきまじめな奴はな」
「すみません、貴女がたにも依頼をしようとか、そういう訳ではなかったのですが、見覚えのある紋章でしたからつい……」
アデーレは簡単ではあるが彼への弔意を示して少女を宿へと帰した。すっかり日も沈んであたりは完全に暗闇となってしまったため、二人はそのまま眠りに就きがてら会話を続けた。
「あの……まさか変なこと考えていませんよね」
「うむ。何とかできないか?」
「いやいやいや、私たち勅命中ですよ。途中で討ち死にとかしゃれになりませんって」
「お前は図体はデカいくせにどうしてそんなに後ろ向きなんだ、ええ?」
「それはもう、私だって助けられるならそうしたいですけれど。同族の凶行ですからね。でも村の人はもはや協力してくれないだろうし、こちとら二人しか居ないんですよ」
「なに、勝てば良いんだ。簡単な話だろう」
「話を聞いて下さいよもう!」
しかし、ビビは知っている。彼女にはその無謀とも思えるほどの勇猛を実現するだけの力が宿っているのだということ、そして同時に、自らにもそれを支えるだけの技能を持っているのだということを。何をこの生命の責務とするか、自分がいったい何をするべきであるか、ビビは人間たちと同じようにして神に祈りを捧げながら探し求めてきた。そして答えの一端が、このアデーレという向こう見ずな女性にこそ隠されているのではないかという直感があった。ゆえにこうして旅を続けられてきたし、これからも続けていられるだろうと思うのである。
「まあ、あなたのそういう所は嫌いじゃあありません。なんとか明日事情を聞いて対策を考えてみましょう」
「そう来なくっちゃな」
続く