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短編小説 ミッドサマー・イブ 第一話

作者: hospital

第一話 「ランドリーソープ・オペラ」



 夜景を見ようとレンタカーを借りて、成子とふたりで樟久山に登ってきたが、広くひらけた展望台は冬の北風が吹きすさび、車外に出ると暖房で温まった身体もすぐに凍りつきそうだった。


僕はバックシートに積んでいたコートを羽織り、他のカップルたちがしているように、人目も忍ばず成子を自分の懐の中に引き寄せた。

一瞬驚いた様子を見せたが、成子はすんなりと黒い布地に包まれて僕の中に収まった。


「あったかい」と白い息でつぶやく。


ここまで急なカーブの続く山道を運転してきたので、僕の身体は緊張して熱を持ち、少し湿気ていさえいる。自分が汗臭くないかちょっと心配になり、冗談めかして成子に話しかけた。


「男のコの匂いがするかい?」

「ううん、親戚のおじさんみたいな匂いがする」

「ははは……」


酒も煙草も呑まずコーヒーさえ好まない僕は、自分がいつまでも少年のような気がしていたが、三十を過ぎれば『男のコの匂い』ではなく『おじさんの匂い』がしてもおかしくはない。

それに比べて成子はどうだろう。抱きすくめた腕の中からこぼれる匂いは、決して不快ではないものの、女らしい豊かさはなく、ドラッグストアのような少しチープな匂いがする。柔軟剤の香りが残る洗濯物の匂い。


「子供の頃、お父さんのお兄さんって人に抱っこされたのを思い出したの」

「そうか、だから同じ匂いがしたんだ。僕はその人の子供だから」


成子の言うお父さんのお兄さん、つまり成子の伯父が僕の父だ。

僕たちは従兄妹だったのに、なぜか昨年の父の葬儀の時までまともに顔を合わせたことがなかった。


「従兄妹同士でも結婚できる?」

「うん。でも僕たちは、だめだよ」


今は二人で抱き合って夜景を見下ろしていても、この光の中には帰らなければならない家があるのだ。僕にも成子にも。

子供の頃から知っていれば、実の兄妹のようにつき合えただろうし、お互い家庭を持つ前に出会っていれば、ふたりは手をつないで明るい道を歩けたかもしれないのに。


そんな僕の思いもお構いなしに、成子はさらにコートの奥深くまでもぐり込んで、

僕の息の中には成子の匂いが濃く混じる。他所の家の洗濯物の匂いが、僕にこれ以上の行動を起こすのを踏み止まらせていた。


「……お父さんはもっと可愛がってくれたわ」

「父親にとって娘は特別に可愛いんだ。僕だってそうだよ」

「……私のお父さんじゃない。あなたのお父さんよ」


さっき成子は僕の父に『抱っこ』されたと言った。

それはおそらく、大人の男の方法でだろう。


このことを互いの両親も知っていて、だからこそ僕の家と成子の家は遠ざけられていたのだ。


その父が死んで、僕と成子が出会った。



 焦れた成子はもう夜景も見ず、痛みをこらえるような表情で、黙って僕の胸にすがっている。いとしい従妹。いたいけにさえ感じるいじらしい姿。


厳しい寒さの中だというのに、僕の身体にはジンワリと汗がにじんでくる。

僕は血迷っている。僕には父の血が流れている。それでも父が破った禁忌に比べたら、僕がこれから犯す間違いなんて大したことはない———。



北風がさらに強くなり、展望台にいたカップルの数も、ちらほらとまばらになっていた。

ほどなくすれば、ふたりを包んだこのコートにも冷気が深く沁み入って、立っているのもつらくなってくるだろう。身体が凍え切ってしまわないうちに車に戻り、ふもとの街で成子をひととき盗んだら、何事もなかったようにそれぞれの家に帰ろう。


山を下る車の中にはヒーターに暖められた成子の匂いがいっぱいに満ちていた。

さっきまで僕を制していたこの匂いが、今は僕をかき立てる。庭木の果物を失敬しようと他所の家の塀に足を掛けた、少年の日の記憶を呼び覚ます。

男のコの僕が見た塀の向こうには洗濯物。白いシーツが赤い実をいっそう際立たせていた。


〈終〉

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