20
神聖な魔力を纏った光弾が、敵めがけて飛んでいく。その白い輝きが眼前を通り過ぎた際、僕は光の中に優しげな温もりを感じた。
『竜の屍』は地上と空中から自身を攪乱する二体の敵に翻弄され、自身に迫り来る魔法の察知に遅れたようだった。魔物は腐敗の進んだおぞましい顔面を光弾に向けると、もはや骨のみと化した腕で慌てて体を庇おうとする。だが、対処に遅れた所為でその動作は間に合わず、メイディーナの唱えた聖なる魔法は『竜の屍』の胸部に直撃した。光弾のサイズは術者が何とか両手で抱えられる程度で、相手の巨体にしてみれば人間でいう雀程度の大きさしか無かったのにも関わらず、化け物はその身を大きくよろめかせた。肉の削げ落ちた口から、声にならない叫びの振動が洩れ出る。
――よし! 効いてる!
自然と、ガッツポーズしていた。フィミアの放った風魔法を全く受け付けなかった時には焦ったが、メイディーナの術が『竜の屍』の強烈な弱点であるなら、まだ勝機はある。幸い敵の動きは鈍そうだし、このままボク達が囮として働き、彼女が攻撃役として機能していけば、いつかは眼前の巨竜を倒す事が出来るかもしれない。そんな期待を胸に抱きつつ、ボクは足を止めて敵の様子を観察していた。
光弾は標的に命中した後も消滅せず、魔物の体に突き刺さったまま、じわじわと陽に溶ける氷のように全身へと広がっていく。その輝きは『竜の屍』に絶え間ない苦痛を与えているようで、敵はその身を激しくよじり、悶えていた。骨は歪んで鈍く軋み、腐肉は引きちぎられて散乱し、苦しみを紛らわそうと行われる動作全てが、相手の受けている苦しみの凄まじさを物語っていた。
――う……。
『竜の屍』の痛ましい様を眺め続けているうち、先ほどまでの高揚感は鳴りを潜めていった。代わりに、哀れみにも似た感情が胸の内に広がっていく。別に、ボクらは敵を殺す為にここまでやってきたわけじゃない。息の根を止めなくても、相手が自分達を追ってくるように仕向け、川から引き離せば十分ではないのか。それでも目的は果たせるのではないか。
――いや。
自らの提案に、自ら首を振る。たとえ先ほど考えた通りに事を運び、万事上手くいったとしても、それで全てが解決するわけではない。確か、『竜の屍』は執拗に標的を狙い続けるとメイディーナが話していた。彼女の説明が当たっているなら、逃げたボク達の後を追いかけ、この化け物が人魚達の集落までやってくるかもしれない。そうなれば、戦場と化した湖に多大な被害をもたらすのは明白だ。怪我人だけで済むならまだマシだが、最悪の場合は死人まで出てしまうかもしれない。
脅威の目は、早く摘んでおくに越した事は無いのだ。
――同情しちゃ、駄目だ。
良心の呵責を押し殺そうと、小さく息を吐く。大体、『竜の屍』を攻撃するのはボクではなく、人魚の女の子なのだ。実際に手を下さない自分が相手を可哀想と思うなんて、馬鹿げている。罪の意識を一番持つなら、彼女の方だろうに。
悶える敵の不規則な行動に巻き込まれないよう注意して後退しつつ、チラリとメイディーナの方を見やる。両目を瞑った少女は蒼い髪を暗雲の下になびかせ、再び詠唱を始めていた。真剣な面持ちの彼女が、その胸中で何を思っているのかは分からない。自分達の暮らす地を脅かす者を排除するという使命に突き動かされているのかもしれないし、或いは命を持つ存在を否が応でも殺さなければならない現実に心を痛めているのかもしれない。
とにかく、ハッキリといえるのは。彼女が自らの役目を立派に果たしている以上、ボクもまた自身に課せられた役割を懸命にこなさなければいけないという事だ。
気持ちを引き締めているうち、込められた魔力が尽きたのか、竜の身体を静かに燃やしていた光が消滅していく。激痛を与えていた枷がようやく外れ、『竜の屍』は怒りを露わにするように頭上を見上げて牙を剥き出しにし、ボクやエルネの身体より遙かに巨大な両腕を同時に振り上げた。
轟くような足音の後、鋭い双爪が地上の敵めがけて繰り出される。考えている暇は無かった。ボクは反射的に森の見える右側へ横っ飛びする。空気が切り裂かれた事で生じた強風が吹き荒れ、衣服や髪を激しく揺らしたのとほぼ同時、大地が震えるようなとてつもない衝撃が辺りに響きわたった。遅延とした動作で剛腕が引き抜かれた地面には、骨の形に沿って深く抉られた大穴が出現していた。もし、先ほどの攻撃を避けきれていなかったなら。背筋がゾッとしつつも、アルネは無事かと視線を走らせる。遠くの茂みに蛇の下半身が特徴的な少女が立っているのを視界に入れ、ホッと溜息をついた。どうやら、彼女への心配は無用だったらしい。
だが、安堵したのも束の間、間発入れず二撃目が振り下ろされた。しかし、今度は焦らずに対応する。さっきと同様に真横へステップすると、またもや簡単に攻撃を回避する事が出来た。今度は、口から粘着質な液体を吐き出しての攻撃。同じ要領で身を翻し、安全な場所まで退く。脳の大半までが腐り落ち、もはや知能も殆どが残っていないのか、攻撃のタイミングが単調で分かりやすい。今までの行動から察するに、敵の攻撃のバリエーションは、ヘドロを発射、もしくは爪や牙による打撃くらいしか無いようだ。川を汚染するくらい膨大な闇の魔力を秘めているのだから、とてつもなく強力な魔法攻撃でも放ってくるのかと内心で戦々恐々していたものだが、その気配は微塵も感じられない。
楽勝、と気を緩めてはいられないものの、それでも幾分か心境が楽になったのは確かだった。
――取りあえず、今は二射目までの時間を稼いで……あれ?
落ち着いて、自分の為すべき事を確認している途中、ボクはある事に気がついた。頭上を飛んでいるフィミアを追い払うような仕草を行いつつ、鈍重ながらも確実に歩みを続けていく竜の化け物。その進路上に、両目を瞑り、俯いた姿勢で魔法を唱え続けている人魚の少女の姿があったのだ。
――まさか。
敵の狙いに感づいたボクの頬を、冷ややかな汗が伝っていく。
――アイツ、メイディーナを狙って移動してる!?
自身に最も危害を及ぼす相手を攻撃対象として選ぶのは、別に意外な事でも何でもない。ただ、これまでは知性の欠片も見られなかった筈の相手が、そんな合理的な判断を下せるとは思わなかったのだ。もしかすると、これは『竜の屍』の身体に刻まれた本能によって起こされた行動なのかもしれない。
とにかく、このままではメイディーナが危険だ。現在の彼女はあまりに無防備な体勢で、詠唱の方に全神経を集中させているせいか、自らに向かってくる敵にも気がついていない。
「メイディーナ! そこから離れて!」
こちらから何度か呼びかけてみたものの、反応は一度も返ってこなかった。やはり、周囲の喧噪も全く耳に入っていないらしい。この僅かな間にも、『竜の屍』は着実に目標へと近づいていく。ボクは叫んだ。
「フィミア! エルネ! アイツの狙いはメイディーナだ!」
「そんな分かりきった事、イチイチ言わないで!」
途端、敵に側面から攻撃を仕掛けていた幼なじみの苛立った声がする。彼女の放った緑の突風は、敵の巨体を揺るがすにはかなり威力不足だった。この間の猪とは巨体のスケールが違いすぎるらしい。
「そっちで何とか出来ないの!?」
「だから! やろうとしてるの! こっちだって必死なんだから!」
エリットは足手まといなんだから邪魔しないで。彼女の刺々しい口調から、暗にそう告げられているように感じられ、心の奥底で悔しさと情けなさが入り交じる。
無意識のうちに、歯軋りをしていた。
――そうだ。ボクは大した事が出来ないでいて……。
やるべき事をやろうとした。一応、果たせていたつもりだった。しかし、結局のところ、戦いの雌雄を決する大事な部分を他人任せにしている。魔物使いは魔物を使役して仕事をこなす。けれど、それは決して自分の僕に厄介事を全て押しつける、というわけではない。魔物と自分の特性をしっかりと把握し、その上で連携してそれが一流の魔物使いというものなのだ。
――なのに、ボクはみんなに頼ってばかりで……。
「ちょっと!」
沈んだ気持ちを現実へと引き戻したのは、フィミアの焦ったような叫びだった。ハッと目を覚ましたボクは、『竜の屍』の方を見やる。
――アルネ?
小さなラミアの少女が、漆黒の蛇の尾を滑らせ、巨大な竜の足下まで迫っていた。




