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 洞窟の中でしばらく睡眠を取った後、ボク達は出発する事にした。


「やっぱり、離れるの辛い?」


 通路に出た途端に立ち止まり、自身の暮らしていた空洞の中をじっと見つめ続けるエルネに対し、ボクはおずおずと訊ねた。少し遅れて、


「……少し」


 と、彼女はボソリと呟く。


「そうだよね、ずっと暮らしてきた場所なんだし」


 ナチリ村を出た際、森の中から故郷の方向を振り向いた事を思い出しながら、ボクは言った。幼い頃から慣れ親しんだ世界を離れた時に感じた、強大な不安は、今でも胸の中に強く残っている。一歩一歩、家から離れようと持ち上げた足が、どれだけ重たかった事か。


 けど、それでも。外の世界を見てみたいだとか、自分を変えたいだとか、そんな強い気持ちが後押ししてくれたからこそ、ボクはナチリ村を旅立てたのだと思う。


 そして、エルネも。


「……でも、帰ってこられなくなるわけじゃないから」


「……うん。一生の別れになるって、そんなわけじゃないもんね」


 彼女を元気づけようと発した言葉は、ひょっとするとボク自身にも向けられていたかもしれない。


 暫しの間、ボク達はお互いに胸の中を揺さぶる感慨に身を委ねていた。しかし、程なくして、


「ほら! ボサッとしてないで、行くんなら早く行こうよ!」


 と、全く空気の読めないハーピーが行動を急かしてきた。


「無駄に時間かけたせいで、松明の灯りが消えたらどうするのよ!」


「う、分かってるよ……エルネ、それじゃ行こうか」


 ボクが呼びかけると、ラミアの少女は小さく頷き、長年親しんだ住まいに背を向けて歩き始める。その後ろに、ボクは続いた。彼女は一度だけ名残惜しげに振り向いたが、後はずっと前を向いて歩き続けた。




 フィミアと二人きりだった頃は行き当たりばったりの探索で、どこをどう進めばいいのか全く分かっていなかったが、帰りはエルネのお陰で多大な苦労をせずに済んだ。彼女はこの地底迷路の構造を完全に把握していて、一度も迷う事なくボク達を出口まで案内してくれた。


 そういうわけで、ボク達はあっという間に横穴を出て、湖の場所まで戻る事が出来たのだった。


「うわー、やっぱりスライムがウジャウジャいる……って」


 松明を掲げながら周囲を見渡し、仲間の方へ顔を向けた瞬間。ボクは固まってしまった。


「……エルネ、何してんの?」


「ん」


 名前を呼び掛けられたラミアの少女は、口一杯に頬張っていたゲル状の青い生き物をゴックンと飲み込んで、


「ん、食事」


 と、簡潔な答えを返してきた。


「しょ、食事って……」


 ボクは半ば呆然としながらも、


「スライムって、食べられるんだ」


「あれ、エリット知らなかったの?」


 フィミアは何故か驚いたように、


「人間って、何でも食べるようなイメージがあったんだけど」


「いや、流石に魔物は食べないよ……魔力増強剤の原料になってるって聞いた事はあるけど。毒とかないの?」


「ぜーんぜん。普通に安全な食べ物」


「じゃあ、フィミアも食べるんだ?」


「んー、アタシはあんまり好きじゃない。触感が」


 スライムを食べた時の事を思い出したのか、彼女は微妙そうな表情で、


「ただ、何も無い時は仕方なく捕まえるけど」


「へえ、そうなんだ」


――まぁ、あんまり腹の足しにはならなそうだもんね。


「アンタはどうなの?」


 フィミアがエルネに話題を振ると、彼女は二匹目のスライムを捕まえながら、


「……普通」


「それにしては、随分な食べっぷりじゃない」


「だって、生き物、コレばっかりだから」


――ああ、そういう事だったんだ。


 どうしてエルネは小柄で線の細い体型なのか、その理由が何となく分かったような気がした。こんなゼリーっぽい食べ物ばかり摂取すれば、少なくとも太った体型にはならないだろう。


 しかし、どこでも捕まえられるこの低級魔物は、非常食にするには良さそうだ。


――もう、いよいよ食べる物が無くなったら。スライムを捕まる事にしよう。


 ボクは側の岩の上でプルプルと震えているスライムをじっと凝視しながら、妙な決意を胸の内で行った。しかし、視界の端にボク達がやってきた方向へ向かう出口を見つけた為に、その感情は心の隅へと追いやられた。新たな疑問が、頭の中に浮かんできたのだ。


「そういえばさ、こっちの洞窟って変な仕掛けで入れないようになってたんだけど。エルネはその理由、知ってる?」


 問いかけながら振り向くと、彼女は何匹目かの主食を頬張っているところだった。彼女は食した魔物を飲み下しながら、首を縦に振る。


「それ、人魚のせい」


「え? 人魚達の?」


 その返事は全く予想外だったので、ボクはひどく驚いた。


「そうだったんだ……でも、どうしてこんな」


「人、沢山やってこないようにって」


――人が沢山やってこないように?


「ちょっと、それヤバいんじゃない?」


 ボクが口を開こうとした矢先、フィミアが不安そうな口調で言った。


「それって要するに、ここの人魚達って人間を煙たがってるって事じゃない。エリットがそんな所を訪れたら、すぐに追い出されるんじゃないの?」


「……んー」


 しばらく、エルネはボクの顔をじっと見つめるのみで、彼女の質問にすぐには答えなかった。しかし、やがて可愛らしく小首を傾げながら、


「大丈夫。多分」


 と、仄かに自信なさげな口調で言う。


――何だか、大丈夫じゃない動作のような気がするんだけど。


「何よ、その曖昧な」


「まあまあ、エルネが大丈夫って言うんだから」


 彼女の言葉に若干の不安を覚えつつも、ボクはまたもや突っかかろうとしたフィミアを宥めるように言った。


「きっと大丈夫なんだよ」


「エリットはコイツの事、信用し過ぎ!」


「そりゃ、信用するよ。だって仲間じゃないか……う」


「むー」


 忽ち、彼女が頬を膨らませて睨みつけてきたので、ボクは若干仰け反った。彼女の眉間に寄った皺が、だんだんと深くなっていく。機嫌が悪くなる兆候だ。


「やっぱり。エリットって、アタシよりコイツの言う事ばかり聞いてる」


「そ、そういうわけじゃないよ」


「いーや、絶対にそう」


「違うってば」


「違わないもん」


 ボク達が言い争いを続けている間も、エルネは暢気にスライムを捕まえ続けていた。


 数十分に及ぶ口喧嘩の末、このままじゃ埒が明かないと踏んだボクは、


「とにかく、そろそろ出発しようよ。このままずっと話し込んでると、松明が消えちゃうかもしれないし」


 と、色々はぐらかす為に、若干揚げ足取り気味の言葉を彼女にかけた。ハーピーはムスッとしながらも、ボク達の入ってきたそれとは反対側の入り口へとバサバサ音を立てて飛んでいった。一方、ラミアも束の間の食事を終えて地面を這い始める。ボクもまた、彼女達の方向へと歩き始めたのだが、ふともう一つの水辺を進んでいく道が目に入った。


「エルネ、こっちの道はどこに通じてるの?」


 彼女はボクの視線の先を目で追って、ただ一言。


「行かない方がいい」


「え?」


 その、彼女に似つかわしくない有無を言わせずといった声色に、ボクは戸惑った。


「どうして? 先に何かあるの?」


「入った事ない」


「入った事ないって」


「多分、ここの主がいる所。だから、入らない」


 ボソリと呟いた後、エルネは滑るような動きで岩壁に出来た空間を進んでいく。


――主って……。


 最後にもう一度だけ、ボクは不気味なほどの静けさに包まれている水面を振り返った。如何にも何かいそうな、そんな湖。水中の暗き奥底に潜む、巨大でおぞましい怪物の姿を脳裏に想像し、自然と身震いする。




――触らぬ神に祟りなし、だよね。




 ボクは早足で、前を往く二人の後を追った。

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